マチネ
一体これはどうしたことだ。
シリウスはまるで私の事が好きみたいじゃないか。
……もしかして本当に?
いやいや、そんなこと考えない方がいい。
これは紛れもない政略結婚なんだから、シリウスとしてもできるだけ仲良くやっていこうという意思表示にすぎないはずだ。
そもそも学園に普通に通ってた時には、アレクに対してもサンドラに対しても普通の『友人』として接してきていたはずだ。
主に私の思惑であれだけ隣国の内情へ踏み込んで、散々振り回して、嫌われてもおかしくないようなことをしてきた自覚はある。
しっかりしろ、私!
勘違いはするな、期待もするな。
シリウスは『婚約者』に対して、一般的な社交辞令をしただけだ。
……王太子教育にも淑女教育にも、『婚約者に対してどのように接するのがいいのか』という授業は受けてはいなかったので、シリウスのあれが一般的かどうかは判らないのだが、前世のことを思い出してあてはめてみても別に変なことじゃない。
うん、落ち着け。
そう自分に言い聞かせながら湯あみをして、すっきりとした夜着に着替える。
しかしさっきのシリウスの様子が脳裏にちらついて、とてもまだ眠れそうにない。
そうだ、と思い出して、私と父が隣国へ行っている間に出版されたはずの小説の最終章が載った本を持ってきて貰おうと、ナニーへ言う。
一応チェック済みだが、明日の発表と重ね合わせる者達も多いだろうから、台本代わりに再確認しておいてもいいだろう。
だが、ナニーはピクリと肩を揺らしただけで、
「明日は早いですので、今日はもうお休みください」
と言い、頑として私に見せてくれようとはしなかった。
仕方ないのでまだ大分早いが寝ることにする。
連日の移動と隣国の国王やシリウスを迎える準備の為、どうやら気疲れもしていたらしく、その日は夢も見ないでぐっすり寝ることができた。
そして、まだ夜が明けきらぬ内にナニーから叩き起こされることになった。
「むにゃむにゃ……。本番は夜なのに何でこんな朝早くから―――」
「いいですから、ほら、まず湯あみから参りますよ!」
そう言って、まだ半分寝ている私を、他の侍女達と一緒になって湯船に浸けたり、全身マッサージをしている。
気がついたらもう昼近くで、ドレスと化粧もすっかり施されていた。
「まだ昼前なのに。リハーサルなら昨日やったじゃないか」
「シリウス様達と一緒ではなかったじゃありませんか」
確かに……。
ドレスは昨日リハーサル用に着た銀色のイブニングドレスではなく、母が昼の国民へ向けての挨拶用として着るドレスの型に良く似ている。
色はアレクの色として皆から認識されている、平常時の瞳の色である優しい青緑色だ。
装飾はやはり控えめで、中性的ですらある。
「……これは?」
「こちらは、国民への挨拶用になります。銀色のドレスは今日の夜会用ですので、今はこちらをお召しください」
もしかして国民への発表についてもリハーサルをやるのだろうか。
当初その様な予定は無かったはずだが、昨夜父達の間で決まったのかもしれない。
髪は結い上げずに流したままだ。
化粧を施さないと、遠目にはアレクそのもののように見えるかもしれない。
髪を結い上げない代わりに、滅多につけない国宝扱いのティアラを乗せられる。
ティアラは、この国が出来た当初から女性王族にのみ伝えられている物だ。
夜会等でティアラが必要になるときもあるが、大抵はこれではなく、王族それぞれが好みに応じて作らせたものをつける。
……ただのリハーサルに、わざわざ国宝のティアラを持ち出してくるなんて。
念には念を、というやつだろうか。
金で作られたそれは、複雑な彫金が施されており、中央には宝石を据えるための台座があり、セットになっている数々の宝石からこのティアラをつける者に合った宝石をつけることになっている。
母が瞳の色と同じ、エメラルドを着けているのを見たことがある。
今はティアラの中央部分に大きなアレキサンドライトが飾られており、私の今の瞳と同じ青緑に静かに光っている。
「このティアラのセットになっている宝石に、アレキサンドライトなんてあったか?」
「こちらは隣国からこの度の婚約の為に贈られた物です」
指輪といいネックレスといい、貰ってばかりだな。
正式な礼は父が言ったと思うが、私からもきちんと礼を言っておかないと。
ナニーから、皆が待っているという場所へ案内される。
「ナニー、どこへ行くんだ?」
「バルコニーで皆様お待ちですよ」
歩きながら思い出す。
あ、ナニーに急かされて瞳の色を変えるのを忘れていた。
……でもリハーサルだし、隣国の国王もシリウスももう知っているから別にいいか。
ティアラの宝石とも昼間なら色が合っているしな。
ナニーに連れられ王宮内を進む私のことを、他の侍女や騎士達が、感無量といった様子で見送っている。
ただのリハーサルなのに、皆どうしたんだろう。
バルコニーの前ではシリウスがベリルやブルーノと何か話しながら私のことを待っていた。
「サンドラ、お手をどうぞ」
「ええ……」
シリウスが差し出した手に自分の手を乗せると、ベリルとプルーノがバルコニーへ出る為の大きなガラス戸を開けてくれた。
二人とも、すっかり落ち着いた瞳で私のことをシリウスへ預けようとしている。
ベリルが軽く微笑みながら言う。
「おめでとう。頑張れよ」
『頑張る』って何を―――。
と聞き返そうとしたが、シリウスに手を引かれて前を見ると、バルコニーの手すりの傍に父上とケイニス国王が待っていた。
バルコニーの下は王宮前の広場が広がっており、新年の挨拶の時や国民に向かっての大々的な発表等はここから行うことになっている。
王都を一望できる場所なので、父上はケイニス国王を案内していたのだろうか。
そう思ったのも一瞬で、何かおかしいと初めて感じた。
バルコニーは広く、下の様子はまだ見えないが、ざわざわと人の居る気配が伝わってくる。
それも王宮に居る使用人が何人かいるレベルではなく、何百人も何千人もの気配だ。
ふと今自分が出てきた王宮を振り返ると、塔の一番高い所に喪を示す黒い旗と、慶事を表す金の縁取りの入った国旗、それとケイニス国の国旗が掲げられている。
父上とケイニス国王が待っているバルコニーの端の方へと近づこうとしていたが、どういうことか、と思わず歩みを止めた私の腰を抱くようにして、シリウスが一歩一歩前へと進んでいく。
「ほらサンドラ、皆が待っているよ」
「皆って―――」
ついにバルコニーの手すりのところまで連れてこられてしまい、その光景に圧倒される。
眼下の王宮前の広場は、人で埋め尽くされている。
広場どころか道路や遠くに見える建物のベランダや屋根の上まで人が乗り、こちらを見ている。
「ど……っ、どういう―――」
絶句する私を余所に、役者はそろったと言わんばかりに父上が皆へ向かって声をかける。
「本日皆に伝えたいことがある。我が息子であるアレクは亡くなった」
その声に、悲鳴のような哀惜の声が上がるが、なぜかその中には続きの言葉を期待するような色が混じっている。
「そして、この国の世継ぎは娘のサンドラとする」
大きな拍手が上がる。
どういうことか判らないが、夜会よりも先に国民へのお披露目を行うことにしたらしい。
全くの想定外だが、これだけの人数の前で取り乱すことはできない為、必死で笑顔を作る。
「アレクを失った悲しみが癒えることはないだろう、そこで我が娘であるサンドラの名前を改名することとした」
えっ!?
「継承権をサンドラに移すと同時に、サンドラの正式名称をこれより『アレクサンドラ』と改称する。呼び名については場面に応じて使い分けて良いこととする。これで皆も息子アレクの不在の寂しさをいやしてもらえればと思う」
その父の言葉と同時に、垂れ幕のように大きな紙に今の父の言葉である、アレクの死とサンドラへの継承権の移動、それと改名について書かれた紙があちこちで広げられている。
街の方の広場にもおそらく同様のことが書いてある白い大きな紙が高所から垂れ幕のように広げられたのが遠目に見て判った。
声だけだと遠くまでとても届かないの為、パブリックビューイングのようなことをしているらしい。
学校のお陰で識字率が飛躍的に跳ね上がり、製紙技術も上がった我が国だからできることだな、と硬直した頭で呆然と考えていたら、今まで固唾を飲んでいたらしい群衆から歓声が上がる。
「アレクさまー! サンドラさま! おめでとうございます!」
そんな皆を見て、シリウスが小さく耳打ちしてくる。
「ほら、手を振ってあげて」
つい言われるまま手を振ると、眼下から
「アレクさまー!たとえ女性の姿になっても一生お慕い申し上げております!」
という女性のものと思われる声が多数かけられる。
あれ? サンドラがアレクと同一って思ってないか?
と思うが、満面の笑顔でこちらを見る父たちとシリウスや、周囲で控えている侍女や近衛騎士達にうながされて前へ一歩出る。
すると、父が横に控えていたセバスへ目くばせし、私へと小さなメモを渡してきた。
このセリフを言えということか。
そのメモを見て、一瞬で冷汗が噴き出してくるのが判る。
笑顔がこわばるのを必死で止めながら声を出す。
「継承権は私に移りましたが、名前と共に私の中にいるアレクが万事問題なく執り行うでしょう。皆今までと同じ、いえ今までよりもさらに快適な暮らしとなるよう、このアレクサンドラ、隣国との架け橋となりましょう」
大きな拍手が上がり、父が満足そうに頷いている。
私の背中は冷汗と緊張でこわばりそうだ!
自国なのに、アウェー感が半端無いのはどういうことだ……。
父が強張りそうな笑顔を貼り付けた私の横で、清々しく言う。
「ここにウラル国とケイニス国の国家統合を宣言する」
アレクの喪を示す白い花と慶事の色とりどりの花びらが舞い、王都中の鐘が鳴る。
慶事の時のみ鳴らされる鐘も、喪の時にだけ鳴らされる鐘も全て鳴っているので、隣国にまで聞こえそうな勢いだ。
喪の鐘がいつもと違うのは、慣らしている者が笑顔で鳴らしているということぐらいだ。
余りのことに硬直している私の傍について笑顔で群衆へ向けて手を振っているシリウスが、小さく囁く。
「驚いた?」
「……とっても。一体どういうことだ?」
つい女言葉も忘れて文句が口を突いて出てしまう。
「元々は君の父君であるウラル国王が提案してきたんだよ。『アレクを失いたくない』ってね。だってそもそもの君の名前は『アレク』だろう? 仕方のない理由で男装していたとはいえ『アレク』は既に君の父君にとって、大事な息子だったようだよ」
「……もしかして私のことを堂々とアレクとして扱えるように改名を……」
「さあ? そのあたりは跡で国王陛下に聞いてみるといいよ。ただ、国民にとっては『サンドラ』よりも『アレク』の方が人気が高いようだね。だからアレクが亡くなることによる損失の方が、アレクが女であると周知するリスクよりも高いと思ったらしいね」
もちろん俺もそれには賛成だ、とシリウスが続ける。
「それなら事前に教えてくれればよかったのに……」
「事前に君に知らせていたら、リスクが残っているからって計画自体を潰してしまうかもしれないだろう、ってさ」
「……」
さすが父、私の事をよく分かっている……。
確かにリスクが残っている状態での発表は、私は首を縦に振らなかっただろう。
黙り込む私を解すようにシリウスが顔を寄せてきて小さく囁く。
「それに、国家合併なら影響力の大きいアレクと縁を結んだ方が利がある、と父上も言っていてね。協力してこうなったらしいよ」
はた目には仲睦まじく見えるのか、眼下で女性たちの浮かされたような溜息が聞こえてくる。
「一体いつから……」
「ウラル国王がケイニス国に来る前かららしいよ。現にここに集まっている国民たちは既に台本を渡されていたみたいだし」
「台本?」
「小説の最終章が出版されただろう」
「王太子が女っていう小説のことか」
「あの中に、そのまま今と同じ状況がエンディングとして載っているよ」
「え!?」
「『王太子は皆に祝福を受けながら、王女としての自分の正体を明かす』っていうね。言ってみればここにいるほぼ全員が、エンディングの参加者になれたことを喜んでいるみたいだよ」
自分がチェックした時にはそんな内容では無かったはずだ。
一体誰が―――。
思考に入り込みそうになったところを、シリウスに引き戻される。
「俺も読ませてもらったけれど、国民へのお披露目のシーンにはまだ続きがあるんだ」
「続き?」
眼下では何かを期待するかのように、こちらをきらきらした眼で見つめている群衆がいる。
戸惑いながらそちらに視線を向けていた私の頬に、何を言う暇もなくシリウスがキスを落としてくる。
「っ!?」
同時に、それをしっかり見ていた群衆から歓声が聞こえてくる。
こんな! ものすごい数の人前で!!
びっくりして硬直したまま、頬に血が集まってくるのが判る。
思わず逃げを打ちそうになった私の体を、緩く抱きしめることで留め、さらにそのまま近づいてくる。
「……シ、シリウス!?」
至近距離から微笑まれて思考が止まり思わず目を瞑ったところ、唇に軽く何かが触れた。
先ほどの歓声よりもっと大きな歓声が響き渡る。
現実逃避しそうになって、ふらりと傾いだ体を、シリウスにがしっと捕まえられる。
……な、なっ、なななにをーー!!
私の声なき悲鳴は、今や見える限りの人々から発せられる歓声にかき消されて空に消えた。
ソワレもありますよ。
追い込むぜ!