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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年6月12日 ③ 訪問

午後7時30分、黒塗りの車が夜叉邸を出て、八重樫家へと向かった。


 珍しい訪問者を出迎えた伯母は、その多岐に渡る面々に言葉を失った。サニとクマちゃんと本永は伯母の美貌に息を呑んだ。

 「お綺麗ね~」クマちゃんは感嘆の声を漏らした。「ビューティフルッ ミズオのお母さん、美人。タイヘンウツクシイ」とサニ。本永が一番挙動不審だった。「すっげ~。八重樫の血筋は凄いな。うちの親とは大違いだ」立ったまま貧乏揺すりのように揺れている。

「そんな、本永のお母さん、優しそうだったよ」

「甘いな八重樫。人間結局は見た目だ。そういう本があったろ?」

そしてなぜか3人揃って、手放しの絶賛に困惑しつつ喜んで立ち尽くしている伯母にリクエストした。「違う角度からも見せてもらっていいですか?」

こうして金髪パンクと痩せすぎキューバ人とドラム缶ボディのおばさんが、伯母の周りを前後左右して観賞するというコントみたいなことになった。

「馬鹿らしいから、早く入りなよ」瑞生はイラッと来て皆を促した。


 それから小1時間は和やかで楽しく美味しい夕食となった。瑞生もレンジでチンではない出来立ての伯母の料理を食べるのは久しぶりだった。美味しいのはいつものことだけど、この家で楽しい食事と言うのは初めてだ。最初で最後かもしれないけど。

 サニはちゃっかり伯母の隣の席を獲り、舌鼓を打ちながら食材や作り方をあれこれ質問していた。激しい席獲り合戦の末勝者のクマちゃんが反対側の隣に座り、本永はやむなく斜め向かい側になったが、大喜びでガンガン食べていたので、伯母は嬉しそうだった。

「凄い食欲ねぇ。瑞生は男の子にしては少食だったのね。うちには基準になる人がいないからわからなかったわ…」

「ご心配には及びませんよ。この金髪パンクが化け物みたいに食べてるだけです。瑞生君くらいお上品に食べる方がいいに決まってます」クマちゃんは本永に若干キレ気味だ。


 瑞生は、女性を好きになっては相手の家に転がり込むというサニが、伯母の手を握ったりはしないかと、気が気ではなかった。

 伯父の宗太郎が見たら、たとえ手を握らなくてもウルトラ不機嫌になるのが目に浮かぶ光景だな。

宗太郎が見たら…見たら? なんだっけ、前にタブレットの説明をしてくれた時、『ここに居ながら、2階の洗濯機の予約も玄関の訪問者とも話せる』とか…。伯母と結婚前に1人で暮らしてた時、宗太郎は全部屋をカメラで見ていたはずだ。控室の曽我さんとも話したろうし、メイドが高価な調度品を盗んでないかチェックすることもあっただろう。それなら伯母と結婚した後はどうだろう? 美しい妻が浮気していないか、修理の職人や庭師、宅配業者、あの宗太郎が疑いもしないという方が疑わしい。伯母を監視していたはずだ。八分割された画面をチェックする伯母の指が止まったのは、宗太郎の監視が暗に語られた時ではなかったか?

 それなら今は? この5人の楽しい夕げを病院のベッドの上で、見ているのでは? 瑞生は手を止めて考え込んだ。デザートはさすがに作る時間がなかったので、買い置きのアイスクリームだった。冷凍庫に格納されている高級アイスの列を見た時、アイスに“買い置き”があると知り、瑞生は驚愕したのだった。

 病院にパソコンを何台も持ち込めるとは考えられないから、ただ1台のパソコンで伯父は今、瑞生のためにDos攻撃(或いはコンピュータウィルスの送り付け)をしてくれているに違いない。従ってオンタイムで監視してはいないだろう。でも暇な時、我が家の留守中の様子を見ている…のか。

 美少年狩りから守ってもらっていると確信しているにもかかわらず、伯父の覗き見も確信していた。サニのキューバの路上アイス屋の話を聞きながら、突如瑞生の背中を冷や汗が流れた。

 この前こっそり伯母の部屋を探ったところを見られた可能性がある! やばい! せっかく本永とのじゃんけんに勝って手にしたピスタチオのアイスは全く味わう余裕なく舌の上で溶けた。


 ふと、会話が途切れた。寄せ集めのメンバーでの会話は、弾んでいてもネタ切れを起こすと水を打ったように静まり返る時がある。クマちゃんとサニが目でコンタクトを取っていることに気づいた。しかし気づいたのは瑞生だけではなかった。

 「え~…」クマちゃんが言いかけた途端、伯母は席を立ち、「化粧室のご案内が遅くなってごめんなさい。どうぞこちらです…」クマちゃんを先導していった。

 残された男2人は「ミズオ、凄い幸せ。お母さん美しすぎる」「料理も美味かったよなぁ。本当に八重樫と似てる。お父さんの妹さんだっけ? 学生の頃モテたろうなぁ」と満腹の腹を擦りながらお気楽トークを続けている。瑞生はサニに“お母さん”を“伯母さん”に、本永に“妹”ではなく“姉”だと訂正するのも面倒くさくて放っておいた。宗太郎が自分の行為を知ったとして最悪の場合何が起こるだろう? じっくり考えたいが今夜はそうも言っていられない。クマちゃんはさっき何を言おうとしたのか。伯母は今何をしているのか?


 2階で物音がする。1階のトイレではなく2階という所が味噌か。瑞生は急いで「本永、英語教えてくれるんだろ? 徹夜も辞さない覚悟でやるって言ったよね」と本永を2階の自室に誘った。するとサニが「僕もいい? 日本の家、初めて。もっと日本のこと知りたいよ」と喰いついてきた。結局、3人が階段を上ったところで、女性2人と遭遇することになった。

 クマちゃんが目ざとく「あらサニも? そうか、日本人家庭を見るの初めてだっけ。この豪華な家を標準と思っては問題があるけどね。瑞生君が良ければ、豪華なお部屋をちょっとだけ…」と言いながら、ちゃっかり入ってきた。伯母は目を丸くしていたが、「では後でお茶をお持ちしますね。私は片付けがありますので」と降りて行った。

 

 瑞生と本永が呆然とする横で、クマちゃんは『適当に話して』というメモを見せた。トイレに行く間に伯母から監視カメラの話を聞いたようだ。

「本永、そこに座って。サニはこの椅子でいい? クマキさんはこれどうぞ」バタバタとデスク周りに椅子を配置した。本永はピリピリするどころか、リラックスして楽しんでいるようだ。村の侵入者の捕り物帳を聞きたがった時のように目が輝いている。

「日本の高校生は英語どのくらい話すの?」とサニ。瑞生はヒアリング教材のCDをかけた。“ボビーとケイコの英会話”が始まる。

 サニはポケットからUSBメモリーを取り出した。「キューバの疾病センターからノートパソコンを“支給”されて持ってきているのだけど、党の目的は監視だ。帰国後に回収されて履歴や使用内容を徹底的にチェックされるんだ。だから僕のノートでは見ることが出来ない。セキュリテイソフトが導入されているならミズオのパソコンで開けさせてほしい。お願いだ」

 メモリーを持ったまま日本式に頭を下げたサニに瑞生は顔を近づけた。「ウィルスバスターは入っているから大丈夫だけど、いいの? 伯父さんのカメラが撮ってるかもしれないよ?」と言うとクマちゃんも頭を寄せて「伯母様から聞いたの。この部屋と伯母様の部屋のカメラはカバーをかけてあるのですって。掃除の度に確認しているから大丈夫ですって。伯父様も文句を言わないところから、人権侵害になるという認識はあるらしいって。でも音声には気を付けて、と」


 パソコンが立ち上がり、サニがUSBメモリーを差し込もうとして、手が震えて何度もやり直すのを皆黙って見ていた。

瑞生もこっそり震えていた。この部屋が今までもこれからも宗太郎の監視から守られているのは実に嬉しい。でも何より伯母の部屋に侵入したことがばれていないし、ばれる心配のないことがわかって本当にホッとした。伯母に感謝してもしきれない。



 画面に出てきたのは、何かの資料のようだった。経理の帳簿が延々と続く。その後瑞生にもわかるような表題が出てきた。『有資格者を籠絡するテク2015年版』『出し子マニュアル』『金融・投資セミナー・テク』『A県行政書士合格者名簿』…。

 横に座る本永がビクンとして、組んだ足の貧乏揺すりを始めた。久しぶりだと感動している場合ではない。“セミナー”って言葉が出てくるけど、まるで詐欺のマニュアルみたいだ…。何故キューバ人のサニが持ってきたメモリーに、日本の詐欺記録が?

 クマちゃんは時折自分の手帳にメモをしている。サニはメモリーの中身を知らなかったようだし、日本的すぎる内容を理解できないのだろう。ただ黙って画面を見ている。


 膨大な資料も尽きたらしく画面が真っ黒になった。サニはメモリーを取り出し、別の物を差し込んだ。画面が明るくなった。

 光を放つ画面に引き寄せられて見入ると、そこは砂浜、波音のする海岸の明るい青空と白い砂浜だった。でも動画を撮っている人物は心乱れているようで、荒い息遣いとぶれる画面が息苦しい。足元が映ったり急に方向転換したり、何かを探しながら撮っているのだ。

突如駆け出した。何か外国語で叫んでいる。なんと言っているのだろう。瑞生にはその声がサニのものであるように思われた。


 「!」クマちゃんが息を呑み、本永が「ぐっ」と引き攣った。駆け寄った人物が映し出したのは、砂浜に転がる右腕だった。半袖シャツがちぎれた腕の付け根を隠しているが、繋がるべき胴体は見当たらない。「~~」聞き取れないが叫びながら他のパーツを探しているのだろうか。

瑞生はサニが「遺体のパーツを探しに行け」と教授に追い出された話を思い出していた。

やがて戻ってきた人物は、腕を映し出す。手首に女物の腕時計をしているが、どう見ても男の腕だ。「~~」涙声で何か言う人物が、手袋をはめた手で、転がる腕に手を伸ばしたところ、腕が蒼くぼんやりと光を帯びてきた。

「これって」クマちゃんは呟けたが、瑞生も本永も声すら出せずに口を開けたままだった。


 見る間に腕は全体が蒼くほの蒼く輝きだして、やがて微かに動いた。「~?」撮影している人物は夢中になってスマホを落としたらしい。幸いにもスマホは落ちて砂浜に刺さったようで画面がやや斜めになってしまったが、撮影はそのまま続けられている。

「わかる? ヤオーマ。僕、わかる? ハビエルだよ。ヤオーマ、返事して。ああ、君の頭や体はどこなんだ?」悲痛な声で日本語を話すのは、やはりサニだ。ハビエルと名乗ったサニは涙を流しながら腕以外の体を探している。が再び戻ってきて蒼く光る腕に、跪いて報告した。「だめだ、ヤオーマ。ごめんよ、君の頭を見つけられない。僕は君の腕を日本に帰れるようにするしか出来ないよ…」するとちぎれた蒼い腕の指先が動いた。夜叉の指よりずっと細く見える。

 ちぎれた腕の蒼い指は、指示を出すように人差し指だけを伸ばして、何度も空を切る。「何? ヤオーマ、何?」取り乱したサニが繰り返し訊くが、指は答えようがない。ここでサニが気づく。「指で字を書くの? もしかして…」手袋を嵌めた手で、腕をそっと持ち上げるとひっくり返して、砂に字が書けるようにしてやった。

 果たして掌で砂を感じると、手は喜んだように指をパーに広げて砂を平らにし、人差し指で砂地に字を書き始めた。目があるわけではないので、自分の感覚のみで書いているのだろう。字間の空いた頼りない文字だった。


『hana33?8711』

「ヤオーマ、これ意味なに?」

サニことハビエルの問いを無視して、指は続ける。


ぼくは あおやま はると 

いもうとの まゆりを しに おいやった せきはら きいちを けして ゆる さ な


「ヤオーマ! 死んじゃダメ しっかりして!」サニの声が悲鳴に近くなる。腕も指も痙攣しているだけで、もう文字を書くことが出来ないようだ。やがて腕は動かなくなり、蒼白くぼんやり光るだけになった。

サニはしばらく声をかけたり、周囲を探したりしていたが、諦めて腕を持っていた箱に入れた。

 映像はここで終わった。



 瑞生は呆然とサニを見た。他の2人もそうだ。しかしサニは再びメモリーを入れ替えた。クマちゃんが息を呑む。パソコンの画面にはこう表示されていた。


『パスワードを入力してください』

 サニが震える指で打ち込む。『hana33?8711』


 反応があった。また別の映像が始まった。

今度のものは明らかに室内の隠し撮り映像で、デスクの後は一面ガラス張りで高層階、洒落た都市部のオフィスのようだ。

男が1人、デスクに歩み寄り眼下を見下ろす。若くて押しの強そうな自信に満ちた表情をしている。濃紺のスーツに赤いストライプのネクタイの男は振り向き白い歯を見せて笑った。

「紹介されたのが君で正直驚いてるよ。東大で一緒にゼミを競り合った君が、ゴールドプリースト証券でヘマして日本に逃げ帰ったとは聞いていた。その後に、闇の金儲けの世界で成功していたとは。ああ、訂正しなくていいよ。君は頭のいい奴だから、財テクアドバイザーとして派遣されてるだけで、ブラックな会社はおろかグレーな会社とも雇用関係があるとは言えない。粉飾決算や裏帳簿のアドバイザーをやる傍ら、セミナー詐欺のシステムを作って運用させていてもね」

「全くよく考えたよ。税理士や公認会計士の資格を取って登録すれば“士”としての倫理や義務が生じるが、君は大企業の監査も出来るほどの知識を持ちながら無資格だ。何にも縛られない。その知識をどんな企業のために使おうと、何にも抵触しない」言いながら身振りで椅子を勧めて、自分は青空をバックにマホガニーの高級デスクに寄りかかって話し続ける。

 来客用椅子に座ったのは、細身の黒いスーツを着た男だ。カメラの位置からは後ろ姿しか映らない。

 「知っての通り、僕の妻の父つまり義父は県議会議員だが、2016年の夏の参院選に打って出ようとしている。空いた県議の椅子には僕が座ろうと思う。必要なのは資金と堅い口、賢い参謀だ。地方は相変わらず不況で、経済的に成功した若者に不況打破の期待を掛けるだろう。資金さえあれば義父の後釜に納まれる。君にはまずこのコンサルティング会社に入ってもらう。義父には器用な友達がいて人物の過去をそっくり別のものに換えることが出来るんだ。手土産に君のグループの稼ぎを一塊持ってきてくれ。その資金を運用して今度は非の打ちどころのないキレイな金を捻出してくれればいい。僕は旧態然とした権力者や地元の企業コネクションに借りを作りたくないんだ。選挙が近くなればもっと身近で手伝ってもらうと思うが、その前に妻の従妹と結婚して姻戚関係になるのはどうだ? 金をすぐ動かせないなら、婚姻届でこの話の覚悟を証明しろ。魅力的だろう? 名実ともに陽の当たる生活を送れるんだ。堂々と東大卒を口にできる時がまた来たんだよ」

 陰の男は黒縁眼鏡のフレームを上げて肩を竦めた。「俺に選挙参謀は無理だ。経験がない」

「大丈夫だよ。選挙は金がすべてだ」

「オオハシ、選挙前に奥さんの苗字にするのか? サカガミショウゾウの後継者、サカガミキョウタロウって」

「いや、後援会の年寄りどもに下に見られるのはごめんだからな。セキハラ、受けるだろ? 嫁の従妹、派手さはないけどまあ普通の女だよ。芯の強そうな顔してる。人生のリセットに賭けてみるだろ?」

 この後オオハシがセキハラに期限を切って回答を求め、セキハラが鞄を手にすると同時に映像が揺れて終わる。



 「これは…検索して出たまんまだとすると坂上逍造と言う県議には怪しい友達がいて、来年の参議院選に立候補する予定で、娘婿の大橋京太郎は県議に立候補するのに、セキハラと言う男が詐欺で得た資金を運用させて当選するつもりでいる…という証拠よね? 本物なら」

クマちゃんにわからないことが、瑞生たちにわかるわけがない。

「…そうなの、かなぁ?」瑞生は首を捻るばかりだし、本永は「これがドラマじゃないと言い切れるのか?」と腕組みをしたままだ。

「サニ? それともハビエル?」クマちゃんが促す。


 サニは「僕はこれを託された。ヤオーマはただ何かを待っていた。多分この瞬間のために生きていた。だから彼の腕は…動いたんだ」と悲しそうな顔をした。「ヤオーマはキューバ人のために働いてくれた。短い間だったけど…」

瑞生はスマホで調べた。夜叉の他2人の日本人が航空機事故に巻き込まれて命を落としている。うち1人が青山陽斗だ。「サニは青山って人と友達だったんだね」瑞生の言葉にサニは小さく頷いた。

本永は「悪いんだけど、この腕が青山って人のだと証明できるんですか? 伊勢志摩あたりのきれいな海で撮ったおふざけムービーじゃないって証明できるんですか?」と緊張を緩めない。

クマちゃんも冷静だ。「そうね。色々解決しないと信用していいか判断できないわね。夜叉は私に『このメモリーに入ってる内容が本当か調べてくれ』と言ったの。夜叉はサニがふざけてるとは微塵も思っていない。でも『映っている人が死を賭して主張したとは言っても勘違いだったり、精神を病んでの言いがかりならば、これは公表出来ないから』と。見たところ、選挙や暴力団やお金の話のようだから、裏付けの取れない事を公表したら大変なことになってしまう。サニはともかく、公表に手を貸した人間が罪に問われる可能性もある。至急、調べるわ」と荷物をまとめ始めた。


 クマちゃんは「申し訳ないけどコピーを取らせてもらっていい? 繰り返し見たいこともあると思うから」と頼んできた。本永は「もう一度見たい。俺たちは映像に不自然なところがないか検証してみよう」と張り切っている。

「すぐにメモリーを公表しなかったのは、夜叉に止められたから?」精力的に動く皆の流れから取り残された瑞生は、することのないサニに訊ねた。

サニは頷いた。「僕には日本の事情が分からない。本当は遺体が帰国してすぐに公表する方がインパクトがあるし、遺族に喜んでもらえると思った。でもヤシャが止めた。準備が整うまで待て、と」

「準備。事実か妄想か、裏付けを取るということだね? じゃ何故すぐにクマキさんに頼まなかったの?」

「僕はヤシャの体調が安定するまで余裕がなかった。ゾンビーウィルスが減少するとその臓器は機能不全になるから。それに日本語は出来るけど、誰を信用していいかわからないし、僕のパソコンでは見られないし、自由に外出は出来ないし。もっとも“村”にはネットカフェがないから外出できても無理だった。ようやくクマちゃんに来てもらって、ミズオの家にも来られて、本当によかった」

 「もしかして、これを見る場所が必要だから、僕を話し相手に望んだの? 部外者を仲間にして家を利用するために?」

サニは反射的に叫んだ。「ノー!」

しかしサニの倍近い体重のクマちゃんが机を叩いて睨んできたので、小声になった。「ノー、ミズオ、それは違う。ヤシャは歩いて来ては窓を見上げる君に興味を持った。『あいつ今日も来た』って嬉しそうに。『ゾンビの家にカメラも持たずに来るなんて、変な奴だな』って。僕とは無関係だよ」

「君があの家に来るようになってから、君の家でヤオーマのメモリーを見せてもらえれば安全なのじゃないかと、僕が勝手に考えたんだ。こうして見させてもらっているけど、誤解はしないでほしい」


 映像を見直していた本永がディスプレイを指しながら言った。「人物の動きで特に不自然な点はないな。マニアックなソフトなら海や砂浜を画像解析してどこの海とか特定できるもしれない。俺にはキューバの海か否かわからないが、日本の海には見えない」

 

 瑞生は「青山陽斗とセキハラキイチの関係って? セキハラが裏社会なら青山って人も?」とサニに訊いた。

 サニは暗い顔をした。「ヤオーマは、日本人向けの不動産投資の準備に来たと言っていた。5月初めに日本の大臣や日本企業の団体がやってきてカストロ議長と会談していた。日本人にとってキューバはビジネスチャンスに満ちて見えるのかな。…それはともかく、キューバの不動産取引は自由ではない。土地は国の物だ。国営企業が主体の合弁会社を作り、出資を募り外国人観光客向きのカサ・パルティクラル…民泊宿にしてキューバ人も手数料を稼いでいる。そういうのかと思ったら…ヤオーマが言うには、『日本人が憧れるような邸宅の写真を撮り、物件としてカタログに載せるけど、実際には日本人の所有にはならない物…要するに詐欺さ。その準備をしに来たんだ』と」

「でもサニはさっき青山はキューバ人のために働いてたと言ったよ?」

「うん。『もう何もかもいいんだ…。こんな遠くの国に来てまで悪事を働く義務なんてないさ』って。『中国マフィアが北の国の労働者を連れてきて行う改装は悪質なものが多い。排水を海に垂れ流せば海が汚染されてしまう。工事の質は付きっきりでチェックしないとね』と教えてくれた。お蔭で有害物質で壁を塗られるのを防げた。皆感謝してた」

「そのいい人が腹の中では『妹を死に追いやったセキハラを許さない』と思ってたわけか。一体何なんだ?」本永も加わる。


 クマちゃんは逞しい腕に着けているえらく華奢な腕時計を見て「キリノが着くまでに戻らなきゃ」と言いながら、見通しを教えてくれた。「大橋京太郎の言っていたゴールドプリースト証券を調べてる。もちろん東大卒業生の線からもね。東大も大人数だし、大橋と違ってサークルに無所属の地味な大学生活だったと推測されるからちょっと時間かかるかも。テスト勉強しながら待っていて」

 すかさず本永が「俺たちに出来ることないですか? キリノが来た時に夜叉の家に居てはマズイですか?」と食い下がった。

 「…テスト勉強はどうしたのよ」

今度すかさず答えたのは瑞生だ。「いつもやってるからテストは大丈夫。キリノが気になって手に着かないよ」

 クマちゃんはカラカラと笑った後にこう言った。

「解散から10年、2人の再会は2人だけにしてあげたいの。それに一度スクープ対象になった人間に世間は甘くない。あなたの夜間外出は『やはり愛人』『素行不良』なんてコメントを付けて投稿される可能性大でしょ? 『君子危うきに近寄らず』、予定通りにまた明日来てね」



 2人で組み立てた簡易ベッドに寝転がり、本永は瑞生の部屋の天井を見ていた。瑞生は自分のベッドに寝ている。

 「本永、僕が夜中にうなされても叫んでも、気にしないで。少なくとも君のせいじゃないから」

「お互い様だ。俺を心配して近寄ってくるなよ。投げ飛ばすかもしれないからな」

「…慌ただしくて、すっかり忘れてた。こんな村まで無理して来てくれてありがとう…」

「おお、俺も忘れてたよ。…今思えば、よく来たな。引き籠ってたのにな。学校から逃げてることで、俺はお前に負い目を感じてたんだ。外様が来ない上に俺がフェイドアウトしたんじゃ、お前が1人ぼっちになるとわかってたのにずるずると休んでた。『テストには行く』なんて強気に構えてな。本当はテストに行けるか、五分五分だった」

「へえ? 僕には余裕で『テストには行く』って言ったのに?」

「おお、強がりというか、ハッタリだ。でも、テストにはこの家から行くから、今なら確実に行けると言えるな」

「何それ、終わりよければ的な?」

「まあな。で、負い目がある上に、ウェブでお前が晒し者になった。これ以上追い詰められたら、お前がどうなるか…と思うと、心配でこっちがいっぱいになっちゃった」


 瑞生は妙に冷たい、感情のさざ波の立つ余地のない金属のような自分の心に気づいた。「追い詰められたらどうなると思った? 自殺するとか?」

「う~ん。その心配はしてなかったな。どちらかっていうと、…言葉が悪いけど、事件的な何かを起こしそう、と言うか」

「例えば? 通り魔とか、爆発物の製作とか?」笑い話になるようにおどけて言った。

「う~ん、本人にそう言われると、言いにくいな。その…交番の警察官を襲い拳銃を入手して乱射するような、激烈なことだな」


 横たわったまま、本永と目が合った。「そうきたか」瑞生は呟きながら、向きを戻した。「それって、どっちかというと本永的な事件だね」

「おお?」天井を仰いで本永が一瞬動きを止める。「…そうか。気付かなかった。じゃ、お前的なのはどんなのだ?」

 「僕は体も大きくないし、あまり人を襲うのに向いた資質ではないと思う。でも、何かやるなら…周到に周到に、周到に準備して、この村にフィットした事件を起こすな。家族全滅作戦だ。ある日、西の端の3世帯が自宅内で殺されてる。毒殺や練炭、ガス…。この村は気取っていても優しくないから、きっと何日も気づかれない。それから半年くらいして今度は東の4世帯が…」

「おい、怖いからやめろ」



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