細い腕[ブルーノ視点]
今日は久しぶりにアレクから声がかかって、一緒に鍛錬することになった。
最近アレクは王宮にこもりきりで、学園にも一週間に一回くらいしか顔を出さなかったからな。
それにこういう手合わせは久しぶりだ。
俺は高等部に上がった頃から近衛騎士団の鍛錬の隅っこに参加させてもらって正規騎士との手合わせを始めている。
子供のころから中等部までは、アレクとは引き分けになることが多かったが、今度こそ俺の圧勝のはずだ。
特に10歳前後はアレクの方か背が伸びるのが早く負け続きだったのだが、高等部に入ってからは俺の方が背がぐんぐん伸びてきているので、体格的にも俺の方が今は有利なはずだ。
アレクは
「私はもう背が伸びないかもしれない」
と言って苦笑しているが、何言ってるんだ、男なら背が本格的に伸びるのはこれからだろう!
アレクもまた背が伸び始めると思うが、体格的に有利な今の内に勝ち星を稼いでおこう。
王宮の鍛錬場は少し奥まったところにあり、周囲を背の高い木に囲まれていて王宮からは見えない位置にある。
すぐ隣には近衛騎士団の鍛錬場もあるが、そちらからも見えない位置だ。
俺がいつも鍛錬の時に着るラフな服で、待合わせの時間に着いた時には、アレクはいつも通りきっちりと服を着て先に待っていた。
前に、服をそんなにきちんと着込んで動きにくくないのかと聞いたことがあるが、
「私が剣を振るう機会があるとしたら、襲撃を受けた時だろう? だからいつもの服でもとっさに動けるように鍛錬しておいた方がいいんだ」
と言っていた。
王太子ともなると色々大変なんだな、と思ったのを覚えている。
今日のアレクは、上着こそ来ていないが白いシャツと深い青色のベストを身に付けている。
喉元まである襟の高い白いシャツには、ご丁寧に青い細身のネクタイまでつけている。
ズボンはさすがに少し伸縮性のある動きやすそうな黒い細身のものを履いているが、そのまま上流貴族の茶会に出られそうな装いだ。
鍛錬場に落ちる木漏れ日を浴びた金の髪は、軽く後ろで一つに結ばれているが、結びきれなかった髪が緩やかにそよぐ風に嬲られてアレクの端正な顔を彩っていた。
背筋の伸びたその立ち姿と相まってまるで一枚の絵のようだ。
巨匠の描いた絵画を堪能するようにその姿を眺めていると、絵の中から生気あふれる瞳が閃めくようにこちらを刺してくる。
「ブルーノどうした? 打ち合う前から怖気づいたか」
楽しそうな声音で、手にした細身の剣をゆらゆらと揺らして見せる。
アレクは今まで細身の長剣を愛用していたけれど、今日はもっと細い、あれはレイピアか?
「そんな訳あるか。初めてみる剣だと思って作戦を練ってたんだよ」
「体格差を補うために今日はスピード重視な剣で試してみようと思ってね」
アレクはそう言って、ピウッ!と音を立てるように細いレイピアの剣先を振ってみせる。
確かにあの速さは厄介そうだ。
何気にアレクって負けず嫌いなんだよな。
もちろん俺も勝つ方が好きだけど。
「そううまくいくかな? アレク最近は王宮内に閉じこもってばかりじゃないか」
「……ああ、そういえばブルーノはこのところ近衛の訓練に参加しているんだっけ。それは確かに私の方が不利かもしれないな」
そう言いながらも、闘志が消えるようすは全くない。
王太子相手に言うセリフじゃないけれど、相変わらず面白い奴だよな。
近衛騎士団といえば王族の警護が主な任務で、国によっては形式化したお飾りの部隊になっているらしい。
この国もそうだったらしいが、先代の国王の肝いりで騎士団の大再編が行われ、騎士団の中でも最も腕の立つ者が近衛として選定された。
それがちょうどアレクの生まれた頃だったらしい。
あまりにも時期が重なる為、騎士団再編はアレクを守る為に先王が計画した、という噂もあるくらいだ。
父はその再編前はどちらかというと前線担当だったがその実力は騎士団随一と呼ばれており、その再編時に先王直々に近衛騎士団長に指名されたのだ。
それからずっと近衛騎士団長として王宮に出入りしている。
それ以来、近衛といえばこの国一番の精鋭部隊ということになっている。
もちろん俺も近衛を目指している。
それにはまず守る対象よりも強くなる必要がある。
アレクに対しての完全勝利が直近の目標だ。
「そうだ、ブルーノ今日はこれを着けてくれるか?」
そう言ってアレクが差し出したのは、顔前面が網になっている面のような、それでいてフードのような、不思議な物だった。
首元まで厚手の皮で覆われている。
「これは?」
「刃は潰してあるけれど、ブルーノが死なないよう念の為にね」
「……言うじゃねえかよ。お前も着けるのか?」
「いいや、私はブルーノの腕前を信じてるからね。私の方がレイピアは最近使い始めたばかりでまだ加減がうまくいかないからさ、レイピアで寸止めは難しいんだ」
そう言って爽やかな笑顔で言ってくる。
……まあ、褒められているということにしておこう。
鍛錬場の円形になったエリア中央で、俺と対峙するようにアレクが立つ。
鍛錬の師匠からの開始の合図は無く、自分たちの間で試合開始のタイミングを計る。
アレクの唇が優美な弧を描いたと思った瞬間、ゆらゆらと揺れていたレイピアの剣先が消えた。
その一瞬後、頬に風が当たったような気がして思い切り左にステップして避ける。
アレクが右手半身を伸ばしてレイピアを突き出してきたのだ。
両手持ちの剣より間合いが倍近く広いので、アレクの攻撃範囲を見誤りそうになっていた。
「惜しい!」
悔しそうに言うアレク。
おいおい、今お前俺の首筋狙ってただろう。
いくら刃をつぶしているからと言って、あれだけのスピードで抉るように剣先を突き出されたら血管切られてるぞ。
思わずひやりとする背筋を抑えながら息を整えて、もう一度注意深くアレクを観察する。
アレクの持っているレイピアは金色の鍔がついており、金色の蔦のように優美で複雑なアーチを描いてアレクの右手拳を守るようにデザインされている。
あれは装飾の意味だけでなく、相手の刃を絡め取ったりする為の形だろう。
レイピアは、剣を組み合ってる状態から手首を返して一瞬で頚動脈を斬りにくる技もあるらしいので極力近寄らないようにしたいところだが、あの素早い間合いの詰め方に対応するのは難しい。
重心が柄の先にあるせいかアレクが指揮棒のようにレイピアをゆらゆらと操り、もう一度緊張感が高まる。
俺の剣も刃は潰してあるし、こういった鍛錬ではたとえ相手が王太子であろうとも剣を体に当ててもいいことになっている。
痣くらいは覚悟して貰おうか。
今度はこちらから踏み込んで、剣をアレクの胴に当てるように横に振りぬいたが、切ったと思ったのはアレクの残像だった。
アレクは身を低く屈めて俺の剣の軌跡を避けて、屈んだ状態から右手を突き出して俺の眉間目がけて突きを繰り出してくる。
俺は踏み出した足を今度は慌てて引きアレクとの距離を取ろうとするが、離れることを許さないようにアレクが勢いの乗った突きを幾度も繰り出してくる。
日の光に反射して光を弾きながら縦横無尽に閃くレイピアの細い刀身を剣で払いながらアレクを見ると、その瞳が緋色に染まっているように見える。
まるで赤いバラのようなサンドラの緋色の瞳と同じだ。
一瞬それに思考を遮られたせいか、はっと気が付いた時には俺が被った面のちょうど眉間あたりにレイピアが突き刺さりそうになり、ぎりぎり右に避けると同時にとっさに自分の左手でアレクの右手首を掴んで地面に引き倒す。
「!」
予想外だったのか、とっさに受け身を取りながら地面に転がるアレクの首元に剣を向ける。
「そこまで!」
師匠が声を上げる。
首筋の次は眉間狙いかよ、危なかった。
アレクの剣は優美な型の割に結構えげつない狙い方をしてくるんだよな。
前にそう言ったら、
「だって賊相手なら常に一撃必殺を目標にしないと自分の身が危ないだろう?」
と逆に不思議そうに返してきた。
もっともだけど、時々さらりと怖いことを言う奴だ。
「ああーっ悔しい! 体技も入るとやっぱり勝てないか」
アレクがそう言いながら、地面につけた背を一度ころりと丸めてから一息で跳ね起きる。
相変わらずアレクは体が柔らかくて身軽だ。
俺たちももう16歳だし、そろそろ体が筋肉で覆われて重くなってきてもよさそうなのにそんな様子は全く無い。
昔と変わらず、まるで猫みたいだ。
猫みたいといえば、あの腕の細さはとても健常な男子とは思えない。
それにあの瞳―――…。
「おいアレク、どこか調子悪かったりするか?」
「なんだよ、残念ながら体の調子はいいよ。絶好調の私に勝てて満足かい?」
いつもは落ち着いているのに、久しぶりの勝負に負けてむっと膨れながらそう言うアレクは年相応に見える。
「それならいいが、ちゃんと食ってるのか? もっと筋肉つけないともう俺には勝てないぞ」
いくら一撃必殺狙いでも、そんな体じゃ持久戦にはとても向かない。
アレクの胴体はある程度厚みがあってまるで女性がコルセットをつけているような硬さもあるのに、腕がこんなに細いなんてアンバランスもいいところだ。
いつもアレクは手首まで覆う長袖を着ているから、腕の細さには気付かなかった。
「……うーん、私はもうそんなに筋肉つかないと思うんだよね。これでも結構鍛えている方だとは思うんだけどな」
そう少し困ったように呟くアレクを励ますように言う。
「まずは肉を食べろよ。そんで剣の素振りでもすれば筋肉なんてすぐ付くからさ!」
「うん、そうだね……」
何かを諦めたような笑顔で、アレクが答える。
翌日学園で、アレクと昨日の昼間一緒に鍛錬をしたという話をベリルにしたところ
「なんで僕も呼んでくれなかったんだよ!」
と憤慨されてしまった。
「だってお前用事があるって言ってたじゃないか」
「……そうだけどさ。アレクと会うんだったらそんな用事後回しにしたのに……」
そう言って大きなため息をついている。
「ベリルって本当にアレクのこと好きだよな」
半分あきれながらそう言うと、ベリルが座っている椅子から半分転げ落ちそうになりながら言い返してきた。
「な…っ、何言ってるんだよブルーノ!! そんなわけないじゃないか!」
「へ? 何動揺してんだよ。っていうかお前実はアレクのこと嫌いなの?」
「そんなわけないだろう!」
そういって、真っ赤な顔で再び反論してくる。
一体どっちなんだよ……。
俺たちのそんなやりとりを、隣にいたジルが半眼でじーっと眺めていて
「……おかしい。一体なんのフラグが立ってるの!?」
とぶつぶつ言っている。
ジルはこのところアレクにご執心のようだったけれど、やっぱり今のところ一番仲のいいベリルの様子が気になるのかもな。
前はジルもいいな、と思っていたのだけど、やっぱりサンドラが一番だな。
あんなに綺麗なのに、元平民だったせいか屈託がなく話しかけてくるし、俺もサンドラと昔からの友人だったかのように話していてしっくりくる。
なぜか俺の好みやなんかもよく知っていて、やっぱり俺に気があるのかな、なんて思ってしまう。
そうだ、喫茶店には誘えなかったけれど今度他の場所に誘ってみよう。
さっきジルから聞いた湖の綺麗な公園とかどうかな。
今は花も綺麗に咲いているらしいし。
あわよくばちょっとくらい手出しても平気かな。
サンドラの同意を得られればアレクも怒らないだろうし。
そんなことをうきうき考えていたので、横でジルが周囲を警戒しながら、何かを期待するようにわくわく待っている事には気づかなかった。
「この間のブルーノとのフラグはサンドラにとられちゃったと思ったけど、湖のほとりの花畑は大丈夫なはず! ブルーノったら、サンドラが来ない内に早く声かけてくれないかな♪」
後日サンドラを湖のほとりの花畑へ誘っている時にジルが通りかかり、その場で膝から崩れ落ちていたが、どこか足首でも痛めたのだろうか。
教えてもらったジルも誘おうかと思っていたけれど、あの調子だと遠出はとても無理そうだな。
残念だが、今回誘うのはサンドラだけにしておこう。
サンドラの緋色の瞳を眺めながら、アレクと手合せした時のことを思い出す。
アレクのあの瞳の色は……気のせいだったかな。
いや、子供の頃取っ組み合いの喧嘩をした時も、時々あんな色がアレクの瞳に混じることがあったような気がする。
もしかして王族特有の瞳の特色なのかな。
今度アレクと合同鍛錬する時に聞いてみよう。
その時はそうとしか思わなかったが、それ以降アレクと一緒に鍛錬することは無かった。