秘めた想い
王宮に勤めている国王の側近達は既に話を聞いていたらしいが、それ以外の大多数の者たちは、国家統合という国王の突然の発表に戸惑ったようにざわめいている。
耳に心地よい、低いテノールの良く通る声で隣国の国王が言う。
「急なことで皆も驚いたと思うが、この二国が一つの大きな国になることで、山脈の外側の国々をも凌駕する資源や資金、そして領土と人口を持つ国となるだろう。もちろんすぐにという訳ではない。まずはこの二国が統合するという話をシリウスとサンドラ王女殿下との婚約発表と併せて、周辺諸国へ通知を行う。この国へ攻め込もうと考えていた国々に対しては、それだけで十分牽制になる」
山脈の外側で激化し始めている周辺諸国の喰い合いという名の戦争について、他人事では無くなってきたことは貴族たちも意識していたようで、なるほど、と頷く者たちが多数いる。
「国の統合という大事業の為、慌てて物事を推し進めるつもりは無い。実際に統合になるのは、私とウラル国国王陛下が引退し、この二人が次代の王と王妃となってからだろう」
今すぐという訳ではない旨を聞いた貴族達が、ほっとしたような顔をして胸をなでおろしている。
「さて、難しい話はこれくらいにして久しぶりの夜会だ。皆楽しんで行って欲しい」
約半年間第一王子の喪に服していた為、この国では盛大な夜会が開催されることは無かったらしい。
私の手を取っていたシリウスが、そつのない笑顔を振りまきながら私をエスコートして壇上から数段降りホール中央へと進む。
ホール中の視線が私たちに注がれるのを感じながらスタートポジションに着くと、一拍置いて音楽が流れだす。
突然の発表続きで混乱の極みにいるだろう皆を、華やかな夢の世界に導くような甘い音楽に乗せて、ステップを踏む。
シリウスも私を思いやるようなリードをしてくれている。
私はそのリードに体を任せながら、先ほどの隣国の国王のセリフで受けた動揺を押し隠すように、笑みを絶やさないように気を付ける。
きらびやかな灯りに照らされ、私の指にはシリウスから貰ったアレクサンドラの指輪が緋色に輝いている。
シリウスの襟元にも同じように輝く緋色。
ついそちらに視線をやると、シリウスが躍りながら小さく呟く。
「君の瞳もとても綺麗だよ、この宝石よりもずっと。俺としてはアレクの澄んだ青緑の瞳も好きだけれどね」
知っているの。
どう思っているの。
まさか躍りながら聞くこともできず、私が出来るのは笑顔を返しながらステップに集中するだけだ。
優雅に踊る私達を見て来賓達は久しぶりの夜会であることを実感したらしく、今までの話の衝撃を塗り替えるように、浮かれたような楽しい雰囲気が場を占めていった。
シリウスとのダンスが終わった後、拍手に包まれながら周囲へ礼をしている私に隣国の国王が近づいてくる。
その様子をちらりと見たシリウスは何事かを国王へ囁き、私へ「また後で」と言って、スッと離れていく。
離された手が少し寂しいが、シリウスは王太子ということで、我が国から連れてきた文官や武官たちへ話し掛けに行った。
王族として、シリウスが彼らを歓迎する意を大勢の前で示すのは、一つのパフォーマンスだ。
彼らがどれだけ優秀で、今回のことについてどんな意見を持っているのか、皆の前で質問し回答させるのだろう。
一種のプレゼンだ。
周りを取り囲んだ貴族たちは、シリウスと文官たちのやり取りを漏らさず聞いて配下の者達にも伝えるだろう。
海千山千の老獪な文官達も心得たものだから、あちらは心配はない。
後は私のプレゼンだ。
隣国の国王が笑顔で私に話し掛けてくる。
「サンドラ姫は、その見事な金髪はウラル国の国王陛下似かと思いますが、顔立ち等は母親似でしょうか?」
私の相手は国王のようだ。
国王の言葉を聞いた私の周囲の者達は、『サンドラ』が庶子であることを思い出し、中には少し眉をひそめる者もいる。
「はい」
俯きながら言う私の言葉を続けるように、父が私の隣に立ち回答する。
「陛下のおっしゃる通り、娘は母親似なのです。陛下は覚えておられるでしょうか、后がまだ王太子妃だった頃、この国で開催された夜会へ一度出席させていただいたことがありましたが」
「もちろん覚えておりますとも。お二人ともとても仲睦まじくて、私も未来の正妃と陛下達のようなパートナーになりたいと思ったものです」
ほんの少し懐かしさを乗せながら隣国の国王が言えば、それを覚えているらしい周囲の年配の者も、過去を思い浮かべ少し切なそう表情を見せる。
しかし、庶子であるサンドラと后が似ているということはどういうことかと、困惑もしているようだ。
そこへ父が静かに言う。
「そうですな、后は私が生涯ただ一人愛した女ですから。娘は産まれた時こそ私似でしたが、年を重ねるにつれて母親である后によく似てきました」
ただ一人愛した女。
しかも数年前に見い出されたはずなのに、産まれた時からサンドラのことを知っているようなその口ぶり。
隣国の国王も父に合わせて更に言葉を紡ぐ。
「それにしてもサンドラ王女殿下は本当に博識ですね。さすがに産まれた時から国を率いる為の教育を受けてきただけのことはあります。シリウスにも見習ってもらいたいところが沢山あります」
周囲に聞かせるための会話なのに、困惑を深めていく周囲の人々を置いてきぼりにして、更に混乱の中へ突き落すような言葉を続ける二人の国王。
しかし『もしかして』と思ったその疑問を口に出せる者は一人としていない。
国王から発言の許可も得ずに、この場では不躾に当たる質問を投げかけることなどできないからだ。
しかも、国王自身がそれが既定であるように話している限り、周囲の貴族たちは追従して頷くことしかできない。
凶悪な茶番に視線を横にずらすと、親に連れてこられたと思しきまだ年若い貴族の令嬢達が、信じられないというように顔を真っ赤にしてこちらを凝視している。
そんなに人を凝視するのはマナー違反だが、驚愕と動揺の為に止められないらしい。
父と隣国の国王の茶番が一通り終わった後、私はこの国の貴族達に挨拶する為、夜会の会場内を水の中を優雅に泳ぐように足を進めながら、さっきの娘たちの所へとさりげなく近づく。
「こんばんわ、良い夜ですわね」
私から笑顔で話しかけると、顔を真っ赤に染めた令嬢達が恐縮するように返事をしてくる。
「本日はシリウス王太子殿下とのご婚約おめでとうございます。そ、それで……あのっ」
「何か?」
令嬢達があの話を聞いてどう思ったのか確認したかったので笑顔で聞いてみるが、質問があったようなのに、令嬢達は途中で言葉を無くしてしまい、私の顔をうっとりと見つめているだけだ。
返事を待つ私に気付いた一人の令嬢が、このままではいけないと思ったのか、意を決したように言ってくる。
「あ、あのっ、この度はご婚約おめでとうございます。サンドラ王女殿下とのご縁が出来たことを、ケイニス国の民として光栄に思います」
「ありがとう」
拒絶反応は無いことを確認できて、ほっとして笑顔で答えると、私の笑顔を間近で見たその令嬢が今にも卒倒しそうになっているのが分かった。
「大丈夫ですか? もしかしてどこか具合でも……」
と聞きながら手を差し伸べた私に対して、令嬢が思わずといった様子で私の手を取り、熱いため息をつきながら呟く。
「夢みたい……。憧れの方に触れられるなんて……」
「『憧れ』ですか?」
「あ……いえ、サ、サンドラ王女殿下はアレク王太子殿下と良く似ていらっしゃるとお伺いしました。わたくし達アレク王太子殿下に幼少の頃から憧れておりまして……」
皆『アレク』のファンか。
「そうでしたか、貴女達のような美しい方から思いを寄せられていたと知れば、きっと兄も喜ぶでしょう」
「アレク様が……」
うわ言のようにその令嬢が言えば、私たちを取り巻いていた他の令嬢が口にする。
「はい、私達もウラル国で発行している小説を愛読しておりまして、つい重ねてしまったということもありますが―――」
まさか本当だったなんて……と続いた言葉には、気づかなかった振りをする。
「我が国の小説を貴女のような素敵なご令嬢にご愛読頂いているなんて、こちらこそ光栄ですわ。大分脚色のついた夢物語ですが、どうぞ一時の慰みとして楽しんで頂けると嬉しいです」
そう言って先程の令嬢から手を取り返して、小説好きの令嬢の方へ握手を求めるように右手を差し出しながら微笑んで見せる。
夢見心地といった様子でふらふらと差し出してきた手を優しく握りながら、これくらいならいいかと思い言葉を続ける。
「そういえばあの小説では、王子として育てられた王女が主人公でしたわね。私、兄の声真似が得意ですの。少し目を閉じて頂けますか?」
「え?」
少しはしたないですから内緒ですよ、と小さく言った後、声を低くしてアレクの声を作る。
「可愛い人。よろしければ私と一緒に新たな国を作りませんか?」
そう言って握った右手を敢えて少し強めに握りながら、空いた左手で目を瞑った令嬢の頬を軽く撫でる。
その途端、令嬢が膝からがくっと崩れ落ち、そのまま倒れ込みそうになるのを、握った右手で支える。
「大丈夫ですか?」
アレクの声のままで聞いてみたら、周りで聞いていたやはり目を瞑っていた令嬢達まで、顔を真っ赤にしながらよろよろし出した。
どうしようかと思っていたら、陰についていたらしい私付きの近衛騎士がご令嬢達を支えるように私から引き受けてくれた。
「ご令嬢方はお任せください。サンドラ王女殿下は他の方々へのご挨拶を進めて下さい」
「ええ、皆様のことをどうぞよろしくね」
令嬢達としては、通常憧れるのは自国の王子のところ、第一王子は子爵令嬢にべったりだった上、第二王子であるシリウスは13歳の頃からずっと我が国へ留学していたので、気軽に憧れるにはハードルが高く、余り身近な存在でもなかったらしい。
私についても国が違うという問題があるが、我が国の印刷物の一つである王宮からの広報がどうやらこの国まで広まっていたらしく、それに載っていたアレクの様子や、流行の小説と重ね合わせてアレクに憧れを抱いていたらしい。
その後は、以前この国に来た時に話した貴族たちの所へ行って話をした。
皆、面と向かって聞くのは憚られると思ってか『サンドラがアレクなのか』という質問を口にする者はいなかった。
国王が言い間違いをしている可能性も残されているからだ。
家臣として、国王に恥をかかせるわけにはいかない心理が働いているらしい。
それよりも主な話題は国家統合の話になった。
まだ計画段階、という注釈付きで構想を伝えることにする。
貴族達の立場として気になるのは、自分たちの立場が危うくなったりしないか、というところだろう。
元々一国として機能していた国が合わさるということで、基本的に今までやって貰っていた仕事等はそのまま、領地もそのまま、ということを伝えると、皆あからさまにほっとしたようだった。
それに『新たに城を建てるかもしれない』という話を伝えると皆色めきだった。
いわゆる遷都が行われる場合は、それに付随して大規模なインフラ整備が行われる。
公共事業の意味合いも多く、人も金も大きく動くことになるのだ。
経済が低迷しかけているこの国では、ありがたいことこの上ないだろう。
我が国としても、開戦を回避できる上に、隣国からの大量の資源を関税なしで流通できるようになるので、海を玄関口として貿易で相当の利ザヤを得ることができる。
でも急な変化を危惧する者もやはりいる為、そういった者には
「まずは名前が変わるだけですよ。あとは他国への牽制も含まれますので」
と笑顔で伝えておけば、皆一様にほっとした様子だ。
こういうことはまず口当たりの良いことのみを伝えておけばいい。
実際動き始めてから、都合の悪いことを小出しにすればいいし。
沈みかけの会社同士の合併と違って、大規模リストラをする必要は無い。
そもそもこの国は先の粛清で中央の政治を回せる人間が少なくなっている上、我が国としても莫大に膨れ上がってきている経済を支えるだけの人材を必要としている。
この国で、蟄居している者の中で使えそうな者がいるなら、我が国側で引き取って馬車馬のように働いてもらうのもいいだろう。
周囲に知己もいないなら完全に外様になるだろうが、その方が誰かと共謀されることもない。
そもそも暇にしているから悪事の片棒なんてことを考えるようになるのだ。
教養を身に付けた貴族であるのならば、国の為、民の為に身を粉にして働いてもらうことにしよう。
言うなれば社畜ならぬ国畜かな、と周囲の者達とにっこり笑いながら頭の片隅で考えていると、文官たちと話しているシリウスが視界の端に映り、そのまま目が離せなくなる。
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我が国の印刷部門には、もう今回の決定事項についての原稿は書かせている。
この夜会ではアレクの廃太子については言及しなかったが、私とシリウスの婚約、そして国家統合の情報と併せて二国の国民へ向けて一気に流す。
ロマンチックな要素も含めて、戦争寸前まで噂されていた2つの国の橋渡しとして、それぞれの国の第一位継承者が結ばれるというその逸話も付けて流す予定だ。
ドラマチックな筋書きに、娯楽の少ない国民は夢中になるだろう。
でも実際は、とても夢物語とは言えないものだ。
我ながら思うが、隣国の第一側妃よりもタチが悪い。
明らかにしなくてもいいことをさらけ出させ、何人もの血を流し、二つの国を丸々巻き込んでいる。
もうこれは『恋』なんてとても呼べない。
私が描いたのは、『陰謀』
沢山の人の運命を変えて、感情を揺さぶって、自分自身の感情にまで蓋をして。
本当に欲しいものを手に入れる。
でも本当に手に入りそうになった時には、こんな自分がどう思われるのか、確認するのが怖くて動けない。
動けないのに、私が回した回転ドアは勢いをつけて周囲を巻き込み、私もその回転を続けるドアに飛び込まなくてはならなくなっている。
シリウスが私に気付いたようで笑顔で近づいてくる。
「サンドラもお疲れ様。最後にダンスはいかがかな?」
「ええ」
そろそろ夜会も終わる頃だ。
周りには、熟れた果実やアルコールをゆったりと楽しむ人々や、夜会が終わってしまうのを惜しむようにダンスを踊る男女がいる。
そんな中で、緊張と驚きと高揚の混じりあった華やかな夜会の余韻に浸るように、緩やかなラストダンスをシリウスと踊る。
私も久しぶりの夜会への参加で、少し熱に当てられたのかもしれない。
ラストダンスは甘い音楽に合わせながら、お互いに体を密着させながら踊るものだ。
ちょうど目の前にある、シリウスの胸元に刺繍された私の国の紋章に視線を合わせて、シリウスの目を見ないようにしながら小さく言う。
「話があるの。この後少し時間をいただいてもよろしいかしら」
『秘めた想い』とは、アレクサンドライトの石言葉です。
タグの「陰謀?」について、主人公が陰謀に巻き込まれるのではなくて、主人公が陰謀を仕掛ける側でした。