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温室の接触

 シリウスのその言葉に、体が硬直する。

 笑って「なんのこと?」と答えて、シリウスの言葉の意味を問いたださねばならないのに。


 船の上の襲撃の時、あの距離で馬上から矢を射かけるなんて、つい数年前まで平民だった娘に出来るはずが無い。

 それにあの時は男言葉を使ってしまっていた。


 そもそもあの時はそれどころではなかったということもあるが、シリウスから何も質問がなかったのだ。

 その事実に改めて困惑する。


 ブルーノと同様に、アレクがサンドラの振りをして来ていたと思っているのか。

 それとも、サンドラがあれだけのことをして見せたと思っているのか。


 それとも、サンドラとアレクが同一人物だと判ったのか。


 最終的に私の目的が達成できればそれでよくて、人からどう思われるかなんてどうでもいいはずだったのに。


 シリウスがどう思ったのか、聞くのが怖い。


 嘘で固められた私。


 怒りや蔑み、嫌悪の感情を向けられる事しか想像できない。

 どうでもいいはずだったのに。


 怖い。


 隣国の国王も了承済なので、殺されることはありえないし、私とシリウスの婚約はほぼ確定のはずだ。

 王族の婚姻は国同士の繋がりになるので、当人の感情は殆ど考慮されないし、シリウスもそれは理解しているだろう。


 国の為にも、シリウスはきっと断らない。


 でも。


 それでも、シリウスから負の感情を向けられるのが、怖い。

 どうして今更。


「……」


 硬直したまま何の言葉も紡ぐことが出来なくなった私を見て、シリウスが何か切り替えるように優しく微笑んでくる。


「かわいい妹が俺と婚約を結ぶことを、アレクはどう思っているだろうな、ってことだよ」

「ああ……、そういうことでしたか。私はてっきり―――」

「てっきり?」


 口調は優しいのに、全てを見通したような蒼天の瞳が私をひたと見つめてくる。


「……いいえ、なんでもありませんわ。それにアレクお兄様でしたら、この話に賛成して下さっていたわ。国と国とを結びつけるには、王族の婚姻が最も効率的ですもの」


 そう。

 そうするのが対外的にも最も筋が通る。


 私のわがままなんかじゃない。

 一国の王太子と、唯一の後継者である私が婚姻を結ぶには、それが最適だから。

 ただそれだけのはず。


「政治的にはそうなんだろうけれど、アレクはサンドラと俺が結婚することを嫌がったりはしていなかった? そちらの国王陛下の反応を見ると『しぶしぶ承諾した』という雰囲気が伝わってきたけれど」

「嫌がるなんて……。そんなことないわ」

「サンドラと結婚することになるのがこの俺だって、この国の王太子が俺でよかったって、アレク・・・は思ってくれているかな」


 気が付いたら、今私たちがいる場所は温室の一番奥で、私の背中側には甘い香りを放つ大輪の白百合が咲き乱れている花壇になっており、これ以上後ろに下がることはできない。

 そして、進んできた小道側にはシリウスが立っていてその横をすり抜けることもできない。

 両脇に植えられた大きなオレンジの木が温室のガラス越しの日の光を遮り、その木漏れ日がシリウスの銀の髪に斑に光を投げかけている。


 むせ返るような花の甘い香りと、眩しいくらいのその光景に呼吸が止まりそうになる。


「本当は、どう思っているって?」


 シリウスが私の些細な動きも見逃さないように、じっと見つめながら一歩近づく。

 体のどこにも触れられてはいないのに、逃げることもできなくて立ち竦む。


 シリウスだって王太子教育を受けているのなら、相手の小さなしぐさや目線の動きから、考えていることを推測する術は習っているはずだ。


 例えば、もし今私が視線を逸らしたら拒否の意味になる。

 あとは呼吸・顔色・表情・体のこわばり・声の高さや速さでも判断できる。

 きっと確認したいのは答えの内容そのものではなく、私が答えを口にした時の小さな動き。


 その真実。


 目を逸らすことも出来ないまま、思わず一歩後ろに下がろうとすると、花壇の縁石に踵がぶつかり後ろに体が倒れそうになる。


「危ない!」


 差し出されたシリウスの手に、私もとっさ手を伸ばす。

 そのまま強く手を掴まれてぐいっと引き寄せらる。

 気が付いた時には、シリウスの腕の中に抱え込まれるような体勢になっていた。


 振り払うこともできないでいる私を包むようにしながら、シリウスが耳元で言う。


「君は、どう思っている?」

「どうもなにも、これは王命で―――」


 シリウスは、この話は私が言い出した事だとは知らない。


「それだけ? 本当に君の父君がこの婚約を命じたの?」

「……」


 小さく体が震えてくるのを止められない。

 頭が真っ白になって、何も考えられなくなる。


 こんなこと今までありえない。

 常に最善を考えるようにしていたのに、どう答えるのがベストか判らないなんて。


 そんな私の様子を見て、シリウスが優しく宥めるように言ってくる。


「聞き方を変えようか。君は俺が好きなのか?」

「……嫌いじゃないわ」

「それなら好きということ?」


 何か答えないと、と思って口を開けるが、掠れたような息が小さく吐き出されるだけだ。

 その言葉を言ってしまったら、『私』が崩れてしまいそうな気がするから。


 だから、わざとそっけなく言ってみる。


「関係ないでしょう? それが国にとって最善だから。シリウスには申し訳ないけれど、正当な血を繋ぐ為に付き合ってもらうことになるわね」


 シリウスがそんな私を計るように眺めながら、一つ提案をしてくる。


「……もし兄上が正当な血を持っていれば、俺じゃなくて兄上が相手でもよかったんじゃないか?」


 そう言われて、思わず眉を顰めながら返す。

 第一王子とは嫌な思い出しかないのに、なぜそんなことを聞いて来るのか。


「それなら国王陛下の方がいいわ」

「君を母とは呼びたくないな」


 少し慌てたようにシリウスが答えて、その様子を見て私も少し調子が戻ってくる。


「……シリウスが息子になるのもおもしろそうね、まだ夜会の前だから国王陛下にお伺いしてみましょうか」

「それだけは止めてくれ、父上が興に乗ったら本当になりそうで困る」


 溜息をつきながらシリウスが言う。


「あら、そうなの?」


 私は心の裏側を読まれないように敢えて明るい声でそう言うと、シリウスはふっと眦を緩めながら言う。


「君が嫌がっているのでなければそれでいいけど、父上だけはダメだからね。そんなこと今後は思いつきもしないようにしてあげるから。時間はたっぷりあるし」


 そう言いながら私の髪を一筋取って指に絡める。


 今はまだ髪の長さが足りずに鬘を付けているけれど、鬘を付けていることを初めて残念に思う。

 その指が私の髪を少し引く時の感触を、味わうことが出来ないから。


 それにしても「時間はたっぷりある」って何のことだろう。

 私たちがこの国に滞在するのは数日の予定なのに。


 シリウスはそれ以上私を問い詰めることはせず、話が終わったようで私達を呼ぶ父たちの方へ私を連れて戻った。



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 夜会の支度の為、用意された大きな姿見に自分を映しながら思う。


 そう、シリウスと私が安全に一緒になるには今までの事が必要だった。


 だって、開戦派である第一王子をそのままに、シリウスが我が国に婿入りしても戦争を回避するのは難しいし、いつシリウスが殺されてしまうかも判らない。


 今回の夜会の為に用意した青いドレス。

 その胸元に描かれた刺繍を指で辿りながら、言い訳のようにそう独り呟いてみる。



 その夜に行われた夜会は、隣国の国王が言った通り盛大なものだった。

 以前私が隣国へ来て、国王と踊った時よりも華やかだったかもしれない。

 皆、暗いニュースには飽き飽きしていたようで、父と私が揃って訪問するいう珍しい自体に何事かと興味津々の様子でもある。


 壇上には隣国の国王と父が並んで立ち、それぞれの両側にシリウスと私が立つ。


 まず隣国の国王が挨拶の為前に一歩出る。


「今宵は隣国であるウラル国国王陛下とご息女であるサンドラ王女殿下にお越しいただいた」


 その声に合わせて、父と私が礼の形を取ると、会場から歓迎の拍手が沸き上がる。

 年配の貴族たちの中には、まだ父が王太子だった頃この国に来た時に会った者もいるようだ。


 開戦派はほぼ一掃された為、会場内のムードとしては歓迎一色だ。

 貴族たちは、これから二国間で活発な交流が行なわれることを予想しているのだろう。

 実際この夜会には、私たちが連れてきた文官武官も会場の端の方で多数列席している。


 隣国の国王が文官達を紹介するように手の平を上に向けて、彼らを指し示すようにしながら言う


「ウラル国からは優秀な人材を多数お貸しいただいた。これは二国の間での友好を深めると同時に、今後のことも見据えた動きとなるだろう」


 拍手が起きるが、会場内の貴族たちは国王が何を言っているのか意味を掴みかねているようだ。

 しかし、破綻が危惧されていた中央政治が少し楽になると思った貴族たちは純粋に喜んでいる。


「文官武官レベルの交流だけでなく、我等王族同士の交流も行うことにした。ここに王太子であるシリウスと、サンドラ王女殿下との婚約を宣言する」


 国王のその言葉に、会場からどよめきの声が上がる。

 国王に促されてシリウスが私をエスコートするように手を伸ばし、一緒に一歩前に出る。


 国王が続ける。

「皆も知っている通り、シリウスは13の頃から隣国の学園に入っており、サンドラ王女殿下とはシリウスが隣国に行った時から・・・・・・・・・の知り合いである」


 その国王の言葉の内容に何名かが「おや?」と言いたげな表情になる。


 同時に私の背中にも冷や汗が流れそうになる。

 サンドラが国王の落し胤として平民から見出されたのは、シリウスが我が国に来てから1年ほど経ってから、ということになっているからだ。


 ちらりと父の方に視線を向けると、私と目を会わせて軽くうなずいて見せる。

 父と国王との間で話は通っているらしい。


 アレクはこの後病気の為に廃嫡予定だが、アレクとサンドラが同一人物であることを公式発表せずに皆に認めさせようという魂胆らしい。


 でも―――。


 シリウスに取られた手とは逆の手をドレスのひだに埋めながら、震えそうになるその手を強く握りしめる。


 シリウスにはまだ私から何も言っていない。


 シリウスに取られた手だけは震えないように気を付けて、会場には穏やかな笑顔を向ける。

 会場に視線を向けている為、シリウスの表情を確認できない。


 会場内の幾人かに浮かんだその僅かな疑問は、私とシリウスが並ぶ様を改めて見た会場から漏れたため息にかき消された。


 私が着ているドレスは、シリウスの髪や瞳に合わせた色である蒼天のような明るい青い生地に、銀糸を使い複雑で繊細な刺繍が施されたものだ。

 そしてそのドレスの胸元には、この国の紋章が銀糸で鮮やかに縫い取られている。


 シリウスは、黒い軍服をベースにした礼服だが、私の色である明るい金糸で縁取りをして、襟元に飾られた大粒のアレクサンドライトが、今は緋色に輝いている。

 そして胸元にはシリウスの国の紋章ではなく、私の我が国の紋章が金で刺繍されている。


 どちらかの婿入りもしくは嫁入りならば、まだ結婚前ということでそれぞれの国の紋章を身に着けるか、嫁ぎ先の紋章をつけるのは考えられるが、男女がお互いの紋章をそれぞれ付けていることに、疑問にも似た雰囲気が漂う。


 ざわめく会場を満足そうに眺めた国王が続けて口を開く。



「そしてここに、我がケイニス国と、隣国のウラル国の国家統合の計画を発表する」







中盤もだいぶ過ぎた後にやっと国名が。

連載開始前に設定だけは一応作ってましたが、今まで出しそびれていました。


ウラル:アレクサンドライトやその同種石であるクリソベリルの主要生産地です

ケイニス:シリウスを要する星座/おおいぬ座:Canis Major より



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