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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
24/57

2015年6月14日② ビジター事件

 霞はマスクにサングラスに帽子という完全武装で現れた。そして朏の助言に従ってすぐに退出した。宗太郎が雇ったボディガード(もちろん滅茶苦茶強そうな女性)連れだったので瑞生は安心したが、本永が突っ込んだ。「朏さん、神経質になる理由があるんですか?」

 

 元ジョガー警察官こと朏巡査部長は太い眉根を寄せながら答えた。「今日はやけに来訪者が多いんだ。ビジター用の当日有効カードはその日の発行数=最大部外者数となる。今日は日曜日だし、夜叉の件で親族を心配した来訪者が増えるのは想定済みだ。にもかかわらず巡回警備員から『来訪者が異常に多い』と報告が上がってきた。村は発行数の報告をこちらにしてこないから、後手にならざるを得ない。確かにいくらなんでも多いんだ。何か起ころうとしているとすれば、この家がターゲットだろう。八重樫さんが巻沿いを食うのは避けておきたいから」

 本永が目を光らせる。「森から入ってるとか、カードの偽造とか?」

朏巡査部長は慎重に答えた。「センサー・アラーム・フェンスどれも異常なし。夜明け以降侵入者がいないことは監視カメラ映像で確認済みだ。初めの頃にあった侵入型じゃない気がする。住人の親族がこぞって来るなんて、何か、こう、もっと企てられていると言うか…」



 「正午だ。夜叉の生動画配信告知の解禁時間だ」門根がテレビを点けた。映像の出来栄えや放送後の反応を手軽にチェック出来るように、オークション出品を止めて夜叉の家から持ってきたばかりの大型テレビが面会室に鎮座していた。

「デカすぎると思ってたが、大人数で見るにはぴったりだな」門根が満足げに言う。すぐに各局このニュースを報じ始めた。



 :衝撃の航空機衝突事故で夜叉がカリブ海に散ってから約1か月。ゾンビー症候群に感染し蘇った夜叉は帰国後、別荘として所有していたK県のコスモスミライ村に住んでいます。夜叉の所属していたバンドThe Axeの事務所Woods!によりますと、夜叉は本日17時からファンと世界の皆様に向けてメッセージを発信するとのことです。また今後も可能な限り同時刻に発信し続ける予定だそうです。The Axeでともに数々の名曲を作り出したリーダーのキリノも一緒ということですから、解散以来初のコンビ復活にファンならずとも心躍らせてしまいますね:



 「楽しみにされると心苦しいよなぁ?」同意を求めるように門根は瑞生と本永を見た。「あいつら、音楽の話より何かやらかすつもりだろう?」

「マネージャーの勘でわかるの?」瑞生は逆に聞いた。門根は瑞生の家でサニが見せたUSBメモリーの青山の話を知らないはずだからだ。

「夜叉の内心わくわくしてる顔、あれが出ると碌なことがない。キリノも止めた例がない。お蔭でどれほど頭を下げてきたことか」

「積もり積もった苦労が、その傲慢な態度と夜叉に対する鋭利な勘を育てたんだな」と本永。

「おうパンク、わかってるじゃないか。The Axeのファンじゃなきゃやってらんないだろ? 奴らを支える側になると、人間としての綻びの世話に追われる羽目になる。一番のファンのはずだったのに、好きも嫌いもどうでもよくなる…て言うか、嫌いになる。でもふっとあの歌声を聴いて、あの曲を聴いて、原点に引き戻される。ファンじゃなきゃやってられないよ」

 パチパチ

 ちゃんとした拍手だから夜叉ではない。本永だ。

「あんたのお蔭で、The Axeファンは神々しい音楽にありつけたんだな。態度は改めた方がいいけど、是非自分の仕事に誇りを持ってほしいよ」

 ブルーの帽子を目深に被ると門根は「ふふん、俺も同じになってたってことだな。仕事は凄いが人間は難ありってな」と格好つけたところでクマちゃんに「夜叉くらい凄くないと帳消しにはならないのよ」と切り捨てられた。



 一斉にスマホがブルった。

「田沼自治会長? はぁ? 夜叉に会いたい? 何です、それ」

「事務所の電話が問い合わせでパンク? テープで対応しろ。ホームページに告知だけじゃなく、お詫びも出そう。『お問い合わせの電話が殺到して繋がりにくくなっていますが、夜叉の生動画に関する情報はありません。番組をご覧ください』とか」

「あ、朏さん。やっぱりビジターが多すぎるんですか?」


 :そうなんだ。緑陰公園内で抜き打ち調査を行った。昨日の事件を受けて住人は皆IDカードを携帯してくれていた。ビジターはビジターカードの携帯が入村条件だから、持っていなければその場でアウトだ。公園内に36名、内3名がビジターカードを携帯しておらず、ビジターセンターに『届出漏れを回復する』名目で保護している。ビジターカード発行者18名に訪問先の住人の名前が言えない者が13名もいた。これもセンターに連れて行き現在聴取中。やはりおかしい。そこからは出ない方がいいし、誰も入れてはいけない。異変に気づいたらすぐに連絡してくれ」

 瑞生は朏提供の話をすぐ皆に伝えた。


 クマちゃんは、「それで田沼が夜叉に会わせろと言ってきたのね、何か起こる前に。生きてる夜叉を村のために利用し尽くす魂胆なんだわ」と怒った。電話では田沼の訪問は断り、面会は検討すると告げてとりあえず逃げたのだそうだ。


 昼のワイドショーでまたド派手なブラウスを着た堤アナが、コメンテーターたちとトッタン半島の騒動を伝えている。

 :そのコスモスミライ村ですが、『昨日夜叉の屋敷に侵入を企てた不心得者が出た模様』と“マダム ロハス”がツイートしていますね。K県警発表はまだ行われていませんが…:

:その人、発信禁止の自治会令を破って、夜叉の家に出入りしてる未成年をリークした人でしょう? そりゃ世間は情報に飢えてるけど、村中が敢えて触れずにいるのに1人だけ少年の隠し撮りを出してアクセス数を稼ぐって、人としてダメでしょう。注意しに来た自治会のお爺ちゃんとのやり取りを加工して流して、ブログ大炎上で閉じたんですよね?:

:そういう売名行為を必要としない優雅な種族だと思うから、一般人が憧れるのに。庶民的なおばさん過ぎてがっかりね:

:ツイートにある“侵入”が本当なら、夜叉はゾンビー症候群なのですから、侵入者が感染する恐れもあります。熱狂的ファンだとしても、無許可で押し入るのは犯罪行為です。夜叉や関係者にとって迷惑以外の何物でもありませんね:



 「あのぅ、ワラシナさんとモリヤマくん、どうして戻らないの?」壁どころか家と一体化した感すらあるサニが唐突に疑問を口にした。

「そう言えばそうだな。森山は定休日が明けたんだから、今日は朝から来てなきゃ変だよな。藁科は古巣に帰ったせいで、こっちに来るのが嫌になったとかありそうだが」門根はクマちゃんを見た。

 クマちゃんは急いでメモを捲る。「結局タブレットより紙になっちゃう…。あ、これだ。AAセンターの医師西方。森山の定休は同じ施設内だから知ることもあるでしょう。『偶然藁科が国立感染症研究所に呼ばれたのを知った』という所、昨日も引っかかったのよね。藁科さんの予定なんてAAの誰も知る必要がないのに。どういう偶然で知ったのかしら?」

「なるほど。確かにそこの所、言われてみれば胡散臭いな。仕組まれて…西方は捨て駒か? 黒幕は…藁科か、感染症研究所絡みか」門根が珍しくカリカリした言い方をした。

「西方が弁当に混入した筋弛緩剤と言うのは、使用量によっては死を招く、匙加減が難しい薬品だ。今頃警察で盛った量を調べてるだろう。キューバ人というイメージだけで混入していたらかなりの量だろうし、サニの体重を把握していたら少量しか入ってないだろう。情報を得た上での犯行か、わかるはずだ」と本永。「お前、マニアだな」と門根。

 ところがクマちゃんは、肩をコキコキやりながら、「本永君の推理を聞いてると興味深いけど…、私はパス。これ以上やることを増やせないから、藁科さんの陰謀が確定したら報告して。それまでは考えたくもないわ」とスルー宣言をした。

意外なことに感服した様子で門根が「黒金さんて凄いよ。賢いよなぁ」と呟いた。



 瑞生に伯母から電話が来た。

 :家の外に知らない人がずっと張り付いてて覗き込んだりするの。お昼を届けてからずっと。ボディガードは村のやり方もあるので雇い主の判断に任せると言うのだけど。瑞生、どうしたらいいと思う?:

 霞の声は冷静だが微かに恐怖が感じられて、瑞生の中の血潮がカッと頭に上ってきた。「待ってて。今戻るから」

言うなり立ち上がった瑞生の前に、本永が腕組みをして立ちはだかった。

「全くお前はわかりやすい奴だな。大方、伯母さんがここに弁当を届けた帰りに尾行されて家に張り付かれたとか、だろ?」

「行ってどうするつもりだ? 『美少年の家発見』と拡散されるのがオチだろう」と門根。「行かなければ、八重樫さんは『何のことだかわかりません』を貫ける」

そう言われると、瑞生には返す言葉がなかった。

「八重樫さんにはただ籠城していてほしいわ。張ってる連中も騒ぎになると困るので、ブザーを押したりアクションを起こしてはこないのよ。朏さんに連絡して、パトロールの警察官に声をかけてもらいましょう」


 連絡を受けた警察官が、八重樫家前に佇む女に声をかけた頃、夜叉邸宅付近に現われた挙動不審人物の鞄から銀の弾丸(銃は無し)と十字架が発見されビジターセンター送りになった。

これにはテロや拉致の可能性も浮上し、村内の夜叉エリアで緊急警戒態勢になった。ミライ村ネットは不審な人や物への注意と通報を呼びかけ、ビジターの確認が出来ない場合、届け出ている訪問者宅を警察官が直接訪ねる旨告知した。

警備本部は村内に借り上げた家にあるのだが、これほど大人数の不審者を本部に移送するだけでも手間になるので、当初保護していたビジターセンターでそのまま確認作業を行っていた。



 数分後、何故か朏が現われた。「夜叉邸構成員に一番詳しいからという理由で、配置された。県警本部も警戒を強めている。…前島さんも来ている。テロ対策が本職だからね」瑞生を気遣いながら、今まで屋敷内にいた警察官と交代の申し送りを始めた。


 朏が現段階で判明していることを教えてくれた。

「村に部外者が入るにはまず住人が申請書を提出するだろう? 各項目が埋まっていれば精査はしないから誰でも許可は取れる。今日もほとんどのビジターが正規の手続きを踏んでいる。その後はご存知の通りだ。やってることは犯罪じゃないが、迷惑行為には違いない。組織的行動ではなくて、どちらかと言うとバラバラな印象だ」

「…それと、ビジターカードすら無い者の侵入経路が分かった。住人の車はID確認だけで入村できるだろう? トランクを検めるのはビジターだけだ。そこに目を付けて、住人の車のトランクに隠れてゲートを通過したんだ。申請した住人に問い質したら『金銭報酬目当て』と白状した。驚いたね! この村で金銭目当てにそんなことするなんて。3人ともだよ。転出を考える住人は『N不動産以外で家を売却できないか?』と誰もが思うらしい。少しでも高額で売却したい者には切実な話だ。例のロハス女はさも自分には不動産業界に伝手がある風に広めておいて、相談してきた者をストックしていたんだな。昨晩逆に持ちかけたようだ。報酬は10万円とN不動産を出し抜ける不動産屋の紹介」


 「家を購入したもののローン返済中に懐事情が変わるのは珍しくない。“新築破産”は背伸びして家を建てたけど返済に行き詰まり破産してしまうという事。この村で“破産”のニュースを聞かないのは、N不動産が、世間体を重視するという住人特性を利用して、強引な解決サポートをしていたのではないかしら。田沼を見ればどんな会社か想像つくけど、本当に嫌な感じね」クマちゃんの正義感が苛立っているようだ。

「俺にはロハス女の目的がわからない。金払ってまで部外者を呼び込んでどうしたいんだ?」本永は余裕のある貧乏揺すりをしている。

「そこは本人に聴取して訊くしかない。金はビジターから1人15万で入村の手引きを請け負っているから、ロハス女の懐は痛んでない。どころか、5万仲介料取ってるんだからアコギだ。3人の内1人は熱狂的夜叉ファン。同じ村の空気を吸い屋敷を見た辺りでかなり満足だったようだ。あとはプレゼントを直に渡すつもりだったようだが。1人はプロの情報屋で隠しカメラと盗聴器を屋敷近辺に仕掛けるつもりだったそうだ。もう1人は自称“ゾンビハンター”、ゾンビサバイバルガイドをバイブルと称して、ゾンビを退治する道具をリュックの底に隠してた。今後手荷物はX線を通さないとダメだな。高額料金の特典として、手書きの村内の地図を持っていた。夜叉の家は公表されていないから、探してうろついてると不審者とばれる。この地図から数名の指紋が採れている」


 こう言うと朏は瑞生に目を止めた。

「前島さんは…切れ者だ。指示は的確だし、現場のためにどんどん頭の固い行政に掛け合ってくれる。君への態度は鼻持ちならないものだったけれど、理由があるように思えるよ」

「どんな?」

間髪入れずに瑞生が聞くと、朏は言葉に詰まり、仕方なく首を傾げてみせた。


 ポン。本永が瑞生の頭に手を乗せて言った。「馬鹿だな、お前。そんなの朏さんにわかるわけないだろ」

瑞生はむきになってその手を払いのけた。

「お前が自分を過小評価してる所は、お前って出来ない事だらけだから正しいと思う。でも他人を過大評価して、自分以外の人はあれも出来るはず、これもしてくれるはず、というのは間違いだぞ」払われた長い手を胴体の方に戻しながら本永が言った。


 「今夕夜叉が生動画を配信するという情報は、正午解禁と決めてあった。今の所フライングしたって話はきてない。てことは、村に入り込んだ連中は、動画とは全く別に、夜叉に会いに或いは何かしに来たってことだな」門根が眼鏡を光らせた。



 今日のビジターカードの発行数はなんと87枚にも及んでいた。 

夜叉邸侵入未遂事件の話を聞いて、心配した親族がシニア層に会いに来るのを自治会が拒むことはできない。不便を理由に村から足が遠のいた親族の訪問を喜んでいる住人は多いと思われる。

 “夜叉効果”と田沼は大威張りだった、とクマちゃんが教えてくれた。夜叉が来た当初は“感染の恐怖”などとメディアが煽った影響で訪問者はさらに減っていたのだが、美少年記事で感染に疑問符が付いたと言えるかもしれない。相変わらずメディアは感染と言うが、ビジターたちにその懸念は見受けられない。どうやら潮目は変わったようだ。


 門根の指摘通り、朏の危惧通り、警察の警戒態勢の中でビジターたちは次々にやらかした。

 無許可で家や表札を撮るので制止しようとした住人と揉めた。『ミライ村から中継』動画を投稿し、仰天した住人からの苦情が自治会のみならず、警戒中の警察官にも殺到した。

 勝手に庭に入り込んで勝手に服を脱いで自撮りをしていたモデルが住居侵入・迷惑防止条例違反容疑で連行された。この事案は取調べ調で行われたため、縁もゆかりもない部外者が住人と結びついたからくりがあっさりと判明した。

 

 それは“からくり”とも言えない、単純な“お誘い”だった。自称グラビアアイドルの場合、彼女の『いけない所で自撮りしてみた。ちょっとお尻も出してみた』というブログに、「オススメの“いけない所”がありま~す」と書き込みがあった。この村なら「夜叉のいる村(禁断の天空村だぞ)でいけない写真撮ってきた」なんて閲覧数激増間違いなしと思い、「是非行ってみたい」と送ると、「禁断の場所への誘い」が送られてきたのだ。

 ただ、決行日時は指定されていた。「当日都合の付かない方は次回のご案内となります」とにべもなかった。已む無くバイトを休み、今日の参加に漕ぎ着けた。「仮名の住人とマッチングしたと知らされ、こちらは申請に必要とかで個人情報を送信した。くどかったのは、秘密厳守・時間厳守。相手とはゲートで会って、『久しぶり~』なんてクサい芝居して車の中で礼金5万円渡して。公園で下してもらって、それっきりよ」

 警察官が思わず、「あの村に住んでて5万なんかで、危険を冒すかな?」と漏らした所、自称グラビアアイドルは記憶を手繰り寄せてこう言った。「そう言えば…奥さんが5万円見て驚いてた。『これだけ?』って。旦那が『残りは振り込みだよ』って言ってたよ」

 他のケースも同様で、「どんな手を使っても夜叉の村に行きたい」「面白い動画撮れる所求ム!」などの書き込みにお誘いがきて始まっていた。


 「つまり犯人はマメな奴で、ネットでおあつらえ向きなカモを見つけてはリクルートしてたってことか?」本永は呆れつつも感心してみせた。「夜叉が村に来てから2週間、ネット漬け? とてつもない意志を感じるな」

 「そうね。何かやらかす気の人を集めて村に誘導してるのだから、何も起こらないわけないじゃない。夜叉と村に悪い事が起こるように画策してる…無責任で強烈な悪意だわ」クマちゃんは厳しい顔つきだ。


 

 村の中から実況中継をする者が出た辺りから、部外者の侵入に一役買った住人の中にも、大きな騒動に発展しそうだという警戒心が芽生えたようだ。不在だったことにして追及を免れようと、慌てて村外に出ようとして確保された者。端金で罪に問われるのはご免だと自首よろしく出頭する者もいた。

警備本部も路上で警戒に当たる警察官も警備員も、次々起こる事案の処理に忙殺されていた。ただ1人、待機状態の朏は、何もできない自分に焦れていた。


そこに一報が入った。

 :C4地区で住人を人質にとった立て籠もり事案発生!:

:ひさご亭を手薄にするための囮かもしれん。ひさご亭周辺の警護は人員を割かないように:

 朏がテーブルに村の地図を広げた。便宜上アルファベットを振って区分けしてある。「C4は…ここだ」

村の居住区は高台から海に向かって地価も海抜も緩やかに下がっていく。C4は5段階の下から2番目クラスの販売価格と言われている。

瑞生の思考を読み取ったかのようにクマちゃんが「真ん中辺りが微妙に辛いのかもね。家を買った時には自分より下の層がいたわけでしょ? 結構なセレブ気分に浸れたのじゃない? それがいつの間にか最下位クラスより収入が下がっていたりとか。『認めたくない、けどお金は欲しい』ということかもしれないわね」やれやれ、と言った。

「でも、人質の住人が呼び込んだとは、限らないだろう? 全く無関係の家かもしれないぞ」本永が疑問を口にした。

「ネットでは勇ましいこと書いてても、現実に見ず知らずの家に押し入り居合わせた家族を制圧するなんて犯罪だからハードルは高い。住人側も見ず知らずのビジターにドアは開けないでしょう。ゲートで乗り込んだ車の住人の家に理由を付けて一旦上がらせて貰えばいい。これだと簡単でしょ?」クマちゃんもクールだ。

「なるほど」感心したのは瑞生だ。

「で、人質とって要求は何だ? 夜叉に会わせろとか?」本永の思考は進行形だ。瑞生はこれにも感心した。


 朏はヘッドセットを付けて警察無線とパソコンに集中していて、話す余裕はないようだ。

門根が動画サイトを見せてくれた。それはコスプレ女性が自撮りの最中に警察官に囲まれて連行されるまでの一連の動画だった。

「こういうのって『ケーサツオーボー』って騒がれるのかと思っていたが、それは少数派だ。むしろ『自分ばかりアップで撮るから、村なのかただの住宅街なのかわからない』とか、村のホームページの注意事項を引用して『ビジターは実況中継などの行為を行わないと誓約して入ってるのに、得意気にライブ流すのって単なる卑怯者』とか。『夜叉の静かな生活を掻き乱すのは、絶対本物のファンじゃない』とか、厳しい意見が圧倒的だ。日本人は大人になったのか?」業界人の門根に問われても、高校生2人は首を傾げるばかりだ。

「『警察しっかりしろ』『夜叉は大丈夫なのか?』…警察は結構真面目にやってると俺は思うけどな」門根の感想を受けて本永も「警察の想像を超えた、住人の裏切りが問題なんだろう」と述べた。

「そうね。セレブ村の住人が部外者を引き入れるとは思っていなかったものね」とクマちゃん。

「部外者は夜叉目的と話題作り目的がほとんどか。投稿ネタにしようって奴が多いのは軽くて気に喰わないな」本永は不満げだ。


 会話を聞いていたらしい朏がこちらを見ていた。

「立て籠もりは”事件”にはならないようだ。熱烈夜叉ファンのビジターが、手引きした家に上がらせてもらったところに警察官が立ち寄った。今村から放り出されたら金を払った意味がない、と住人を盾にして『夜叉に会わせろ』となったらしい。ただ当の住人から『村に入ったくらいでは罪に問われないけど、人質・籠城は刑事事件ですよ』と諭されて大人しくなった。住人が寛大な処分を希望したので厳重注意に留めるそうだ」

無線ではなくスマホに連絡が入り、応対した朏の体に緊張が走った。短い返事を繰り返し、通話を終えると、立ち上がった。

 「一難去ってまた一難。立て籠もり事案の解決に自治会長田沼が出てきた。解決済みだと伝えても聞き入れないらしい。前島さんが手に負えなくなって、黒金さんに助けてほしいと」


「なんで私が」



 C4居住区の一軒の家の前に、外国の霊柩車のような四角くて長い車が横付けされている。少し離れた路上に覆面パトカーらしい庶民的な車がざっと4台はある。カーポートには住人の物であろうベンツがある。そこにクマちゃんを乗せたマイクロバスが到着した。


 間接的にこの事態を引き起こした夜叉が、クマちゃん出動の顛末を聞いて大笑いしただけでもクマちゃんを怒らせたのに、迎えに来たマイクロバスの警察官が「その体つきなら防刃チョッキは不要ですよね?」と馬鹿真面目に確認してきたのが火に油を注いだ。

「行かない。私は体格同様優に4人分は働いているのよ。でも、時間は皆さんと同じ24時間しか与えられていないの。他所の揉め事に首を突っ込んでる暇なんてないんだから」と完全に臍を曲げてしまったのだ。想定外の事態にマイクロバスから前島も降りてきて、クマちゃんの翻意を促そうと必死になった。その結果、サポート係として本永が同乗することになった。もちろん『夜叉サイドの人間も一緒なら』とクマちゃんが渋々出した条件に、自ら立候補したのだ(門根には、クマちゃんがNGを出した)。

 しかし狭く閉ざされた空間で待機するのが使命と知ると、本永が躊躇しだした。自分が精神のバランスを失うことを恐れて、本永は土壇場で瑞生の同乗を求めてきた。前島が、瑞生までも交渉現場に連れて行くという味噌も糞も一緒くた状態を呑んだのはそれだけ切羽詰まっていたということだろう。



 突然現われた大量の警察官が、道路の真ん中に、あっという間に運動会の救護室のようなテントを張った。瑞生たちの乗ったマイクロバスと横付け霊柩車がそろそろと動きだし、車ごとテントの中に入っていく。

バスの屋根の上にはカメラとマイクが付いていて車内のモニターに全てが映し出されるようになっていた。「おお、堪らんな。俺、探偵になろうかな」


 前島は聞こえているだろうに本永を無視して、通路反対側に座るクマちゃんに促した。「降りて説得してください。あの不動産業界の妖怪を」


「なんで、私が」


 それは見ものな対決だった。

選りに選ってクマちゃんの本日のいでたちは、そのまま消防車に乗って陣頭指揮をとれそうなくらい真っ赤なツーピースだった。一方霊柩車(リンカーンというらしい。本永談)から下りてきた老中田沼意次はつるつる禿頭でギョロ目で着物でも着ていればまだしも、薄茶のスーツに蝶ネクタイというスタイルで現れた。

「頭デカい…バランス悪う」瑞生の呟きが聞こえたかのように、ギロリという一瞥をバスに向けた。


 「何故、私を立て籠もり犯のいる家に入れないのかね? それに何故黒金さんが私と向かい合っているのか。説明願いたいね」憮然と問いかける田沼に、内心舌打ちをしているであろうクマちゃんは慇懃に答えた。「田沼さん、すでに警察の方が説明しているように、立て籠もり事件は解決しています。自治会長がいらしても、説得すべき犯人はいません」

「私は85歳だ。こんな所で立ち話をさせられるような身分でもない。この村の大事に私が腰を上げて取り組もうというのに、その腰を折るのか。あんたのような部外者が」

「腰を折るも何ももう事件は終わってます。そもそも事件にすらならなかったものです」

「わからん女だな。村のことを自治会長が解決することこそ村の自治が保たれている証明だろう」

「あなたまさか、自分が来たから事件が解決したことにしろと言ってます? この緊急事態にやらせを演出しろと言ってるの?」

「もう、解決済みなんだろう? 何の危険もないし、役者は至る所にいるじゃないか」

「あなたの遊びに付き合うほど暇じゃないわよ! あなたこそ、自分の作った村が、いびつなコンセプトから崩壊を始めていることに目を瞑っている。そこらじゅうで部外者が好き勝手しているのを見ていないの? 自分の利のために金を払って来る者と目先の数万円のために危険かもしれない人物を入れる者、どちらも恥ずかしいと思いますけど!」

クマちゃんは冷静かつ厳しい口調で諭していく。しかし田沼は「だから私が来たのじゃないか。一件片付けば他は自ずと収拾する」としたり顔だ。


 「彼女でもダメか」苦りきった口調で前島が呟いた。


 「事件現場に行くことが出来ないなら、ちょうどいい。私が夜叉の家に見舞いに行こう。ともに村の未来を語るところを取材させてやろう」


 マイクロバスが揺れている。「クソジジイ、殺すぞ」本永の怒りが貧乏揺すりを通り越して痙攣レベルになりつつあった。「クマちゃんに任せよう。夜叉が信頼してる人だから大丈夫だよ」小声で言うと、自分の手で揺れを収めようと腕を抱きながら何度も頷いた。「俺が弾けてクマちゃんの邪魔してどうする、だよな。わかってる、わかってるよ」

 


 「申し訳ないけど、夜叉の顧問弁護士としてきっぱりとお断りします。売名行為に付き合うほど夜叉は暇じゃない。あなたの世俗的雑菌で病状が悪化する懸念がありますから」と言うと、くるりと向き直ってクマちゃんはバスに戻ってきた。


 そこに、甲高い声が響き渡った。

 「ちょっと待った! 収拾しても、また仕掛けるわよ! あんたがこの村の住人をエゴで縛り付けるのを止めない限りね!」

 テントの入り口で、ぴらぴらの白いドレスを着た派手な女が警察官にとり囲まれた状態で、叫んでいる。

「なんだ、あれは。何故許可もなく入れたんだ」前島が不機嫌そうに、控えている部下に言った。

イヤフォンを押さえながら「あれが重要参考人の女だそうです。自宅に任意同行を求めに行ったら、こうなったと…」と答える部下に、「参考人にイニシアチブをとられてどうするんだ。で、関与の証拠は挙がったのか?」前島は真っ直ぐ前を見たまま確認する。

 「トランク侵入の3人に送っていた地図や封筒から指紋とDNAを採取。自分の口座に15万円振り込ませてます。住人には直接会って10万渡してます。領収書はなしですが。大量のビジター斡旋の方は、ほとんどの者がメールのやり取りを保存しているので、通信機器を押収して裏付けをとります。ビジター1人に付き8万円と約束していて、残額3万を振り込むからと言って口座番号を聞き出しています。振り込んだ形跡はありません」

「自治会の規約違反以外に罪に問えるか?」

「K県の迷惑防止条例違反なら。詐欺罪は無理かと」

 前島はクマちゃんの付けているイヤフォンに「他の罪には問えないが、迷惑防止条例はいける。その女がビジター連中の黒幕だ。証拠は押さえてあると言っても大丈夫だ」と囁いた。


 「なんで、私が」

クマちゃんの嘆きも虚しく、居合わせたために交渉役に任命された。


 「なんであんたが戻ってくるのよ」マイクロバスの前でUターンして戻ってきた真っ赤なクマちゃんを、ロハスは露骨に敵対視した。

「オブザーバーよ。国家権力の」肩を竦めて、微妙な立場を表現したのだが、不動産業界の妖怪とロハス女には全く通じなかった。


 「お前が『ちょっと待った』と言ったんだろうが」本永がキリキリする。

「両者で密約でも結ばれたら道理も何も通じなくなる。まともな人間が立ち会わなければ危険ですらある」前島もこの2人には、倫理や常識の通じない不気味さを感じているようだ。

「法のエキスパートで倫理観もある。クマちゃんは適任だな」本永がぼそりと言ったのを聞きつけて、前島は、マイクロバスの中に瑞生と本永がいる事実に初めて気づいたかのように、じっと2人を見た。

瑞生は、鋭い視線を感じて身を固くしたが、単なる付添いなので敢えてそちらを見ることなく受け流した。本永は文字通り正面で視線を受け止め、ガン見で返していた。手も足も、全くぶれず揺れず、暫し前島とバチバチに眼で闘っていた。



 「あんた、誰だ?」

マイクロバス内の緊張をぶっつりと切ったのは田沼の一言だった。


 ロハス女は一瞬言葉を失って口をパクパクさせた。が、すぐに立ち直り「この前私の家に乗り込んできたのをもう忘れたの? いよいよ耄碌したようね」と噛み付いた。

「ああ? そうだったかな。記憶に留めるほどの価値の無いことはきれいさっぱり忘れるようにしている。長生きの秘訣だ。で、なんだって? この騒ぎはお前のせいなのか?」達磨のような眼でぎろりと睨めつけた。

「…村の数々の規制を緩めない限り、続けるわよ。あらゆる手段でこの村に不利になる事態を呼び込んでやるわ」


 緑のテントの中に、真っ赤なドラム缶のクマちゃんと、真っ白な布を巻きつけた巨木のロハス、小さくて薄茶の達磨の田沼。わかりやすく絵になる光景と言えるだろう。


 「…退去だ」

「?」

「お前のしていることは規約の77条に違反している。村に害をなす意思を表明した者は、自治会の査問委員会にかけるか、自治会長の権限を以て退去を命じることが出来る。家はそのまま、中の動産は持って出てよいが、残していくなら所有権の放棄とみなして競売にかけるぞ」


 「ちょ、ちょっと待ってよ。例えば家の売却制限を緩めるとか、変えてくれればいいのよ。こっちだって、好きで侵入者を募ったわけじゃないんだから」

「頭の中はここから出ていくことだけだろう。『N不動産でのみ売買可、賃貸・又貸し・別荘利用は不可』を了承した上で売買契約にサインしたのだろう。今更何を言ってるんだ。村の居住者のクオリティを保つために厳しい制限を課していることは十分承知していたはずだ。後から厳しくしたわけではない」


 文字通りロハスは怯んだ。痛い所を衝かれたのだろう。ロハスはちらりとクマちゃんを見やり、田沼に1歩近づいて言った。声が震えていた。「…示談に乗ってあげてもいいわよ。村の醜部が暴かれるよう仕掛けるのを止めてあげる。村から退去もするし、N不動産に売却する。…その代り、立ち退き料を払いなさいよ。動産を市場価格の3倍の値で買い取りとかでもいいわ」

クマちゃんの口がぽかんと開いた。

田沼は黙ったままだ。


 「あれ、恐喝だろ? 嫌がらせして止めてほしかったら金払えって言うやつだよな?」本永が瑞生に同意を求める。瑞生は「強請と恐喝って違うの? みんなの前でやること?」と自分の疑問を口にした。

「警察に囲まれていることは、わかってるはずだ」さすがの前島も呟きたくなったらしい。「30分前と服が違う。目立つように着替えてきたのか」


 控えていた部下が、ノートパソコンを持ったまま前島に問う素振りを見せた。

「構わん。説明してくれ」

急に聴衆が増えた部下は咳払いをしてから、瑞生たちにも聞こえるように話し出した。

「桜塚史子の違法行為はK県条例違反くらいですが、人となりについて報告がまとまりました。…独身時代に目につく問題はありません。結婚後34歳で長女、37歳で次女を出産しています。家族4人でアパート暮らし。42歳の時テレビ番組の『あなたの街の美魔女』に他薦で出演し、注目されます。パート先でもかなりちやほやされて、この辺りで『態度が高慢になりセレブ志向になった』そうです。ブログを始め、アフィリエイトでかなり稼いだようです。『化粧品を誉めると皆が真似するから幾らでも儲かる』と言ってたとか。娘たちを有名私立校に入れようとお受験ママになりました。長女は最難関中学も狙える成績だったそうです。この頃史子はプロのモデルに勧められたオーガニックフードや化粧品、マクロビクスに目覚め、ブログでも盛んに話題にしています。個人輸入して売れる時代だったので、旦那も加わり収入は増す一方。すっかり強気になった桜塚家はミライ村のC5地区に家を購入します」

ここで、部下は一息ついた。やや後方のシートの瑞生たちが不自然な体勢で聞いていたし、クマちゃんたちの様子を見る必要があったのだ。


 ところが、現場では田沼のだんまりに焦ったのか、ロハス(桜塚)が自分に支払う金の捻出方法を思いつくままにダラダラと挙げ続けていた。田沼はクマちゃんにティッシュをもらって鼻をかんでいる。


 この状況を見定めて、部下は話を再開した。

「長女の志望校へは鉄道駅まで車で送れば村からでも十分通学可能です。次女も塾通いを始め、順風満帆のはずでした。ところが、長女が反旗を翻したのです。K県の中学入試は2月に行われます。1月に他県や地方の学校を“お試し受験”する者が多く、長女は地方の学校を選んで受けました。もちろん合格、しかも『特待生として授業料免除』でした。通常、成績のいい子は2月にどこか受かるに決まっていますから、1月校の入学手続きはしません。しかし長女は、不安だから手続きをしてほしいと懇願しました。授業料は免除でも入学金や諸経費は必要です。史子は反抗期の長女に折れて手続きをしました。そして、蓋を開けたら、長女は2月入試に全滅したのです。不審に思った塾側が、学校に問い合わせた結果、白紙答案だったとわかりました。長女の第一志望は地方の全寮制の中高一貫校だったのです。このセレブ村に響き渡る程の大ゲンカだったそうです。先程電話で長女に聞いた真相は、『母が美魔女と持ち上げられて以来、学校で親に命じられた子たちにずっといじめられ続けた。小学校は地獄だった。それに気づきもしない母が大嫌いだった。自殺すら考えた自分を救ったのは走ることだった。陸上部で有名なこの学校に憧れて、全寮制で母から離れられることを心の支えに計画を立てて実行した。今は幸せ』でした。次女も別の全寮制校に進学しました。美魔女ブームも下火、ネットで何でも買える時代になり、収入ガタ落ちの夫婦2人にこの村の立派過ぎる家は要らなくなったのでしょう。美魔女やロハスで教室を開き、物販で儲けて雑誌の表紙を飾るという目論見が外れましたから」

「なんで最初に村の生活は窮屈そうだと思わなかったのかな。こんなに制約が多いのに」と瑞生は疑問を口にした。

「契約前からすでに自分は村側の人間だと思うようで、基準や制約を守れないレベルの低い一般人と自分は違うとばかり、厳しすぎる拘束型の誓約書にも喜んでサインするようだ」

前島の部下は親切に解説してくれた。


 「見立ては」前島が訊く。

「本人の精神分析抜きの仮説ですが。史子にとって『自分が美魔女のせいで』娘たちが去っていくのは想定外でした。自分の美貌は自分に得をもたらすはずのものです。夫もそれに乗っかった生活しか考えなかった。美貌に陰りが見え始めた頃のこの不遇を、自分の不徳の致すところとは認めたくない。この村がロハス教室を認めないから商売の全てが上手くいかないのだ。不便でK県の有名陸上部を持つ学校に通えないから娘は全寮制などを選んだんだ…。ブログでは優雅に、ツイッターでは愚痴をこぼしてました。『この村で成功して芸能人やブロガーの鼻を明かす』とか、『早く他所で出直したい』など」

「ある日、パタッと愚痴が止まりました。村が夜叉の受け入れを公表した日です。おそらくメディアの暴いた事実の中で、夜叉だけが別荘所有を認められていたことを知ったのです。村の、と言うよりN不動産の、特に田沼の都合で制約は緩められていた。これで桜塚は壊れたのでしょう。今外見上はぎりぎり普通ですが、内面は…していることがこれですからね、押して知るべしです。他人への配慮や道徳的判断に基づく意思決定は望めません。例え仲裁に応じても約束の履行を期待するだけ無駄でしょう。田沼とN不動産と村に対する怒りで動いている。夜叉のことは田沼のアキレス腱と捉えてとことん利用すると決めたのでしょう」


 「抱いた恨みは正当性がなく、晴らす類のものではない。そのためか、悪質ないたずらのようなやり方。村に得体のしれない者たちを入れて解き放つとは、“無自覚なテロ”と言ってもいい。挙句本人の要求は、持ち家の高額売却だと。解き放った連中が夜叉を殺しでもしたらどうするつもりなのか」前島のぼやきが聞こえたわけでもないだろうが、田沼が同じような質問をした。


 「あんた、そのつまらん要求のために、随分と面倒な事を仕掛けてくれたじゃないか。村に入り込んだ庶民が夜叉に何かしたら、どう責任を取るつもりだ?」丸めたティシュをスーツのポケットにしまう。

 桜塚史子は笑みを浮かべて言った。「結構人選には自信があるのよ。でも何が起きたって、私は仲介しただけ。申請書を書き、ゲートまで迎えに行って村に入れたのは住人だから、その住人に責任があるんじゃない? 家に侵入されたのなら、その家のセキュリティが甘いのよ。夜叉が傷つけられたら、警備側の落ち度じゃない? 私が何の咎を負うのよ」





 *桜塚史子の独白*


 私の言っていることは文句なく正しい。私が大罪を犯したような物言いをするけど、その実何の罪にも問えずに苛立ってる。田沼が太い眉毛を上下させてもだんまりを貫き、脇の赤いトトロみたいな女が口を挟んでこないのがいい証拠だ。

 庶民には広い心でチャンスを与えるべきなのよ。夜叉に恋焦がれて死ぬ前に一目会いたいファンに、私は会いに行くチャンスをあげた神みたいな存在。

 私の持論は社会を活性化させる。『まず規則ありき』はおかしい。この村は1つのモデルなんだから、ロハスな生き方を提案するビジネスを組み入れたっていいじゃない。何故それが私かと言うと、私が発信したから、努力し続けたから。犠牲を払ったから。

 

 娘が私の犠牲を評価しなかったのは、手酷い裏切りだ。本当はもっと名前を売っておきたかった。ハワイに留学して施術を学び、業者とパイプを構築しておきたかった。そうすればC5じゃなくてC4か3に家を買えたのに。カソリックの名門校は華々しく活躍する母親を敬遠するから、杏奈の合格のためにメディアへの露出を控えたのに。私が留学したらお弁当を買うことになって頭に栄養が行かないから、留学も諦めたのに。家がC3にあったなら、村の専業主婦たちは迷わず茶話会に来たでしょう。中庸であることが上も下も取り込むには重要だった。自治会も主婦の暇潰し大歓迎で、利益を上げていようと目を瞑ったはず。

 娘たちが小学校でいじめられていたのは、もちろん知っていた。不細工な母親ほど美人を貶めようとする。子供を使って腹いせをするとは心まで不細工だ。でも転校したらその理由をお受験の面接で尋ねられる。口では道徳的な事ばかり言うが、負け犬に不寛容なのが名門校だ。内申書のために、小学校に苦情を言い立てなかったし、転校もしなかった。それが娘を陸上に駆り立てたとは、私の理解を超えている。馬鹿な娘。年がら年中トレーニングして日焼けで色素沈着を起こし肌を劣化させているに違いない。寮はお菓子禁止だから栄養補助食品のココアを夜中にこっそり舐めている、哀れな娘。次女の玲奈においては姉のコピーだから考えるのも煩わしい。夫の信行は優しい。私は学費を払う必要はないと正論を主張したけれど、『必ず感謝する日が来るよ。高校までは出してやらなきゃ』と払っている。優しさがすべての夫。


 この不本意な生活の原因は何?と私も考えた。全ての原因はこの村が規制でがんじがらめなことにある。ビジネスに繋がらないからだ。C1の人みたいにこのご時世に利息や運用益で暮らしていける者なんて少数派だ。口には出さないが、ローンを払っている家はたくさんあるはずだ。『ミライ村に住んでます』と言えば『凄~い』と言われるが、羨望は残酷だ。『ミライ村なのにAランチなの?』とくる。そんなマイナスを差し引いても余りある恩恵、誇り、満足感をこの村は私たちに提供していると言えるのか?

 

 “俳優の住む街”と言っても、ここにいるのは顔を見れば俳優とわかるが名前が出てこない元俳優ばかり。大学教授はいても“名誉教授”はいない。

それなのに皆家を飾りたて、上辺だけの近所付き合いに終始し、終日家を空けるか自慢の家に閉じ籠る。自治会に盲目的に従うなんて、男はどれだけ情けなく劣化しているのか。建村時の感覚でいる妖怪みたいなこの爺さんにいつまで村を仕切らせるのか。


 こういう考えに囚われることが多くなっていた矢先に、ゾンビになった夜叉を村が受け入れると発表した。その時初めて夜叉がこの村に家を持っていると知った。え? 住んでなかったわよね? ネットとテレビで情報を集めると、夜叉にだけ別荘所有を認めていたというじゃないの。田沼が村の知名度のためにわざわざ誘致したらしいとわかった。

 私の中で弾ける音がした。抑制力というか、大人の分別というか。もう、我慢しない。この村をぶっ潰す。私と夫が、にこやかに出て行けるほどの買い取り価格に応じるまでは、引き下がらない。




 余裕綽綽で笑ってみせた後、ぼんやり押し黙っていたロハス桜塚が、今度は一転瞳に炎を宿して啖呵を切った。

「この村の住人は皆N不動産とあんたに騙されたんだから、会社が高額買取をしないのなら、あんたが個人で賠償しなさいよ。だってこの村がしょぼいのはあんたの運営がヘボかったからでしょ!」


「それはどうかな。あんたが思う以上に、街は生き物だ。住人の心理状態・経済状況を反映し、変化する。この村がしょぼいと言うが、住人の全てがそう思っているだろうか? 静かに余生を過ごしたい者に住みやすい街になったということではないか? この村は清掃員がいるが、道にゴミを捨てる者はいない。決められた収集日を守らない者もいない。そんなことも出来ない自分が嫌なのだ。出来ない自分を見られるのはもっと嫌なのだ。あんたのように、行きずりの人間をも販売対象と見て村に引き寄せようという考えならば、現在の秩序を維持する方策はあるのか?」

 桜塚は虚ろな表情になった。虚を突かれると思考停止になるのだろうか。

酷薄そうに田沼が続ける。「ゲートが出来たのはつい最近だ。それ以前も庭にゴミを捨てられたことはあった。だが100%住宅街を見に来た余所者の仕業とわかっていた。近隣トラブル?嫌がらせ?そんな低レベルの所業をする者などいない。ミライ村の住人でいることの社会的意味がどれほどのプライドを賭けたものか、わかっているのか? それを賃貸や又貸しや店舗扱いを認めて、保てると思うのか?」

ロハスの白いドレスが、テントを過る風に翻る。

 「この村には保護すべき神社仏閣も史跡もない。中心になる物がないんだ。企業や大学の研究施設は機密保持が妨げになって、村の中心にはなりえない。建村のスピリッツを伝承する行事もない。自然と住人は入れ替わる。村に守るべきスピリッツがないのなら、いずれ品のない小金持ちやりたい放題村になる。だから、事細かく規制した規約が必要になるんだ。守ることで、特別な住人である自覚が芽生えるような厳しい規約が」


「つまり、ビジネスの芽はない、と?」ぴらぴらしているベルトをいじりながら、どこか気の抜けた声だった。

「あんた、家は“ホーム”だ。寛ぎ・団らん・リフレッシュ。ともかくオフのための箱だろ? なんでそんなに商売の道具にしたいんだ?」田沼の根本的な質問に、桜塚も首を動かして、達磨のような目に焦点を合わせた。クマちゃんは、ロハスの表情を見逃すまいと一歩前に出た。これが良かった。


 一瞬だった。

 ロハスがふわっと白いベルトを新体操のように宙に放ったのだ。緑のテントの天井近くで弧を描く様を全員が見ていた。その隙を突いてロハスはジャンプ一番ベルトをキャッチすると田沼の首に巻きつけて力任せに引いたのだ。

「グエッ」

ヒキガエルのような音を発する田沼をロハスは身長差を利用してベルトで引っ張る。首を絞めているというより首を吊っている状態だ。距離を取って控えていた警察官が止めさせるより早く、近くにいたクマちゃんが分厚い手で相撲の技のようにロハスの顔面を叩きこんだ。

田沼の首を上に持ち上げていたロハスは、顔から地面に叩きつけられた際ベルトを放さなかったので、田沼も一緒に倒れ込む羽目になった。でも、窒息死は免れた。


 桜塚史子は傷害致傷の現行犯で逮捕された。「杏奈も玲奈も私に似て美人なのに、日に焼けちゃって、どうするの…UVケアしないと…」と連行される際うわ言のように言っていた。

田沼は救急車を呼ぶより早いからとAAセンターにパトカーで運ばれた。

 

 前島はクマちゃんに賛辞を惜しまなかった。「決断力、手段、力加減、どれをとっても素晴らしかった」

“事件”になってしまったので、3人の立ち位置に印をつけて写真を撮ったり指紋を採取したり、警察官が蜂のように周囲を飛び回っている中、ちっとも嬉しくなさそうにクマちゃんは「どれも偶然よ。それより、キーパーソンがいなくなって、事態はどこへ向かうのかしら?」と前島を見た。


 本永と瑞生はクマちゃんをマイクロバス乗降口に出迎えた。

「あの決め技、後々ロハスに訴えられそうだな。『犯罪を止めるにしては力使い過ぎ…』」本永は言い終わらないうちに、叩きこみを身を持って知ることになった。



 警備本部はローラー作戦を強化し、全世帯虱潰しに行っていた。謝礼金に目が眩んだ住人の家は天井裏・押入れまで徹底的に捜索した。村は事実上戒厳令下に置かれたようなもので、ドローンが上空から不審な動きをする者がいないか監視していた。

C1から安全を確定するのは地形から言っても理に適っていた。在宅が多く、親族以外のビジターを招き入れている世帯ゼロのC2まではすぐに終了した。C3からは慎重に進められ、ローラー作戦が効果を上げ始めると、やはり危険分子の侵入を許していたことが判明した。

 手荷物検査をクリアするため、身体に紐や結束バンドを巻きつけていた男は、黙秘している。猛毒のヒ素の小瓶を持ち歩いていた女は、水源に撒いて悪徳上流階級を抹殺する予定だったが水源が見つからなかったと語った。もう1人、偽造運転免許証を持っていた男は、某国との頻繁な往来をかねてより公安にマークされていた人物と目され、本部は緊張とある種の高揚感に包まれた。


 こうして、村を襲った騒動は、地道な確認作業により夕方4時には収束した。外部ビジターは強制的に退出、全ての車の所有者も確認された。昼過ぎに夜叉の生動画配信のニュースを知り、スタジオに移動すると勘違いして「移動を一目見たい」と粘った者もいたが、警察は聞く耳を持たなかった。


 これから、ロハス桜塚の通信記録などから手順の解明、協力者や黒幕の存在有無を明らかにしていくことになる。ミライ村は3市町村に跨るので1番大きなY市の所轄警察署に県警本部盗犯係を中心とした分析チームが設置された。首謀者は逮捕され、現段階の逮捕容疑は傷害なのだが、今後威力業務妨害や詐欺など容疑が増える見通しで、あまりに多くの条例違反者が出て大混乱になった失態の原因究明を急ぐ必要があったからだ。


 

 メディアはこの不首尾を追求しようと手ぐすね引いて待ち構えている。わざわざゲートを設置したにも拘らず、大量の部外者に入り込まれた上、人質立て籠もり未遂と暴力事件が起きてしまったのだから無理もない。

 県警本部は、村の自治会が無審査でビジター申請を許可した上に、常ならぬ人数である旨警備本部に報告もなかった事が最大の原因であると発表した。そしてロハス桜塚の甘言に乗り小金に目が眩んだ無責任な住人による“内側からの攻撃”により今回の騒動に至ったと結論付けた。田沼は『甘い防御システムの弱点を突かれた』と抗議しようとしたが、住人の手引きが直接原因であるため、自治会執行部に止められ引き下がるしかなかった。

 捜査本部に移送されたビジターの中には、聴取後マスコミ取材に応じる者が出るに違いない。容易には混乱は収まらないだろう。

前島はとうに警備本部の中に消えていて、瑞生たちはマイクロバスで夜叉の家に戻ってきた。

「前島たち、大変だね」瑞生がぽつりと言うと、本永が「大変で当然だろ。偉そうにしててこの大騒ぎだ。でも原因はシステムじゃなくて住人だから。田沼なら、馬鹿な住人にはペナルティを課すだろうな」と苦笑した。


 「ご明察! ペナルティを発表したわよ、あのお爺さん。一応入院になったのだけど、外出許可を取ってビジターセンターに現れたわ。向こう3年間の村の管理費を負担させるのですって。『プラス清掃や街路樹の修復、犯人不明の損壊に関する原状回復費用にかかる経費などの負担を今回ロハスに加担したメンバーで負担する。負担金納付終了まで村からの転居は認めない。ただし一括納付後は自由』と事情聴取後に申し渡したらしい。『金がないから起こった事件なのに』と文句が出たけど、『無関係だった住人全員の前で、1人ずつ謝罪させるぞ』と言ったそうよ」聴取を受けてから捜査状況を聞いてきたクマちゃんと瑞生たちは一緒に2階に上がった。


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