ヒロイン?[ジル視点]
何を言われたのか一瞬理解が出来なかった。
お見舞いの時の『アレク』は実はベリルだった?
「あの時アレクは人前に出ることは出来なかったから、僕が代役をしていたんだ。あれだけ心配して色々してくれたジルには本当に申し訳ないと思っている」
ベリルはそう言って、申し訳なさそうに私の前に立ち謝罪してくる。
「そんな……でも、それなら―――」
私が本当に好きになったのはアレクじゃなくてベリルだったの?
でも最初に好きになったのはアレクの方で―――。
一体どちらの方が好きなのか判らなくなりかけた私に、ベリルが言う。
「もう『アレク』はいないけれど、僕では代わりにならないかな?」
白馬から降りたベリルはなぜか白を基調とした軍服を纏っており、馬の後ろにくくりつけていた荷物入れから赤いバラの花束を取り出した。
そして
「あ、そういえば……」
と胸ポケットをがさがさ探り、あるものを取り出して顔にかけた。
「!?」
メガネ? しかも銀縁!?
この世界で眼鏡は貴重品で、かけている人を見かけることは余り無かったし、そもそもベリルは視力が良かったはず……
という私のかすかに浮かんだ疑問を吹き飛ばすほど、余りにも色々なツボを突かれて脳が沸騰しそうだ。
そんな私の前にベリルが跪いて言う。
「ジル、このバラを受け取ってくれるかな。誕生日はもう過ぎてしまっているけれど、年の数だけ用意したんだ。今度の誕生日にはもう一本増やした花束を。その次の誕生日にはもう一本増やして、80本になるまで君に捧げたいのだけど受け取ってくれるかな?」
この世界の平均寿命は50歳くらいで、80歳だとこの国の最高齢くらいだ。
目の前に捧げられた真っ赤なバラから甘い香りが零れ、真っ白でかっちりとした軍服に身を包み優しい笑顔でそう問われる。
透明に光る眼鏡の奥から覗く新緑の緑にじっと見つめられ、このシチュエーションに自分の頬がだんだん熱くなっていくのが判り、同時に混乱しそうになる頭で考える。
私が好きなのは『ベリル』だったのかしら。
いや、最初に好きになったのは確かに『アレク』の方だ。
でもアレクはもういない……。
まだ全てを忘れることはできないし、ベリルとずっと一緒にいると決めた訳ではないけれど―――。
「……25歳を過ぎたら、年の数じゃない方がいいわ。それに80本じゃ足りないわ」
「それって……」
「だって私きっと100歳くらいまで生きるもの」
「それは長生きだね」
私が少しだけ浮かべた笑顔で答えれば、ベリルが目を見張って言う。
大きな病気や怪我をしなければ、私は100歳以上生きる自信があるわ。
「じゃあ、25歳を過ぎたら、毎年100本のバラを贈ることにしようか」
ベリルがどこか楽しそうに言う。
「ええ、それでお願いするわ」
そう言って、私はベリルの手を取った。
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修道院へはすぐにベリルが話をつけて、私はお世話になったシスター達や村の人達へ挨拶へ行き、殆ど荷物は持たずにベリルと一緒に王都へ戻ることになった。
私がベリルの手を取った時、ベリルの方がびっくりしていたようだった。
そして「すごい……『どれかはツボに嵌るはず』と言われたけど、本当にすぐ落とせるなんて……。一体どこがポイントだったんだろう……」
と、少し呆然としたように呟いていた。
一体なんだろう。
でも、白馬に軍服にバラの花束に眼鏡なんて、これだけ萌えシチュエーションの組み合わせがこの世界に存在するなんて!
あー、生まれ変わって本当によかったわ。
王都にある男爵邸までベリルは送ってくれて、玄関先では義父が待っていた。
どうやらベリルが事前に連絡しておいてくれたようだった。
義父は公爵家と縁を持てると言うことで、手放しで喜んでいた。
後から聞いた話だけれど、40過ぎのヒヒ爺がデビュタントの時に私を見染めていたらしく、私が修道院に入らず誰とも恋仲になっていないようなら、そのヒヒ爺と結婚させられることになっていたらしい。
おおお恐ろしい!
そんなバッドエンドが用意されていたとは!
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そして今日はサンドラに会いに王宮へ来ている。
アレクの病死の真相と、サンドラの素性を確認しに行くためだ。
アレクを殺したかもしれないサンドラは絶対に許せない!
そう息を巻いている私をベリルが微妙な表情で見て、一つ溜息をつき
「……とりあえず僕も一緒に行くから」
と言ってくれたのでベリルも一緒だ。
サンドラの化けの皮を剥がした時に女一人だと、そのまま不当な理由で拘束される可能性もあるし、心強いことこの上ない。
そうお礼を言う私を見て
「過去の自分を見ているようで心が痛い……これが黒歴史……」
と沈痛な顔をしながら、ぶつぶつ独り言を言っている。
ベリルの黒歴史ってなんだろう。
今はまだ詳しく聞けそうも無い雰囲気なので、今度改めて聞いてみよう。
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「ジル! お久しぶり。修道院から出てこられたと聞いていたけれど、またこうして会えて嬉しいわ」
改名して今は『アレクサンドラ』になったとのことだけれど、私にとって彼女は『サンドラ』以外何物でもないのだ。
だってアレクとサンドラは私の中では完全に別人だし。
確かにこちらに向けてくる屈託の無い爽やかな笑顔は、アレクととてもよく似ているけれど……。
「……サンドラのことを『アレク』の名前をつけて呼びたくないの。だって、私にとって『アレク』はアレク当人でしかなくて、それはサンドラとは違うもの。呼称はどちらで呼んでもいいと聞いたわ。『サンドラ』と呼ばせて頂いてもいいかしら」
男爵令嬢である私が、王女であるサンドラに言う内容にしては、はなはだしく不敬であることは承知の上だ。
でもこれだけは譲れないから。
私の言葉を聞いたサンドラは少し目を見開き、その後ふっと優しく微笑みながら言う。
「ええ、いいわ。ジルは『アレク』を大事に思ってくれていたのね」
「―――そう…そうよ。大好きだったんだから…。でも私には助けられなかった。私が修道院に入ればアレクは助かると思っていたのに……」
「ジル……」
サンドラが困惑しているのが判る。
そんなサンドラを強く見つめながら言う。
ほんの少しの感情のブレも見逃さないように。
「アレクのすぐ傍に、彼を亡き者にしようとする人間がいたとしか考えられないわ」
知っていたのにアレクが死ぬのを回避できなかった。
悔しさで涙が滲み、体の両脇で拳をぎゅっと握っている私が飛び出さないようにする為か、隣にいるベリルが私を支えてくる。
そんな私の前に、サンドラが一歩近づいて言う。
その内容は、想像もしていなかった内容だった。
「ありがとう、『アレク』を好きでいてくれて」
ごまかすでもなく、ただただ私に対して申し訳なさそうなその顔。
え? アレクを殺したのはサンドラじゃなかったの?
どういうことかと、まだ私を押さえているベリルの方を向いて視線で問うと、少し苦笑しながら困ったようにしている。
もう一度サンドラの方を見ると、その困ったような申し訳なさそうな表情までアレクと似ている。
否、『似ている』んじゃない。
『同じ』だということにようやく気付く。
「アレクが本当に男だったら、ジルは本当に『ヒロイン』になれていたのかもね」
「……え? ええっ!?」
だんだん顔色が悪くなっていたらしい私は、ベリルに押さえられていなければ、今頃は卒倒していたかもしれない。
「……ジル、だから『そういうこと』だよ」
ベリルが言いにくそうに口にする。
「ええええーーーーーっっっ!?」
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一瞬気を失っていたらしい私は、すぐ傍のソファに横たえられていたようで、がばっと起き上がると同時に
「アレクーーっ! あとサンドラーー!!」
と思わず叫んでしまった。
『アレク』が生きていてくれて嬉しいのと、私の初恋相手が『女』だという事実に愕然としている気持ちと、今まで騙されていたことの怒りとでもうぐちゃぐちゃだ。
私の切羽詰まった叫び声に、部屋の前で控えていた近衛騎士が何事かと部屋の中に飛び込んできそうになったけれど、サンドラとベリルがそれを「なんでもない」と押しとどめている。
「なんてことなの……」
呆然自失の私の手を、そっとベリルが包みながらしみじみと言う。
「判る……。その気持ちすごく良く判るよ」
よしよしと頭まで撫でられて、思わず泣けてきそうだ。
「初恋相手が『女』だったなんて……これが黒歴史。もしかしてベリルも?」
「あー、うん。ちょっと違うけど似たような物かな……」
そう言って、ははは……と乾いた笑い声を上げるベリル。
「あ、でもお見舞いに行った時はベリルだったのよね。だからファーストキスはベリルだわ!」
セーフ!
「あ、……ああ、そうだね……」
ベリルが何か言いかけたが、ぐっと口の中に呑みこんで少し視線を外しながら答えると、側で私たちの様子を見ていたサンドラぁ!!!!が、ほっとしたように言う。
「なんだ『アレク』とキスする前に、ジルとベリルはもうキスしていたのね。ベリルったら勘違いさせないでよ。でもよかった」
は?
「……『アレクとのキス前』ってどういうこと? 私が言ってるのは王宮へ最後にお見舞いに来た時のことよ』
「あー……ゴメン、それわた―――」
「うわあああぁぁあ!!」
サンドラのセルフを遮るようにベリルが声を上げる。
『わたし』って………。
「ぐああぁぁぁぁあああ!!!」
「ほら、同性同士はノーカウントっていうし―――って、ジル!? しっかり!」
「サンドラ大変だ! ジルが口から泡を吹いている、医者を―――!!」
ブラックアウトしていく視界の中で、慌てたように叫ぶ二人の声が段々遠くなっていった。