2015年6月14日③ 夜叉通信
放送30分前ともなると、さすがに夜叉もキリノもレコーディングスタジオではなく、即席スタジオの方にいた。瑞生にはカメラマン以外わからないが、動画を発信するのに必要なスタッフが数名いて、ざわざわしていた。
門根がクマちゃんを見つけて寄ってきた。「お疲れ様です! とんでもない騒ぎだったそうですね。映像があったらよかったのになぁ…」クマちゃんが手に持つスマホに証拠写真があるかのように眺める。
「田沼さんを助けるためとは言え、あんな暴力行為の映像が流れたら、私の弁護士生命は終わりよ。警察の記者会見あった? これだけ『夜叉がいる』ことが村に騒ぎを誘発していると、『田沼に是非にと言われたから』『前から家を所有していたのだから文句ないでしょ』という態度ではいられない。実際守ってもらっているのに、警察発表と齟齬のあることを発信するわけにはいかないわ。夜叉に釘を刺しておいてね」クマちゃんはイラついてスマホをぶんぶん振りながら話した。
門根は両手を上げて、しおらしく同意を示した。
「つまんないなぁ。クマちゃんは冗談通じないんだから」と突然後ろから声がした。
はっとしてクマちゃんも門根も振り向いた。夜叉は蒼い光を発したまま立っていて、ニヤリとした。
クマちゃんが珍しく動揺していた。「…夜叉なら今頃スマホを手にしてる…いつもならね。もう、そういうこと、ないのね…」クマちゃんの小さい瞳が潤んだ。
夜叉はクマちゃんの言葉に虚を突かれたようで黙ってしまった。
門根が慌てて補足する。「俺もそう思った。以前の夜叉なら音もなく忍び寄って背後からしゅるっと目当ての物をひったくって笑いながら逃げる。その俊敏なのと憎たらしいのとで、夜叉は夜叉だったんだなって…」
「申し訳ないね。『早く動く』というメニューがこの体にはない。だから『盗って逃げる』なんて思い浮かびすらしなかったよ。その意味では以前の俺は死んでいるってことだ。…でも俺は以前の俺に固執するよりやりたい事があるから、そのスマホを強引に盗りに行ってどこかを怪我するわけにはいかないんだ」夜叉は落胆してはいなかった。どちらかというとさばさばしていた。
「そろそろ時間です、セットに入って下さい。夜叉、本当にメイクなしでいいの?」スタッフが声をかけた。スペシャルドリンクを持って、サニがスタッフに注意している。「強いライトで消耗するから、照明は出来るだけ短時間にしてください」、夜叉には「脱水しないように、ちょくちょく飲んで」と言いながらサイドテーブルにドリンクを置いた。
急ごしらえの撮影セットはシンプルで、他の映像を被せるためのスクリーンではなくベージュの壁紙の前に、夜叉のお気に入りの椅子とテーブル、隣にはキリノのための椅子、これだけだ。
夜叉とキリノだけを撮るカメラが部屋の中央に鎮座し、これから終了する日までずっと家具のようにあるのだ。
視聴者に青山や小中のメッセージを見てもらうために何かする必要があると思うのだが、その辺のシニアより疎い瑞生にはさっぱりわからなかった。ただカメラのモニターが見える位置に陣取った頭の良さそうなスタッフがパソコンで何かしているので、サニのメモリーが活かされる時が来るのだと思った。
門根から部屋を出るよう合図が来た。サニは医師としてその場に待機していた。もちろん壁と同化して。瑞生たちはクマちゃんと一緒に出て、いつもの面会室でテレビを点けた。
「隣で生で作ってるものをわざわざテレビを通して見るのって、変だよな」と本永。
「夜叉もキリノもプロなのよ。ライブはリハを重ねて完璧にするし、演出や舞台も周到に練る。観客が安心してThe Axeワールドに酔いしれることが出来るには、細部まで徹底した準備が必要。その2人がこんな急場しのぎのセットで自分たちを世界に晒すというのは、相当な覚悟があったのだと思うわ。だから、彼らが素人風の動画を自分たちが作っていると言うストレスで消耗しないように、協力しなきゃ」と言いつつクマちゃんの手は震えている。
各局夕方のニュースワイドの時間で、クマちゃんはチャンネルを変えた。「ここが一番夜叉に厳しいコメントをしてきたのよ」
:お待たせ致しました。まもなく午後5時になります。The Axeの夜叉とキリノがK県コスモスミライ村の夜叉の邸宅から、皆様にお伝えしたいことがあるとか。生中継の用意が出来ているのでしょうか。KNNテレビでは、夜叉から発信された物をそのままお届け致します。皆様終了後にお目に掛かりましょう:
何の前振りもなく、画面に夜叉が映っている。いつもと同じジェダイみたいな布の服で。バックミュージックも効果音もない。椅子に座る夜叉をカメラはアップで映し出す。
:やあ、皆さんこんばんは、夜叉です。こういう風にきちんとカメラに映されるのはとても久しぶり…だな。何年もなかった気がするな。画面に近づいてまじまじと見てる人とか、いそう。俺は一度死んだ。でもゾンビーウィルスに感染していたせいで、蘇った。この皮膚の色とか、ハロウィンの仮装じゃないから。ゾンビとして生きてることを、とりあえず伝えたかったんだ:
カメラが引いて夜叉の隣にいるキリノも映す。
:俺の命が尽きるまで、色々話そうと思う。キリノが付き合ってくれるから…キリノ、ご挨拶は?:
キリノも普段通り黒ずくめだ。全体が蒼くけぶるような印象の夜叉と違い、痩せこけているが、眼は鋭く光を放っている。少し会釈して:ども。キリノです。うちの夜叉が、相変わらず世間をお騒がせして、申し訳ない…と言うか、俺も驚かされっぱなしだ。だって、まさか、ゾンビだよ? 映画でしか見たことないモノでしょ、普通は。それをこの人は、なってみせたからね。バンドを解散してから10年。10年ぶりに会って、最後は一緒にいようと決めた。ずっとThe Axeを聴いてくれたファンのみんなにも、伝えておきたいことがある。感謝の気持ちも伝えたい。アルバムも出すよ。待っていてね。じゃ、夜叉:
「夜叉は黒をバックにした方がよかったな、蒼さが映える。揉めたんだよ。黒だとキリノが同化しちゃうだろ。二人の真ん中でバックを分けようとも思ったんだが、夜叉が『茶番はやめろ』って。言わんこっちゃない。主役の存在感が薄くなってる」門根がマネージャーらしく気を揉む。
「いいじゃないか、ゾンビらしくて。存在感アリアリだったら、藁科みたいに『ゾンビのふりしてる』って言う奴出てくるだろ」と本永。クマちゃんは両手を固く握りしめ画面に見入っている。
:毎日、少しずつでいいから、俺のことを話そうと思っている。The Axeを愛してくれてたみんなに。そりゃゾンビだから生きてた時のようには動けない。生命を維持しているだけと言えなくもない。でも、誤解している奴が多いと思うけど、俺は記憶はあるし、思考能力は衰えてないし、人を襲って喰ったりはしない。そういう所も知ってもらえるように、命がある間はみんなに聞いてもらおうと思ってる。:
:まずみんなは何を知りたいかな? ゾンビの気分ね。キューバで蘇った時は、自分が蘇ったとは思わなかった。『死んだ気がしたけど…飛行機が爆発した強烈な夢だったな』とね。でも、周囲の対応が、どう考えても普通の患者に対するものと違うんだよ。遠巻きって言うの? 医者がビビッて近寄ってこない。俺もさっさと帰ろうかと思ったけど、身体が動かなくて起き上がれないんだ。『まるで死んだみたいだ。インストールし直さないと動かないAIロボみたいだ。誰か治療してくれよ!』と。すると日本語の話せるキューバ人が『あなたは死んで蘇ったのです。夜叉、あなたはゾンビー症候群です』と言いながら鏡を見せてくれた。蒼くなってて、何の悪ふざけかと思ったよ。…でもまぁ、現実を受け入れざるを得なくなって、認めたわけだ。自分はゾンビだって。それで、今ではせっかくの冥土への猶予を活かそうと思ってる:
:キリノに詩を書いてもらってる。俺の曲に言葉を寄り添わせてくれてるんだ。いつも通りキリノの詩に曲をつけるのも楽しい。俺の最後のアルバムだ。みんなが望むようなThe Axeサウンドじゃないかもしれないが、俺から出てくるのは、今はこれなんだ。…いつも悪かったな。みんなの聴きたい曲じゃなくて、俺は歌いたい曲しかやらなかった。結局、最後までそうなりそうだ。ごめんよ:
夜叉は椅子の背に寄りかかって、少し休んだ。
キリノが気を利かせて話し出す。
:第一夜はこれで終わりかな。また明日同じ時間に会おう。今日は10年ぶりにみんなに会えてよかった。それと、夜叉からお知らせがあるんだ。大丈夫か、カンペ読むだけなら出来るだろ。やれよ、お前の用事だ:
夜叉は表情は変えずに背筋だけ伸ばして、カメラを見た。
:…俺はたくさんの失敗の挙句に借金を負っている。”保証債務”ってやつだ。もうまとめて債権回収業者だけになってるそうで、個人対象じゃないのが救いだ。迷惑かけたことに変わりないだろうけど。俺だって借金は返すべきものだとわかってる。そのために、俺が所有していたマンションや店、車、美術品、宝飾品をオークションにかけたいんだ。全て正真正銘俺の所有物で、ガセはない。みんなが買ってくれた金で清算してから、逝きたいと思ってる。たださぁ、オークションて言うと、転売目的の奴が値を吊り上げたりするだろう。あとは『手付金払えば落札出来る』とか『友達がWoods!に勤めてて優先受付するから先払いして』とか、詐欺が横行するのを恐れてる。俺もよく騙されたからさ、みんながそういう目に遭ってほしくない。気を付けて参加してほしい。準備が整ったら必ずこの番組で伝えるから。詳細はWoods!のホームページでね:
:それと、今日見た意見や聞きたいことや俺たちに言いたいこと、あったら教えてほしい。それも、ホームページに寄せて。お礼言わなきゃな、見てくれてありがとう。じゃまた、明日:
「ほーっ」
瑞生も本永ですら安堵の息をついた。クマちゃんは床に座り込んでいる。「よかった、夜叉が発信できて。…このままろくでなしの借金踏み倒しの卑怯者のゾンビとして、世間から愛想尽かされて笑い者になって死んでいくしかないのかと思ってた。私、物凄く悔しかったの。騙されたりだらしなかったり、夜叉に責任はあるけど、夜叉が人を騙したり人に損させて儲けたことは一度もない。積極的に借金したこともない。”保証債務”って他人の借金の保証人になったために負った借金の事なの。ピュアなお馬鹿さんなのよ。それを世間の人にわかってほしかったの。これで伝わる人もいる。少しはマシよ」
再びニューススタジオに切り替わった。
:皆さん、ご覧になりましたか? あの夜叉が、ゾンビになった姿を、自らカメラの前に曝け出しましたね!:と柳田キャスター。
:驚いた…あの夜叉が、本当にゾンビで…びっくりした…。私ファンだったので:コメンテーター女子は涙ぐんでいる。
:本当に顔色が悪くて…というか、蒼かったですよね? 驚いたなぁ、人間てああなるんだ…:
ガチャとドアが開き、夜叉がサニに支えられて出てきた。キリノも漂うように歩いて来て座った。
「やっぱり、映されるって消耗するな」とキリノ。夜叉は口もきけない状態のようだ。サニが心配げに体温を測る。
「ヤシャ、発信するの、無理ならやめて」とサニが頼むように言う。「こんなに消耗するの、よくない」
夜叉は遠くを見ながら言った。「俺はやるよ。約束は果たす」
柳田キャスターが硬い口調で告げる。
:テレビをご覧の皆さん、ただいまThe Axeのマネージメント会社Woods!のホームページは大変アクセスしづらくなっています。『オークションサイトが立ち上がるまで待ってください』とのことです。騙されて振り込まないように。『急げば落札できる』や『当選権を譲る』は詐欺ですよ! くれぐれもいきなりお金を振り込まないようにしてください。民放キー局5社では、今後毎夕5時から夜叉通信として、夜叉の家からの中継をお届けし、その後、オークションに関する最新の状況をお伝えします。詐欺の防止に貢献しようと考えています。:
ここで本来なら実演タイプのCMに切り替わるはずだった。だが夜叉通信を急遽入れたためにそのCMの時間はずれていたのだ。
吐き捨てるように言う柳田の声が全国に届く。:なんでニュース番組で、こんな過去の遺物の私信を扱わなきゃならないんだ? しかも毎日だぞ! お馬鹿ミュージシャンのお馬鹿ファンがどうなろうと、知った事か!:
:アルバム出すって言ったじゃないですか。過去の遺物じゃありません:柳田にいつも説教されてばかりいる女子アナが毅然と抗議した。
:そうよ。The Axeは幅広い年齢層に支持されてるわ。詐欺を防ぐ手立てを打たないと未曾有の詐欺事件になりかねないわよ:先ほど涙ぐんでいたコメンテーターだ。
:社長が、夜叉のクラシックカーを狙うそうです。中国の富豪もオークション歓迎とツィートしましたよ:CM中と信じて疑わないメイク係がコメンテーターの前髪を直している時、放送事故に気づいたADが小声で知らせた。「…すみません。今の流れました。これからCMいきます」
コメンテーターが音声を拾われると承知で言った。:夜叉、ゾンビだったけど、綺麗だった:
結局夜の8時過ぎにK県警は、コスモスミライ村において13日・14日に起きた騒動に関する報告会見を行った。
夜叉宅の弁当に筋弛緩剤を盛った医師の西方は、情報の出所について、「ドア越しに当該医師(森山だ)と誰かが話しているのが聞こえた」と供述しているらしい。西方は夜叉の熱狂的ファンで、当初夜叉担当医を熱望したものの、ストーカー的要素を憂慮したAAセンター上層部に敢えて外されたといういきさつがあった。検察は現在も何者かの意図的関与を疑い、関係者を捜査中とした。
壁を登ったダイヤの男(ヤモリやスパイダーマン張りの壁登りだった点よりも所有しているダイヤモンドの指輪を付けた棒で二重防音ガラスを切ろうとした印象が強くて、“ダイヤの男”になっていた)については『壁を登って侵入を企て未遂に終わった』と表現していた。腰椎損傷で入院中だからか、不名誉な部分には言及しなかった。もちろん逮捕されるが、起訴されるかは微妙だろう。
「関係者を捜査中って、藁科と森山は聴取されてるからここに来なかったのかな?」瑞生が本永に訊くと、本永は首を傾げて考えながら答えた。
「西方が偽弁当を届けて捕まったのは昨日の夜7時過ぎだろ。それにヤモリ男の事件が続いたから聴取が始まったのは夜遅くになってからだろう。弁当から検出された微量の筋弛緩剤から殺意は否定される。熱狂的夜叉ファンによるストーカー事案という見立てになった。警察の気がかりはダイヤ男との連携だ。まずそこを調べてから、このストーカー気質の医師を犯罪に誘導した黒幕探しに取り掛かるだろう。森山と藁科の聴取はその後からになるだろ? 俺には、自主的に出勤しない理由があったんだと思える。何もないなら朝からここにいるはずだ。朝一でAAセンターに立ち寄ったならこれ幸いと聴取されて、その後ここに来ていただろう」
クマちゃんが感心して、「本永君、面白い読みをするのね。警視庁のキャリア官僚とか目指したら?」と言った。
本永は「無理。俺みたいに、メンタルに致命的な弱点がある人間には無理。八重樫の家に来たお蔭で、面白いと思う色々な仕事に触れることが出来たけど、自分の限界も見えてきた。なんか、得難い体験をさせてもらってるんだと思うよ」と真面目に答えた。
今日の騒動に関して捜査本部に記者からの質問が殺到した。「村の住人の手引きが引き起こした騒動は警察の想定外だったのですね?」「村の自治会との連携不足ではないのですか?」「結局、被害は? 侵入した連中は何をしたんですか?」「夜叉目的がほとんどですか? それ以外の目的の詳細を教えてください」
捜査本部長は席を立ちながら「何分今回の騒動に加担した人数が多く、十分な供述調書も取りきれていない状態なので、現在捜査中としか申し上げられません」と出て行ってしまった。その背中に記者たちが罵声を浴びせた。「これをテロじゃないなんて認識不足もいいところだ、危機管理能力ゼロじゃないですか?」「この体たらくを公安はなんと?」「この世で唯一のゾンビを危険に晒すなんて警察の怠慢だとは思わないんですか?」




