ライバル宣言[ブルーノ視点]
陸に上がり、ピクニック用に持ってきた敷布を花畑の真ん中に敷いてサンドラを座らせる。
サンドラはシリウスのお陰かスカート部分を少し濡らしただけで済み、敷布の上に青い花を咲かせるようにスカートを広げて乾かしている。
天気も良いし、きっとすぐに乾くだろう。
しかし何を考えているのかさっきからぼんやりとしているサンドラは、スカートの中で足を伸ばして座っているらしく、広げたスカートの裾から健康的なピンク色の爪が光る真っ白なつま先が覗いているのはどうにかしてほしい。
しかもその足先は自由に動けるのを楽しむように、猫が背伸びをするように時々伸びをしたり、何かを誘うように足の指をきゅっと丸めたりと、ちらちら動く様子が視界の隅に入って心臓に悪いことこの上ない。
しかも荷物の脇の方にさりげなくたたんで置いてあるのは、サンドラがさっきまで履いていたストッキングじゃないのか!?
サンドラが少しでも恥じらってくれたら逆にからかってやれるのに、余りにも当人が気にしていないので、意識しているこちらの方がおかしいのかと錯覚してしまう。
ちらりとシリウスの方を見てみれば、どうやら俺と同じようで、濡れた上着を絞って木に引っ掛けながら困ったようにしている。
指摘した方がいいのか、役得だと堪能すればいいのか悩むところだ。
これでシリウスがいなかったら、俺から襲われても文句を言えないところだぞ。
サンドラは王宮で淑女教育を受けていると聞いたが、一体何を教わっているんだ!?
はっ! もしかして「令嬢は足を晒すものではない」ということが余りにも当然のことで、逆に教わってないのか?
ベリルあたりがいれば、「仮にも令嬢が何をやっている!」と一喝してくれるのに、なんで今日に限っていないんだベリルーーっ!!
つい湖に向かって叫びたくなるのをぐっと堪える。
そんな俺たちの葛藤を余所に、サンドラが乾いたタオルで濡れた服越しに体を拭いているシリウスに気付いて、不思議そうに言ってくる。
「シリウス、下着まで濡れちゃってるでしょう? 私のことは気にしなくていいから脱いでもいいのよ」
「……いや、大丈夫だ。これぐらいなら日に当たっていればすぐに乾く」
「でも濡れている部分は少なくしておいた方がいいわ。上着は今乾かしているけれど、せめてそのシャツも脱いでしまったら? 上半身ならシリウスも恥ずかしくないでしょう?」
……そこはサンドラの方が恥ずかしがるところのはずだ―――。
「……そうだな」
あきらめたようにシリウスが一つため息をつきながらシャツに手をかけて脱ぐ。
白いシャツをぎゅっと絞りパンッ!と水気を払って上着の横にひっかけると、シリウスが気持ちよさそうに風に体を当てている。
その白い背には、斜めに一閃されたと思しき大きな刀傷があった。
その薄さから判断するに、幼少期につけられたもののようだ。
傷のことに触れてもいいのかどうか迷う俺の様子を見て、そんな態度には慣れているように事もなげにシリウスが答える。
「内部がごたごたしている国の場合は色々あるってことさ」
そう言って敷布が濡れることを気にしてか、花畑の方に座って足を投げ出すようにして座り空を見上げるシリウスにサンドラが話しかける。
「シリウスも結構体を鍛えてるのね」
どこかうらやましそうなその声音に、気にするところはそこか! と突っ込みたくなるがぐっと我慢する。
確かに滑らかに付いた筋肉は、それなりの鍛錬を日常行っていることを表している。
でも俺の方が筋肉はついているぞ! ……おそらく。
俺が無駄な競争心を煽られている横で、そんなサンドラの反応に少しびっくりしたようにシリウスが苦笑して返す。
「まあ、今ならいきなり切りかかられても撃退できるくらいはね」
「そうよね、やっぱり最低限の鍛錬は必要よね。ちなみに毒対応とかしてる? 私トリカブトって苦くて慣れないのよね。だいたいあの苦味は口にした段階で大抵判るから、飲みこむなんてありえないわよね」
「判る判る。でもフグとかだと判らないだろう?」
「そうね、フグだと確かに判らないかも」
……爽やかな青空の元で笑顔でする会話じゃない。
これだから王族は、と思いながら持ってきたランチの箱を開ける。
サンドラでこれならアレクは子供の頃からそういう事を習っていたのかな、とふと思う。
「ほら二人とも、残念ながら毒は入っていないと思うがうまそうだぞ」
軽い嫌味を言いながら、王宮の料理人が用意したというバスケットから昼食を取り出す。
サンドラの希望でサンドイッチらしい。
サンドイッチなんて軽食か夜食のイメージだが、サンドラが意見したという具を見てびっくりする。
なにか分厚い肉が挟まっているが、ナイフとフォーク無しでこれ噛み切れるのか?
シリウスもびっくりしたようで、バスケットの中にナイフが入っていないか探している。
「やっぱり男の子にはお肉がいいと思って」
サンドラは、俺たちがびっくりしているのを別の意味にとらえているらしいが、王宮の料理人は止めてくれなかったのだろうか……。
サンドラは薄切りのローストビーフと野菜をはさんだ物らしい。
ええい! と思い切りかぶりつくと予想に反して肉は柔らかかった。
え!? なんだこれ、牛肉っぽいけれどこんな柔らかいの本当に牛か? っていうかうまーーーっ!!
牛の肉臭さは殆ど無く、分厚い肉でも全く問題なく噛み切れる。
そのまま肉を噛みしめると殆ど抵抗も無く口の中で肉の繊維が解けるように崩れ、溢れる肉汁が真っ白で柔らかなパンと一緒になって口の中を満たす。
止まらない俺たちを見て、サンドラが自慢げに言う。
「それはね、特別な牛を特別な方法で育てた肉なのよ。肉の臭みも無いし柔らかくておいしいでしょう?」
こくこくと頷く。
いつもの歯ごたえのある肉も好きだが、これは全くの別物だ。
「やっぱり和牛は最高ね! そうだわ、他のお肉をサンドしたものもあるからぜひ試してみてね」
そう言って出されたのは、豚肉らしきものを細かく砕いたパンをまぶして揚げたような物が千切りにした野菜と一緒に挟んであった。
これもうまい!
特にこの少し酸味と甘みのある黒いソースがやはり癖の全く無い分厚い豚肉とマッチして、これだけ食べたいくらいだ。
俺たちの反応に満足したらしいサンドラは、俺たちとは別にバターのように柔らかそうな緑色の果実のような物と小さなエビをはさんだものを食べている。
それぞれ少し貰って、食べたことの無い触感とうまさにも驚いたが、やはり体を動かした後は肉に限る。
それとは別に、卵と白い酸味のあるソースを混ぜた物をサンドしたものもあり、そっちもうまい。
「マヨネーズも気に入って貰えてよかったわ。野菜も取った方がいいと思うけれど、ピクニックに来てまで言う事じゃないわね」
食べ終わってすっかりお腹いっぱいになった俺たちはぼうっと湖を眺めていたが、気が付いたらサンドラが横で眠っていた。
おいっ!
王族以前に、年頃の女性が、隣に男がいる状態で野外で裸足で寝るとはどういうことだ!
つっつみどころがあり過ぎて、さすがにアレク経由で忠告しておかないと危なすぎる。
アレクじゃあるまいし、俺たちに対して油断しすぎだろう。
しかし健やかな寝息を立てながらむにゃむにゃ言っている姿に毒気を抜かれて、起こす気も無くなった。
ふう、とため息をついてサンドラを見ていたら、同じようにサンドラを見つめていたシリウスと目が合った。
二人して少し苦笑して、しばらくこのままでいることにする。
ふと、サンドラの金色に輝く髪が一筋風に乗って、幸せそうに眠っているその頬にかかっているのが目に入る。
くすぐったそうだな、と思いその柔らかそうな頬に指を伸ばして払おうとした時、横から出てきた白く鍛え上げられた腕に掴まれる。
はっとして横を見ると、シリウスが半分睨むようにしながら俺を見ている。
「ルールを決めないか?」
俺を責めるわけでもなく静かに告げられたその言葉に、何のことかと続きを促す。
「サンドラが誰かを好きになるまで、先に手は出さないこと」
「……へぇ?」
口の端だけ上げて、おもしろそうに返してやる。
「ブルーノもサンドラのことを好きだろう」
「まあな」
ここで誤魔化しても何にもならないので軽く肯定する。
「それで? シリウスはサンドラをどうするつもりなんだ。人質か?」
隣国の第一王子とその取り巻きがこの国を攻め滅ぼしたがっているなんて、騎士団では皆知っていることだ。
第二王子であるシリウスがサンドラと結婚して隣国に入るとしたら、サンドラは人質として扱われるだろう。
しかも、開戦した段階で切り捨てられてもおかしくない。
そんな目に合わせるくらいなら、国内の有力な貴族に嫁いで開戦前に体勢を盤石に整えた方がいい。
そう、たとえば騎士団の誰かと結婚して勝利の女神として部隊を鼓舞するとかな。
「いいや、サンドラが和平の象徴として我が国に来る可能性もあるぞ」
「そっちの第一王子がはたして許してくれるかな」
鼻で笑いながら言ってやると、シリウスが凍るような声音で言う。
「別に兄上に許してもらう必要はない」
その様子にシリウスの覚悟を垣間見る。
「ちなみに、もし開戦したらまず真っ先に俺と殺し合うことになることになるから覚悟しておけよ。その後はベリルとアレクだな」
向こうの第一王子が最前線に出てくることはないだろう。
その代わり旗頭としてこの第二王子であるシリウスを最前線に送り込んでくるに違いない。
第一王子的には、シリウスが血まみれになりながら勝ちをもぎ取ってくるのを後ろでふんぞり返って眺めていてもいいし、もしシリウスが戦で死んでも弔い合戦と称して士気の向上に使える上、自分を排除しようとする派閥を諦めさせることも可能だ。
今学園で一緒に机を並べているクラスメイトとも、もし戦争になったら殺し合うことになる。
そう言ってやると、シリウスはふっと笑って
「ブルーノ、牙を剥く相手を間違わないでくれよな。そうならないように動こうっていうのに、背後から刺されたらたまらない」
「期待しておいてやる。でももしサンドラがお前のことを好きになっても、戦争になる可能性があるなら既成事実を作ってでも絶対に渡さないからな」
シリウスはそんな俺を見て、手を置いた先に咲いていた青い花を一輪摘んでサンドラの胸の上にそっと置いた。
「構わないさ。それに欲しいものの為なら、棘でも毒でも身に付けて見せる」
その青い花と同じ色の瞳が、今度は燃えるような熱を孕んでサンドラを見つめていた。
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あれからしばらくしてサンドラも目が覚めて、シリウスや俺の服もすっかり乾いたので戻ることにした。
湖から帰り道で、サンドラがすっと馬を寄せてきた。
「ブルーノ、今日は誘ってくれてありがとう、とっても楽しかったわ。……私ね、ずっとああいう事やってみたかったの」
どこか遠くを見つめるようにしながらサンドラが言う。
「どういたしまして、今度はアレクも一緒に連れて行ってずぶぬれにしてやろうぜ」
笑顔で返しながら、不思議に思う。
サンドラは国王が見つけるまで平民として暮らしていたはずだ。
しかも足を晒すことに全く躊躇しないくらい、令嬢の礼儀作法とは縁遠い場所にいたんじゃないのか?
それなのに、外で水遊びもしたことが無いってどういうことだ。
横でそれを聞いていたシリウスも不思議そうにしている。
でもアレクも教えてくれないし、きっと何か事情があるのかもな。
いつか教えてくれるだろう。
楽しそうに答えた俺のセリフに、サンドラはびくりと体を揺らしながら少し笑って小さく答える。
「そうね、とっても楽しそう……」
サンドラの目元が光を弾くように潤んでいるように見える。
ギャロップのせいで揺れているサンドラの金髪に反射した光の錯覚かな。
「その時はさ、ベリルとジルも呼んで皆で一緒に来ような」
「……ええ、素敵な提案ね―――」
そう言ってこちらを見たサンドラの笑顔は、少し寂しそうに見えた。
まるで、叶わないと知っている夢を語るような顔だ。