ファーストキス[ベリル視点]
「ベリル、脱げっ!」
「ええっ!?」
アレクが小さな声で叫ぶように言いながら、自らもドレスを脱ぎ捨てて、長い金色の鬘を外している。
女性用のコルセットをつけておらず、小さな面積の布地で胸を覆っている。
しかもドレスは男性のものと違い、上下が繋がっているため必然的にその下の、滑らかそうなストッキングに包まれた足と、パ、パパパンツ……と、そしてガーターとストッキングの隙間からちらりと見える真っ白な太股。
アレクの秘密を知らされた湯殿で裸を見ているけれど、堂々と何も身に付けていない裸より下着姿の方が刺激的で、ジルがドアの向こう側にいる事で動揺している所に、視覚からも攻撃を受けて、もう頭の中がパンク寸前だ。
「いいから、早く!」
アレクはドレスから装飾の為に付けられていたスカーフのように幅広の長いリボンを抜き取り、自分の豊かな胸を押し潰すように巻き付けている。
その痛ましい位の締め付け具合を見て、『あれは具合が悪くなるのも判る』と、現実逃避をしながら考えていたら、動けないでいる私に気付いて
「ほら、ベリルも!」
と鋭い声を掛けながら、僕のシャツに手をかけて脱がしていく。
「え、ええっ!?」
その剣幕に追いたてられるようにしながら、つい僕もシャツを脱いでしまったが、そのシャツを今度はアレクが身に付けながらドアの外へ向かって、落ち着いた声を作りながら言う。
「すまない、もうしばらくドアを開けるのは待ってくれるか?」
「はい」
侍女の返事を聞きながら、脱ぎ捨てたオフホワイトのドレスの柔らかそうなスカート部分で、顔をごしごしと擦って化粧を落としている。
ああ~、タオルが見当たらないからってそんな綺麗なドレスでなんて……。
と、思っていたら、またこちらにくるっと振り返り、必死な顔をしながら僕のズボンに手をかけるアレク。
「なっ、なにやってるんだよ!?」
アレクには少し大きめの僕のシャツを着たせいでパンツは幸い見えなくなったが、僕の方はシャツをアレクに奪われ上半身は裸の状態だ。
これでズボンまで取られたら……!
思わず自分のズボンを押さえた僕を見て何か言おうとしたアレクだったが、言い合う時間も勿体無いと思ったのか、脱いだドレスと鬘をベットの下の隙間に押し込んで、僕にもそこへ入れと身振りで示す。
「無理だ! 狭くて僕はとても入れそうにない!」
屈んで見るが、アレクならギリギリ入りそうだが、僕には無理そうだ。
上半身のみ僕のシャツを着たアレクがベッドに飛び乗りながらキョロキョロと僕が隠れられそうな所を探していたが、その時もう一度控えめなノックが響いた。
「……アレク様?」
もうダメだーーっ!
と、僕が半分諦めながら色々観念した時、アレクがふわふわの羽毛布団を半分めくりながら僕へ言う。
「入れ!」
「え?」
どこに―――、と問いかけようとした僕の腕を引いて、アレクにベッドの中へ引きずり込まれた。
同時にドアの外へ声をかけていた。
「もういいよ。どうぞ」
ばさりと掛けられた柔らかな羽毛布団はふわふわしている。
布団の中でぴたりと添うように身を潜めていれれば、ぱっと見は判らないだろう、というアレクの判断だと思うが、それは判断ミスだと断じざるを得ない。
だって、今僕の目の前にはアレクのパンツが!
ベッドの背もたれにいくつも置いたクッションに背を預けながら上半身を起こして腹から下は布団をかけたアレクは、布団の中に引き込んだ僕の膨らみが外側から判らないようにする為だと思うが、こともあろうに両足の間に挟み込んでいる。
僕は布団の中で少し開いたアレクの両足の間にぴたりと嵌まるように身を潜めている。
せめて、僕の目の前にある繊細なレースで飾られた純白のパンツから視線を逸らそうと頭を少し動かすと、僕の髪がアレクのガーターベルトで吊られたストッキングとパンツの隙間から覗く滑らかそうな太腿に触れてくすぐったいのか、布団の中でびくりとアレクの足が跳ねて、直後、布団越しにアレクの肘が僕の頭をゴスッと叩いてくる。
そのまま「動くな!」とでも言いたげに、布団越しに頭を押さえつけられて、辛うじて頭をずらしたお陰でパンツに顔を埋めることは避けられたが、代わりに横のむき出しになっている太腿に鼻と口を押し付けられて、色々な意味で死にそうになっている。
「―――っっ!!」
しかし反論するにも声も出せずに、ドアが静かに開いてジルが案内されてきた気配に体を硬直させる。
「よく来てくれたね」
弱々しく作ったアレクの声がすると、ジルがそんなアレクを見て息を呑む気配が布団越しに判った。
「アレク……」
そういえば、ジルがアレクのことを敬称無しで呼んでいるのを聞いて侍女達も最初は眉を顰めていたが、僕が咎めなかったので、もう何か言おうとする人間はいない。
学園では大分以前からそうだったしね。
アレクを呆然と見ているらしいジルの様子に、アレクが侍女へ退出していい旨を伝える。
その方がジルも話しやすいだろうという判断だろうが、私がアレクの代役をしていた時には周囲に必ず人を置いていたので、つい冷汗が出そうになる。
一国の王太子が、見舞いとはいえ未婚の女性と二人きりで部屋に居るという事態は、そのまま二人の関係を周囲に示すことになってしまう。
その侍女もそう思ったようで一瞬戸惑ったように沈黙したが、挨拶をして出て行ったらしく、ドアを閉じる音がした。
するとジルがベッドに近づいて耐えかねたような涙声で言う。
「……アレク、数日見ない間にこんなに痩せてしまって……」
アレクがいつも付けているコルセットは、胸をカバーしつつ胴まわりを逆に一回り大きく見せるような造りになっているが、今は胸をスカーフで押しつぶしているだけでウエスト周りは細いままだし、アレクにしては大き目の僕のシャツを着ているので、いつもよりも更に痩せて見えるのだろう。
顔色はそのままのはずだが、今のばたばたで疲れ切った表情をしているらしく、うまく誤魔化せているらしい。
「今日は少し体調がいいんだけど、心配かけたみたいでごめんね」
そう少し笑いながら言うアレクの言葉に、ジルが震える声で言う。
「それって……、それって」
ジルの言いたいことは分かる。
人間は死期が近づいた時、一瞬だけ体調が良くなる時期があるのだ。
まるで蝋燭の最後の火が、消える前に一時だけ光を放つように。
ジルの気持ちを考えると、
「違うんだ!」
と布団を跳ね除けて説明したい衝動に駆られるが、アレクはもう見舞いも全て断って、死期の発表のタイミングを計るだけの予定だから、もちろんそんなことは出来ない。
布団の中の狭い空間でできるだけ息を殺しており、それ以外でも色んな意味で息苦しくなってきた私が耐えきれず身じろぎしたのに気づいたらしいアレクが、布団の中で片膝を立ててくれたので、その隙間で深呼吸をする。
しかし深呼吸したことで、布団の中で温められたアレクのいい匂いで体の内側まで満たされた感じがして、男として頭がくらくらしてきそうだ。
こんなことなら、ズボンもアレクに渡しておけばよかった。
っていうか、布団の外側では愁嘆場が繰り広げられているのに、布団の内側ではなんでこんなピンクな展開なんだ!?
もう色んな意味で泣きたいよ!!
「ごめんなさい。あれだけの現代の現地医療チートを使っても一向にアレクの体調が良くならないのは、矯正力が働いているせいだと思うの。きっと私が……私が通常には存在しないルートを選んだから……っ!」
本当はアレクはこんなに早く死ぬはずが無いのに……と泣きながらぶつぶつ言っている。
いや! 相変わらず言ってることがよく判らないけれど、それは違うから!
と突っ込みたいのを我慢しつつぷるぷるしていると、アレクがジルに優しく言うのが聞こえた。
「ジル、それは違うよ。誰のせいでもない。色々なことが重なったから今こうなっているだけで、私がいなくなるのは必然だったんだ」
「そんなこと……!」
アレクが申し訳なさそうにジルへ言う。
「こちらこそ君に謝らなくてはならない。私が君をもっと早く遠ざけていれば、こんなに君を悲しませることもなかったのに」
それはあれか、学園内での休憩場所提供か。
……それは僕にも責任がある…。
「アレク。私決めたわ」
まだ泣いているせいか声を震わせながらジルが静かに言う。
「何を?」
「このゲームを終わらせるの。それならこれ以上矯正力が働くことは無いはずよ」
「矯正力なんて、そんな物存在しないよ」
アレクが少し焦ったように言うが、ジルは聞く耳を持たないように続ける。
「このゲームはヒロインが攻略対象者誰かとのエンドを迎えた段階で終わるけれど、今更私は誰のルートにも入れないわ。だからもう一つのルートを選べばいいの」
「ジル、馬鹿なことを考え―――」
「そんな大それたことじゃないわ。死んだりしないから安心して。アレクは私が守ってみせるわ」
「だからジル―――」
困ったように言い募ろうとするアレクにジルが続ける。
「危険は無いから安心して。……でもアレクにもう会えなくなるの。その前に思い出を貰ってもいい……?」
そう言って静かにジルは黙り込んでいる。
どうしたのか気になっていると、アレクが少し布団を持ち上げて、その隙間から僕の方を困ったように見ている。
僕が何事かと目を見張っていると、アレクが口元の動きだけで
「いいのか?」
と聞いてきた。
何がだろう。
もしかして、ジルにも真実を話す気になったんだろうか。
でもいつも考えていることがダダ漏れなジルに話すなんて、そんなリスクの高いこと……。
いや、アレクが決めたなら僕はそれに従うだけだ。
まだ迷っているらしいアレクの背中を押すような感じで、力強く頷いて見せると、アレクも意を決したように頷きで返してくる。
少し開いた布団の隙間からちらりと見ると、ジルがベットのすぐ側で目をつむって何かを待っているようだった。
そこへアレクが、少し体をジルの方へ傾ける。
「へ?」
アレクの指がジルの顎の下にかかって―――
違う違う違うっ!
僕が頷いたのはそういう意味じゃない!
と叫びたいのに、二人の柔らかそうな唇が軽く重なるのを硬直したまま見守るしかできなかった。
アレクが唇を放すと同時にこちらにちらりと視線をやり、僕が布団からはみ出しそうになっているのに気づいたのか、ばさっと再び布団を被せられてしまった。
ジルの幸せそうな声が聞こえる。
「ありがとう……。私、この思い出を胸に生きていくわ。アレクもどうか元気で……」
それだけ言って、ジルが部屋から出て行くのが判った。
ぷはっ! と外の新鮮な空気を吸い込みながら、のぼせそうになっていたピンクの空間になっていた布団の中から飛び出して言う。
「アレク! あれはどういうつもりだよ!?」
「え!? どういうって……ベリルがジルにキスしろって言ったんじゃないか」
「僕はそんなこと言ってない!」
「そうだったのか!? ……ああ~、勘違いした。ファーストキスだったのに」
アレクのその苦笑いしながらのセリフに愕然とする。
「なにィ!?」
「え、だからファーストキス。そういえばジルもじゃないかな。なんか前に『初めてのキスはロマンチックな思い出に残るキスがいいな~』とかぶつぶつ言ってるの聞いたことあるし。そうするとジルにも悪いことしたかもな」
いや、好きな人が死にそうになっていて、その最後かもしれない時にキスされるって、なかなかにロマンチックな場面だと思うけど―――。
って、ちがーーーう!!
その勢いのまま、思わずアレクの肩に両手をかけてそのままベッドに押し倒す。
「ベリル!?」
一瞬びくりと体を竦ませたアレクだったが、何か複雑な表情をしている僕を見て何か気づいたようだった。
「……あ、ごめんベリル、もしかして―――」
「ううう……」
諦めかけていた好きな子が、気になりかけている子とキスするってどういう状況なんだよ。
しかも二人ともファーストキスとか!
「ま、まあ、同性同士はノーカウントってよく言うし、気にするなよ! ベリル」
「アレクが言うなーーっ!」
誰に対してにか判らないけれど、嫉妬や後悔や羨望が渦巻いて自分の感情がもう混乱の極みに達していて、つい怒ったような口調でアレクに詰め寄ってしまう。
「なんだよ、それ! たかがキス一つだって、気にするにきまってるじゃないか。それともアレクは気にならないの!?」
「いや、そんなことは……」
僕の剣幕にびっくりしたように、口ごもりながらアレクが視線を逸らす。
少し開いたその赤い唇から視線が外せなくなる。
ここでアレクにキスしたら、ジルと間接キスになるんじゃ、
とか
アレクだって別に愛しているわけでもないジルとキスしてもそんなに気にしていないみたいだし、僕だっていいんじゃないか、
とか
キスで止まるのか!?
とか
僕はもう吹っ切れたはずなのに
とか
ぐちゃぐちゃの思考のまま吸い寄せられるように近づいた時、ドアが前触れもなく開いた。
「アレク様、こちらにいらっしゃいますか? 次の本の原稿チェックを―――」
アレクお抱えの印刷部門に居るこの子は町娘だと聞いたので、城内でのマナーでよくナニーから怒られているのを見かけたことはあるが、なぜ今ここで。
「アレクさ…ま、それにベリルさま……!?」
ドアの前で硬直して僕たちを見つめるその町娘。
その視線の先には、乱れた髪のまま男に見えるように胸を潰しているアレクと、そんなアレクの両肩を掴んでベッドに押し倒しているように見える、上半身裸の僕。
「しっ、失礼しました! 続きをどう―――。……って、続きしちゃダメですーー! ナニーさん、セバスさーん!!」
慌ててドアを閉めようとしたその娘が、顔を真っ青にしてナニーとセバスを呼ぼうとしている。
「やめろーー!! 殺される!」
今の段階で既に心臓も心も死にそうなのに……!
セバス「……ベリル様、今度は『毒』の授業も受けられますか?」