4.恋する乙女の慟哭
あれから数日が過ぎた。アルくんはまだ帰宅していない模様。私はと言うと、ロウ爺やメイルちゃんとのんびり屋敷で過ごしている。
そろそろ流石に体が鈍ってしまいそうで怖いので、自主的に軽く走ったり鍛えたりの活動を始めた。
「イズミ様は、元の世界では何をしていらしたんですか?」
目を輝かせて元の世界の話を聞きたがるメイルちゃんに初めて問われたことはこれだった。私が仕事から帰宅した時にこの世界に来たと口にしたからだろう。
「あぁ、私は元々武官……こっちでいう騎士をやっていたんだよ」
「え、女性でもできるんですか!?」
「まぁ、確かに男性相手で力では勝てないけど……幾らでもやりようはあるからね」
元の世界の話を心置きなくできる。それは幸福なのだと思う。純粋にこんな話を信じて聞いてくれる人はそういない。私は武官だった。けれど、ここでは私はただの迷子の小娘に過ぎないだろう。
こちらの世界には魔法がある。私の力で対抗できるかどうかわからない以上、下手に動かない方が良いこともある。
「私の世界では、武官は巫女を守るものなの。巫女っていうのは、こっちでいう神官かな。巫女は国を守護し、武官は巫女を守る。そうやって支えられて来た国。それが私の故郷」
「はわ……凄いですね…!」
ここ数日はのんびりしつつもこの世界の情勢を教えてもらった。この国を出るにしても情報ゼロでは命がいくらあっても足りないし。
ラムリア王国と敵対している国は二つ。まず、隣国のダーフェ帝国。この国は女神信仰の薄い国で、多神教。神を信じるも信じないもその人次第っていうスタンスらしい。その考え方の違いでラムリアとダーフェは対立してしまっているそう。戦争とかそういったものはないけれど、ある意味冷戦状態。けれど、現国王になってからは二国間で同盟を結んだそう。お互いの宗教に関しては触れないでおきましょうってやつかな。
交易も行うようになって中々に上手く付き合っているそうだ。
問題はもう一つの隣国。西の大地を砂で覆われた国ザリア。この国は他国に対して敵対し、侵略を繰り返しているそうだ。加えて、女神レーブティアの存在を否定。星流人の存在も否定していて、ラムリアと真っ向対立。ザリアとラムリアは昔からずっと戦争をしているらしい。
その影響でどんな国なのかは詳しくはわからない。ラムリアの人に尋ねても、恐らく先ほど程度の内容しか耳に入ってこないだろう。
国を出てまず向かうとしたら、ダーフェ帝国の方が安全だろう。アルくんの話だと、ダーフェ帝国は比較的穏やかな土地柄で優しく温厚な人々が多いそうだ。この世界の初心者にはうってつけだろう。
「イズミ様は、この国に留まらないのですか?」
メイルちゃんにそう聞かれた時、私の中にその選択肢はなかったことに気がついた。元々、住む場を変えて暮らすことが当たり前だったからということも影響しているとは思う。けれど、なんとなく。ここに留まるだけでは何も出来ないと、逢えないではないか、と思ったのだ。
「旅を、したいんだ。まだ見たことのないものを見て、感じて。沢山の人に出会ってそうやって歩きたい。私自身の足で進んでいきたい。そんな風に思うんだ」
半分嘘で、半分本当。そんな言葉しか口にできなかった。自分でもわからない気持ち、それは酷く不安定なものに思えて。少しだけ、怖くなった。
「街に行きたいです」
「……せめて、おかえり位は言ってくれ」
「おかえりなさい、街に行きたいです」
「……」
数日振りに帰宅したアルくんに私はそう告げた。
世界の常識、情勢その他諸々は既にこの数日間でかいつまんだものを教わった。履修済みである。
と、なると目下の目標は街をこの目で見ることだ。ずっと屋敷にいるのはとても暇なのだ。屋敷の皆は優しいし楽しい人たちばかり。けれども、それも日に日に新鮮さがなくなってくる。
ロウ爺もアルくんが帰ってくるまでは屋敷にいて欲しいと言っていたので、大人しくしていたが帰って来たのだからいいだろう。そう、私は外に出たいのだ。
「……王への謁見が先だ。それが終わったら観光案内でもしてやる。もう少し我慢しろ」
「……はーい」
この人は本当にオカンなのではないだろうかという疑問を抱く。面倒見が良すぎると思う。だからこんな奴に手を焼かせられるんだ。もちろん遠慮なく連れ回して差し上げますとも。お覚悟なされよ。
アルくんに連れられてお城にやってきた。やはりお城というだけあってとても大きい。
あまり挙動不審にするなと言われているので大人しくアルくんの背中だけ見て歩く。……周囲からの視線は痛いくらいに感じる。見られている、という状況は慣れないため落ち着かない。
ふと、アルくんが立ち止まる。目的の場所に着いたのだろう。謁見の間、そこに王様がいるらしい。やはり少し緊張する。
重そうな扉が開く。白を基調とした部屋が視界に入る。
その奥に、人が座っていた。しゃら、と身につけている装飾品の音がする。
金色の野原が思い浮かぶ様な暖かな黄金色の髪が揺れ、同じ色の細く長い睫毛がゆっくりと上がって行く。そこに見えた色は、深く吸い込まれそうなほどの蒼。
どこか気怠げに青年は口を開く。
「そなたが、星流人か」
口振りと格好、仕草からこの人が王なのだと思わせる。そんな人だった。
咄嗟に声が出ず、軽く頷く。
不敬かと思ったがそれだけでも良いようだった。
「…0伝承に残っている女神とはまた毛色が違うようだ。名は……イズミ、であったか。……ふむ、我はラムリア国現国王ライオス=ディア=ラムリア。
歓迎しよう、星の旅人よ」
その言葉を合図に、その場にいた城の人たちが私に跪く。王様やアルくんまでもがそうしていて、私は内心パニックに陥る。何が、起きたのだろう。
そして私は極めて冷静に見えるように動く。内心の混乱は悟らせないように。
「顔を、あげて下さい」
「お心遣い感謝する。貴方を歓迎する宴をあげさせよう、暫し準備の時間を頂く。では、部屋へ案内しろ」
「え、ちょ…」
「イズミ様、こちらです」
「えっ、いや、あのっ」
「さぁさぁ」
何が何だかわからないまま、別室へと移動させられてしまった。歓迎の宴とか言っていたけど、私は早く街の観光をしたい。アルくんの姿は見えなくなってしまったし、今この部屋には恐らく侍女さんと思われる人が数人と警備らしき騎士の人が二人。キラキラとした視線が痛い。
「あの……私、宴なんて…」
「ご安心下さい、イズミ様!私どもは貴方様に危害を加えるようなことは許しません!警備は万全です!」
「いえ、そうではなく」
「あぁ!感激です……!生きている間にご尊顔を拝見することができるだなんて……!!」
だめだ、これは話が通じない。ここの人たちは私を星流人だということだけで女神と同一視してる気がする。その女神様と私が同郷とは限らないだろうに。これは、お城で保護生活を送るのは無理だ。私の精神的に。城で保護なんて言葉が出たら速攻で逃げよう。
そう現実逃避をしていると、扉をノックされる。保護者だろうか?アルくんであってほしい。
そんな期待はすぐに消え去る。
現れたのは、王様だった。
「……席を外せ」
中にいる人たちを全員下がらせ、部屋には私と王様の二人だけになる。その状態に私は酷く緊張する。え、なに怖い。
「陛下、年頃の娘とお二人になるのはどうかと思いますが」
「うん?ならばお前も入ってこい」
扉からアルくんの声がしたと思ったら、入室の許可を得て入ってきた。思わず、すぐにアルくんの背に隠れる。何かあった時の盾ということで。そんな私に彼はため息をつくだけだった。
「……さて。これからの話をしようではないか、イズミ殿。城での保護は」
「嫌です」
「……即答か。では、騎士を付けるというのはアルバから聞いているな?」
「はい」
「この国を出るつもりである、と聞いたが」
「そのつもりです」
王様はどこか楽しそうに笑っていた。
私とアルくんを交互に見る。そして、満足気に頷くと悪戯を思いついた子供のような顔をした。
「騎士にはアルバを選べ。国の外へでも何処へでも連れて行くといい」
「え、いいんですか。頂いても」
「待て待て待て」
元より絶対に選ばなければいけないのならアルくんを選ぼうとは思っていた。と、いうよりもアルくん一択だ。私は彼以外に信用できる騎士などいないし、仮に今後出来たとしても、出来るまでの時間この国に留まるつもりもない。
「拾ったものは最後まで面倒見てよ、アルくん」
「そうだぞ、アルくん」
「お前はペットか何かか!
そしてライオスてお前は悪ノリしてんじゃねぇよ」
その後、なんだかんだで折れたアルくんは私の騎士ということになった。仕事の引き継ぎがあると言ってその場から立ち去ってしまった為、私はまた王様と二人きりである。代わりの人とか置いてって欲しかった。めちゃくちゃ気まずいです。
「……アレはこの国では密かに崇拝の対象であり、畏怖の対象なんだ。女神レーブティアの血をひく忌子。深紅の髪はこの国では不吉とされ、忌子と呼ばれている。女神は、輝く黄金色の髪を深紅に染め命を落としたと言われているからな。
その深紅を持って生まれた、女神の子孫。加えてこの国で最も尊いと言われている女神と同じ黄金色の瞳だ、この国の民達がどう接したらいいかわからずにどこか余所余所しい態度を取ってしまう。加えてこの国は異常と言えるほど、女神を信仰しているからな。
複雑な立ち位置にいるんだ、アイツは」
私は黙って王様の話を聞く。多分、アルくんは私が聞いたら答えてくれるのだろう。ただ、事実として自分のことを。そんな微妙な立ち位置にいるからこその、街の人たちのあの視線だったのだろう。
だが、正直言って私は興味がない。だからなんだと言うのだ。アルくんの周囲にはちゃんと彼を見てくれていた人がいる。憐れに思うこともないし、思われたくもないだろう。だから私は何も思わない。アルくんはアルくんなのだ、それ以外の何者でもない。
「だからいっそ国の外へやろうってことですか。随分と勝手な言い分ですね」
「はは、手厳しいな。だが、そなたにとっても利があるだろう?」
「それは勿論。遠慮なく頂きますよ。返して欲しいって言われても返しませんから」
まるで鳥の雛の様だと言って笑う王様に返す言葉もない。確かに私は雛だろう。なにせ、この世界にきて初めて見た人にしか信頼を寄せていないのだから。
王様の言った、女神信仰の異常さを実感したのはその少し後。
宴はそれは豪勢なものだった。これは俗に言う舞踏会なるものでは。
色鮮やかなドレスを纏った女性達に、煌びやかに着飾る男性達。正装なのだろう、腰には剣が下げられていた。
私はと言うと、女神が好んで着ていたと言われている型の衣服を着せられポツンと一人立っている。恐らくドレスなのであろうそれはとても動きづらそうに見えて、意外にも自由に動けるものだった。アルくんは王様の所にいる為、離れた場所に立っている。
私の周りにだけ人はいない。避けられているというよりも、遠巻きに見られている。視線が痛い。熱烈な視線を受けつつご馳走を食べるだなんて出来るわけがない。どうしよう、凄く帰りたい。
ふと、一人の女性が私に近づいてきた。この国の人では珍しく私に敵意があるようだ。その敵意を新鮮に感じてしまった私はそのままの状態で彼女を見る。
流れるような栗色の髪を揺らして私を見下ろす彼女の口が開くのをただただ待っていた。
「どうして……っ!どうしてアルバ様なのです!!私から彼を盗らないで下さいまし!!」
宴の始まりにアルくんが私の騎士なるのだと王様が宣誓したのだから、彼女も知っているだろうと思考し結論を出した。そして、星流人の騎士は星流人が選ぶ、これはここでの常識。
そのことから彼女は、アルくんを連れて行くのは私なのだと正しく理解したのだろう。
彼女はアルくんに恋をしていたのだろうと思う。私はこの国からアルくんを奪っていく。その認識は正しい。
周囲は彼女の言葉に反応し、彼女を止めようとする。
ただ、彼女にとって尊ぶべきなのは女神レーブティアであって星流人ではないというだけなのに。その考えの方が正しいと私は思う。恋する乙女は、いつだって真っ直ぐなのだ。
それだけなのに。
「星流人様になんてことを……!」
「女神様の意に逆らうつもりなの…!?」
そう言って彼女を罪人とする信者がいた。彼女も覚悟していたのだろう。自身に集中する悪意の視線に身体を強張らせる。その悪意を咎める人はいない。
この国はどこかおかしい。そう思ったのはこれだった。
ふと、明確な殺気を感じる。他とは全くの別物。その対象は、彼女だった。
まずい、そう思った時には反射で動いていた。
近くにいた男性の腰から下がっていた剣を手に取り彼女に向けられていた刃を弾く。
「何故、女人に刃を向ける」
思ったよりも低い声が出た。想定以上にこの状況に怒りを覚えていたのかもしれない。彼女はただ、恋焦がれる人を奪わないで欲しいと言っただけだった。それだけで、何故刃を向けられなければいけない。
信者は答える、彼女は女神の意に背いたのだと、信仰すべき神に背を向けたのだと。だから、始末しなければいけないのだと恍惚とした表情を浮かべながらそう口にする。
嗚呼、気持ちが悪い。
自分が正しいのだと思っている信者も、それを良しとしている周囲の人間も。
彼女はただ、私に懇願しただけ。それを何故女神の意に逆らったということになるのだろう。私は星流人ではあるが、女神ではない。
信仰される対象でも、崇拝の対象でもない。
私に敵意を向けた、たったそれだけで命を奪ってもいいとでも思っているのだろうか。
視界の端で王様が苦悶の表情を浮かべているのか見えた。
恐らくこの場でこの異常さを正しく認識しているのは私とアルくん、そして王様の三人だけだろう。
意識を変えるのは難しい。それも、根付いた常識を覆すことは簡単なことではない。だから私は、この異常な信仰を利用しよう。
星流人を、私を女神と同一だと言うのなら。
「彼女に危害を加えることは私が許さない」
それだけ言って彼女を連れてその場を離れる。誰もいない庭園へ着くと、掴んでいた手を離す。
彼女はただ、下を向いていた。
そして、ポツリポツリと言葉を紡ぐ。
「好きだったの。私なんて眼中にないことくらいわかってたの。それでも、それでも我慢できなかった。
どうして。どうして彼なの?どうして彼でなくては駄目なの?
貴方は女神様じゃないわ!
なのに、どうして皆貴方をレーブティア様と同列に扱うの?どうして、好きな人を連れ去ってしまう貴方に何も言ってはいけないの?わたしは、私は貴方が嫌い……っ
あの人を連れて行ってしまう貴方なんて……!!」
その涙まじりの言葉は、紛れも無い彼女の本心。
痛いくらいに真っ直ぐで。彼女はとても眩しかった。
「それでも私は彼を連れて行く。他でも無い私自身の都合で彼の人生を貰う」
「……っ」
泣きじゃくる彼女を抱き締める。彼女は抵抗しなかった。その気力も、きっとなかったのだろう。
「私はそういう人間だから。私は貴方に謝らない。私が謝るのだとしたら、それは他ならぬ彼に対してだけ。
けれど、私は貴方の考え方を肯定する。私は女神じゃない。ただの迷子の小娘だ。だから、好きなだけ嫌うがいいよ。私を恨んでしまえばいい。誰にだってそう思う権利があるんだから」
「ふ、う…ぁ…ぅあぁあぁ嫌いっ…貴方なんて……貴方なんて、嫌いよ…大っ嫌いよぉ…っ!!」
泣き止むまで、私はずっと彼女を抱きしめ続けた。
夜空に月が輝いている。きらきらと月の光を映して溢れる涙は、とても綺麗で。
静かな庭園の中で、彼女の泣き声だけが響いていた。