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修道院[ジル視点]

 春の始め、野には早咲きの花が咲き乱れ、山も木々の新芽が美しい時期になった。

 隣国との境近くの山の中腹に、緑に囲まれた由緒正しい修道院があった。

 朝の陽ざしが木々の間から木漏れ日となって差し込み、その朝の光に春の花のようなピンクのふわふわ髪を優しく煌めかせながら、落ち着いた修道服に身を包んだ娘がバケツを手に修道院から出てきた。



 私がこの修道院に入ってから半年が経つ。

 この修道院はバッドエンド時にヒロインが入ることになる修道院だ。

 このゲームはそんなに悲惨な設定にはなっておらず、ヒロインが誰とも結ばれずにエンドになっても、どこかの好色な爺に売られるようなことも、殺されるようなこともない。

 ただ、誰ともエンディングを迎えられなかった場合は、失恋の痛手を癒すという名目でこの修道院で静かに暮らす、というエンディングだ。


 朝のお勤めとして、修道院裏にある井戸から水汲みをして厨房に届けるのが私の日課だ。

 冷たい水を汲みながら思う。


 転生した時には、前世で楽しんでいたイケメン達と実際に楽しく恋愛できればそれでOKだと思っていたけれど、サンドラが舞台をかき回すし、その代わりゲームでは殆ど接点のなかったアレクと交流を持つことができて、ここがゲーム通りの世界でないことを身をもって知った。


「それなのに……」


 ゲームの世界と完全一致ではないのに、ヒロインがアレクルートを取り始めた時から、アレクは体調不良で学園へ顔を出すことが少なくなってきた。


「……ヒロインが、ルートを大きく外れる行動をとったから、強制力が働いたに違いないわ!」


 このままだと、アレクが予定よりも早く死んでしまう。

 ゲームの中ではエンディングでアレクの体調不良について少しだけ触れられるだけだったのに、きっと私のせいで時系列が変わってしまったんだ。

 だから、私が無理やりにでも修道院に入ってこのゲームを終わらせてしまえば、きっとゲームの強制力も無くなるはずだ。


 それを信じて、毎日退屈な修道院でお祈りや身の回りのことをこなしていた。

 通常の貴族の令嬢ならこんな水汲みや身の回りの支度など苦痛でたまらないだろうが、幸いなことに私には平民の時の経験もあるし、前世では結構な田舎に住んでいたので、水汲みや畑仕事くらいなら別に問題ない。


 逆にこの辺りの井戸はいまだにつるべ式だったので、出入りしている村の人に鍛冶屋さんを紹介してもらって手押しポンプ式に変えてみた。

 畑も、鍬を使ってちまちま耕していたので、村の鍛冶屋さんにお願いしてモールドボード・プラウを作って貰った。

 牛ならいるからそれに引かせればいいじゃない。

 水やりだって、細い筒に小さい穴をあけて畑のあちこちに這わせながら水をちびちび撒けば、毎日一々水を撒く必要はないしね。


 暖炉もおしゃれでいいけれど、やっぱりストーブの方が熱効率もいいのでそれも作った。


 男爵邸や王都付近は平地で、冬でも寒くなることは殆どなかったけれど、隣国に近い山の中腹のこの修道院では冬にはそれなりに冷え込むのだ。

 薪の量が少なくて熱効率の良い暖房器具はあった方がいいし、ストーブならその上の鉄板部分で煮炊きもできるしね。


 サンドラが半年前に開かれた隣国の夜会へ行ったあたりから、隣国との交流が活発になってきたようで、隣国からの鉄鉱石とかが格安で手に入るようになった。

 なので、鉄を使った私のわがまま工作も、きっぷのいい鍛冶屋のおじさんが引き受けてくれた。

 この世界の生活基準が相当昔なのは知ってたけど、やっぱり便利にできるところはしておかないとね。


 食べ物に関してもこの辺の人たちは食べないのか、山芋とか山菜とか食べられそうなものは沢山あった。

 山菜は小麦粉があるなら天ぷらにして食べるとおいしいしね。

 山芋と小麦があればお好み焼きが作れるじゃない!

 ソースと鰹節が無いのが残念だけど、マヨネーズなら卵と油と酢があれば作れるからね。

 ソースは色々煮詰めて何となく近いものを作ってみた。


 ついでに近隣の村の人たちにもストーブやお好み焼きの作り方や食べられる食材を教えてあげたら、なんか

「聖女様が……!」

 と涙を流して感動された。



 修道院は完全に外界と切断されている訳ではなく、それなりに情報は入って来るけれど、王都の細かい情報までは入ってこない。


 毎月一回、村経由で回ってくる王宮からの『しんぶん』となぜかしょっちゅう手紙をくれるベリルからの情報くらいだ。

 ベリルとはゲームスタート時である学園に入った時には好感度も高かったけれど、私がアレクルートと決めてからは、殆どアレクを挟んでのケンカ腰でしか話したことがなかったので、今更なんだという感じもある。


「もしかしてベリルもアレクが病気で臥せっているから、ライバルである私と語り合いたいのかもしれないわね……」


 まあ、女であるという時点で私の方に軍配が上がっているけどね!


 それにしても思い出すのはアレクが臥せっている時に毎日お見舞いに行った時のことだ。

 こう言っては不謹慎だけれど、とても楽しかった。

 いつもはどこか表面を取り繕った感じのするアレクが、あの時だけはちゃんと私を見てくれて、この世界の常識に照らし合わせればとても口にするのを躊躇するような物も持って行った自覚があるのに、ちゃんと全部口にしてくれた。


 マムシ酒やすっぽんはその最たるものだろう。

 私も迷ったんだけど、アレクには元気になって貰いたかったから。


 最初はその容姿と王子様然としたところに惹かれたんだけど、本当に好きになったのは、あのお見舞いの毎日でアレクと接してからかもしれない。

 だから私もこうして修道院に入ってまでアレクを助けたいと思ったわけだし。


「私がこうしてゲームのエンディングを迎えているということは、きっとアレクの病状も良くなってるに違いないわ。そしたら修道院まで迎えに来てくれたりして……きゃっ!」


 妄想を楽しみながら水を汲む。



 ベリルから私がよく読んでいた小説の最新刊と手紙が届いた。

 手紙の中には、『小説をよく読んで欲しい。そして修道院から出ることを考えてほしい』旨のことが書いてあった。


 アレクが完全に良くなっていない段階で私が修道院から出たら、ゲームのシナリオが進んでアレクが死んじゃうかもしれないしそんなことできないわ。


「でも新刊は嬉しいな~」


 前世では乙女ゲームはもちろんだけど、恋愛ものも好きでよく読んでいたので娯楽の全く無い修道院でこういう小説はありがたい。

 読んでいる瞬間だけでも、夢を見ていられるから。


「やあジルちゃん、今月の『しんぶん』が村に届いたんだけど、修道院分を持ってきたよ」

「朝早くからお疲れ様です。いつもありがとうございます」

「なんか今回は沢山文字があって、村の皆も頑張って読んでいたけれど、ジルちゃんは学園で勉強していたんだって? ならすぐに読めるかもしれないね」


 村の郵便配達のおじさんはそう言って新聞を置いて手を振って帰って行った。

 今号は確かにページ数が多い感じがする。

 最近はスポンサー方式になっているらしく、記事のあちこちに前世でもよく見かけたような『広告』も載るようになってきた。


 これは広告から収入を得ているということだ。


「……この手腕と現代にも通じる手法、それに記事内容もよく読むと、学園でもまだ研究されていないような事柄がさらっと書いてあるのが不思議なのよね」


 そう思いながら最初にページ最後の懸賞問題を探す。


 私は知っているのだ、これは村の人々が言うような謎かけではなくて、ちゃんとした問題であるということが。

 王都にいる時は読んで無かったし、修道院に来てからも最初は読み飛ばしていたのだけど、暇に飽かせてバックナンバーを眺めていて初めて気付いた。


 なによこの現代知識のオンパレードは!?


 家庭予防医学から、物理法則や地動説まで、この世界の人々では到底思いつきも無さそうなことが書いてあった。


 そして今号は微分積分だった……。


「……うっ! 前世の記憶が!!」


 中2病的に叫んで蹲ってみたが、こんな恐ろしい公式を今世でも見ることになるなんて。


 恐ろしい……!

 私は文系なのよ!


 絶対にいる。

 王宮のどこかに転生者か転移者がいる!

 しかも印刷部門関連ならアレクの管轄のはずだから、アレクの側にいるはず。


「でも、それならどうしてアレクを助けてくれなかったのかしら。手術や薬学には詳しくない人なのかもしれないけれど……」


 新聞は後で読もうと、汲んだ水を厨房に届けてそのまま料理も手伝うことにする。

 どうやらこの国の人たちは1日二食が基本らしいけど、何気に体を動かすことも多いんだから1日三食、一汁三菜が基本でしょう!

 朝はしっかり取りたい派なのよ。


「……そういえば、王宮でも一日三食だって話を聞いたことがあるけれど、やっぱり元日本人なのかな」


 学園に通っている時や王宮にお邪魔している時にはゲームの事しか考えていなかったから、そういったことは気にしたことも無かった。

 一度離れてみると、色々冷静に考えることができるようになった。


 朝ごはんの後の一休みの時、新聞を読むことにする。

 最後のページしか見ていなかったが、郵便配達のおじさんの言うとおり今号はいつもよりもページ数が多い。

 最初のページを見ると『ケイニス国との国家統合!』の文字が飛び込んできた。


「ええっ!? 国家統合って、そんなことできるの!? 戦争しないで国って統合できるんだ……」


 でも国が一つになるなら、この付近はウラル国の端っこってイメージだったけど、ちょうど国の中ほどになるのかな。

 そうしたら物流ももっと盛んになって村も賑やかになるかも、と思いつつページをめくると、サンドラとシリウスの婚約発表が載っていた。


「そっかー、あの二人か。まあお似合いなんじゃない? シリウスは最初からサンドラ好きだったみたいだしね。……あれ、でも国家統合だからシリウスとアレクの共同統治になるのかしら―――」


 そんなことを思いながら、王都で行われたという祭りの様子をふむふむと読む。


「楽しそう~。あ、もしかしてベリルが修道院から出て来たらどうって、これを見せたかったのかな」


 三日三晩通しての祭りとは、確かに心惹かれるものがあるけれど、近隣の村の祭りに出かけるわけじゃないんだから、もし知っていとしても無理だったろう。


 ……そういえば、ベリルは『小説みたいなことは本当にあるんだよ』と小説の新刊と一緒に送ってくれた手紙に書いてあったけれど、王太子が女だなんてあるわけないじゃない。


「そもそもアレクとサンドラが同一人物なんてありえないしね。あの紳士的なアレクと、あの悪魔みたいなサンドラが同じなんてありえないわ!」


 頭からその仮定を振り払いながら記事を読んでいくと、最後のページの一つ前に小さく、信じられないことが書いてあった。


「……アレクが…亡くなった? そんな……そんなことありえな―――」


 ショックの余り眩暈が止まらなくなった私は、無意識に修道院の外に出てきてしまっていた。

 どこへ行くというのか、王宮まで確認しにいくとしても女の足で一体何日かかるのか。


「うそ……うそよ―――」


 そのまま泣き崩れそうになった時、俯いた私の前に誰かが馬で乗りつけたのが判った。

 郵便屋さんがまた来たのかと思い視線を上げると、白馬に跨ったアレクがいた。


「アレ―――」


 口に出しかけてはっとする。

 最後に見たときのアレクより髪が短く、瞳の色が周囲に広がる新緑のような鮮やかな黄緑色をしている。


「ベリル!? 一体どうしてここに―――」


 アレクのことはショックだけれど、それよりもなぜこんな山里に公爵子息であるベリルが単身来ているのか。


「どうしてって、ジルがこの修道院にいるのは、アレクの病気が治るようにという願掛けなんだって? それならもう修道院にいる必要はないんじゃないかと思ってさ」

「それってどういう……」

「それ、もう読んだ?」


 どうやら読んでいた新聞をぐしゃぐしゃに握りしめたままふらふらと出てきてしまったらしい。

 でも、この新聞が真実で、それで

『もう私が修道院にいる必要はない』

 って―――、もしかして本当に。


「アレクは……アレクは―――?」

「ああ……、そのことなんだけど―――」


 言い辛そうにしているベリルに、はっとする。


 そうだった、ベリルもアレクのことが好きなんだった。

 ベリルも辛いに決まっている。


「いいの、言わなくていいわ……」


 でもどうして……。

 ゲームの影響からは逃れられなかったというの?

 でもそれなら他の事象は大分変わっているというのに。


 まるで元から決められていたゲームシナリオの上から、誰かが別のシナリオで更に上書きしたみたいに―――。


「……!」


 そこまで考えてはっとする。


 アレクの側にいる可能性の高い、転生者か転移者。

 通常よりも早く病床に臥すことになったアレク。

 そしてアレクの死と今回の国家統合で一番得をする人間。

 存在しないはずの悪役令嬢。


 サンドラ……!?


 そう考えるとしっくりくる。

 それと同時に体に震えが走る。


 もしかして現代知識を利用したサンドラが、ゲームの筋書きをぐちゃぐちゃにして、アレクまで殺した……?


「ジル、実は君に伝えなければならないことが沢山あるんだ」


 ベリルが何かを決意したように馬から降りながら、自分の思考にショックを受けている私の震える体を支えながら言ってくる。


「アレクが病気で臥せっていた時、毎日王宮まで見舞いに来てくれていただろう」

「ええ……。でも助けることはできなかったけれど―――」


 きっとあの頃はサンドラの用意した毒か何かが回り切っていたのだろう。

 せめて私がもっと早くこのことに気づいていれば……!



「あの時の『アレク』は僕だったんだ」



「………は?」









ヒロインの思い込みが激しいのはお約束。




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