2015年6月13日 ① 事前会議
2015年6月13日
結局2人ともほとんど眠らずに朝を迎えた。疑心暗鬼とは少し違う。本永には本永なりの理由があるのだろう。瑞生は自分を知られてしまう恐怖で緊張を解けなかったように思う。
それでも、眠れぬ夜にも悪夢にも慣れているので、2人の寝起きの会話は穏やかなものだった。
「おはよう」
「ま、こんなもんだな」
朝の散歩はクマちゃんの言葉もあったので、取り止めた。朝食を食べながら「せっかくキリノが来てるのに会えなくなったら勿体ないからな」と本永が言うのを伯母が聞いて、トレーを落としそうになった。
「キ、キリノが来ているの?」
「伯母さん、キリノのファンですか」
本永も会話の流れを重視しないタイプなのだと瑞生は再認識した。
「え? いえ、そういうわけではないけど…」伯母は突っ込まれ慣れていないので、動揺著しい。そんな伯母をさっさと忘れて、試験範囲の話に移ってしまう強靭なところが、瑞生には羨ましかった。
「ダメかもしれないけど、サインを頼んでみようか?」と切り出すと、伯母は喜びを隠しきれずに舞い上がった。「え、え? あ、大変でなければね、ダメ元でね?」
「保健体育のレポート、お前のコピペしたらバレると思うか?」
「バレるに決まってるじゃないか。提出するのは僕たち2人だけなんだから」
門根から連絡が来て、午前9時(伯父の指定)に伯父宗太郎の病室にお詫びに行きたいと言う。瑞生も、この家で1人になりたくないと懇願してきた本永も同行することになった。クマちゃんはその時に、臨時の事前会議で宗太郎の代理人として質問する内容を承ることになっていた。
「伯父さんがクマキさんを代理人として認めたのは何故ですか?」車の中で聞いてみた。伯母はバックミラーをちらりと見て「この村のことで代理人が必要になるのは初めてなの。宗太郎としては、ビジネスとプライベートの代理人を分けたいと思ったのではないかしら。クマキさんの申し出は願ったり叶ったりだったのかも」と答えた。
「2人とも、間違って覚えてる。『黒金真樹子さん。クマちゃん』だ」本永が神経質になって訂正した。
「なんで、本永が緊張するの。門根ならわかるけど」瑞生は後ろをついてくる馬鹿でかい外車の中の門根にはぜひ緊張してほしかった。伯父の逆鱗モードをオンにしないために。
「なんでって、俺は堅物の大人受けが悪いんだよ。見りゃわかるだろ?」貧乏揺すりを止めずに言う本永を見て、伯母は「あら、そうでもないと思うわよ?」と微笑みかけた。バックミラー越しの微笑みを見て貧乏揺すりを思わず止め、「やっぱり血は争えないな。今の伯母さんの笑った顔八重樫そっくりだ。クマちゃんの覚え違いといい、似るもんだな」と元気を取り戻した。
これには、伯母と瑞生が凍てついた。ものの数分で車はアンチエイジングセンターに到着した。
宗太郎は不気味なほどに穏やかだった。長期入院と決まっているので、居住空間としてのクオリティが半端なく整っている。伯母ではなく付き添いの曽我さんの淹れてくれた紅茶のカップを抱えて「俺の家のどの部屋よりゴージャスだな」本永が呟いた。
「今後は瑞生に害が及ぶようなことがあったら、即刻訴訟です。もちろん夜叉の家に行くのもお断りします。こちらは善意で行かせていることをお忘れなく。黒金さんに私の代理で自治会に出席して頂く際に、問い質してほしい項目をリストアップしてあります。事後報告待っていますから」
これで終わりだった。夜叉邸訪問を禁止されなくて、瑞生はほっとした。病室に入ってすぐに判明したのは、ノートやパソコン類がここには5台はあるということだった。そして、本永を初めて見た伯父の反応は『初めてではなかった』。
帰り道、瑞生は重苦しい感覚に囚われていた。
伯父は本永を知っていた。監視カメラを布で覆った効果は疑わしいのか? いや、待てよ。本永の姿は食堂や玄関の映像でも十分見られたはずだ。なんとか気分を持ち直して、昼食後に夜叉の家に行くまで、本永がレポートを書いている横で数学に取り組んだ。
夜叉邸を訪問した時、夜叉とキリノはちょうどスタジオから出てきて休憩をしていた。瑞生が差し出した色紙を見て、快くサインしてくれているキリノの横で夜叉は「お前、一度もサインくれなんて言わなかったよな」と不満げだ。
「だって欲しいのは伯母なんだもの。でも夜叉もよかったら左手でいいからサインして」と瑞生がペンを差し出すと、キリノも門根も吹き出した。
「あはは、お前のお気に入りってどんな子かと思ったら。“最期の愛人”ね、なるほど」「瑞生は凄いよな。天下の夜叉に“ついでに”サインさせるんだから」
ムスッとした夜叉に本永が「俺、何も持ってない。学校の教科書でいいですか?」と聞くと、「その髪といい、お前はロックがわかってる。そのTシャツに書いてやるよ」とすっかり機嫌を直した。
夜叉のいたバンドThe Axeのリーダー・キリノのことを瑞生は知らない。夜叉が門根に呼ぶように頼むということは、自分では連絡を取れないということだ。夜叉が死んだ時、キリノは空港に迎えに行ったのだろうか。バンド仲間なら呼ばれなくても、この村にお見舞いに来るのが当たり前ではないのか。目の前にいる世界的バンドのリーダーは、背が高くて痩せていて、黒い服と長い黒髪で、風にしなう柳の木のようだ。
こっそり本永に訊いてみた。「キリノって本永の思ってた通り?」
本永は吊り上り気味の目を一瞬点にした。「そうだな。昔のジャケ写真よりもっと痩せてるな。でも基本20歳の頃とほとんど変わってない。服とかも黒で統一されてて」
動く木。昔読んだ本に出てくる樹の精霊みたいだ。
「遅くなっちゃって…。キリノ調子はどう?」クマちゃんがドンとドアを開けて入ってきた。村の事前会議に出ていたのだ。門根が投げ出していた足を下に降ろしながら「黒金さん、昨日の熱き再会に居合わせたんでしょう? どんなだったんです? 往復運転して、ようやく戻ってトイレに行ってる間に感動のシーンが終わってて、2人ともさっさとスタジオに籠ってた! 俺だけ見そびれたんですよ。誰も教えちゃくれないし、感謝されないし、まったく」
クマちゃんはあっさり、「誰も感動しなかったわよ。キリノが『曲できたんだって? どんな?』夜叉が『こんな』って言いながらスタジオに消えてった、それだけよ」と片付けた。
「10年ぶりなのに? あんなに揉めたのに? それだけ?」門根は頭を抱え込んだ。「だからアーティストってのは嫌なんだ。凡人はいつも振り回されるだけなんだ」と嘆いた直後に通りかかった藁科に、「藁科ちゃん、美味しいコーヒー淹れて」とチャライ声をかけて無視された。
当の本人たちは、隣り合って座っていて、キリノはミネラルウォーターを、夜叉は例のジェイコブレシピのドリンクを飲んでいる。
「そういえば、お前蒼いな」
「まぁゾンビだからね」
先程門根を無視した藁科が、突然夜叉に近づいた。壁に溶け込んでいたサニが影のように移動したのに瑞生は気づいた。
「唾液は固形物が摂れない原因になるほど少量しか分泌されない。唇の乾燥が高じて出血すると予期せぬ大量出血になるかもしれないので、保湿に苦心してる。でも涙なら採取できるかもしれない。今の“感動の再会”で思いついた。泣いてみて」手に試験管を持って藁科は迫った。
部屋中が静まりかえった。森山は休みの日だからいない。
「ガキの頃から一緒にいるけど…泣いてるのを見た記憶がないな」キリノが隣の夜叉に確かめるように言う。
「確かに。簡単には泣けない程負けず嫌いなのかな、俺は」
「ということで、藁科の涙採取計画はボツ」と無視された門根が逆襲する。
「僕の感覚だと、夜叉は泣くことが生命の危機になると思うんだけど?」瑞生が同意を求めると、サニが「ヤシャの体の水分は危ういところで恒常性を保っている。涙一粒でどうこうならないけど、泣きじゃくるのは危険だろうね」と応えた。
「私はこの状況を前向きに考えただけだ」と言うと藁科はそっぽを向いた。「わかってる」意外やサニが理解を示した。
「ちょっといい?瑞生君。伯父様に説明する内容を把握しておいた方がいいから、ざっと説明するわ」とクマちゃんに呼ばれた。
クマちゃんの参加した事前会議は、想像を絶するものだったらしい。「会議なんかじゃない。“超老人対老人対壮年バトル”だった。代理で私が出てよかったわ。血圧が乱高下して、伯父様ならストレスで倒れてたかもよ」
「事前会議がどんな人で構成されているか知ってるわね? 村が開村した時からの住人を“老人”、その子供世代は“壮年”、そしてただ一人別格なのが“超老人”田沼よ」
*黒金真樹子の事前会議レポート*
私は様子見をしていた。一番後ろの席で、この興味深い金持ち村の最富裕層であることを臆面もなく露わにした連中の、生態観察の心境だった。
田沼の要請でK県警生活安全課の係長も出席していた。この得体のしれない会議で警備体制の説明をする以外に、藪蛇的な失策を犯して出世の道が閉ざされては敵わないと、戦々恐々だ。
果たして、まず夜叉がこの村に来ることになった顛末に対して詳細説明を求める者が続出、居住しない者に販売したN不動産の田沼に掟破りの責任を問う声が噴出した。
対して田沼は、村の有名人の流出が続いたので、夜叉のような大物を引き入れたのは自分のファインプレーであるし、結局夜叉が来ることで全国的にセレブ村として認識されたのだから、感謝されるべきだとまくし立てた。
老人層は、有名人の流出はN不動産が周辺産業を誘致できず、モノレールが通らなかったことが最大の要因で、しかも村事業から撤退するという裏切り行為は“詐欺”と言ってもいいくらいなのに、感謝しろとは何様のつもりだ、と怒った。
壮年層は、夜叉の誘致がどう周辺の活性化と結びついているのか、具体的にいつ何が建つのか説明を求めた。また少年の情報を流出させた人間が噂になっているが、犯人は特定できたのか、村としてどういう対応を取るのか、問い質した。
田沼は夜叉誘致を自画自賛するが、積極的に再開発を推進する流れがあるわけではない。夜叉ファンと野次馬を目当てにした、仮設店舗のカフェとうどん屋が村のゲート付近の土地使用許可を申請しているだけだった。
これには壮年層から失笑が漏れた。「これじゃ、この村に残るのは田沼さんみたいなウルトラシニアだけだな」「村の所有地に介護ヘルパー専用住宅を建てて、ヘルパー不足に備えた方が賢明だ」「結局親を都心のいい介護マンションに移すよね」「別荘としての保有を認めたらいいのじゃないですか?」
老人層は渋い顔だ。「これ以上老人だらけになれば、本当に“シニア村”だ」「今はいいが、5年後はこうはいくまい」
田沼は目をぎろりと光らせると、咳払いをして皆を黙らせた。
イマドキ蝶ネクタイの老人とは、やっぱり外見からしてタダ者じゃない。頭髪は寂しい限りなのに眉毛は真っ白ふさふさでギョロ目が水墨画の達磨のよう。
「別荘保有を認めないのは、セキュリティが崩壊するからだ。せっかく夜叉のお蔭でゲートが出来てID確認するようになったのに。別荘をシェアする奴が必ず出る。IDが又貸しされていくとどうなる? 体のいい倉庫代わりか? パリピが集って怪しい取引でもされたら? シェアしている者の感覚は無責任だ。ここの細かなルールなど守るわけがない。住人が減ればごみの回収日を週1回に減らされるぞ。ここはセレブの村ではなくなるのだ」
あら意外とまともなこと言うじゃない。“パリピ”を知っているとはIT系に強いだけはあるわね。
田沼は強いトーンで力説した。「だから、夜叉が重要なんだ。一分でも一秒でも長く生きさせて、ここを“終の棲家”と呼ばせるんだ。私は可能なら、村の中を自由に散策して過ごしてもらおうと思っている。S湾の夜明け、海原の向こうに臨む富士山、見たらきっと気に入るはずだ。ウィルス? 空気感染じゃないことは確かだろ。入り浸ってる少年がいること自体安全な証拠だよ。渋る保護者を説得したのは内閣府や経団連の重鎮だそうじゃないか」
八重樫さんが権力に屈したと言いたいの? クソじじい。
「私は夜叉に『薬と女と金まみれのロックスターが死ぬ前に愛した村はこの世の天国でした』と言わせたいのさ。夜叉の愛した村に住みたいという新たなセレブが殺到するぞ。外国人も審査をクリアすればオーケーだ。そしてあの家を記念館にする。K県の新名所だよ。生きているうちに、『生誕地よりこの村に来ないと夜叉を語れないよね』とファンが思うように仕向けるんだ。ここを去りたい住人は去ればいいさ。だが、夜叉に不動産価値を上げてもらってから売却する方がいいと思うがね。ここの利点は全部で300戸しかないことだ。後からは増えない。値は上がる一方さ。あんたたちのすべきことは、ゾンビの機嫌取りをして、村を気に入るよう仕向けることだ。夜叉を追い出した世田谷区に吠え面かかせてやればいいんだよ」
何が“薬と女と金”よ。クソじじい。夜叉がまみれたのは金と女だけよ。夜叉をただのツールとして利用し倒すつもりね。
「ほう、さすがN不動産元社長だ。先を読んで厄介者を引き受けたのか。久しぶりに見直したよ」「最初からそう言えばいいのに。夜叉受入れ委員会を立ち上げて準備させたのに」「今からでも遅くはない。『ゾンビの顔色を窺う』ためにゾンビが喜ぶような物を揃えて歓迎会はどうだ」
あんたたちは上に媚を売って高給取りになった口ね。
「“夜叉のお宅訪問”とか、どうだ? 最後に村の住人の温かさに触れるっていう…」
開いた口がふさがらないような発言は老人層から繰り出されたものだ。さすがに今の外れっぷりに壮年層が声を荒げた。
「夜叉が何で世界的な存在なのか、知りもしないで意見しないでくださいよ。音楽、ともかく偉大なのは彼の音楽です。次いで破天荒な生き方。それを売れない芸人が田舎を旅する番組みたいにして、何が楽しいんですか。金のある夜叉が金のある綺麗な家を訪問するなんて、視聴者の反感買うだけでしょう」
「罪人じゃあるまいし、最期に『悔い改める』なんてロックじゃない」
その通りよ。夜叉が『村の住人の温かさに触れて』なんて言うわけないでしょ? 『こんな村燃えてしまえ』なら言うでしょうけど。圧力を掛ければ相手が『終の棲家です』と言うと思う、だからあんたたちは二流なのよ。
しかし、夜叉のことを少しはわかっている壮年層から、老人層に代替案が出ることはなかった。
だからあんたたちは二流の2世なのね。
「では、ゾンビ主賓の懇親会を企画する方向で進めなさい…」あくまでも村の王として采配を振るう田沼に、もう我慢できなかった。
「ちょっと待ってください」
一同の目が最後列の私に注がれた。そもそも事前会議に1人の女性もいないことが、この村の時代錯誤を象徴している。
「私、黒金真樹子と申します。話題の少年の保護者より質問を託されて参りました。夜叉の顧問弁護士もしております」
ぎろぎろと田沼の不快な値踏み光線を浴びているのを感じるが、そんなもの慣れっこだ。田沼は肩を竦めて話の続きを促した。
「少年の写真を流出させた住人と田沼さんは会合を持ち、決裂していますね。今後情報流出の心配はないのですか? 野放しなのですか? 少年の保護者に安全を保障した内閣府や経団連の重鎮方は村の住人の非常識な行動を制御できない田沼さんに不満なのではないですか?」
他の参加者にとっては俗っぽい興味を刺激する話だから、皆静かに聞いている。
田沼は暫し会議室の天井を仰いで沈黙した。もしかすると相手は私ではなくうるさ型の宗太郎だと肝に銘じて、内容を精査しているのかもしれない。
「あのバカ女、私との会合を加工して流すとは愚かな限りだ。私の対抗措置は有効だったがな。おそらくこちらの対応に不備があったと訴えて、実際には『訴えると脅して』転居費用の足しにしたかったのだろう。こんなことをしては今の家を高く売却することなど不可能なのに。少年の安全に関しては、警察任せにしたのが悪かった。上手く夜叉に気に入られてるようだから、我々のための橋渡し役を担えるかもしれない。今後は村としても気を遣うべきだと思っている」
「あなたの、他人を自己利益の道具としてしか捉えない考え方に、寒気がします。大人の都合で強制的に少年に苦役を課した、とみなした時点で法的措置をとりますよ。それと、あなたが特に酷いですが、皆さん誤解しています。夜叉を昔のゾンビ映画のモンスターのように捉えるのは間違いです。夜叉は存命当時と同様の記憶と意思を持ちます。つまり人格的に破天荒のままです。そして身体的には良い状態ではない。いつ死ぬかわかりません。外出は難しいでしょう」
夜叉の容態について知ると、男たちはざわついた。「死にそうなら、計画がまるで違ってくるじゃないか」「ゾンビって白痴なんじゃないのか?」
私は有象無象には目も呉れず、田沼の表情の変化を観察した。田沼にはあらゆるところから情報が入ると思っていたが、案外村の中の情報は集まらないのかもしれない。田沼の人徳故ということか。開村当初ならいざ知らず、今でも田沼に忠誠を尽くすような住人はいないということか。夜叉が制御不能のアナーキーなゾンビであることも、容態が思わしくないことも、まるで初耳のように眉毛を上下させている。
情報処理能力が落ちてる自覚がないのね。新しい情報を客観的に再構築するより勝手な憶測を元に思い描く方が楽ですものね。無自覚な老害の典型だわ。
同時に現時点で夜叉邸に出入りしているメンバーの口が堅いことも確認できた。皆、信用できると言う事ね。
「黒金さん、田沼自治会長が示した夜叉関連のアイディアのうち、実現可能と思われるものを挙げてください」と壮年者が声を上げた。
「僕はかなりのThe Axeファンなんです。夜叉がここに来ると知って万歳三唱したくらい。夜叉の記念館が可能なら素晴らしいし、出資したいと思います。人工森のてっぺんにプラネタリウム付きの上映施設を建てるのも面白いかな、とも。最近アーティストはドキュメンタリー映画やライブDVDをよくリリースするけど、コアなファンでも全部は買い切れないでしょう。レンタルを家で見ると迫力がない。そういう上映施設もいいじゃないかと。例えば“夜叉ウィーク”と銘打って上映作品を日替わりにして、記念館や村の研修施設に泊まるパックを組めば、ファンは来ると思う。夏は子供のプラネタリウムと森の夏休み研究ツアーとか。そうすれば必ずレストランや土産物屋が周辺に出来ますよ」
「いいですね。ストーンズやビートルズウィークではシニアが連泊しますよ。日本でも解散しているバンドやライブ映像の多いバンド、貴重なフィルムを借りたり、バンドの年代別ライブ上映はきっと評判になりますよ」思わず答えてしまっていた。「記念館は可能だと思います。あの家をどうするのかは遺産相続人の意思によりますが。遺品の展示などの協力は得られるでしょう」
「そうなると、現状できることはなんだと思いますか?」老人層から質問が出た。
「夜叉はそっとしておいてほしいのです。わかって頂きたいのは、いくら破天荒人生を歩んできても、彼は破天荒を売りにしていたのではない。彼はミュージシャンです。結果、破天荒になってしまっただけです。ゾンビになりたかったわけでもない。航空機事故で死んだ時、運命だと思って普通に死んだと思いますよ。なのに蘇ってしまった。まだ彼の命運は尽きていないのかもしれません。でもそっとしておいてあげてください。『村の一軒にゾンビが住んでいる。それだけのことさ』なんて、皆さんらしくて素敵じゃないですか? お金に困っていない人たちだけですよ、金づるをそっと見守ることが出来るのは」
この言い回しは参加者のセレブ心をくすぐったようで、会はお開きになった。田沼はこちらを忌々しげに睨んでいたが、私の周りには名刺交換の人の輪が出来ていた。
田沼のやり口は、人を威圧し相手の不快感と憤慨を煽り、その力を利用するというもの。もう田沼の独裁政治は現実と乖離してしまって限界なのに、権力を手放す気はさらさらない。一方壮年層は次世代の村を考え始めている。それを知った時、田沼がどんな動きに出ることやら。
目の前で名刺を差し出し穏やかな笑みを浮かべている男に気づいた。さっき唯一建設的な記念館の意見を言った壮年者だ。
「“イベント コケタ”。はぁ?」私が間抜けな声で読み上げると、相手は笑った。「裏を読んでください。“苔田 満”です。実は建設会社なんですよ。ドーム型やガーデンタイプなどイベントのための施設建設を世界中でやってます。僕は夜叉が『いいね』と言ってくれるような上映施設を建てられると思ってるんですが」
「ああ、とても面白いですね。でも『イベント コケタ』なんて縁起でもない名刺を平気で配ってるところがもっと面白いです」
苔田と一緒に村のビジターセンターの階段を下りた。
「今日は黒金さんが来て下さってよかった。いつもは田沼さんの独壇場だから、皆腹を立ててカッカしながらこの階段を下りるんです。今日は余韻が柔らかくて、いい感じです。あなたの話で皆の夜叉を見る目が変わったと思います。田沼さんの話だけを聞いてたら、ほとんどの者が『夜叉をどれだけ利用できるかが自分の評価に繋がる』風な考え方しかしなくなりましたよ」
嬉しかった。ここ何年も味わったことのない満たされた気持ちで夜叉の家に戻った。
「ふ~ん」夜叉と瑞生が親子か兄弟のように、同じトーンで息を漏らした。「クマちゃん、恋の予感かぁ」夜叉が小さな声で茶化す。「恋の予感かぁ…」水色のメモが瑞生の脳裏に浮かんでいた。
「何よ、2人とも。ケンカ売ってるの」クマちゃんは怒りながらも話は進める。「これを伯父様に報告したら、どう反応するかしら?」
「僕、伯父のこと知ってまだ3ヶ月なもので…」言いながら考えた。「田沼にもロハスにも腹を立ててる。聞いた感じでは、田沼はロハスに報復しそうでしょう? そこは気に入ると思う。村全体のことや夜叉のことを伯父が本気で考えているとは…正直思わないな」
「なるほど、じゃこれでいくわ」と席を立った。
「相変わらず、クマちゃんは切れがいいな」キリノも立った。「続きいけるか? 休むか?」夜叉は「いける」と続いた。
一瞬、2人の関係が見えたように思えた。夜叉はキリノが好きなんだな。慕ってるという方がしっくりくるかな。瑞生は門根が口走った言葉を思い出した。『あんなに揉めたのに』『10年ぶりなのに』…ミュージシャンという生き物はどうも凡人には理解しがたい次元にいるようだ。




