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ゾンビの顔色  作者: Nemuru-
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2015年5月31日

 2015年5月31日



 遥か彼方の唸りとも聞こえていたヘリのローター音は、近づくにつれ、編成された自衛隊のそれであると判明した。低空に響き合う重厚な音が、いよいよこの村に招かれざる住人が転居してきたことを告げている。



 瑞生(みずお)は、自室窓のカーテンの隙間から、表通りに人が集まる様子を見ようとしたのだが、指先で触れたカーテンは軽やかな見た目に反し、頑として動かない。リモコン操作が必要であったことを思い出し、まだここでの生活に馴染めていない自分に舌打ちをした。

 「もう2ヶ月」「まだ2ヶ月」。瑞生はこの便利なフレーズを対象によって使い分けている。4月から通う高校では、「まだ2ヶ月」を使う。小学校からエスカレーター式に大学まで上がれる(それゆえ中途入学を募集していない)私立校に高校から入学するのは、不真面目が過ぎて他校から放り出された裕福な家の子供か、精神をやられて他校から放り出された裕福な家の子供だ。自分はそのどちらにも当て嵌まらないのだが、そんな事、おくびにも出さずに過ごしている。


 私立薫風学園は各学年3クラスしかないので、クラスメイトは小学校からの人間関係に飽き飽きしていて、外部からの新入生は好奇心の対象になるものと想像していた。だが、圧倒的多数である内部進学生達は、訳ありの新参者には迂闊に手を出さない方がいいと経験で知っているようだ。この2ヶ月間、3名の新入生に群がってきたことがない。

 もっとも、外見からして声をかけ難いのは確かだ。瑞生の前に座る本永将仁(もとながまさひと)は、ド金髪で大昔のパンクロッカーみたいなツンツンヘアで、目が虚ろで、『K学園NY校でジャンキーになり帰国時に全ての付属校から受け入れ拒絶を喰らった』と噂されていた。しかしこの2ヶ月間曲がりなりにも登校し席についている辺りは、本人になにがしかの決意があるように瑞生には思われる。時折、ぴくぴくっと体が引き攣ったり、異常な速度で貧乏揺すりをする姿を目の当たりにすると、机をやや後ろに引いて、不測の事態に備えてしまうのだが。もう1人の新入生は入学式以降1日も登校していない。



 勉強机に戻り、リモコンでカーテンを開ける。この家は高台にある。海に向かって緩やかに下っていく住宅地は放射線状に区画割されている。件の家も同じ高台なので、直接家の様子を見る事は出来ない。見えるのは自宅沿いの通りの家々と丘陵の先にある緑地帯の緑と水平線の間を塗りつぶす青だ。

元々運ばれてきた人物に興味があるわけではない。この村の住人の反応が見たかったのだ。

 しかし、予想を裏切って、通りには人っ子一人いなかった。ヘリで上空から監視兼護衛されてきた黒塗りの車列が、赤色灯を点けた救急車両を挟んで行くのがちらりと見えた。

 野次馬の代わりに、通りや家の影から警察官がわらわらと出てきたのには驚いた。

 

 「有名人だからって大袈裟だな」カーテンを再び閉めると、ベッドにどさりと腰かけた。実は15年の人生でベッドのある生活は初めてなので、この“どさり”感が心地よくて堪らないのだ。

 瑞生の家も、1年のほぼ半分の夜を過ごしてきた“子供の家”も和式の布団で寝る規則だった。小説に出てくる“スプリングの利いたマットレス”とは、“かくの如き物なりき”と感動したのはここに越してきた夜の事だった。

 テレビではこの件をどう報道しているのだろう。瑞生は“村”の住人としてまだ新米なのだが、今到着した奴よりは2ヶ月先輩だ。野次馬がゼロなんてどういう事だろう? 4月に学年で緊急時の帰宅方面別の班分けがあった時、“村”に住んでいると知った同じ班の連中は結構好奇心剥き出しの目をしていた。瑞生は高校生以外の世間一般の“村”評を聞いてみたかった。


 ベッドに寝転んだまましばらく迷う。テレビはリビングと食堂にしかない。日曜日の早朝5時半。この家の主、伯父と伯母は当然ながら、テレビを見ていることだろう。瑞生の生家のあった中小工場ひしめく街の朝は早かった。貧乏人の朝は早いものだと思っていた。この“村”に来て、金持ちの朝も早いのだと知った。

 ちらっと机上のパソコンに目をやる。パソコンで電子版ニュースを見てもいいのだが、この年までパソコンはおろか、スマホもタブレットも持ったことが無くて、伯父に全てを買い与えられてから要するにまだ2ヶ月なので、懸命の努力をもってしても“デジタル初心者”を返上できていない。検索や動画サイトは便利で楽しいが、セキュリティに不安が付きまとう。遠隔操作や乗っ取りを防げる気がしない。瑞生の人生は秘密だらけなのに、検索記録や通信履歴などからそれを他人に嗅ぎ出されるのが怖くて、自分という存在の痕跡をネット上に残すことには躊躇いがある。

 瑞生は起き上がると、リビングに行くため部屋を出た。



 「おはよう、瑞生君、いつも早いね。君もこれが気になったかな」「おはよう。中継が始まったところよ」

 口々に機先を制されて自室に戻りたくなったが、平静を保ち「おはようございます」と挨拶しながらテレビ前のソファに座った。巨大な4Kディスプレイはどこに座ってもよく見える。伯父と伯母は2人で同じテレビを見ていても、隣同士に座っていた試しがない。だから瑞生は後から来たのにいい位置の椅子に座れたのだ。もちろん先客の伯父とは十分に距離を取って、だ。


 見慣れつつある“村”の入り口に、“アーリーサンデー”のレポーターが立っている。日曜早朝のニュース番組はいつも一局だけなのに、その横に各局レポーターがずらりと並んでいるのが見える。


 :ご覧頂きましたように、自衛隊のヘリと警護車両に守られて、“夜叉(やしゃ)”を乗せた救急車はつい先程K県トッタン半島中央部の“コスモスミライ村”に到着致しました。私は今“コスモスミライ村”入口ゲートにおります。従来はこのようなゲートはありませんでした。“村”の出入りは自由だったのです。それが“夜叉”の受け入れを表明してから急遽ゲートが造られました。“夜叉”自身と、大衆社会とは一線を画す別世界の住人のプライバシーを、取材陣・野次馬・夜叉のファンから守るためとのことです。当然私たちメディアの取材もここまでです。“村”の自治会長さんに『受け入れと今後の生活に対する村の方針についてお聞かせ頂けないか』と取材を申し込みましたが、拒否されました。“村”としては、先日の“夜叉”受け入れ会見でマスコミ対応は終了したとのことです。住人の方への個別インタビューも固くお断りとのことでした:


 :そこまで頑な…と言うか、上から目線の“村”って何なんですか?:

 番宣のために取って付けたようにいる若手俳優が、自分に割り当てられた役柄を演じる。主人公の親友役の、早朝に相応しい爽やかなイケメン。番組の最後にもらったドラマの告知タイムのためだけに夜明け前から局入りしていたのだ。打ち合わせた以外の事は話せないが、次回は主役で来ることを夢見て頑張っている。


 :では、ここで“コスモスミライ村”の歴史を振り返ってみましょう…:早朝からインパクト大の真っ赤なブラウスの堤アナが手際よく進行する。

 :フリップをご覧ください。K県のトッタン半島は今でも豊かな自然で有名ですよね。しかしバブル期半島の中央を走る連山の一部に、ゴルフ場建設予定地が樹木を伐採した状態のまま放置されていたのです。山の無残な有り様を知った県知事が不動産会社を巻き込み、丸裸にされた山に新しいコンセプトを持った街を作る事を思い立ちました。抜群の環境と高級住宅街と企業の研修施設・大学や専門研究所など住と職、知的産業と自然を融合した新しいタイプの街です。通りに電柱も電線も無い、家を隔てる無粋な塀も無い、洗濯物や干した布団が並ばない…12月には住人聖歌隊が広場でクリスマスキャロルを歌う…当時としては画期的なフォルムでした。賃貸物件は認めず、住人にはオーナーとしての誇りと義務が与えられました。切り開かれた地に公園から放射線状に高台に向かって住宅地が造られ、住宅地を囲むように企業の研修施設や研究所が建てられました。四季の花々が咲き誇る植込みに仕切られたガラス張りの国際会議場が並んでいるのです。住人にはこれらの施設に出張で訪れた外国の研究員を要請があればホームステイさせる義務があります。もちろん整った宿泊施設もありますが:


 :確かにセレブ感が凄いな。でも気になってたのだけど、歴史では“街”って言っていた。でも今は“村”って呼んでいたよね?:ごま塩頭の柳田アナが指摘する。

:はい、その前にもう少し説明しておきましょう。ミライ村は山頂にあるため“村”の中を市境界線が通っており属する市町村で住所が違うのです。つまり“コスモスミライ村”とは自治会名なのです。ええ、当初の計画では、更に企業そのものや付随して進出してくる施設が周囲の裸山を埋め尽くすはずでした。しかしバブルは弾け、設備投資を断念し福利厚生を縮小する企業が相次いだのです。働く人が増えませんから、それ目当ての店舗も来ず、“村”での生活は山を抜けて買い物に行くしかないなど、不便なままになりました。致命的なのは都市圏からの交通の便が悪い事です。結局移動手段は車になります。毎日の通勤が2・3時間のドライブとなると、厳しいですよね。学校も人口が増えたら誘致する予定でしたが、夢となりました。開発を担当した不動産会社は撤退し、県は裸の山を人工的自然林として再生させる方向に舵を切ったのです:

 :それで“街”になりきれず“村”のままなのか:腕組みをして柳田アナが呟く。夜のニュースワイドなら“バブル負の遺産”などとコメントや検証が必要になるところだが、早朝のニュース番組ではここまでで充分なのだろう。

若手俳優が、:だから上から目線なのですね。“村”と聞くと鄙びた限界集落を思い浮かべちゃうけど、ここは超モダンな高級住宅の“村”なんだ…:とさりげなく補う。 

 


なるほど、そうなのか。

殺風景な自動車道の交差点横にある“コスモスミライ村”という標示に従い入っていくと頭上にアーチがそびえ立つ入り口に至る。そこが今レポーターのひしめいている麓部分だ。そこから鬱蒼とした森の中のくねくね道を上りつめると、突然視界が開け、巨大なガラス張りの研究施設が山を後ろに背負うように立ち並ぶ異空間に出る。あたかも日本ではないどこかに通じたかと思うほどだ。ビジターセンター前を通過し、“村”の最高地に並ぶ建物を過ぎ、糸杉林を抜けると居住地が広がり、お洒落なデザインの家々が立ち並ぶ。説明にあったように、電線も電柱も無いし、家と家を隔てる塀の類もない。あいにく限られた土地を分け合って建てた関係からか、庭の広大な家はない。むしろ建蔽率フルの邸宅が庭木で隔てられているという方が正しいだろう。カーポートの配置が不自然なので、立派な家なのに妙にせせこましく見えてしまうのが腑に落ちなかった。


 伯母の家に引き取られて、初めてこの“村”に足を踏み入れた時は昼間だったので気付かなかったが、翌朝村を知ろうと早朝散歩をして驚いた。昼出払っていた自家用車がカーポートに収まっている図の、日本人的な器用さに満ちた光景に。住人1人1人が車で行動せざるを得ないため、大人の人数分の車を所有する家庭が多いのだろう、カーポートに車体の大きな外車が名人芸的に収まっているのだ。半地下と中2階とその間に斜めに1台とか。 

 だから、瑞生は世間が言うほど、この“村”を別世界とは思えないでいる。自分は工場の裏側に自宅がくっついていて、家族が一間に並んで寝るような暮らしと、親と暮らせない子供同士でくっついて寝る暮らししか知らないのだが。

 …規模の中途半端さを認めたくないから、浮世離れした“村”にしたのか。“知的産業と環境が自慢の高級住宅街”ってなんだ? T市の研究学園都市みたいな国家プロジェクトではないわけだし。伯父や伯母がこの“村”のオーナーである事に誇りを持っていたら申し訳ないので、突っ込みようがなかった部分だ。

 そして、遅れてきた高級住宅街としてデビューするにあたり、ちょっと隔絶された立地を活かしたがために(別の要因の方が大きいのだが)、今回の“夜叉”引き受けとなったわけだから、皮肉だ。大きい別の要因も、結局はこの“村”を開発した不動産会社の画策に因る事を瑞生は後で知ることになる。

 

 スタジオの堤アナが現地を呼ぶ。:小林さん、“夜叉”一行に何か動きは見られますか?:

:残念ながらここは麓のゲートですので、頂上の様子を窺い知る事は出来ません:

:VIPが住んでるから、取材ヘリもドローンも上空飛行禁止でしょう? もう打つ手ないですね:と俳優。

:普通は住人からSNSに投稿されるものですがねぇ。個人の取材拒否が自治会決議だけあって、住人の統制がとれてること。まぁ下手に投稿すると、投稿者の家が特定されてしまう。ここの住人はプライバシー侵害に過剰な拒絶反応を示すので有名だからね:と柳田アナ。

:それより村八分が怖いのかも:、堤アナの一言に一同が頷いた。



 「村八分って、いくらここが“村”だからって…」テレビの流れに乗って、自然と感想を漏らしてしまった。

 「…世間のこの村への誤解というか、偏見は今に始まった事じゃないからね」と伯父が応え始める。「瑞生君もこの村に来て日が浅いから、不思議に思う事もあるだろうね。僕はこの家を、村が誕生する時に誘われて建てた。人嫌いなんだよ。仕事関係の人が訪ねて来にくい立地が気に入ったんだ。それにエレベーターでじろじろ見られるのは願い下げだから、眺望が良くてもマンションは嫌いでね、戸建が欲しかった」

 

 瑞生は伯父が自身の事を話すのを初めて聞いた。

 伯父の八重樫宗太郎は、骨が脆く骨折しやすい体質なのだ、と伯母からは聞かされていた。そのため、生活はほとんど車椅子で行うし、常にヘルパーが付いている。杖をついて自力で歩く必要が生じれば、歩くことはできる。しかし、もしエントランスで滑って足を踏ん張ろうものならば足を骨折するし、杖でなんとか支えれば杖を握る手を骨折する危険があるほどなのだ。他人の子供のこぼしたジュースが命取りになるかもしれない。他者の不始末で自分が割を食う理不尽を伯父が甘受するとは思えない。つまりは、戸建で生活するべきタイプの人間なのだ。

 

 「静かな生活は望んだ通りだ。ネット回線さえ繋がっていれば会議も取引もここで不自由なくこなせる。だが開発から撤退したN不動産には大いに不満だ。行政がいい加減なのは今に始まった事じゃないから失望などしなかったが。バブルが弾けて資金繰りが悪化したとはいえ早々に諦めるなんて。もっと他企業を誘致する工夫、交通の便を良くする工夫をすべきだったのに」ここで、伯父は言葉を切って伯母の反応を見た。伯母は陶器のような無表情を崩さず、しかし微かに頷いた。

 ほとんど日に当たらない白い肌が上気して薄く色づいた伯父が続ける。

「結局割を喰ったのは僕たち住人だ。村の規模が縮小されたために、ショッピングモールもできない。シーサイドラインのようなモノレールもできない。シャトルバスと言っても渋滞に嵌れば自家用車と一緒だ。学校も建たないから車で送迎する母親は一日中外出だ…とね。

いずれ出来ると言われた難病の専門研究病院も一向に建たない。今更僕の体が治るとは思わないが研究は進めて欲しいし、最新の治療法の治験者になってもいいと思っていたんだ。病院が近ければ急変を恐れずに取り組めるだろう? 

村でヘリポートを造らないのなら、家の屋上に造りたかった。でも2軒分の土地に1軒建てるような自由は利かなかった。今でもここはたった300戸なのに、大邸宅を認めると100戸ばかりの山村になりかねないからね、それでは不味かったんだろう…。僕には近所付き合いなんて不要だから“村”意識を押し付けられるのは迷惑だ。そんなに特別リッチな村とは思わないよ。アクティブな資産家は田舎ではなく都市部にいるものさ。ここをステイタスやら高級住宅街として喧伝する輩には辟易するね。住人は皆都市での暮らしを経験した上でこの“村”暮らしを選んでいる。つまり皆“訳あり”なんだ。“村”のイメージに拘ったり結束を強制したりなんてN不動産の手の者か、メディアの煽る“セレブライフ”を満喫しようという成金の発想だ。ごく一握りの発信したがりな連中だ」

 

 スピーチを終えた資産家は、美しい妻の顔色を窺う。伯母は先程と同じに微かに頷いて見せた。

 瑞生は聞きたかった多くの疑問に直接答えてもらえて、大満足だった。ただ気になったのは、伯母の頷きが『あなたの考えに私も賛成よ』という感じではなく、『動詞も接続詞も適切よ』というスピーチの添削をしているような感情の籠らないものに思われたことだ。

 「お、伯母さんは…」つい口走ってしまったが、俗っぽい続きを慌てて飲み込んだ。「あなたのような美人が、不自由な体の上に対極の美意識で作られたような顔の20歳も年上のおっさんと結婚したのは金目当てですか?」を。初めて伯母に会った翌日、その配偶者たる伯父に会った時からずっと心の奥底にあった疑念。

 伯母が無言で自分の言葉の続きを待っている。プレッシャーに負けて「この村は住みやすいですか?」という質問にすり替えた。


 「この村に住みたくて結婚したわけではないから…住みやすいとは言い難いかしら、正直言って」凛とした横顔を夫が見ていることを十分認識しながら伯母は続ける。

「日常生活はもちろん、花屋もスーパーもクリーニング店も、結局近い店を使うから選択肢がないも同然。私は村が出来てから10数年経ってから来たのだけど、当初喧伝されていた“海外セレブ風仲良し村”と思ったことはないわ。電柱がなくても垣根がなくても、住んでいるのは島国根性丸出しの日本人ですもの。過干渉が過ぎて転居者が少なからず出たと聞いたわ。クリスマスの合唱を強制したり、持ち回りのホームパーティが半ば強制になったり。私は全部無視したけど、そういうのを断れない人は大変だったでしょうね」

 伯母は淡々と言った。瑞生は、伯母の弟である自分の父の自己主張をほとんどしない生き方と、伯母の我が道をゆく強靭さに、血の成せる不思議を思った。どちらとも似ていない自分。聞かされてきた関係としては、それで当然なのだが。

 その完璧な美貌と強靭なハートの持ち主の妻を、遠くから見つめる伯父。わからない事だらけだ。



 会話が途切れて3人の興味がテレビ中継に戻った。

 :…こんなに余所者にオープンじゃない土地柄なのに、夜叉を受け入れる事に同意したのが、不思議で仕方ないですね:大分硬さがほぐれた俳優が首を捻る。

 待ってましたとばかり柳田アナが:そうそう。不幸な事故が原因とわかっていても、感染症の一種と聞くと感染拡大を恐れるのが人情だよ。夜叉の住民票のある世田谷区は受け入れを拒否したわけでしょ、『周辺住民の同意が得られない』『万が一の二次感染を防げない』という理由で。国立感染症研究所のL4施設のある村山支部も『NO』だった。こちらは全く逆の『感染力は極めて微小。L4で隔離する対象にならない』とね:と説明する。

:ミライ村の住人の同意が得られたのですか?:と俳優が驚く。

:そうなのです。同意が得られたというより、黙らざるを得なかったという方が正しいでしょうね…:堤アナが引き取る。:ミライ村は財界の有力者や縁故者、大企業の役員が多く住んでいます。経団連や個々の企業からOBに『日本のために耐えてください』と頼みこんだという話が漏れ聞こえています。それに…夜叉がミライ村に家を所有していた事が大きかったようですね:

 :え? 夜叉が家を? コスモスミライ村に? ロックスターの夜叉が?:

大袈裟というより説明的過ぎるリアクションに、瑞生はこの若手俳優の演技力に不安を覚えた。同様の感想を持ったのかは不明だが、堤アナがクールに:そうなのです。夜叉は3年前、静かな隠れ家を探していた際に、ミライ村を開発したN不動産幹部から『アーティストを是非誘致したい』と口説かれて、『まぁ税金対策にもなるからいいか』というかなりいい加減な理由で最高値の高台の邸宅を購入していたのです。別荘使用を禁じ居住目的に限るという規約に違反して、購入後1度も住んでいませんでしたが。それが罷り通っていた理由は購入時の強い勧誘に因るようですね:と明かした。

 

 柳田アナが:と言うことは新築ではなくて中古物件と言う事?:と疑問を投げかける。

堤アナは頷きながらミライ村の住宅地映像を示す。:ミライ村は欧米の高級住宅街をお手本にしています。欧米では中古住宅をリフォームして住むのは当たり前ですよね。元州知事の家を俳優の誰それが買ったとかニュースになったりします。ミライ村の戸数は限定300戸で、開村以来中古住宅は活発に売買されています。元の住宅が住み継がれる事を念頭に建てられているからこそ可能なのです。もちろん取り扱うのはN不動産1社のみです:

柳田アナは:さっき最高値と言ってたけど?:と続けて突っ込む。

:N不動産に問い合わせても『回答義務なし』との返答でした。N不動産のHPで村の中古物件実績を見ると、3億、4億…円と出てきますね:

堤アナの報告に:うっ、そんなに凄いの! さすがにN不動産肝いりの高級住宅街だけはあるね:と感心する。

:そうですね、リフォーム代も含めれば4億円以下では手に入らないということですね。都心からこれだけ離れていてこの値段ですから:と堤アナはあくまでもクールだ。:因みに高台から下に降りるにつれて若干リーズナブルなお値段になる傾向だそうですよ:

:どうだい、大物俳優になって将来ミライ村に家を買うのは?:

:からかわないでください。4億の豪邸なんて…お爺ちゃんになっても買えませんよ:スタジオが笑いに包まれCMになった。



 瑞生は改めて伯父の八重樫宗太郎を見た。「ここは特別リッチではない」と言いながら25年前に数億で家を建てた事に違いはない。自分の家の屋上にヘリポートを付けたかった男。電動車椅子でこの家の中を自在に動き回る姿に、瑞生は少なからず驚いていたのだが、ここで一切の仕事もこなせるよう、自分仕様に建てたのならば得心がいく。ヘルパーの控室や宗太郎用のバスルームもあるのだ。

 不便な“村”の邸宅での孤高の暮らしを選んだという伯父の絶望的な孤独を想像した。そこに伯母との結婚が発生したのは想定内だったのか、外だったのか。2人の様子から、ロマンスの欠片も感じられない。伯父のプライドと伯母のプライドがちょうど合致した利害関係の産物なのだろうか。だが伯父は少なくとも伯母の美貌を愛でている。それは時折伝わってくる。

 もしかすると美貌のみならず、伯母の他の部分も気に入っているのかもしれない。そうでないと、急遽転がり込んできた瑞生をもあっさりと受け入れる懐の深さに説明がつかない。2ヶ月生活を共にして、伯父が“人の好い資産家”とはお世辞にも言えない、辛辣な舌を持つ成果主義の他者にめちゃくちゃ厳しい投資家であることが十分わかっていたから。

 

 今の雰囲気ならば続けて質問に答えてくれそうに思った。「この村の自治会は、テレビで言っているような理由で夜叉の受け入れを認めたのですか?」

 これには伯母も、「自治会前に開かれた事前会議はどんな風だったの? 自治会の決議と議事録は読んだけど、事前会議は非公開だから私も知りたいわ」と乗ってきた。

 伯父が車椅子のクッションの位置を治す。そのささやかな振動が瑞生に伝わってくる。斜めにずれた位置の一人掛けの椅子に座る伯母が解説してくれる。「事前会議と言うのは、300戸の居住地の中で、開村時からの住人30戸で行う会議の事よ。この村の自治方針はほとんどそこで決まるの。その翌日に開かれる村全体の自治会では区画ごとに持ち回りで代表を出すから、新参者もなりうるのだけど」 

 なるほど。セレブ妄想の成金にはこの村の自治に口出しさせないと言うことか。だから伯父が言ったような“発信したがり”がいるにも拘らず、夜叉一行の動画が投稿されないのだ。自治会決議の縛りは相当なもので、堤アナの言う“村八分”だってあるのかもしれない。たぶん、学校のいじめと村八分はやる人間の年齢が違うだけで同類のものだから、現代人には馴染みの行為なのだ。



 「ミライ村開村のニュースは首都圏セレブの微妙な層を刺激した。交通はいささか不便だが、バブル時は山中の山荘からフェラーリで出勤なんてざらだった。今更成城や松濤では買えない坪数の家が建つんだ。近隣には著名人がザクザク。実の所周囲は山しかないが、最先端の研究施設に抱かれるように居住地があるので、学術的な雰囲気はちょっと他にはない。こういった他所とは違う要素が、くすぐったのだ、満たされない層をね」

「成功者一族の中で、経営に関わるべきではない者を本社社屋及び子会社から遠ざけておくには都内より遠くが望ましい。しかし、伊豆や軽井沢では島流しか蟄居のようだ。世間体を保ち、いつでも本社会議に出席できる距離で(呼ばれないが)、本人のセレブ意識を満足させる地。他にも、様々な事情でこの地に居を構えると都合がいい者が続々と集まった。これが開村時の住人状況だ。N不動産は彼らのお蔭でその後順調に残りの200戸余りを完売したのだ。つまり宣伝効果を担ってくれた開村時の住人には恩義を感じるべきだし、その後の不甲斐ない展開に責任を感じるべきなのだ」宗太郎は、腹の底からせり上がってきたアドレナリンを抑えるように、紅茶を啜った。

 「N不動産は迎賓館用の家を建てていたのだが、開村後ほどなくバブルが弾けた。会社存続のための撤退とはいえ、N不動産が住人である各界の著名人の顰蹙を買うことに違いはない。そこで少しでも住人の要望に対応できるように現地窓口・クレーム処理担当として件の迎賓館を田沼に売却した。だから開村時のメンバーではないが田沼は事前会議に出るし、常にN不動産の意向を反映した意見を言う。田沼以外にもN不動産あがりの住人は多い。人口流出を抑えようと必死なんだ。この村が廃村にでもなったら社史に残る大失策になるからね」

 「今回の夜叉受入れに関して、事前会議では『拒否』という意見が主流だった。しかし田沼は新聞記事のコピーを個別に配って感染率の低さを説いて回った。確かにゾンビー症候群の患者から人に感染した例は1件だけだが、知られていないだけかもしれないだろう? 患者数だって数人だけなんだから。以前ドキュメンタリーを見た事がある。先進国にこの病気を紹介したジェイコブ兄弟の話だ。見たことある?…ないのか。ジェイコブ兄はどこで感染したか明らかにしていないが、双子の弟に自分の病気を研究してもらおうと、死んで貨物として帰国、ゾンビ化した。弟は研究途中で『感染できるか』実験して感染。2人の研究データが現在のほぼ全ての科学的データの礎となっている、という話だ。あれを見たら、症状の全容すらわかっていないし、感染ルートも不明、正に未知の感染症という印象しか受けないよ。国立感染症研究所もいい加減だ。感染力が低いと言っても正体不明のウィルスがどう潜伏し拡散していくのかわからないじゃないか。そもそも生きた“ゾンビーウィルス”を採取できていないのだから」


 「当然皆が納得しなかった。そうしたら今度は、『村のイメージが下がると自治に悪影響を及ぼす』と言い出した。『夜叉がここに家を持っていたのは事実なのだから、住まわせないというのは住人の狭量の表れだ』と。『コスモスミライ村のブランド力は落ちたと言われているが、中古物件の値は下がっていない。これは買う気になって調べればクオリティの高さがわかるからだ。夜叉を受け入れるか否か世界中から注視されている今こそ、住人の寛大で懐の深いところをアピールできれば、イメージアップ間違いなしだ』とね」

「そりゃ異論噴出だったよ。『我々住人はイメージなど気にしていない。不動産屋の論理を押し付けるな』とか。『夜叉に家の購入を勧めたのは田沼だからだろう』と言う者もいた。媚を売って家を売りつけた相手がとんだお荷物となって現われたということだ。田沼の過去の経営手法にメスが入ることはもうないだろうが、いよいよ中古物件の価格が下がれば、現経営陣も穏やかではいないだろうね」


 「次いで痛いところを突いてきたんだ。『夜叉がこの村に住めば、ファンが会いに来る。それ目当てのカフェや夜叉関連グッズ屋や時間潰しのアミューズメント系の店舗も出来るかもしれない』って。ともかくここの難点は店舗にバリエーションがない事だろう? 近場に目新しい店舗が出来るのは奥様の愚痴に晒されている亭主連中をいたく揺さぶったんだ。『夜叉の引き受けにはそれなりの物が動いた。これで村周辺に店舗を誘致できるのではないかな?』とね。伊勢丹は無理でも、ね。」


 「“それなりの物”って、何ですか?」瑞生は正直に質問した。

宗太郎は、少し驚いたようだったが、純朴な子ヤギを見たかのように、顔をほころばせた。妻を窺うがスルーされたので、安心してレクチャーを始めた。

「そうか、わからないよね。ええと、お金のことだよ。不利益を被ると承知で引き受けてくれる相手に対して、お礼と償いの意味を持たせたお金を渡すんだ。物だと『そんな物要らない』という人がいて皆が満足する物を探すのが大変だけど、お金は貰った側が好きに使えるから、気の利いた“お礼の品”と言える」

 「誰が村にくれたの?」

「…国、と言うか政治家だね。夜叉に東京以外に行ってほしかった連中だ」

 「国が村にお金を? それでみんなが望むモノレールを作ればいいのじゃない?」

「瑞生君、残念だがそれでは小学生レベルだ。国から村に落とすと言ってもせいぜい億単位の金だ。だがここから…東京はずうずうしいとして、せめて政令指定都市の端っこまでモノレールを通すとして、数億では足りないだろう。原っぱの上を通るわけじゃないからね。だからもらった金で村周辺の土地を整備して、レストランやフィットネスジムの進出を促す、というところかな。ネット通販全盛の時代だけど、素敵なレストランで食事したり、身体を動かすことは、自宅以外でやるのが楽しいようだからね」


 「…話を戻すと、『気の毒なロックスターが自分の所有する家に住むという当然の権利を行使するのを阻む』という、金持ちが自分達がよければそれでいいという極めて人間らしい醜さを曝け出すと、世間はこぞって非難する。世間体より家族や静かな生活の方が余程重要だと、僕は思うけどね。羨望されるために住んでいる連中は、蔑まれるのを殊の外恐れるらしい。結局ヒューマニズムまで掻き立てられ、田沼のいいようにもっていかれてしまった。翌日の自治会じゃ、『私達が選民意識や恐怖心を克服し、同情心でゾンビー症候群に感染した住人を受け入れる事で、下がり気味の村のイメージをアップさせ、村のブランド力を回復することが出来ます』などと区画代表を説得する側に回っている始末だった。田沼は得意げに『村をぐるりと取り囲むセキュリティゲートシステムは国推奨のシステムを国の金で敷設する。猫の子一匹許可なしには侵入できない優れものだ。村の出費ゼロで数日内に稼働する。私の交渉術をもっと賞賛してほしいものだ』と言っていた。僕の知るところでは、あの手のシステムは国の実験の一環だから交渉するまでもないはずだがね」


 宗太郎の話を聞いているうちに、何故今日に限ってこんなに話してくれるのかという疑問が解けた。話したかったのだ。仕事で激高し部下を罵倒する事はあっても、日常生活ではひたすら静かなのが宗太郎だ。それでも憤りを表出したくなるらしい。居住地の自治会の話は、部下や取引先にはできない。地元の事情のわかる者でなくてはならないのだ。

 伯母の様子を窺うと、相変わらず顔色一つ変えずに宗太郎を見ている。この夫婦の会話はいつもこんな感じだ。くだらないギャグをかましたり、芸能人の結婚の話をしたり、掛け合いのように弾んだ事など全くない。淡々と、何事も淡々と過ぎていく。伯父は在宅ワーカーだから結婚後10数年日中もほぼ一緒に過ごしてきたわけだ…それじゃ、これからもずっとこうなのか? 勝手に推測しただけなのに、瑞生は背筋に冷たいものを感じた。自分の両親のように苛立ちと感情の波を一方的に送る者とひたすらそれを受け流す者という関係も最悪だが、波風すら立たないのはどうなのだろう。


 村を開発したN不動産が、撤退した今でも中古住宅の販売を牛耳っており、村の自治にも深く関わっていることがわかった。自治会が巧みに夜叉受入れに誘導され、承認したことも。

 瑞生には村に知り合いはいない。近辺に学校がなく高級住宅街であるが故に、子育て世代は村に多くはない。開村当時の子供は今やここから都心に車で通勤しているか、とうに転出しているのだ。ここも他の市町村同様、加速する高齢化問題に晒されている。従って、散歩途中で未成年者に出くわすことなどまずない。ビジターセンター内にある住人用の管理センターで、自分の身元を明かして尋ねれば、「この区画には高校生が一人、中学生が二人いるよ」などとは教えてくれそうだ。別にそうしたいと思っているわけではないが。瑞生はこの村にも伯父夫婦にもあの学校にも、馴染むことに気が引けて身の処し方を考えられないでいる。

 


 結局、テレビ局の望むような夜叉の映像はどこからも届かず、アーリーサンデーは終了した。その後はどの局もニュースで触れるものの大差ない情報量だった。

 瑞生は部屋に戻って、頭の中を整理することにした。

 村に関して知ることはともかく、馴染むことに抵抗を感じるのは、両親の死によって自分が得をすることへの気後れが原因だ。今も両親が生きていたら、ようやくお父さんとの離婚を母が承諾して、父子2人だけの生活が始まり、今までよりはマシに過ごしているだろうが、貧乏であることに変わりはなかっただろう。工場を追い出されてお父さんは無職で、でも必ずなにがしかの仕事を見つけて瑞生を高校にやろうとしてくれる…はずだった。

 お父さんを失いたくはなかった。母に蝕まれ、母から逃れる事を目標にあらゆることに耐えて過ごしてきた。中学を卒業したら“子供の家”とはおさらばして人生が変わる、そう信じていた中で、お父さんを失うとは夢にも思わなかった。お父さんの愛だけが確信できるものだった。血の繋がりもないのに。


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