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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月13日 ⑤ The Axe

 夜叉は懐かしそうな顔をした。「俺、不器用だから、繊細な職人芸に憧れるところがあったんだ。ヨーロッパ公演の時に嵌った。成功するとありがたいことに気に入った作品を買い漁ってコレクションすることが出来るからな」

 キリノが笑いながら「そうそう、からくり時計に凝ったこともあったな。お前我慢できなくて触った途端に壊れて、ヨーダみたいな爺ちゃんに杖で殴られそうになったっけ」

「そう、からくり時計はバンドの皆に。結局壊れた奴を買わされたのはお前に」

「ふざけんなよ。さっき俺にそんなの頼まなかったろう」キリノは瑞生からポケットファイルの収集品リストを取り上げて、ページを捲った。ポストイットに名前を書いていたのはキリノらしい。「あ」手を止めて「自分で書いたのか?」、呆れた後笑いながら瑞生と本永にリストを見せてくれた。大判のポストイットからはみ出んばかりの字で“キリノ”“トドロキ”“ガンタ”と書いて貼ってある。

「夜叉は右利きでしょ? 指…」、親指を失い透明シートで覆われた右手に目が行く。

すると夜叉はドヤ顔でペンを握ったままの右手を見せた。残った4本の指でマジックペンを幼い子供のようにグーで握っていた。

「子供みたい。まさに夜叉だな」キリノが樹木の幹が擦れあうような声で笑った。夜叉も小さな声で笑う。この2人が仲たがいをしてバンド解散後10年も音信不通だったとは思えない。

  


 夜叉がだるそうにいつもの椅子に座ると、皆もいつの間にかできた指定席に座る。

「死期が近づくと子供の頃のことが記憶の底から蘇るって言うだろ。俺、ガキの頃のこと、全然思い出さないんだ。キリノと出会って、バンド組んで、馬鹿やってた頃のことしか浮かんでこない」

夜叉は背中のクッションに寄りかかり、遠くを見ながら話し始めた。

キリノは「あれはさ、幼少期の幸福な記憶が蘇るって意味だろう。だから幸福な時期の記憶なら何でもいいんじゃないか?」とこけた頬を擦りながら答える。そして、瑞生を見た。

 

 思いがけずストレートに見られたので、瑞生は息を呑んで見つめ返した。

 「瑞生は、母親の虐待だろ? 俺は父親だ。理由なく蹴る・殴る、朝起きると平手打ち連発なんて当たり前だった。母ちゃんは俺を庇っては殴られた。俺を連れて何度も逃げた。DVシェルターに保護してもらっても、親父は犬みたいに俺たちを見つけるんだ。何度目かの逃亡で、母ちゃんは疲れ果て、俺なんか裸足だった気がする。冬だってのにさ。そうしたらくたびれた飲み屋のおばちゃんが拾ってくれた。赤の他人のおばちゃんは命の恩人だ。何とか持ちこたえて生き抜いていれば、助けてくれる人もいる。辿り着いたあの町に、こいつとガンタとトドロキがいた。な? 捨てたもんじゃないんだよ、逃亡も。途中のシェルターで落ち着いて学校に行ってたら、こいつらと出会わなかったんだから」

 瑞生はキリノの話が染み透るように自分の中に入ってくるのを感じていた。隣で本永が、一言も聞き洩らさないように集中しているのがわかる。本永だって親のじゃないけど理不尽な暴力の被害者だ。


 「母ちゃんは無理が祟ってあっけなく癌で死んだ。でも繰り返し俺に言った言葉がある。『手を出してはダメ。暴力の魔力に取り込まれてはダメ。殴った途端お前は父親に屈したのと同じ』 俺は母ちゃんの願いに反して成績はどん底、こいつらとギター弾いちゃ授業をさぼってた。でも暴力に関しては守ってる。一度も裏切ったことはない。一発殴って止められる自信なんてあるか? 俺はない。だからどうしても相手を殴りたくなった時、おれは拳をぱぁにして、相手を許すことにしてる。俺が親父の意図した通りになるくらいなら、全てを許す方がましだ」

 瑞生は、本永が自身を抱きしめるように両腕を掴んで震えを抑えているのに気付いた。

「揉め事の多い生活をしてるとずっと闘いだ、暴力の誘惑と。仕事はある程度出来上がってくると、そう衝突は生じない。仕事に集中できるようになる。でも、結婚して家族を持つのは耐えられない。家に帰っても支配欲と闘わなきゃならないなんて、まったく休まらない。だから俺は独りがいい。三人もの女と結婚・離婚を繰り返すなんて怖いし馬鹿らしいし、あり得ない無駄だよ。夜叉、俺の言ってること正しかったろ? お前はパートナーシップを理解していない結婚で何を得たよ」


 「結婚に関しては全面的にキリノが正しかった。俺はそう、“パートナー”っていうのを理解してなかったんだろう。…でもさ、確かに殴られたことはないが、キリノから殺気を感じたことは少なからずあるぞ」と夜叉。

「それは殺気じゃない。殺意だ。…お前が2年ぶりのニューアルバムの発売直前に、保証人になった奴の夜逃げで被った一億の債務不履行で、アルバム発売が無期限延期になった時。ワールドツアー直前に離婚問題で、プロモーションにかけた金が無駄になった時。それから…」

「そりゃ殺意も湧きますね」本永が同情した。


 「あの……解散して10年も活動はおろか音信不通だったというのは本当ですか? 今の2人を見てると、凄くいい関係なのだと俺は思うんだけど」本永が遠慮がちに切り出した。


 夜叉の体の放つ蒼い光が、ぽうっと増したように見えた。本永は、震える手を後ろに回して立ち上がった。「…その前に俺、認めなきゃいけない。その…俺は被害者である自分から抜け出せないでいた。無力な自分を認めるのが怖かったから、俺は腫れ物のような存在になって、両親を支配していた。つまりは加害者だ。親の愛情に胡坐をかいて過ぎた甘え方をしてきた…。頭の隅で自覚してはいたんだけど、キリノの話を聞いて、恥ずかしくて…自分の甘さに恥じ入るばかりだ…」


 夜叉もキリノも本永の言葉には反応しなかった。やがて夜叉が話し出した。

「成功してから…ロックスターで恰好よくぶっ飛んで生きてるはずなのに、一番控えめなガンタにまで『音楽に集中しろよ』って言われた。自分を取り巻くセレブっぽいキラキラした何かに、ある意味追いたてられていたんだ。女、金、車、使う金は幾らでもあったけど何に使えばいいのかわからなかった。バンドの絶好調に反比例して、私生活は悪循環に嵌っていて、解散前にすでにトラブルだらけだった。なのに傲慢な俺は自分が馬鹿だと認めたくなかった」

「バンドが解散して、映画や投資に事業展開をした、はずだった。潤ったのは自称コンサルタントだけ。新規事業が暗礁に乗り上げるたびに耳触りのいいことを言う女と結婚してた。俺には新曲を出せばどんな借金でもすぐ返せるというのが、確固たる信念としてあった。しかし素人コンサルタントのせいで、レコード会社と拗れ、マネージメント会社からは見放され、まだ書いてもいない曲の版権に二重・三重の抵当権が設定される事態になってた。はっきり言って音楽活動が出来なくなってた。騙され続けたせいで、盗られる気がして音源を残すのが怖くなり、浮かんだメロディから逃げた。長年の酷使のせいで喉の不調に苦しんだ…人生どん底とはこのことだ。喉の治療をしてる間に、クマちゃんに少しずつトラブルを清算してもらった。音楽活動が再開できる見通しが立ったのが、去年くらいだ。その間にトドロキは通販会社の社長で成功してるし、ガンタはカレー屋になってるし。キリノはスナフキンみたいに放浪してた。…会いたい瞬間が何度かあったのは事実だけど、会わないまま10年経ったのは、成り行きというか。自然だな」


 「業界のジャーナリストでもこんな凄い話聞けないぞ。俺たち凄い内輪話聞いてるぞ」と今更本永が興奮して耳元で囁く。自分のような疎い人間が聞き手で申し訳ない気がしてきた。


 「俺は夜叉はリア充であろうとする奴だから、止めてはいけないと思ってた。ジャケットの撮影に凝れば自分で撮りたいし、衣装に凝ればデザインしたいし。MVだけじゃなく映画も撮りたいし。メディアが叩くほど無節操じゃないんだ。その道の第一人者=匠に楯突いて『俺ならもっと凄いの作ってやるよ』って言っちゃう所が精進しきれない所以だがな」


 キリノは少し疲れた表情で水を飲んだ。

樹木には水が命の糧だ。本当にそんな風に見える。

「俺は、夜叉とは違う。俺、さっき言ったように毎日暴力喰らってただろう? 蹴られた腹に水が溜まったり腹膜炎起こしたり何度も救急車の世話になってた。でも母ちゃんに治療費の当ては無かったから、精密検査の結果を待たずに逃げたりしてた。バンドが成功してから医者に行った時には、手遅れだって言われた。ゆるゆる養生しながら生きるしかない。いずれ内臓が機能不全になるって。既に腎臓は1つ潰されてたし。俺はメンバーに言った。もうツアーは無理だ。もう少し生きていたいから、レコーディング参加くらいにしたい。俺の代わりに誰かに加入してもらっても俺は構わないよ、と。バンドの結論は解散だった。その話をした時、夜叉は泣いて泣いて…もう大泣きだったな…」

「あれ? 藁科さんが涙を採りたいと言った時、『泣いたの見たことない』って…」瑞生が突っ込むと、キリノは笑った。「こいつ泣き虫なんだ。何かってよく泣いたよな。…でも気が狂うほど泣いたあの日以来見てない、本当に」

「人間の涙腺には限界値があるんだろ、きっと。今の俺は水分調整利かないから、泣くことも思うに任せない」


「なぁ、お前俺がもう永くない話をしてから、余計他に活路を求めたのか? 例の事業やらデザインやらって。あれは俺がいなくなってから、1人でなんとかしようと思ったわけか?」


 「キリノがいなくなっても音楽がやれるとは思えなかった。曲が出来たら、真っ先にキリノの所に持って行く。そこでOKなものだけが聴くに値する曲になる。キリノは俺の先生だったから…不安で気が狂いそうだった。人並みに結婚すれば世界が変わるかと思った。事業が成功したりブランドが軌道に乗ったら、気軽に音楽が楽しめるかと思った。結局俺のやりたいことは音楽だと思い知った。そして誠心誠意魂を捧げて創ってこその音楽なんだ」

「喉の治療で入院した時、胃を取ってるキリノはおかゆ食べてたな、とか思い出した。俺はバンド始めた頃は、ストリートで力を持て余してる奴、社会に不満を募らせてる奴に、『燻ってないで自分で燃えろ』って呼びかけてた。自分の周囲にいるタイプしか見ていなかったんだ。キリノの詩はもっと色んな人間を対象としていた。何年も経って本当の意味で気づいた。目をギロつかせて路地に立つことすら出来ない奴も、本当は内に炎を燃やしてる。負け犬でもお先真っ暗でも。俺は色んな人間の心の炎を讃えたいと思った。そうなると今まで歌ってきたロックとは少し違うと思った。喉まで出かかっているメロディを生み出すには環境を変えたかった。異質な音にどっぷり漬かって揺蕩ってみたかった。ジャズやレゲエでもなくて…『ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ』を思い出してキューバに行ってみることにした。アメリカと国交回復交渉をしてるから今のキューバは失われると読んだのも理由の1つだ。地元のバーや街角で日がな1日音楽を浴びて…、自分からフレーズが出てくるのを待ちたかった」


 「それでキューバに?」

「ああ、3ヶ月弱。手を回して、向こうの大学の音楽振興団体から推薦状もらって、通常は滞在3カ月が限界だから」


 「そうだったんだ」本永が旧知の友人のような感想を漏らす。

「俺は宣告から10年、ちゃんと生き抜いてるのに、夜叉はなんでゾンビになってるんだよ。キューバのインスピレーションがどんな曲になるのか、久しぶりにわくわくする…のに、アルバム作れるのか?」キリノは枝のような手を回し、夜叉の額をつん、と指で突いた。サニがぱっと動いたが、キリノは掌でサニを押しとどめた。「俺がこいつを傷つけるわけないだろ」

 緩いウェーブの長い髪に縁取られた額に手をやって、夜叉の不満げな表情が緩やかな笑みに変わっていく。

 「1曲だけど、面白かっただろ? あれに詩を書いてほしいんだ。それからアルバム分の詩を書いてほしい。曲は幾らでも出来る」

「…俺がか? 俺の健康問題以外の解散の最大要因は、ひとえに“詩”にあると思ってたが?」キリノの落ちくぼんだ眼は精霊の力を宿し輝いていることに瑞生は気づいた。


 夜叉はまだ額に触れていた。「…そうだ。バンドを始めた頃から、俺はキリノに詩を直されるのが気に喰わなかった。俺の体の血液が沸騰するみたいな熱い気持ちをメロディに乗せて歌いたいのに、キリノは哲学か宗教か天文学か物理学か、そんな感じの詩を乗せて歌えって言うんだ」

「そりゃ初めの数曲はいいよ。でもそればかりじゃ中学生にも飽きられる。それに夜叉は堂々と『家に火を放て!』なんて詩書いてくるんだ。実際放火する奴が出るとは考えてもみないんだ。感情の沸騰は一過性だ。夜叉にしろファンにしろ放火した後どうするつもりだった? 誰かの人生を台無しにしていたら? 血が滾る感覚を音で表わせば誰も放火せずに感情のうねりを共有できる。自分を投影できる物語を聴けば孤独に苦しむ者も鬱屈した心を開放することが出来る。お前の曲が心に響かないとは言わないけど、使い捨ての曲を作りたいわけじゃなかったろ?」キリノは愛想なく話すが冷たさは感じられない。

 夜叉はふんと鼻息を漏らした。「わかってたよ。ライブで盛り上がる曲もいいけど、皆が本当に涙を流して聴いてくれるのはキリノ的な曲だってことは。それにキリノの詩に合わせてメロディを考えていくと、面白い曲が出来る。俺のだとメロディもシンプル、いや単純になるんだな。キリノの詩の世界を今度はどう表現しよう、と考えるのは好きだった。キリノの詩を理解しようと、キリノの読んだ本を追って読んでたんだ。でも不満は募ってた。人それぞれだけど、わりと曲が先で、詩を合わせて書くだろう? うちはキリノの詩が先だったから自由がない気がしたし、俺の馬鹿が際立つみたいで」

「それが、10年経つと『詩が先でいい』になるのか?」

「うん。俺、キリノの詩を今は楽しんでメロディに乗せていけると思うんだ。キリノはキューバに行ったわけじゃないけど、あの土地の空気・住人、ゾンビの俺の感情、俺たちの行き着く場所…たぶん同じようなものを感じてると思うから」


 キリノはまた腕を伸ばし、夜叉の蒼い額を、頬を、顎をそっと指で触れた。

「俺の理屈っぽい詩はただの詩なのに、お前が歌うと宇宙になる。俺のつまらない声では起こせない奇跡を、お前は何万人ものオーディエンスの前で易々と起こしてみせるんだ。俺はお前以外の人間が歌う詩を書いたことはない。お前じゃないとダメだからな。だから2度と自分を馬鹿みたいなんて思うな」


 夜叉の顔が歪んだ。神々しい蒼い光を放ちながらも、こんなにくしゃくしゃに歪むものなのだと、瑞生は驚いた。しかし、夜叉は涙を流さなかった。

「意外とつらいもんだな。泣きたいのに、心は泣いてるのに、涙が出ないってのは」

「自分で言ってたろ。限界値まで泣いたから、涙の生涯生産分はもう終了したんだよ」キリノも泣きはしない。

「キリノを卒業するどころか、先に浮世からも卒業しちゃうよ。もう一度はあっちに逝ったことある身だからね」

「そうか、完全に先を越されたな」こう言うと樹の精霊は笑った。



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