神と悪魔[隣国の第一側妃視点]
閑話です。
この世に神様なんていない。
そして、悪魔もいない。
だって、神様がいるなら私はとっくに罰せられているはずだし、悪魔がいるなら私をスカウトしに来ないのはおかしいじゃない。
いるのは、まるで神様みたいな、そして悪魔みたいな人間だけ。
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国王陛下と正妃を見たのは、私がデビュタントの為初めて王宮に伺った時だった。
その頃はまだ王太子だった国王と、その婚約者であった正妃は、似合いのカップルとしてその年のデビュタントの注目の的だった。
まるで物語から抜け出てきたような、幸せそうな二人。
それがとても綺麗で、ずっと眺めていたかった。
まるで夢の世界が目の前で繰り広げられているようだったから。
正妃とは同い年だったため、夜会等で少し話をする機会もあった。
この国にも学園はあったけれど「賢しい女は嫌われる」と父から言われて私は通っていなかったが、正妃は王太子と一緒に通っていて、色々なことを私に教えてくれた。
王太子はいつも正妃の事ばかり見ていたけれど、それがとても真摯に見えて、私は憧れてしまった。
憧れだけで済んでいればよかったのだけれど、正妃の父親が突然亡くなったせいで私の父が宰相になり、その父から王宮に上がらないかという話を聞かされた時はびっくりした。
今なら正妃にもなれると聞いたが、とてもそんなことは考えられない。
あの二人の仲に割って入るなんて無理なことだ。
でも、側妃として夢のような王宮暮らしをするのは魅力的なことだと思った。
正妃は素敵な女性だし、王太子も優しい方のようだ。
彼らの側にいられるのなら、私も物語の登場人物のようになれるような気がしたのだ。
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「どうぞよろしくお願いいたします」
王宮に上がり初めて王太子がこちらに来られると聞いて待っていた。
後宮に上がって何週間も経ってもお渡りが無いことを、今は宰相である父に相談してしばらくしてのことだった。
「ああ……」
濃紺の瞳に銀の髪。
瞳は私のことを映していないけれど、夜空の星々のように煌めく銀の髪が少し影になっていて、それが寝台の横に置かれた灯りに映えてとても綺麗。
脇のテーブルに置かれた酒を差し出される。
実は私は余り酒に強くは無いのだけれども、もしかしたら私への気遣いかもしれないのでありがたくいただくことにする。
少し強めの甘い甘い酒。
口当たりは良いけれど、喉を通った途端に一気に酔いが回ってきそうになって視界まで歪んでくる。
そのまま何か耳元で囁かれて、甘美な夢を見ていたような気がする。
気が付けば朝になっていて、横に王太子はいなかった。
あれは夢だったのか、それとも現実だったのか。
体のだるさはあるが、これが愛された証拠なのだろうか。
経験が無いので判らない。
私から王太子に聞くことなどできそうもないし、侍女に聞くことも恥ずかしくてできない。
後日父から聞かれたが、お渡りはあった、とだけ伝えておいた。
でもあれは本当のことだったのか時々不安になり父にそれとなく相談すると、その数日後には王太子は決まってこちらにも顔を出してくれるようになったので、それでいいと思った。
酩酊して何もかも判らなくなる少しの間だけでも、王太子の側にいられるのだから。
夜会には正妃と共に私も王太子の横に立たせて貰うことができる。
王太子は大抵夜会の時は、来賓の方たちと挨拶をするか正妃と踊るので精一杯らしいので、私は王宮の他の者達と話をしたり、ダンスに誘われて一緒に踊ったりしている。
先日騎士団に入ったという、私と同じくらいの青年もそんな一人だった。
この国にしては珍しい黒髪をしている。
舐めるように私を見て来たけれど、国王の側妃に不埒な真似をするような者はいないはずなので、特に気にしていなかった。
ダンスが行われているホールの方で、ひときわ大きな歓声が上がった。
人並みの間から覗くと、国王が踊りながら正妃を高くリフトしたところだった。
正妃の背中に結ばれた透けるような大きなリボンがまるで羽のように広がり、繊細な蝶のようにどこかへと飛んでいきそうだった。
その後の夜会から、正妃が着ていたような背中に大きなリボンをつけたドレスが流行り出した。
私も作らせてみたけれど、少しサイズが合わなかったのか、夜会の直前にお針子を呼んで少し調整させていたら開始時間に少し遅れてしまった。
慌てて会場へ向かうと、もう既に夜会は始まっており、皆楽しそうに談笑やダンスを楽しんでいた。
そしてその笑顔の中央には、幸せそうな二人。
軽やかな明るい金の巻き髪に吸い込まれそうな濃いピンクの瞳。
王太子の銀髪と濃紺の瞳とまるで金銀セットのようにも見える。
そうよ、昔からお互いのことしか見ていない、お似合いの二人だったじゃない。
彼らを中心に世界は回っているようだった。
まるで太陽のように。
極星のように。
じゃあ今ここにいる私は何?
夜会の会場の入り口に取り付けられた大きな姿見。
そこに映る一人の女。
彼らの眩しさに惹かれるように王宮に迷い込んだ蛾、それが私。
その日は体調不良ということにして、結局夜会には参加しなかった。
作らせていた羽のように大きなリボンのついたドレスは、破いて捨てた。
光なんて無くていい。
光があれば影ができてしまう。
影は私。
騎士団に所属している青年が声を掛けてきたのはそんな時だった。
閨に押し入られ、私が感じていた疑問は確信に変わった。
国王は私を愛しはしなかった。
手を触れもしていなかった。
その黒髪の青年の方がよほど驚愕していたのが滑稽だった。
誰かに愛されるということは、こういうことなのか。
寂しさだけは少し和らいだが、私はその青年のことを別に愛してはいなかったので『好きな人に愛される』ということがどういう心地なのかまでは判らなかった。
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王太子と正妃、お似合いの二人、私の憧れの二人。
彼らを愛している。
その優しさ、博識、容貌も性格も何もかも。
愛している。
そして、憎くてたまらない。
その気持ちは私の体の中で渦巻き、孕ませ、裏切りと悪意の証明を産みだした。
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正妃が亡くなった時、父が手を回したことはうすうす判った。
判っていて、止めなかった。
悲しみの余り現実をまだ認識できないでいるのか、呆然としている王太子を見ていたらふいに笑いが込み上げてきた。
まるで物語みたい。
でも今度は悲劇なのね。
もう息をしていない正妃の顔はまるで眠っているみたいに綺麗で、現実感が無い。
綺麗なまま逝った正妃。
誰の中にも綺麗な思い出だけを残したまま。
きっとそれが色褪せることは一生無いだろう。
一番美しく、幸せな時のまま人々の記憶に残る正妃。
ふいに、王太子が今まで興味も見せなかった私に視線を向けたのに気付いた。
涙が滲んで濃紺に光りながら、信じられないようなものを見るような瞳。
初めて私を見てくれた。
きっと彼の愛情は、全て正妃に捧げられてしまったのだろう。
そしてそれを両手に抱えたまま、この世を去った正妃。
もう彼の愛情はこの世のどこにも無い。
愛されないのなら。
「どうかなさいましたか?」
敢えて優雅に響かせた自分の声を他人事のように聞きながら、気分が高揚していくのが判る。
彼の顔が嫌悪で歪んでいく。
その表情を甘美な心地で味わう。
愛されないのなら、いっそ憎まれたい。
無関心よりよほど心地良い。
神や悪魔はこの世にいない。
もしいるとしても、あの世に設えられた観客席からこちらを眺めているだけだ。
せいぜい滑稽な悲喜劇をお見せいたしましょう。