自業自得
シリウスは婚約発表の後から、この国の王宮に滞在している。
隣国の様子を見に時々は戻っているようだが、基本的にはこの王宮で一緒に暮らしている。
私と一緒に王宮で暮らすと言っても、別に同じ部屋で過ごしている訳ではない。
ちゃんとその辺りは分けてもらっているのだ。
もっとも当初、皆が私とシリウスを一緒の部屋に放り込もうとしていたのだが、私が
「結婚前なのにいきなり一緒に暮らし始めるのはちょっと……」
と難色を示したため、区画は近いが部屋は別々にして貰っている。
シリウスも少し何か言いたげなようだったが、最終的には納得してくれたのでよかった。
べ、別に嫌がっている訳じゃないんだからな!
まだ早いと言っているだけだ。
卒業まではあと半年も無いが、シリウスはこの王宮で暮らしながら学園に通うことにしたらしい。
学園の授業を最後まで受けたいということもあるらしいが、主な目的はこの国の貴族達との交流の為だ。
隣国の主だった貴族たちは既にシリウス派になっており、王太子としての土台はできているようだ。
国家統合の計画が発表された為、今のシリウスに必要なのは統合相手であるこの国で新たな人脈を作ることだ。
その点学園には、次代の主要人物が揃っていると言って過言ではない。
逆に私は隣国へ行って新たな人脈を作った方がいいのではないかと思ったが、それについてはシリウスも父も隣国の国王まで、私が単身隣国へ行くことを強硬に許そうとしなかった。
曰く、
「アレクサンドラが誰の目付けもいない状態で隣国の学園で野放しにされていたら、隣国の貴族たちが男女ともに結婚適齢期を逃してしまう」とか
「卒業したらすぐに結婚の予定ではないか。せめてあと半年はこの城にいて私を父と呼んで欲しいのだ……」とか
「婚約が決まった男女が遠く離れたままでいるのはよくない」
とのことだ。
父と隣国の国王の言い分は理解できるのだが、シリウスの『私のせいで皆が適齢期を逃してしまう』という意見には頷き固い。
……確かに過去、私が婚約していない令嬢の膝で昼寝をさせてもらっていた時期、私に膝枕をしたい為に婚約破棄寸前までいったカップルや、令嬢が頑なに婚約を拒んでいたりしたという家もあったと聞いたが……。
さすがに、全部が全部私のせいではないと思うのだが、シリウスの言い分について後日ベリルに愚痴を言ったら
「シリウスの判断が賢明だ」
とのことだ。
納得がいかない……。
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シリウスが王宮で暮らすことについて、異論のある者はいなかった。
今までシリウスは客分として学園にいたが、国家統合ということになり、これからはシリウスが未来の国の王太子となるのだ。
そもそも護衛側としては、私とシリウスが一緒に居てくれた方が警護するのが楽だそうだ。
部屋は別々だが、学園に行かない時は政務の説明やお茶や食事等、基本的に一緒に行動することが多くなった。
今も、ジルとベリルを見送った後、午後のお茶をシリウスと楽しんでいたところ、どこから聞いて来たのか二人のことを聞いてきた。
「修道院から戻ったジルが、王宮で倒れたって聞いたけど、大丈夫だったのか?」
「ええ、ベリルも一緒だったし、しばらく横になってもらったらすぐに目覚めたわ。でもまだ少しふらふらしていたからベリルに抱えられながら帰っていったから大丈夫でしょう」
そのまま公爵家にお持ち帰りされているかもしれないが、公爵家の面々もちゃんと血が残せそうなので安心しているだろう。
とにかくジルはあきらかに私がきっかけで修道院に自ら入っていったので、ベリルに授けた秘策で無事に還俗してくれてほっとした。
今度落ち着いたら『白馬の王子様』と『軍服』と『赤いバラを持ってのプロポーズ』と『銀縁メガネ』どれがツボだったのかそれとなく聞いてみよう。
……そういえば、ジルが『公爵夫人』になるとすると、マナーや周辺諸国の情勢把握能力的にいまいちだな。
ジルは前世の記憶を持っているようだし、実はやってもらいたいことがあるのだ。
とりあえず『内政チート』をして貰うための準備を始めるか。
そんなことを考えながら、
「ジルも、印刷部門の娘と一緒にセバスとナニーの特訓に参加して貰うことにしましょう。私にできる精一杯の露払いだわ」
と、楽しげに言ってみれば、シリウスが気の毒そうにしみじみと言う。
「ジルも被害者の一人か…気の毒に……」
なんだそれは! 私の被害者なんてどこに存在するというのだ。
憤慨しながら聞き返そうとしたが、シリウスが静かに一節ずつ区切りながら私に問いかけてくる。
「……ところで、キスの話、初耳なんだけど」
「え? そうだったかしら。ジルがあんなにショックを受けるなんて、私もびっくりしたわ。キスっていってもただ唇をつけるだけのキスだから、どこかにぶつけたくらいに考えてくれればよかったのに」
でも女の子の唇って柔らかくて心地いいよね、と軽く同意を求めてみたら、シリウスがにっこり笑いながらもその雰囲気だけが徐々に剣呑になっていくのが判った。
「……シ、シリウス? どうかした―――?」
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私は今ピンチだ。
これ以上ないくらいピンチだ。
壁際まで寄った私のすぐ目の前にいるシリウスが私の顔の両脇に手をついており、いわゆる壁ドンの状態だ。
「シ、シシシリウス!?」
「……なんで俺がキスしようとすると避けるの?」
あの後、向かい合って座っていたソファからシリウスがおもむろに立ち上がり、私の隣に座ったかと思えばじりじりと距離を詰めてきたのだ。
私は思わず席を立ってしまい、そのまま壁際まで追い込まれている。
しかもシリウスが席を立った段階で、部屋にいた侍女達が目くばせし合い部屋の中は人払いが完了されてしまっている。
お前達、誰の味方だ!?
「な、なんでって、そんな脈絡もなく急に……普通に避けるだろう!?」
男言葉になっていたがしょうがない。
産まれた時から男として育てられてきたため、思考回路がひっ迫すると取り繕ったような女言葉が出てこないのだ。
「脈絡が無いって? そんな訳ないだろう、これ以上ないくらい自然な流れだと思うが。アレクサンドラはキスくらい特に気にしないんだろう? それなのに逃げるのは、そんなに俺とキスするのが嫌だってことかな?」
「……嫌ってわけじゃない……け…ど……」
語尾が小さくなってしまうのはしょうがないとして、確かに私はどうしてこんなに戸惑っているのだろう。
だってキスくらい―――。
「キスくらい、ジルとだってしただろう? しかもファーストキスを気軽に」
青くなった私を見ながら、シリウスが笑顔で続ける。
「他にもベリルから聞いてるよ。あとブルーノからも『色々』ね」
『色々』ってなんだ!?
「婚約者である俺より、他の人間とずいぶん楽しんでいたみたいじゃないか」
「たっ、楽しむ!? なんだそれ!」
「アレクサンドラはどういう気持ちでそれをしたのか知らないけれど、彼らから聞いた内容一つだけでも婚約破棄を言い渡されてもおかしくない内容だよ」
「え!?」
婚約破棄という言葉にびっくりしている私を見て
「自覚なしか……本当に浮気性の猫みたいだな。せめて首輪でもつけたほうがいいのかな……」
と、シリウスが据わった声でぼそぼそと呟いている。
ひっ!?
まさかシリウスも何かに目覚めようとしている!?
「待て待て! 落ち着けシリウス!!」
「これが落ち着いてられると思う? 自分の知らない間に婚約者が他の男と一緒に風呂に入ったり、ほぼ下着姿で一つ布団で寝ていたり、胸を揉まれたり、キスまでしていたり」
「ひどいな……」
思わず素直な感想を述べたら、シリウスが深く頷く。
「本当に。ちゃんと自覚してくれ。こんなことがきっかけで国家統合をふいにしたくない」
「善処する……」
でも、私たちが婚約したのはつい最近で、破棄も何も時系列がおかしいんじゃ……ということに気付いたのは大分後の事だった。
その時はしおらしく反省していた私に少し気持ちが落ち着いたのか、私を壁際に囲ったままシリウスが真剣な面持ちで聞いてくる。
「俺のことが好き?」
「うう……」
「好きなんでしょう?」
「う……ん」
「じゃあ、どこが好きか言ってみて?」
シリウスがなんか無茶ぶりしてくる。
どこって言われても……。
言われてみて初めて気づいた。
私はシリウスのどこが好きなんだろう。
私の考えていることを理解してくれるところとか、行動を制限しないところとか。
優しいところも、人のことをちゃんと思いやれるところも好きだけど、決定的なのはなんだったんだろう。
しいて言うなら匂いなんだけど、これっともしかして遺伝子的に求めているということなんだろうか。
女性は遺伝子的に最も離れた人間の匂いを、最も好みであると認識するのだ。
それは自分と違う、より優秀な遺伝子を取り込むための本能だ。
王族は過去何百年にも渡って高位貴族と婚姻が行なっており、薄まっているとはいえ高位貴族内で王族の血が一滴も入っていない者はいないと言われるくらいだ。
それに引き換え、隣国とはここ100年単位で殆ど血の交流は行われていない。
優秀な遺伝子で、なおかつ自分とかけ離れている遺伝子を求めているのかとも思うのだが、この世界には『遺伝子』という概念がまだ発見されていない為、シリウスに言っても伝わらないだろう。
判りやすく言い変えると―――。
「強いて言うなら『体』かな?」
「……」
私の要点のみを纏めたセリフに、シリウスが床にのめりこみそうなほど落ち込むのが判った。
……しまった、失言した。
「あの……シリウス、言い方が悪かった。すまない。えーと遺伝子の型っていうのがあって―――」
と、言い繕うとする私の手首を俯いたままのシリウスががしっと掴む。
「!? ど、どうしたシリウス」
「……自分の発した言葉に責任を持つことは、為政者にとって大事なことだよね」
「あ? ああ、そうだけど―――」
なんで今そんなことを―――。
戸惑う私に、シリウスが顔を上げてにっこりと笑いながら言う。
「だから、言ったことには責任とってもらうからね」
「は?」
「じゃあまずキスから。ちょっと目を閉じてくれる?」
「な……っ」
すっと寄せられた顔が近くて後ろに逃げようとするが、既に背中は壁にぴったりついており逃げ場が無い。
「……いいだろう? 好きでもないジル相手がよくて、好きな上に婚約者である俺相手に拒む理由が何かある?」
ないけど……。
私が観念したのが判ったのか、ふっと唇に息が吹きかけられるのを感じて思わず目を閉じる。
軽く唇が当たる。
この程度ならまあいいか……。
少しほっとしながら目を開くと、まだ視界がぼやけるほどの至近距離にシリウスの顔があった。
「シリウス―――?」
もういいだろう、と言いかけたセリフはまた近づいて触れてきたシリウスの口の中に消えることになった。
「……んっ」
言葉を紡ごうと軽く開いていた唇に深く重ねられる。
「!? ―――っつ」
全身が熱くなり、思わずそれから逃れる為に力いっぱいシリウスを押し退けると、不服そうにしている顔と見つめ合う。
あれ? 悪いのは私の方か!?
いや、そんなことあるか!!
「シリウス、どこでこんなこと覚えて来たんだ!」
顔を真っ赤にして怒っている私を見て、シリウスが怪訝そうに言う。
「どこって……、王太子教育で閨の勉強くらいするだろう」
「するか!」
「え……」
今度はシリウスが呆れたように絶句しているが、何か気づいたように一人納得していた。
「そうか『アレク』は王太子だったといっても男性の閨教育を受けるわけにはいかなかったか」
「当たり前だ!」
「じゃあ女性の方は?」
「……婚約もしたから、今度する予定はあるとナニーから言われてはいる……」
前世の記憶もあるから知識だけはあるけれど、……実体験はない……。
「完全初心者……」
絶句した後、思わず、といった風にぽつりと漏れたシリウスの声に過剰に反応しそうになる。
「なんだよ! 文句あるのか? 知識だけならちゃんとあるんだからな!」
くそう!! 何か色々負けた気がする!
前世で勉強や仕事にばかりかまけていないで、とりあえず適当に誰かとやっとけばよかった!
羞恥と悔しさで歯噛みでもしそうな私を見て、シリウスが今まで見たことも無いほど楽しそうで不穏な顔で笑いかけてくる。
「文句どころか、喝采したいくらいだよ。ナニーには私から伝えておくよ」
「何を?」
「閨教育なら、俺がアレクサンドラの講師になるって」
「!?」
今は部屋の端の壁際に追い込まれているが、シリウスが部屋の中央にある大きなソファへ振り返る。
「とりあえず俺が一番出遅れてるみたいだし、まずは皆に追いつく所からかな」
「ええ!?」
次回はR15予定です。
お高くとまっているキャラほど、堕とすの楽しいですよね。