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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
27/57

2015年6月15日②

 :こんばんは。また会えて嬉しいよ。無事に第二夜を迎えられて。夜叉と:

:キリノと::ガンタと::トドロキです:それぞれが名乗った。

午後5時、夜叉通信は予告通り始まった。

「この絵だけでも、涙流してるファンが大勢いるぞ」と門根。



 :バンドが揃うと嬉しいもんだな。…昨日質問を募集したら、たくさん送ってくれた。少し、答えようか。『夜叉はニューアルバムを出した後ワールドツアーの予定はありますか?』…これは…難しいな。やっぱりゾンビなんでね。体の無理が利かないどころか、ぎりぎり生きてるだけだから。こういうの言うと、キー局では報道規制がかかるから自前で発信してるんだよ。つまり、こう思うわけ。俺がなったくらいだから、誰がなっても不思議ないんじゃないかって。だからゾンビー症候群を知ってほしいんだ。それもあってテレビに己を晒しているんだ:


 夜叉は僅かに指の生え際だけが残っている右手の親指を出した。

:見える? ピアノを一音引いただけで…ちょっと強すぎたんだよな…親指を生かしてるウィルスが潰れて死んだ。だから親指も死んだんだ。手当てが早かったんで付け根が残った。お蔭で物を掴むことが出来る。でも楽器は無理だと証明されてしまった。多く貰った意見に『蘇りサイコー! ゾンビサイコー!』というのがあったんだが、どうかな、俺は嫌だな。ゾンビとして生きるわけだから。前みたいには固形物を食べられないんだぜ。だからゾンビ映画で人を喰ってるのは誤りだな:

夜叉の横でガンタ1人が受けて笑った。


 :やっぱり、受けてくれる奴がいるといいな。…昨日も言ったけど、頭はそのままのつもりだ。でも、蘇った時から運動機能は変わってしまった。だから脳のその辺がやられたのかもしれないな。俺、蘇った時ゾンビの自覚もないのに、自分が起きて歩けるとは思えない程身体は死んでると感じた。『やっと保ってる』、ゾンビとして生きているのってそういう感じだ。同席してる奴が牛丼喰うのを許せないとか、ステップ踏むの見て『自分の方が上手かったのに』と怒るとか、恋人や家族と『ハグしたい』とか思うような人間はゾンビには向かないだろうな:


 その後キリノが語り、ガンタとトドロキが駆け付けた際の話をした。ガンタは車に載せてきたウッドベースが除菌に向かないと言う理由で持ち込みNGを食らい、トドロキはドラムセットは入らないと踏んで、アフリカの儀礼用の太鼓を持ってきて同様の憂き目にあったと明かした。


 :そうそう、オークションの話なんだけど、どっかのお役所から詐欺やパニックを起こすようなことは如何なものかって、釘刺されたみたいだ。一発勝負なら酷く不公平なことにはならないと思うんだけど。関係各方面ってどこのことか知らないけどね、調整するから、少し待ってね。再度言うけど、金を振り込まないこと。今振り込めってのは詐欺だよ:夜叉は少し微笑んだ後、カメラを見つめた。


 来るぞ。

 「あいつ、何かやるな」呟いた門根のスマホから、入院中のクマちゃんの:あぁやだ。また血圧が上がっちゃう:という悲痛な声が漏れ聞こえた。

 


 夜叉は座ったまま蒼い手を見た。失った親指の抗菌シートは外してある。

 :皆がくれた質問で多かったのが、『何故キューバにいたのか?』というのだった。バンドを解散して10年間、知っての通り俺の人生はぐちゃぐちゃだった。浅はかな結婚と離婚、自称友人の持ってくる儲け話。今にして思えば、全て失敗したのには理由があった。単に…音楽から逃げてただけだったんだ。騙され奪われて、馬鹿な俺にも信頼できる人間とは誰なのか、ようやく見えてきた。手元に残ったのは、自分と借金と音楽への渇望だった。ずっと気づかないふりをしていた情熱。歌いたい、創りたい想いが湧いてきた。でも今の俺が表現したいものはThe Axeの音とは違った。自分とは異質なものにどっぷり漬かって、内なる自分から湧き出てくる音に耳を傾けたかった。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』を思い出した。熟練の奏でるサルサ、ジャズ…日がな1日浸っていたい。そう思って、キューバに行った:


 :もっぱらキューバ人が普段行く店に通ってた。3ヶ月弱。自然と馴染みの店で爺さんミュージシャンと一緒に弾いたりしてた。貧しいのだけど、その緩くて確かな生命力が心地よかった。キューバの庶民にとって、ミュージシャンやアスリートになってキューバから世界に出ていくことはスーパードリームだ。教育費・医療費はタダって知ってるだろ? でも薬代は有料なんだよ。ギターを買えない子はバーの裏からじっとギタリストを見てる。…で、教えてやってたんだ。言葉なんか話せなくても楽器があれば通じるからな。あそこは社会主義国で、基本的に食料は配給で、もちろん足りない。あとは個人的に稼いだ金で足りない食材を市場で買うんだ。でも市場に肉は滅多に並ばない。貧しい家は配給品のみで暮らしてる。ガッリガリに痩せてる。コードを押さえる時指に指を重ねると、狂おしくなった。俺の送ってきた人生がクソのように思えた。ある日子供たちの一人が来なくなった。両親が別れたので、お祖母さんの家に移ったからだった。俺、そろそろ日本に帰ろうと考えてたからかな。何故だか自分でもわからないけど、クラブの爺ちゃんにギター借りて、バスに乗って知らない村に会いに行ったんだ。キューバの都市部しか知らなかったから、延々サトウキビ畑の田舎で途方に暮れた。スペイン語ももうクレオール語を通り越した訛りでまるきりわからないし。でも奇跡的に探し当てたら、エンリケは抱きついてきた。何曲か弾いてやると、お祖母さんや親戚が喝采してくれて、行ってよかったと思った。帰りはロバの荷車でバス停まで連れて行ってくれたけど、ロバの餌も事欠くのでそこまでだって。ずいぶん待ってバスに乗ったはいいが、乗継を間違えたみたいで港町に着いた。海を臨む要塞の縁を歩いていると壁の上に、緑のイグアナがいた…。どこをどう歩いて帰り着いたのか覚えていないけど、気が付いたらホテルのベッドの上だった:


 緑のイグアナ? マカンダルの話の時にも出てきたな。


 :帰国するために乗った飛行機が事故に遭った。突然の衝撃と閃光、座席ごと放り出されて…よく覚えていないが…覚えていたらいい眺めだっただろうな。カリブ海を上空から直に見下ろして、最強アトラクションばりに一気に急降下、砂浜に突っ込んだんだから。座席シートに座ったまま意識を失った状態で窒息したらしい。苦しんだ記憶はない。シートが目立ったお蔭で俺はすぐに掘り起こされ、遺体は大学病院に運ばれた。でもそうじゃない人もいる。俺は蘇って、まだ夜叉であり続けて、人生に新しいページを加えようとしている。でもそうは出来なかった人もいる。俺は蘇った時日本語の話せる医者がいてくれたお蔭で本当に救われた。その医者は浜辺で多くの遺体を回収していた時、生きて帰ることが出来なかった日本人に、この映像を託された。医者には内容の判断は出来ないし、一方的なメッセージに批判的な意見もあるだろう。でも命を振り絞って伝えようとした彼の最後の言葉を見るくらいは、してやってもいいのじゃないだろうか:



 青い空、美しい砂浜、荒い息遣い、揺れる画面…あの映像が始まった。


 今ならわかる。サニは「ヤオーマ!」と呼んでいたんだ、最初から。つまりサニは夜叉を冷凍保管庫から出して自然解凍にかけておいて、青山の遺体を探しに行ったわけだ。


 約10分ほどの青山の曝露データはつつがなく放映された。無修正を宣言したので、大橋京太郎の顔がばっちり見えていた。抗議だか名誉棄損だかで訴えられること必至だ。


 門根は目を白黒させていたが「や、約束を果たしたまでだ。何言われたって、筋は通ってる」と夜叉を擁護したのは立派に思われる。

 画面が切り替わった時の柳田キャスターの唖然とした顔がおかしかった。ポカンと開いていた口に気づくと、慌てて取り繕った。

:夜叉通信2日目でした。私どもは夜叉の発信する情報をそのまま放送しております。内容に関してのコメントは控えさせて頂きます:


 5分後には門根の元に警視庁から『聞きたい事と見たい物がある』と連絡が入った。クマちゃんは立ち会うために急遽退院することになった。

「クマちゃん大丈夫なのかな?」瑞生が心配を口にすると、門根が「不健康の塊のわりには、心臓も脳も大丈夫だそうだ。夜叉を押さえつけられて、怒り心頭で血圧が急上昇したせいらしい。まぁ過労状態なのは確かだからな、俺たちも気を付けてフォローしないとな」と頭を掻いた。



 クマちゃんは久しぶりにぐっすり寝たとかで、ツヤツヤほっぺになって現れた。「AAセンターって、三ツ星ホテルの料理長だった人が食事の監修をしてるそうよ。あんなゴージャスなロカボ食初めてだわ。休養十分。八重樫君の伯父様ともちょっとお話ししてきたし。例の“高柳美由紀”に掛けてみたのだけど、『お掛けになった番号は現在使われておりません…』なの。小中君から杉窪さんが聞いた電話番号…もしかしたら携帯、解約したのかもしれない。それより聞いた? 感染症研究所の上層部は『藁科にプレッシャーをかけたことなどない。ゾンビーウィルスが採取できるなんて戯言、出来の悪い研究員に期待すると思いますか?』と言ったらしいわ。藁科は予期はしていたみたい。だから最後にサニと森山を庇ったのよ。もしかしたらサニと森山をここから追い払った後に、研究所から1チーム送り込む計画があったのかもしれないわね」

「三ツ星? サニの弁当にそんなの欠片も漂ってなかったぞ」と本永。

「藁科は超嫌な奴だけど、研究所内ピラミッドの下層階級だったんだな。際どいことをさせたのに失敗したら切り捨てて、手柄は上のものっていうブラック企業の典型だな」と門根。

「結局、森山はどうなるんだろう。僕のこと心配してくれて優しい人なんだけどな」と瑞生。

「その優しい所が、研究者に向かないのかもな。…凄えな。“青山陽斗”“大橋京太郎”“セキハラキイチ”“坂上逍造”が検索ランキングに入ってきてる…」本永がスマホを見せてくれた。「本当だ。夜叉通信を見た人が一斉に調べてるってこと?」


 瑞生は門根に気になっていたことを訊いた。「屋敷内の記録用カメラを止めていたの?」

門根は三銃士が被るような羽根つき帽子をいじった。

「蘇ってここに来た当初、俺にとって夜叉は『堕ちたカリスマ』だった。『今度はゾンビになって世話してほしいだと?』という感じ。ゾンビになったことも見世物に成り果てたように捉えていたんだ。それなら損失の元を取るためにも、多少悪趣味と言われようと、奴の生態を記録したドキュメンタリーで稼いでやると考えた。だって奴はミュージシャンとしては終わってると思っていたから。10年新譜無しだぜ? 無理ないだろ? 一般人の瑞生と新しく繋がりを持ちたいと言うなんて意外だった。未成年の人権や肖像権が絡んできても、瑞生の写ってるところはカットすればいいと思ってた。ところが、夜叉は紛れもなくあの夜叉だった。カリスマロックスター、俺の憧れ。そして新譜。音楽に掛ける情熱は昔と同じだった。サニがカメラを止めていたと知った時、ピンときた。俺は夜叉を守る側の人間だと。MVの撮影時のこぼれ映像を“おまけ”として公開することはよくあるが、それで十分だ。パンツを履く所を撮ったり見せたりする必要なんてない。夜叉は音楽で世界とコミュニケーションを取る。それがミュージシャンだ。だから止めたんだ」




 夜の高速道路をどうぶっ飛ばしたらこんなに早く着けるのか、というほど警視庁一行はすぐにやってきた。驚いたことに前島も一緒だ。

 「途中まで赤色灯を点けてたからな。ここまで50分とは最短記録だ」と前島。「警察庁・警視庁どちらからも私はこの村に精通していると誤解されている。夜叉邸の面々が同一の説明を繰り返さないで済むようにという配慮だよ。どうも担当部署の違う犯罪と縁がある様子だから」

紹介された2名は、警視庁捜査二課第二知能犯捜査二係の係長と若い刑事だった。もう1人いたはずだが、ドライバーとして覆面パトカーに戻ったのか姿が見えない。


 「まず初めに、あの衝撃的な映像をテレビで流す前に、警察に相談しようとは思わなかったのか、聞きたいね」二係の係長はテーブルを囲むように座っている一同を見渡した。


 「…」誰も口火を切らないのは、向こうの出方が予期せぬものだったからだ。

「あ~、最初に言われるのは、『ふざけた映像流しやがって。腕が動くなんてB級特撮映画か!』だと思っていたのですが」

門根が責任者らしく、皆の考えを代弁した。しかも敬語で。

係長は表情を変えぬまま門根をつらつらと眺めたが、若い刑事は目を瞬かせて反応した。

「あの映像の信憑性も含めていろいろ聞きたい事があって、駆け付けたわけだ。まず、あの映像の出所を確認させてもらおうかな」


 「あの映像。本当のことです。僕が、撮りました」サニが単刀直入に言った。

「あなたがあの映像を撮った…。つまり、青山さんの腕を見つけたということですね? 日本語がお上手ですが、以前にも日本に…?」刑事たちの眼光が鋭くなる。

「いえ、国外に出るのは初めてです。日本語は独学で学びました。僕はヤオーマからあのメモリーを託されたので、志願して夜叉の付き添い医師として来日しました」サニの話を係長は腕組みし若い方はメモを取りつつ聞いた。

「ヤオーマの腕を引き取りに誰も来なかったと聞きました。だから僕は誰にメモリーを渡せばいいのかわからなかった。そこでせめて彼の死に様を見てもらおうと考えて動画を提供しました。預かったメモリーの内容はそのままで公開してほしいと夜叉に頼んだのです」


 「なるほど」係長が相槌を打った。「それで自身の番組で?」

皆が一斉に夜叉を見る。

 「俺は彼のお蔭で正気を失わずに済んだ。彼は『日本人に死に際のお願いをされた』と打ち明けてくれた。だから俺は手伝うと約束したんだ。テレビ局に持ち込めば、放送規定に引っ掛かるとか、裏を取るとか言って、編集したり隠し撮りに登場した人物に漏れ伝わったりするだろう。だからゲリラで流したんだ」


 「なるほど」係長は若い刑事に振った。

「あの飛行機事故では夥しい数の遺体のパーツが回収されたものの、持ち主の判明に手間取っているそうです。青山さんの遺体はポケットの旅券ごと胴体の一部が発見されたお蔭で身元が判明し、同じ衣服の腕も青山さんのものと推察されました。女物の腕時計をしていた点が特異で、しかも遺体の引き取りがないので、所轄は青山さんの自宅に行き少々調べたのです」

 係長は顎を擦りながら「所轄の報告にあった、青山さんの部屋の骨壺。あれは妹のものだな。女物の腕時計からDNAが採取出来れば骨壺の中のと一致するか、試してみる価値はあるな。それで妹と腕時計の持ち主が同一、或いは兄弟と判定されれば腕は青山陽斗さんと確定するだろう。実は青山さんの遺体は劣化が激しかったらしくキューバで荼毘に付され、遺灰が帰国した。DNA鑑定が出来なかったため“青山の腕のフリをした腕”という可能性を払拭できなかったのだ」と言った。

知らんふりしてクマちゃんが「引き取りに来ないご遺灰は、どうしたのですか?」と訊く。

「事情が事情なので、遠い親戚を探したそうだが無駄だった。事故の遺灰を放置しておくのもどうかということで、住民票のある葛飾区が引き取り、公営墓地に納骨した。あの動画を見て所轄が公営墓地に飛んでいき、無理言って青山の骨壺を出してもらったが、…煤みたいな物が見えただけでほとんど何も入っていなかった。まぁ大勢の部分と一緒に火葬されたと考える方が妥当だろう。一応管理者に、紛失させていないか、第三者に開けさせていないか、明日の朝一で確認を取るが」


 微妙な間をあけて、「死者の腕が動いた動画は、もし単独で見たとしたら『バカバカしい』で終わっただろう。しかし詐欺の証拠や帳簿のデータがあったので頭から否定することが出来なかった。関原と大橋の密談も興味深い。データを詳細に分析したいので、ここまで出向いたということだ」係長の目線から、提出を拒むことなど許されないと伝わってきた。

サニは「ヤオーマの手は本物だと信じているのですか?」と怯まず確かめた。

「言質を取らずには渡さない、ということか…。これを腕のレプリカを利用した体のいい告発と受け取る方が現実的ではないかな? 告発の内容が本物であるなら、腕が本物でなくても一向に構わないと思うが」係長は前島を見ながら、思案しているのか、時間稼ぎをしているのか。「まぁ、目の前に…蒼くなって生きている人がいるので、そうなのか、と思えなくもないが」と言葉を濁した。


 前島は身を乗り出して、「ヒメネス先生、質問なのですが、夜叉はこうして生きているのに、青山の腕や胴体は何故生き続けられなかったのですか?」とサニに訊いた。

サニは「ゾンビーウィルスは憑りついた組織の維持に邁進するので、腕の筋肉や骨は少しの時間そのまま維持されます。ですが、血液や体液は人体を循環する流れがあり、それが断ち切られていますから、酸素や栄養の供給が受けられず、やがて活動停止、その部分の死に至るのです。夜叉は全身を構成している細胞や組織が無事でしたからウィルスが各パーツを生かしているだけなのに、生命全体を維持できているのです」と答えた。

 

 「警察としてはあのような超常現象を信じるとは言えない。しかしキューバでわざわざ動画を作って飛行機事故の被害者を騙るメリットがあるとは思えない。夜叉側が仕込むのはもっとありえない。夜叉のゾンビ化すら大半の日本人にとって半信半疑なのに、茶化すような腕の動画を出すなんてデメリットしかない。それと犯罪の告発とは分けて考えるべきだ。まず証拠一式を提出願いたい。我々がそれを分析して、あの動画に虚偽の無いことを証明して公表することが出来る」係長はメリットを示して同意を促そうとしている。

 「保証もせずに証拠の品を持っていくなんて国家権力の横暴じゃないか。『動画に虚偽の無いことを証明して』なんて遠回りな事言わないでさ」門根が熱くなる。

 サニは憮然とした顔をして、動こうとしなかった。

「あなた方が半信半疑でも、あの腕を見たでしょう? ヤオーマは僕の友達でした。彼は腕だけになっても、セキハラに復讐したいと思っていた。彼の無念を晴らしてください。圧力に屈して闇に葬ったりしないと約束してください」


 咳払いを一つして、係長が話し出した。

「我々はここ1年、関原喜一をブレインに配した半グレ集団の“セミナー詐欺”グループを追ってきた。あのようにテレビで扱われて、正直な所『なんてことしてくれるんだ!』なのだが、明日の午前ガサ入れを予定通り決行する。実は関原は今留置場に勾留されているんだ。この所関原は不審な動きをとっていた。先程の映像を見るまで我々も目的を掴めていなかった。まさか闇稼業と縁を切ろうとしていたとはね。いきなり廃業すると残党と後継の件で揉めてしまう。大橋の言う程スパッと足を洗うのは難しいので、ビジネスマンも兼業しておいて、抜けるタイミングを計っていたのじゃないかな」

「ところが下っ端が『関原は組の傘下に入るのでは』と勘ぐり、関原の新居に忍び込んだ。そこで関原と鉢合わせた。揉みあっている所に奥さんが帰宅し通報。暴力行為の聴取で勾留されている。関原は自分が被害者だと信じているから詐欺事件で家宅捜索が入るとは思っていないだろう。下っ端の狙いは奴のパソコンだったようで、こちらは”所有者確認中”として押さえてある。狡賢い関原が新婚家庭に詐欺の証拠品を置いているわけがない。ガサ入れしてもパソコン以外の収穫は期待できないから」


 次いで若い刑事がサニに向かって語りかけた。

「説明が足りなかったかもしれないので触れておきます。このセミナー詐欺は、以前地上げで鳴らした土屋組という小さなヤクザの息子が金主で始めたお遊びでしたが、今では関原が事実上のボスで、実に効率よく稼いでいます。土屋組は廃業してもうないしドラ息子は病気で、関原が入院費を援助してやってる状態です。関原がどのようなシステムを作って首都圏の生産年齢の人間を喰い物にしているか、はっきりしなかったのであの資料は貴重なのです」

 係長はサニに改めて向き直った。「あなたが青山さんの死を悼み証拠の品を帯同してくださったことに感謝しています。我々はすでに1年分の内偵資料を持っています。関原を必ずや逮捕・起訴してみせます。犯罪の報いは受けさせます」


 前島は、「君たちの知りたいのは、生前の青山さんの状況と妹さんの死に対する関原の責任を問えるかということではないかな?」と振った。前島にしては信じられないがナイスアシストだ。

サニが頷く。明らかに夜叉が興味を示し、ほの蒼いオーラが揺らめいた。警視庁の精鋭がビビッて硬くなる。藁科の血を拭いた消毒液の匂いが漂ってきた。


 前島が瑞生の時とは違い、手元のファイルを見ながら話し始めた。

「青山陽斗は関原のグループにいたわけではない。だから二係もノーマークだった。先程の話で出てきた土屋組の組長が青山陽斗の実家を乗っ取った話は知っている? ならば話が早い。土屋組は青山不動産を乗っ取り、所轄は認めていないが、陽斗の両親を自殺に偽装して殺した模様。しかも陽斗の家をアジトにして地上げ業に精を出した。組長は陽斗とまゆりをある意味可愛がった。陽斗は自分の後継者として育て、まゆりは自分の女としてね。しかし、時代は変わり、ヤクザは暴力団になった。バブルの後はシャブやドラッグ、詐欺がしのぎの中心になっていくのを見て、昔気質の組長は廃業を決めた。陽斗には自分の趣味の海外不動産詐欺の実行を担わせ、まゆりは『線が細すぎて極道の女には向かない』と手放してやったようだ。陽斗を自由にさせないための保険だったのかもしれない。まゆりは陽斗の事務手伝いをしていたが、もう組長の女ではなかった」

「ここで、組長のかつての愛人が生んだ息子が登場する。ドラ息子は父親の趣味の不動産詐欺を手伝う気など毛頭ない。金をせびるだけだ。組長は一塊の金を渡して親子の縁を切った。ドラ息子はその金を関原に渡し詐欺稼業を始めたようだ。ドラ息子と関原の関係はどうも『命を救われた』とか言う事らしい。エリート街道から零れ落ちた関原は闇の商売で億単位の金を稼いだ。パクられるのは末端だけという様々な詐欺のシステムを構築した。やがてドラ息子は病気になり再度元組長を脅した。このトラブルで陽斗とまゆりと出会ったと思われる。ドラ息子の面倒は関原が見る事になり、元組長と和解が成立した。その後まゆり狙いだか陽斗と気が合ったのだかは知らないが、友人関係だったようだ」

「まゆりの自殺の件は全く知らなかった。急遽所轄に頼んできたのだが…」タブレットを見て「届いてるな。…特に不審な、つまり他殺を思わせるものはなかったようだ。風呂場で睡眠薬を飲んで手首を切って自死。…ああ。妊娠していた。これかもしれないな」

前島の声だけが聞こえるシンとした面会室。

 

 「キューバから持ってきてくれた映像にあったな。大橋は関原に結婚を勧めていた。そこで関原は表の世界に再デビューする話に乗ることにして、妊娠していた恋人のまゆりを捨てたんだ。あの大橋との密談の映像は、関原にとっての保険だったはずで、信頼していた恋人のまゆりに預けておいたに違いない。当然USBメモリーを回収しようとしただろう。しかし叶わなかった。自殺後に関原が部屋を家探しした痕跡を、単なる自殺とみた所轄は見逃しただろうが、徹底的に調べれば何か見つかるかもしれない。陽斗は遺書を読み、メモリーを手に入れてキューバに持って行ったわけだ。あの腕が伝えた『hana33…』というのは?」

 前島の確認にサニが頷いた。「あの隠し撮りはパスワードがなくては開けられなかった」


 「なるほど、最後に復讐のためにパスワードを教えたのか」

「ヤオーマは帰国してメモリーを公開してくれる味方を見つけるつもりでいた。それが叶わなくなって急遽僕にパスワードをあのような形で伝えるしかなかったのだと思う」サニはポケットからUSBメモリーを取り出し係長に渡した。


 「坂上逍造の後ろに反社会的勢力の影がちらつくのは昔からで、いずれ確たる証拠を掴むまでは泳がせておくしかない。大橋京太郎に詐欺集団の金が流れるようになったのは、関原が大橋の姻戚になってからだ。ほんの3ヶ月では『東大時代に貸した金を返してもらっただけ』と言えるから罪に問うのは難しいだろうな」と係長。

「まずは関原の詐欺集団だ。その過程で大橋らを挙げる証拠が出る可能性もある。この報道がきっかけでメディアに探られればボロが出るだろうし、限りなくグレーなイメージが付いて参議院選や県議選に立候補するという芽は摘まれるのではないか? 青山妹の部屋の再調査にすぐ行かせろ。安アパートなら、事故物件をそのままにしている可能性もある」

係長は部下に指示を出すと、急に振り向いてこう言った。「証拠を預からせてもらったしこちらの質問はほぼ終了だ。新林さん、彼らに訊いておきたいことあったらどうぞ」

 

 ドア付近に座っていた痩せた男がゆらっと立ち上がった。「俺が追ってるのはもう1人の方だしなぁ」

「こちらは組織犯罪対策第二課の新林警部補だ。飛行機事故の前にあった事件の調査でキューバに行っていて…」


 

 「飛行機事故の前にあった事件? 何です、それ?」クマちゃんがすっとぼけて訊ねる。

新林は係長の横をするりと抜けてこちら側に来た。「キューバで4月に日本人女性が殺されたのです」

 「海外って、日本の警察には捜査権はないのでしょう?」本永がいいタイミングで突っ込む。

「ああ、よく知ってるな。そう、現地警察の捜査に口を挿むことは出来ない。が、進捗状況をチェックしないと。人任せと言うわけにもいくまい」新林も訊かれた以上のことは一切説明しない。

 「犯人は逮捕されたのですか? キューバは社会主義国だから量刑は日本と比べて重いですか? 日本人が死刑になることはあるのですか?」

「君は博識だな。刑事物よく読むのか? それとも石見さんの件を調べたのか」

 新林は本永をじっと見据えた。

「イシミさん? 誰それ、被害者?」とはさすがの本永にも言えなかったとみえる。「横山秀夫はほとんど読んだ…でも、ジョーシキだろ、こんなの」本永は喧嘩を売られると闘志が湧くタイプなのだ。


 新林警部補は一瞬口角を上げたように見えた。

「前島さんによると、『ゾンビの館に集まってるのは面白い面々だ』ということだからな。それもあり、か」新林警部補は、思う所があるように瑞生の方を見た。

 深く追及されずに済んだのはよかったのだが、捜査の進捗状況を聞き出すのは難しくなった。


 係長が夜叉に聞き取り調査をさせてほしいと門根に申し込んでいた。「今ここで訊けばいいだろう?」門根が事もなげに言うと、若い刑事の方が、「いえ、雑談やコメントではなく、記録に残る形式で行いたいんです。かなり細かいことも伺うと思います」と説明した。「それと、ハビエル・R・ヒネメス医師にもお願いします。映像に関してと、青山さんのキューバでの生活や行動について」


 「俺は青山に会ったことはない。これで終りだろ」夜叉が椅子に座ったまま答えた。

刑事は困惑した表情で上司を見た。係長は落ち着いたもので、「あなたと青山さんは同じ飛行機に乗って事故に遭っている。搭乗手続きやロビーで、それ以前にハバナのホテルやレストランで、日本人同士杯を酌み交わしたりした覚えはないですか? あの映像で腕には見覚えがあっても、顔は見ていないのじゃないですか?」言いながら胸ポケットから写真を取り出してテーブルに置いた。夜叉だけでなく、皆が身を乗り出して青山陽斗の写真を見た。制服を着ている高校生の時のものだ。

 家族を奪われ後ろめたい職業にしか就けないよう育てられ、たった1人の妹が身籠っているのに恋人に捨てられ自殺する。これ以上ない暗い人生を過ごしてきた青年。

でも高校生の青山陽斗は、シャイな笑顔を見せていた。



 若い刑事が通話を終えると、色めき立って係長に報告した。

 「今、青山さんとキューバで会ったという人物から連絡が入ったそうです! 夜叉の番組を見て、警察に話しがあると…。明日警視庁に出向いてもらう予定です」


 「ここで話を聞けばいい。この屋敷に呼んでいいぞ」

夜叉が急に目を輝かせた。「それと交換で、サニが青山の話をしてやる。どうだ?」

 「よくわからないな。何故あなたが青山さんと会った人物の話を聞きたがるんだ?」係長が訝しがる。


 「決まってるだろう。面白そうだからだ」

夜叉に言い切られて、若い刑事はポカンと口を開けた。だが係長はこの程度の夜叉節では怯まない。

「ヒネメス医師はもちろん、夜叉、あなたにもじっくりと話を聞かせてもらう。青山さんもゾンビーウィルスに感染していたとなると、どこで・いつ感染したかは解明すべき重要なポイントだ。あなたからしか聴取出来ない以上、根掘り葉掘り聞かせてもらう。いいですね? 一般人をこのような辺鄙な所に呼ぶにはそれくらいの代償が必要ですよ」

 夜叉はありありと『失敗した』という顔をした。しかし言い出したのは自分なので、やむなく首を縦に振った。

 「俺も同席させてもらう」と新林警部補が言った。

それを聞いて、サニは用心深く鼻を掻いた。


 「ところで、流血騒ぎがあったのだそうだね?」前島が屋敷内の不協和音を予測していたかのような顔で言った。

「ここで研究者の都合で鉈振り回されても、迷惑なだけだ」と門根は不快そうに返す。「あの女、夜叉の命を犠牲にしてもいいと思っていやがった。狂ってるだろう、そんなの」

 「様々な要因の重なり具合によって、存外人は短時間で追い詰められ狂気に駆られる。自分を見失うだけでなく、人としての道や品位までも見失う…恐ろしいことだ」

前島の声にはもうからかうような響きはなかった。


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