開幕前夜
隣国からは夜会の後、すぐに帰ってきてしまった。
我が国でも隣国と同様に、婚約と国家合併の発表を速やかに行わなければならないからだ。
隣国の貴族たちへは、ウラル国での発表まで極力周囲に話さないよう、ケイニス国王より厳命されている。
しかし、王命とはいえ人の口に戸は建てられないと言うし、我が国でもできるだけ早く報告をする必要がある。
私達が帰国の為に隣国を出立してすぐに、ケイニス国王とシリウスも我が国へ向かう手はずになっている。
隣国では国王不在の間は、ウラル国から連れていった文官達が隣国の者達と協力しあい、政治を停滞させないよう取り計らってくれる予定だ。
今隣国の中央政治に残っている者達は、信のおける者達ばかりというし、大丈夫だろう。
帰途、馬車に揺られていると、小説の最新刊を手にこちらへ手を降る村人を多数見かけた。
隣国へ出立する前に、印刷部門へ小説の最終章の本は準備させていたので、それが発売されてちょうど国の境まで届いたのだろう。
皆父と私の名前を呼んでいるらしいが、窓越しで何と言っているのかよく聞こえなかったので窓を開けようとしたところ、父から止められた。
「窓を開けると寒くなる! 私は今寒いのだ。ああ寒い寒い!」
「そうでしたか。では窓越しにしておきましょう」
そう言って窓越しに皆へ手を振ると、歓喜したように口々に何か叫んでいる。
……おかしいな、最新刊はどちらかというとしんみりした内容だったのに、そんな興奮するようなエピソードあったかな。
一緒の馬車に乗っている父へ何となく聞いてみる。
「今回は通常よりも物流が早い感じがしますね」
王都ならともかく、国の外れの村だというのにこんなに早く新刊を手に入れているとは。
「そ、そうか? こんなものだろう。きっと我が国の物流がより効率的になってきたのだな」
父がそう言いながら、こくこくと頷いている。
言われてみれば、これから隣国との交流が多くなることを見越して、主要な道路の整備をしているので、荷馬車でも走りやすくなり、荷駄が早く届くようになったのかもしれないな。
小説は『架空の国の物語』というフィクションとしているが、私とこの国の王家に重ねて見ている者も多く、特に一般市民の間では完全に混同している者も多い。
それを利用させてもらう。
最終章の内容は、今まで王子として育てられていた王女が、王子の名を捨てて王女として隣国の王子と結婚するという内容だ。
そして王子は国民の悲しみの中、空の棺で葬られるという、私が当初描いていた通りの結末となっており、国家合併についても匂わせた状態での終わりとなっている。
最終チェックをした時に問題無かったので、皆アレクの死が発表されても、きっと落ち着いて聞いてくれるだろう。
号外記事も同様の内容だが、こちらは国家合併のことが紙面の殆どを占めているはずだ。
主に合併に伴うメリットを上げ連ねている。
デメリットはおいおい小出しにしていけばいいだろう。
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そんなことを考えながら国に戻ってきたら、なぜかいつも通る城下町経由ではなく、王宮背後に広がる丘陵地帯からの帰還になった。
今の城下町は祭りの準備中で、とてもこの王家の馬車で通れないらしい。
なんでも、取り囲まれて前へ進めない可能性が有るとのことだ。
……この時期に、祭りがあった記憶がない。
前世の頃よくあった、商工会独自の祭りだろうか。
城に帰ってきてからも、ろくに外を見れていない。
それというのも、どうやら父が忙しいらしく、王太子としての仕事以外にも、父の分の仕事まで降ってくるのだ。
息抜きがてら城内を散策しようとすると、なぜかセバスやナニーに引き留められ、城外どころかここ数日は城内の様子も分からないでいる。
父と一緒で、皆忙しそうだ。
そんなに何を準備しているのだろう。
父から割り振られた仕事がようやく済んだので、私も皆の方を手伝おうかと声をかけたら「夜会の準備の為」といって、ドレス部屋に閉じ込められしまった。
夜会のドレスは隣国で着た物と同じで良いと思っていたが、侍女たちが奮起したらしく、新しいものが用意されていた。
「夜会の参加者は被らないからいいじゃないか」
と言ったら
「国王陛下と隣国の国王陛下とシリウス様が被るじゃありませんか!」
と抗議されてしまった。
まあ確かに今回の夜会の中心人物だけど。
どうやらシリウス付きの侍女とも既に通じているようで、お揃いのデザイン等を事前にやりとりしていたらしい。
新しいドレスは銀を基調にしたもので、体にぴったりと添うようなシンプルで大人っぽいデザインだ。
全体的にフリル等は使われておらず、少し中性的なイメージさえある。
ナニー達侍女は、サンドラのドレスを選ぶ時には大抵
「せっかくの女性の恰好なんですから女性っぽく! 乙女チックに!」
と張り切ってことあるごとにフリルひらひらのドレスを着せてこようとするので、珍しいな。
裾はマーメイドラインになっていて、正面横には足さばきが良くなるように深い切り込みが入っており歩くたびに小さなダイヤが縫い付けられたレースが覗くしくみになっている。
胸元はスクエアに切り取られており、粒のそろったサファイヤをビーズのように使い、ケイニス国の紋章を縫い取っている。
ネックレスはシリウスから以前「アレクへ」と贈られた指輪についていた青緑の石を使い、わざわざ作り直したらしい。
明るい金と銀の中間くらいの色合いのチェーンを使っており、ドレスの銀と私の明るい金髪の間でちょうどいい調和を出してくれている。
頭はもう鬘を使わずに、地毛を使って結い上げている。
髪飾り等は無く、どうやら本番ではティアラを着けるらしい。
シリウス達が来る前に、念の為リハーサルも行って入念にチェックをしていたら、横で父上がナニーやセバス達と何か話し合っていた。
何も問題はないと思うのだが、気になることでもあったのだろうか。
それに夜会には関係無く、城中が浮き立ってばたばたと何か準備をしているようだ。
今まで見たことも無いような大判の紙を何枚も筒状に束ねているのを見かけたり、号外の準備だろうか、紙の束を詰み込んだ馬車が国中に散っていく様子も時々垣間見える。
確認しようと近寄ろうとするが、侍女や近衛が強硬に私を阻もうとする。
曰く
「サンドラ様はまず、ご自分の心構えをなさってください」
とのことだ。
アレクを死亡したことにして、サンドラが継承権を継ぎ、シリウスとの婚約発表と国家合併。
確かに色々なことが一斉に起きる予定の為、心構えも必要か。
明日には隣国の国王とシリウスが到着し、夜会が開催される予定だ。
明日で『アレク』が存在しなくなるのかと思うと、感慨深いな。
もう誰からも『アレク』と呼ばれなくなるのかと思うと、なんだか寂しい。
私の今までの、王太子としての自分がどこかに消えてしまうような気がして。
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翌日にはシリウスとケイニス国王が到着して、父上と一緒に出迎える。
シリウスにとっては半年ぶりの我が国だが、ケイニス国王は十数年ぶりらしく、父と城や王都について楽しげに話し合っていた。
特に王都の賑わいに驚いており、昨今のケイニス国では見られないような物が沢山あるようだ、と興味津々の様子だ。
……この分だと隣国の国王をお忍びで城下町へ案内する必要があるかもしれないが、せめてお披露目後にして貰うことにしよう。
父上とケイニス国王はまだ明日の段取りについての話があるそうだが、私は明日に備えて早く寝ろと言われてしまった。
なんで今更話し合う必要があるのかと不思議に思って聞こうとしたら、シリウスが私の手を取って引く。
「明日の主役は君なんだから、早めに休んだ方がいい。部屋までエスコートさせてもらってもいいかな?」
「主役って……どちらかというと父上とケイニス国王陛下が主役だと思うのだけど―――」
そうシリウスに言いかけた私のセリフに被せるように、父が言葉を重ねてくる。
「シリウス殿、すまないな。娘をよろしく頼む」
父上の一言もあり、部屋にドナドナされることになった。
大抵私に相談してくれる父が珍しいこともあると思ったが、何か私には伏せておきたいことでもあるのだろうか。
……まあ、いいか。
国王同士が仲良くなるのはいいことだ。
シリウスへ部屋へと送ってもらう途中、後ろに控えていた侍女達の姿がすすすっと見えなくなり、気が付いたらシリウスと二人きりになっていた。
おそらく見えない所に皆いるのだとは思うが、なんで私に断りもなく姿を消していくのだろう。
しんとした廊下をシリウスと二人きりで歩いていることに気付いて、急に落ち着かない気分になってくる。
「どうした? サンドラ」
「……何でもないわ」
顔を合わせるのが少し気恥ずかしいのは、シリウスがこちらをじっと見てくるせいだ。
どきどきなんか……するもんか!
でもちょっと視線を逸らしてしまった。
……なんか負けた気がして悔しい。
ドアの前まで送って貰ったところで少し考える。
婚約者としては一応部屋でお茶でもどうかと誘った方がいいのだろうか。
べっ、別に夜半というにはまだ早い時間だし、せっかく来てくれたシリウスを退屈させてはいけないというホスト側の配慮としてだな。
ドアの前でお休みの挨拶をするわけでもなく逡巡する私を見て、シリウスがふっと笑って冗談めかしたように先に言う。
「このまま君の部屋までお邪魔したい気分だけど、この後人と会う約束をしているんだ」
「……誰?」
つい口にしてしまってはっとする。
なんか独占欲を出しているみたいじゃないか。
何をやっているんだ私は!
と後悔していたら、そんな私の様子には気づかなかったようにシリウスが言う。
「ベリルとブルーノに会うんだよ。ベリルとは久しぶりだし、ブルーノには助けてもらった時まともに礼を言う暇もなかったからな」
それに、と私の耳元に口を寄せて、いたずらっぽく言ってくる。
「二人には、公式発表前にちゃんと自分の口から君との婚約について伝えておきたいからね」
かっと耳元から勝手に熱が上がってきそうになるのを、手で片耳を押さえながら一歩後ろにずれて言う。
「……二人とももう知ってるわよ」
「でも自分の口からちゃんと釘を刺しておかないとね。彼らに聞きたいこともあるし」
そういって少し物騒に笑うシリウス。
釘?
釘ってなんだろう。
じゃあ、と言って、ドアを開いて中へ入ろうとした私の手を掴んで抱き寄せられる。
な……、なっ!?
抱き寄せた私を腕の中に収めながら、肩甲骨の下くらいまで伸びた髪をシリウスが一房手に取って指に絡めている。
「この髪、……鬘取ったんだな」
「え!? あ、ああ。そのままでも女として通じる長さにやっとなってきたから―――」
「やっぱり、本当の髪の方が手触りがいいな」
そう? と聞き返そうとした私の声は、そのまま指に絡めた髪に口づけてきたシリウスを見て、口の中に消えた。
以前同じようなことをされたことがあったが、あの時は地毛よりも長い鬘の髪だった為、距離も今よりも少し離れていたし、なにより鬘だったため髪を引かれる感触なんてなかった。
シリウスが指を絡めて摘まんでいる髪の一房は、ちょうど私の左耳の後ろ下辺りから伸びた髪で、少し髪を引かれるだけで耳の下からうなじにかけて、ぴりぴりと痺れるようなむず痒い感覚が襲う。
「……っ」
思わず息を詰めた私を見て、髪から指を離してくれたシリウスだったが、ほっとする間もなく今度は耳の後ろの方に手を差し入れられてびくっとする。
明るい金の髪を指でかき分けるように耳の後ろ当たりに手を添わされたまま、シリウスが私の瞳を見つめたまま一歩近づく。
一体何を―――。
と問おうとしたが、口をぱくぱくと開けて息を吐くことしかできないでいる私の耳元に口を寄せて、シリウスが耳朶をくすぐるような低い声で囁いた。
「お休み、アレク。それとサンドラも」
パタリと閉じたドアの前に立ち尽くしていると、部屋の中で私の帰りを待っていた侍女が話しかけてきた。
「湯あみの準備は出来ておりますが、今日はどうなさいますか?」
「―――入るわ……。できれば冷たい水も用意して」
顔が、というより今囁かれた方の耳が熱くて堪らず、なんとかそれだけ口にした私に、びっくりしたように侍女が言ってくる。
「何をおっしゃっているのですか! 温かくなったとはいえ夜はまだ肌寒いですよ。この時期に水浴びなん……。殿下? どうなさったのですか、お顔が赤いですよ!? もしかして体調でも―――」
「いえ、体調は悪くないわ、悪くないんだけど……。え、顔赤い?」
「はい、とても」
うあああーーー!!