新大陸調査の理由
愛馬の背に乗り、久しぶりの遠乗りをしていると、気分も徐々に上向きになってくる。
やはり風を切って走るのは心地いい。
先ほどの城下町での出来事も、風と一緒に後方に流れていくようだ。
夢中になりすぎて、城下町を出てからは私の後ろにぴたりとついていたはずの近衛の者が、少し遅れながらも必死に食らいついてきている状況なことに気づいて、少し足を緩める。
すると、久しぶりに全力で走れる喜びを邪魔されたのが不服だったのか、栗毛の愛馬がいななく。
「そう言うな。お前の足についてこれる馬なんて、この国では他にいないのだから」
ぽんぽんと首を叩いてなだめながら優しく語りかけてやれば、自尊心が満たされたのか、納得したように速度を落として近衛の馬を悠々と待つような素振りを見せる。
「アレクサンドラ様、お待たせして申し訳ありません!」
先に速度を上げたのはこちらなのに、近衛の者が律儀に謝ってくるのを軽くいなす。
「いや、こちらもペースを上げすぎた、誰かの危機に駆けつけるわけではないのだから、これからはのんびり行こう」
あまりここで近衛の機嫌を損ねると、次に遠乗りに出たいと言った時に反対されるかもしれないからな。
それに近衛の馬にも気の毒だ。
男の姿になるのは久しぶりだが、やはりこちらの方が断然楽だということを再認識した私は、次の日学園にアレクの姿で行くことにした。
化粧は軽くはたいているが、足元に長いスカートが絡むことがないと、こんなに楽だとは。
明日はシリウスも学園には来ないようだし、咎める者もいないだろう。
久しぶりに羽を伸ばすとするか。
------------------
ナニーに言うとなんとなく反対されそうな気がしたので、他の侍女を呼び学園に行く支度をする。
以前と違い私が女であるということを隠さなくて良くなったので、侍女選別も新規の者に気軽にお願いすることが出来るようになり、こういう時にありがたい。
「え? 本当にこのお姿で行かれるのですか?」
「ああ。以前もこの恰好で学園に行っていたが、聞いていないか?」
「はい、伺ってはおりましたが……」
まだ日が浅いせいか、ナニーと違い強く私を止めることは無い。
まあ、この娘がナニーから叱られることはないだろう。
長くなった髪は以前と同じように後ろで一つに束ねて、瞳の色と同じ青緑のリボンでシンプルに結ぶだけ。
学園のかっちりした制服を着れば、胸はそんなに目立たない。
もちろん少し潰してはいるが、苦しくなるほどではない。
そしてズボン!
本当にこの国でも早く女性用ズボンが広まればいいのにと切に思う。
女物の靴でもなく、今まで背を高く見せるために無理に履いていた踵の高い男物の靴でもなく、見た目は男物の靴だが踵の低い革靴を履く。
もちろんズボンの丈も直してある。
前世のスニーカーとまではいかないけれども、こんなに歩きやすいのは久しぶりで、全力疾走でもしたい気分だ。
---------------------
ジルが今日学園に来ているといいんだけど。
最近見つかった新大陸で、探してほしいものがあるんだよね。
私自ら行きたいところだけど、さすがに今国を離れるわけにはいかないし。
「アレク!?」
「やあジル。婚約おめでとう。今日ベリルは来ていないのかい?」
「あ、ありがとう……っていうか、なんでその恰好で……」
「たまにはいいかと思って。もしかして気に入らなかった?」
「そんな……そんなこと―――。ああ…やっぱり好き…!」
最初は驚愕していたジルだったが、気に入ってくれたようで良かった。
「そういえばジル、新大陸が見つかったって知ってる?」
「え? ええ。まだ国内には通達していないけれど、次期公爵夫人になる私には教えておいた方がいいだろうってベリルが……きゃっ! もう、次期夫人だなんて恥ずかしい! でもベリルも賛同してくれて、その時のベリルってちょっとアレクに似てて…っていうか、似てて当然なんだけど男らしさというか―――」
途中から話が逸れていっているが、別に構わずそのまま話させることにする。
サンドラのことは嫌いなはずなのに、アレクの姿は好きだなんて、本当にジルはもっとしっかりしたほうがいいんじゃないかと思う。
これなら、悪い人間に騙されちゃうよ?
私みたいな。
---------------------
まだ何か妄想に浸っているらしいジルの手を取る。
婚約済の女性に触れるのは男性ならNGだが、私は女だからいいよね。
「ジルからそんなに想われているなんて、何だかベリルが羨ましいな」
「えっ? ええっ!?」
私に手をとられて、なぜか顔を赤くして挙動不審になるジルに優しく言う。
「きっとジルは、ベリルのお願い事なら何でも聞いて上げるんだろうね」
「そ、そそそんなことないわよ。それにわたしが公爵家に嫁入りできるようになるのって、アレクの口添えもあったって聞いてるし、それにそうでなくともアレクのお願い事なら何でも聞くわ……!」
「そう? 嬉しいな」
そう言って微笑んで見せれば、顔を赤くしたままぽーっとしているジルに『お願い事』をする。
「私の為に味噌汁を作ってくれないか?」
「はいっ、喜んで! ……って、ええ!? 味噌汁ってこの世界にもあるの!? っていうかアレクがなんで味噌汁を知って―――もしかしてアレクが転生―――もがっ」
大きな声で叫びだしそうになるジルの口を素早く塞ぎ、心持ち低いアレクの声音で耳元に吐息と共に低く吹き込む。
「それは、私達二人だけの秘密にしておかないか?」
周囲にはいつの間にかこちらを伺っている他の生徒たちが集まってきているようだったので、周囲の者に聞こえないように、至近距離からジルを見つめながら言う。
「―――はい…」
「よかった。ありがとう、ジル。大好きだよ」
いやー、持つべきものは女友達だな。
「「ぎゃーーーっっっ!!」」
中庭に女の子の悲鳴が響き渡り、ジルのものかと思ったけれど、ジルは私の腕の中でいつの間にか気を失っていたので違うようだ。
もしかして具合の悪いところ無理に私に付き合ってくれたのだろうか。
ジルを運んで貰うために人を呼ぼうと、くるりと周りを見渡せば、憤怒と絶望の表情で蹲る女子生徒たちがいた。
なんだなんだ、集団ヒステリーか。
控えていた近衛の者を視線で呼んでジルを渡して、女子生徒たちの方へ行く。
伝染病等ではないようなので、近づいても平気だろう。
何があったか判らないが、ここは次期王……じゃなくて次期女王として、女子たちの気持ちを落ち着かせなくては。
ここに居る高等教育が施された娘たちは全員、国の次代を表裏から担う者たちだからな。
蹲って泣いている娘に近寄って聞いてみる。
「一体どうしたんだい。綺麗な顔が台無しだよ」
「……ア、アレクさま……っ」
顔をあげたその娘は、私がまだ男だと偽って婚約していない女子生徒たちの膝を昼寝場所にしていた頃、既に婚約していて、私に膝を貸すために婚約解消を相手に迫ったという娘だった。
でも今なら私は『女』だし、いいよね。
「あの時はすまなかったね。君の気持はうれしかったんだけど、私にはどうすることもできなくて―――」
「え…ええっ!?」
とりあえずあの時は私が娘たちの膝を借りるのを止めたので、婚約解消に至らなくてよかった。
「でももう私達を阻むものは無いよね」
前は王太子と婚約者持ちの女の子だったけど、今は女友達だから!
あわあわしているその子をまずは落ち着かせようと、頭を抱き寄せて、自らの胸に抱き込むようにする。
男子用の制服だし少し胸は潰してあるから固いかもしれないが、まあいいだろう。
髪をなでながら聞いてみる。
「何かつらいことがあったのかい? わたしで良ければ話してごらん」
「いえ…つらいことなんて…敢えて言うなら心臓が、しんぞうがつらい!」
「え!?」
「我が……我が人生に一片の悔いなし―――」
そう言ってその娘は、憤怒と悲哀で歪んでいた顔から、何か尊いものでも見るように中空を眺めながらすっと瞼を閉じてがくりと体の力を抜いた。
落ち着いてくれたようでよかった。
そんな調子で、戻ってきた近衛の者に止められるまで、周囲の女子生徒たちを落ち着かせていた。
いやー、いい仕事した。
--------------------
うきうきしながら部屋に帰ったら、なぜかシリウスが待ち構えていた。
「シ、シリウス? なんでここに。隣国との境界線の街を確認しに今日は外出だったはず―――」
「近衛の者からの早馬が来たから、急いで帰って来たよ。アレクサンドラは今日は学園だったんだって?」
「あ、ああ聞いたのか」
まだ男の格好のままで、ちょっと気まずいというのもあり、明後日の方を見ながら答える。
そんな私を見て、シリウスが静かに言う。
「……アレクサンドラはそんなに男の恰好が好きなのかな? それにジルにプロポーズまがいのセリフを言ってたって? それに今日の学園はキゼツシャ続出で阿鼻叫喚だったって」
「だ、誰がそんなこと」
「ベリルだよ。ベリルも周囲にいた女の子からの伝聞らしいけど、君の様子を見ると、あながち間違いじゃないみたいだね」
「……あいつ、余計なことを―――!」
「憤っているのはベリルの方だよ。後で謝っておくといいよ」
「え!? そうなのか」
「ジルは既におしおきされてるみたいだけどね」
少し楽しそうにシリウスが言う。
『おしおき』ってなんだ!?
まあベリルならジルにひどいことしないとは思うけど。
「一体なんでそんな―――」
「当たり前だろう? 婚約者がいながら、他の人間の誘いに乗ったんだから」
「まあ確かに・・・」
「アレクサンドラも他人事じゃないよ」
「え?」
どこかひんやりする笑顔を顔に貼りつかせながら、シリウスがゆっくりソファから立ち上がる。
「言ったよね、迂闊な行動は慎んでくれって」
「ああ」
一歩シリウスがこちらに近づくと、その怒りの気迫で思わず一歩下がる。
「婚約所のいる令嬢に男の姿で近づいてプロポーズまがいの言葉をかけて、新大陸調査に協力させるって、なかなか非道じゃないか」
「そんな、嫌だったら断ればいいのに。命令じゃないし」
そうだ。
女友達としての『お願い』だから、別に悪いことしている訳じゃない。
「君は自分の魅力を自覚したほうがいいね。魔性だって」
「なんだよそれ。大体こんな中途半端な男の姿で誘惑なんてできるものか」
「ふーん……。じゃあ試してみようか」
その後、なぜかおしおきとして一緒にお風呂に入ることになった……。
詳しくはとても話せない。
あと一話くらいで終わるはず。