国の危機を救った物は…
「……死ぬかと思った」
シリウスが部屋から出て行ってからもう一度ソファに倒れ込むが、まだ熱がソファの座面に二人分の熱が残っているような気がして、ぱっと別の場所に移る。
火照った体にひんやりとした滑らかな生地が心地良い。
まだ高鳴っている鼓動を落ち着かせようと手をつく。
「全く、シリウスの奴どういうつもりだ―――」
いや、どういうつもりなのかは判っているが、なぜそんな急に迫ってくるんだ。
別に嫌なわけではないが、とまどうというか……。
結局ソファの上に押し倒されて、服の上からだったけれどさんざん胸を揉まれて、もうなんだか身体中が疼くように力が入らなくなった段階でようやく解放された。
途中幾度か侍女が様子を見に来ていたようだったが、止めもせず! そのままそっとドアを閉じられたのは納得がいかない。
ついさっき口から軽く零れてしまった自分の声を思い出して、ソファにパンチを叩き込む。
「ああぁああ゛!!」
なんだあの声は!
まるで酔っぱらった猫みたいじゃないか。
最後に、とシリウスが私の耳元で優しく囁いたセリフを思い出してそのまま突っ伏しそうになる。
一緒にお風呂って……一体私はどうなるんだ。
本当に、内政している方がよほど楽だ―――。
-----------------------
ジルもシリウスも学園に戻り、少しだけだが最後の学生生活を送ることができた。
シリウスは勉強関係は問題なかったので、積極的に他の貴族や、平民でも有能な者達との関係を築いていたようだった。
第一王子の影があった頃は、それが自分の弱味になると考えていたのか、私達以外にはできるだけ人との繋がりを持たないようにしていたが、いい傾向だ。
しかしベリルに聞いたところによると、地盤をつくる為だけでなく、どうやら私に色目を使う輩には徹底的な制裁を与えているらしい。
シリウスは兄王子を廃して王太子に収まったことを皆知っているので、そのイメージが増幅されてシリウスが非情な魔王扱いされないか少々心配だ。
--------------------
翌日は学園は休みだった為、気分転換に遠乗りに出かけることにした。
もちろん近衛は連れて行くが、身軽な一人だ。
最近はベリルやブルーノも忙しそうだし、シリウスとは昨日の今日で顔を合わせたくないし、都合よく今日から隣国との境界の街へ視察へ行くらしい。
ドレス姿だと裾が気になり思い切り走らすことができないので、久しぶりにアレクの姿で遠乗りに出ることにする。
胸は全て潰さなくとも、乗馬服の胸元についたフリルで殆ど目立たないようにした。
遠乗りとはいえ、遠目で誰かから見られて『男に胸がついている!?』と驚かれるかもしれないからな。
……最も、もう国民全員が知っているらしいので、構わないといえば構わないのだが、染みついた習慣というやつか。
アレクの姿で馬場に向かうと、相棒である馬が艶やかな栗毛の鬣を風になびかせながら元気よくいなないて私を迎えてくれた。
「よしよし、遠乗りは私も久しぶりだから、お手柔らかにな」
首筋をぽんぽんと叩いて、そのまま鞍に跨る。
「アクレサンドラ様、今日はどちらまで行かれますか?」
お付きの近衛の者が慌てて傍に駆け寄りながらそう聞いてくる。
特に考えていなかったが、天気も良いし走っていて楽しくなるような所がいいだろう。
「そうだな、この国が一望できるところへ」
剣俊な山々がすぐ後ろにそびえるケイニス国と違い、平地の多いこの国だが、小高い丘程度ならいくつもある。
道も整備されているし、それくらいなら軽装でも大丈夫だろう。
高台の丘へ向かうために、一度城下町へ降りる必要があったが、目抜き通りにも関わらず皆今日は端に寄るようにして往来している。
最近の城下は賑わいを増しているので、きっとここではゆっくりしか進めないと覚悟していたが、どういうことだろう。
確かに走りやすくてありがたいが……。
「今日は何かあるのか」
城下町の間は、私より少し前を走っている近衛の者に聞いてみる。
「いいえ、特に大したことはありません、お気になさらず。こういう日もありますよ」
「何か普段と違うことはないか?」
「……違うことといえば、今日はアレクサンドラ様が遠乗りに出ると、門番の者に伝えただけですが」
確かに乗馬したまま門をくぐれるように、検閲等を省略する為、事前に門番へ伝えておくことは必要だが。
しかし目抜き通りの両脇に、年若い娘たちがずらりと並んでいる。
今日は娘たちに人気のスポットでもどこかにオープンする日だったのだろうか。
皆こちらをきらきらとした瞳で眺めてくるものだから、染みついたアレクとしての習性でつい笑顔で軽く手を振って見せる。
「……―――っっ!!!」
すると、赤い顔をしながらばたばたと倒れる娘たちの様子を見て少し慌てる。
今日はそんなに暑くないが、もしかして集団熱中症だろうか。
慌てて馬から降りて様子を見に行こうとするが、近衛の者が素早く私を止めた。
「大丈夫です。他の者が待機しておりますので、我らはここから早く立ち去った方がいいと思われます」
「……そうか?」
「はい、騒ぎが広まる前に一刻も早く」
確かにもし伝染病等だった場合は、不用意に近づいて罹患するのは防ぐべきところだが
「わかった。体調の悪そうな娘たちは、丁重に扱うように伝えておけ」
「承知しております。……我らがここを過ぎ去れば、皆きっとすぐに回復すると思われますので……」
……近衛の一言は気になるが、まさかな。
私が男だと信じていた頃の町娘達ならともかく、女だと判った状態であんなことになるわけがない。
---------------
[城下町の町娘達]
「まさか通達通り、アレク様のお姿をまた見られるなんて……っ!」
「生きててよかった!」
「女と分かっていても、あの凛々しさ、あの爽やかさ!」
「それに以前拝見した時よりも艶が増していらっしゃるような―――」
「やっぱり!? 私も思った!」
「あのアレク様のお姿の隣に、あの最近精悍さを増してきたシリウス様が並ぶところを想像するだけで…」
「「きゃーーーーっっっ!!!」」
「絵師は、どこかに絵師はいないのーーっ!?」
そして城下町には新たな趣向の独自小説が流行ることになったという。
---------------
(閑話:数か月後の渓谷の外の国々)
「ええいまったく忌々しい。あのウラル国とケイニス国を一気に掌握できるかもしれない機会だったというのに」
ウラル国とケイニス国の周囲を囲む山脈の外の国々では、攻め入るスキを失ってしまった国々が未だに諦めきれずに他の方策を考えようとしていた。
その中の一つの国の王宮でも、そのような会話が行なわれていた。
「まさか、あのアレク王太子が女だったなんて」
憤懣やるかたないといったその国王をなだめようとするが、大臣達もあまりの事実に呆然とするしかなかった。
そんな中、その国王がしたりとばかりに案を出してきた。
「そうじゃ! これは周辺諸国である我らをたばかったということにならないのか!? それを口実に攻め込めれば―――」
「残念ながら、今までのウラル国からの通知文書を確認してみたのですが、アレク様が「男である」という言葉はどこにも名言されていませんでした。きっと現国王はこれを見越していたのでしょうね」
既に調査していたのか、半分諦めたような声音で大臣が返答する。
「し、しかしアレク王太子……ではなく今は王女か。が産まれた時に出したという通達は―――」
「それは国内のみのようですね。そして我らへの正式文書は『世継ぎが産まれた』のみです」
「ぐぬぬ……」
腰かけた椅子の手すりを悔し気に握りしめる王だが、正攻法で攻め込むことは無理だと理解したようだった。
そんな王を見かねてか、大臣が側に控えていた使用人を呼び、一冊の擦り切れた冊子を王に示す。
「そして最近ウラル国ではこんなものが流行っているらしいのですが―――」
「ん? なんだこの簡素な本は」
「市井の間で極秘に流通している物のようですね。国の検閲を受けていないので基本は手書きのようですが」
王に見せるのを少しためらいながらも、苦労して手に入れた物なのか、大事そうに王にその冊子を差し出す。
その様子に半分不思議に思いながらも、大分読み込まれた物のようだが大事に扱われてきたと思しきその冊子を王が受け取る。
ウラル国内では紙は既に庶民に普及しているものだが、山脈の外側の国々ではまだまだ貴重品なのだ。
「これがどうし―――んっ!? これはどういうことだ!?」
驚愕した様子で、その冊子の内容に釘付けになっている国王へ、既に読了済であるらしい大臣が補足をする。
「……はい、それがその本の中ではアレク様は『男』ということになっていて。それでいてシリウス様と、その……だったり」
「判らない……一体何が真実なんだ? アレク王女が出て来てから、あのウラル国ではおかしなことばかりが起きている。あの印刷技術もそうだが、それ以外にも水道も今や城下町中に整備されていて、街中のあちこちに設置されている『じゃぐち』とやらを捻るだけで、いつでも誰でも水を飲めるという」
「……はい、城下町でその状態でしたら、軍備についてもきっと我らより数段威力の強い武器を準備しているやもしれません」
この世界に魔力は存在しないが、他の国々にとってウラル国は既に魔境に近いものとなっているのだ。
「ううむ……。とりあえずは今あの国に手を出すのは止めておくか」
「それが賢明なご判断かと」
BLはウラル国の危機を救った……!(のか…?)