トラウマ[ブルーノ視点]
何かものすごい夢を見ていたような気がしてばちりと目を開けると、視線の先に見慣れない天井があった。
自室でもないし、先日まで居た隣国の王城でもないし。
そこまで考えて、やっとここが隣国と我が国との中間位に位置する保養村の宿だと気付いた。
「あれ……? 俺、確か宿に来てすぐに温泉に入らせてもらったはずなんだけど……」
温泉に入った辺りからの記憶があいまいだ。
一体何がどうなって、俺は宿のベッドで寝てるんだ?
しかも裸!
そんでもって、なんか後頭部がずきずきする。
「……もしかして湯あたりとかしたかな」
でもなんで後頭部が痛いんだろう。
とりあえず傍に置いてあった自分の服を着て、他の誰かを探してみようとドアを開けて階下へ降りる。
一階の中央には広い居間があり、そこには珍しくラフな服装のアレクと先輩の騎士が数名、地図を広げながら何か相談している。
「ブルーノ気付いたか、大丈夫か?」
階下に降りてきた俺に気付いたアレクが、首だけこちらに向けて声をかけてくる。
湯上りのようで、肩まである明るい金の髪はまだしっとりと濡れていて居間の照明に反射している。
アレクが軽装なのはここが近衛騎士以外に人目の無い離れの上、温泉が付いているから、ということもあるだろう。
柔らかそうな白のシャツと黒の細身のズボンを穿いているが、シャツはゆったりとしていて、アレクの細身の体がそのシャツの中で泳いでいるようだ。
首元のボタンは外れているし、袖もまくり上げて男にしては細すぎる腕が出ている。
「ああ、なんか後頭部がちょっと痛いけど大したことは無いし、もう大丈夫だ」
「そうか、それならよかった。ブルーノ丸一日寝ていたんだぞ」
「ええっ!? どうりで腹が減ってると思った」
「食事なら取っておいてあるから、まずはそれを食え。話はそれからだ」
にっこりと笑いながらそれだけ言って、近衛騎士達と一緒にまた机の上の地図に視線を戻したアレクの後ろ姿を眺めながら、取り分けられていた俺の分の食事をとる。
全く、どこもかしこも細いよな。
もっと食わないと本当に病気になっちまうぞ。
と思っていたら、先輩たちがちらちらと俺を射抜くような視線を向けてくる。
ほぼ殺気だ。
え!? 俺何かやったか?
温泉に入る前は褒められてたんだけど……。
褒められたのは船でアレクとシリウスを加勢したからで、でもその後で
「いい働きだったが、馬車の時の『あれ』はもう二度とやるなよ、殺すぞ」
とか言われながらどつかれた記憶も。
『あれ』ってなんだったっけ。
馬車で俺何かしたか?
確か着替えの為に馬車に入るアレクを見送って……。
……何か大事なことを忘れているような気がする。
ぼんやりとそんなことを考えながら食べていたら、宿の前に見張りで立っていた近衛騎士が、息を切らせて飛び込んできた別の先輩と女の子を抱えるように連れてきた。
騎士に連れてこられた茶色の三つ編みをお下げにした小柄な女の子が、何か紙を抱えながらアレクにきらきらした瞳で言ってきた。
「アレク様! 原稿出来ました!」
「早いな。いつ書いたんだ?」
びっくりした様子のアレクを見て、その娘が胸を張って言う。
「途中の砦から先触れとしてハトを飛ばしていただきましたので、その足にくくりつけられていた概要のメモを拝見して、騎士様が到着するまでの間に書いておきました」
「うん、ありがとう」
アレクが眩しい笑顔で言うと、女の子がポッと顔を赤らめるようにしながらもじもじしかけるが、はっとしたように
「だめだめ……。我に帰れ私……」
と何かぶつぶつ独り言を言いながら自分の頬を手のひらでペチペチと張っている。
その娘は体の凹凸が殆ど無いので子供かと一瞬思ったが、応対の内容を聞くと、俺より一つ二つくらいしか年齢が違わないらしい。
しかもこの娘は、自分が仕えるべき人間に対しての恋愛感情はご法度なのを理解しているようなので、アレクも重宝しているんだろう。
しかし女の子はアレクのこの笑顔に本当にやられるよなー。
いいよなー。
でも俺はサンドラ一筋だしな!
俺はアレクに近衛として仕えれば、サンドラへ恋愛感情を持っていても問題ないしな。
……サンドラ一筋? あれ、それでよかったんだっけ?
なんか思い出しかけたような……。
なんだったっけ―――。
そんな俺を余所にアレクがざっと原稿内容を確認し、何ヵ所かペンで治した後、その娘に原稿とやらを返す。
「これでOKだ。印刷部門に回して欲しいが、城からは強行軍で疲れていないか? 別の誰かに行かせてもいいが」
「いえ、世紀のスクープに私の原稿が使われるんですから、責任もって印刷部門に手渡したいと思います! 体力だって、深窓の令嬢じゃないですしこれくらい大丈夫です! 夜遠し駆けてきましたが、騎士様が抱えていてくれたおかげで私はしっかり休めましたので」
「そうか、頼もしいな」
すごい、あの娘抱えられて騎乗しながら爆睡もしたって言うのか……。
「じゃあブルーノ、今まで休んでいたわけだし、もう体調も大丈夫らしいから城まで彼女とこの原稿を届けてくれるか? お前もこの宿の中にずっといるのも気まずいだろう」
この宿から城までの道のりを徹夜で往復したという先輩の騎士が、ここ一日でこの宿の中で何があったのか他の騎士達に聞き、そう言ってくる。
え? 気まずいってなんで。
まあ、一日走り通しくらいなら問題無いけれど。
「替えの馬は途中の村々で準備済みだから、とにかく早く行くことだけを念頭にしろ。食事は馬に乗って食べろ」
そう言って、携帯食と水を渡される。
「え、でも彼女と一緒だと―――」
「大丈夫ですよ」
その娘はそう言って、さっそく自分の分の携帯食を抱えていた。
休みなしの早駆けで丸一日か。
「そういえば船で行くのはどうだ?」
「だめだ。今隣国から我が国への船は全て止めてある」
「なんでだ?」
「隣国の『ねずみ』を我が国に逃げ出させないようにする為に、あちらの国王からの依頼だよ」
そう言ってにやりと笑うアレクは、なんか悪役っぽく見える……。
容姿が整っているからこそ余計に凄絶というか。
横で娘が「イイ……! こういうのもイイ! あとはどう表現するか……」と陶酔したように言ってぶつぶつと表現方法について独り言を言っている。
芸術家って部類に入るのかな、ちょっと違うような気もするが、アレク直々に雇用した訳だからこの娘もそれなりにできる奴なのは判る。
「印刷部門に渡した後は、超特急印刷なら3時間くらいで刷り上がるはずだから、王宮に残っている騎士達が手分けしてまた隣国まで運んでもらうことになるが」
「はい、印刷部門も特殊なインクと紙を大量に用意して待っているとのことです」
その娘が城での待機状況を教えてくれる。
「よくやってくれた」
机の上の地図を指さしながら時間を計算しているアレクの左手の中指には、『サンドラ』の時に付けていた指輪がそのまま嵌っており、赤く光っている。
サンドラの指輪ってアレクも嵌められるのか?
あれはとても珍しい石だと聞いたことがある。
昼間の光の中ではアレクの瞳と同じ青緑で、夜に点した明りの下ではサンドラの瞳と同じ緋色に変わる特別な宝石らしい。
原稿を大事そうに筒にしまい、王家の印を押して封をしているアレクの後ろ姿を眺める。
あれ? アレクの腰ってあんなに細かったか?
「じゃあブルーノ頼んだぞ」
くるりとこちらを振り向いてその筒を受け取ろうとした俺の目の前に、形の良い胸に押し上げられて胸元が膨らんでいる白いシャツを着たアレクがいた。
え!?
視線がアレクの胸元に釘付けになってしまったせいで、手渡されそうになっていたその筒を思わず取り落してしまう。
カランと軽い音を立ててその筒が床に落ちる。
「何やってんだよブルーノ」
そう言って真っ白になった俺が落としてしまった筒を、代わりに拾おうとする近衛を制しながら、自ら拾う為に屈んだその体勢から俺を見上げるその胸元。
シャツの首元のボタンを2つほど外しているせいで、俺の位置からは膨らんだその胸元の谷間が谷間が、たにまがっっ!!
はっと気づくと既に馬上で、さっきの娘も俺の前に乗っており、振り落とされないように縄で俺と体を繋げていた。
どうやら俺は思考が停止していながらも、ちゃんと出発準備をしていたらしい。
「頼んだぞ!」
と言って、アレクが拳をこちらに向けてくるので、条件反射でその拳に俺の拳を軽くコツンとぶつけて応える。
そうだ、とにかく今は与えられた任務を果たすことだ。
集中しないと。
最初からスピードを出しての早駆けだが、前に陣取った娘はしっかりと捕まり怖がる様子もない。
思ったより胆の据わった娘だな、と思っていたら何か小さくぶつぶつつぶやいていた。
「……なんなんですか女であの格好よさとか、まさに王子様! っていうかもう神? 神なの!?」
……どうやら独り言のようだ。
あれ、アレクが女?
おんなおんな―――。
「ぬおおおーーーー!!?」
「騎士様!?」
いきなり叫び声を上げた俺に、娘も馬も驚いたようで危うく落馬するところだった。
危ない、物理的に命の危険を感じた!
「わ、悪い……、集中する」
「本当によろしくお願いしますよ! 倒れるならこの原稿を渡してからにして下さい」
集中……。
アレクとサンドラがもしかしてもしかして同一人物!?
だってアレクに胸が!
唐突に昨日の温泉で見たアレクの裸体を思い出す。
アレ夢じゃなかったのか!?
集中集中……
じゃああの馬車の前で揉んだあの感触って、ほ ん も の?
え、どんな感触だったっけ。
集中集中集中。
はっ、違ーーうっ! 思い出すことに集中してどうする!!
強行軍で城まで着いてその娘を印刷部門へ届けてから、刷り上がるまで三時間程待つ。
隣国で何が起きたかは既に騎士団の中には知られているようで、強行軍で行き来するという俺に対して、皆いたわるように接してくれる。
しかし、近衛騎士の先輩だけは宿で俺がしでかしたことを聞いているらしく、刺すような視線で俺を見てくる。
……通常の騎士達もいるので、俺がアレクにしたことを問いつめられないんだろうが、その視線が痛い……。
仮眠しようにも全く眠れず、刷り上がった号外新聞を近衛騎士達と一緒に隣国へ運ぶのにも立候補した。
「ブルーノ、お前休んでいた方がいいんじゃないか?」
と言われたが、今とてもゆっくり休める精神状態じゃない!
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凪いだ鏡のようになった湖にサンドラがいる。
その鏡面のようになった水に映っているのはアレク。
どちらが影で、どちらが本当なんだ?
模擬試合で剣を打ち合わせたアレクが汗をぬぐう為にシャツを脱ぐ。
『男同士』なら当然のことだ。
何の気なしに視線を向けたら、むき出しの豊かな胸を伝う汗をアレクがタオルで拭いている。
「ア、アアレク!? 何してんだ、隠せよ」
慌てて視線を逸らす俺に、逆にアレクが聞いてくる。
「どうしてだ? ブルーノだって汗を拭くときはシャツを脱ぐじゃないか」
「そりゃそうだけど、胸が―――」
口ごもる俺を不思議そうに見て隣に現れたベリルが言う。
「胸がどうしたって、誰にだってあるじゃないか」
そう言うベリルの胸も膨らんでおり、汗を拭くためにボタンを外して白い胸をプルンと露わにしている。
「ベリル!?」
「どうしたブルーノ、何か今日はおかしいぞ」
今度はシリウスだ。
「お、お前達皆女だったのか!? 胸が胸が……」
「胸ならお前だってあるじゃないか」
何を馬鹿なことを言っているのか、という口調でアレクが言ってくる。
視線を下に向けると、俺にも胸が……。
そして皆にもおっぱいがおっぱいでおっぱいになっておっぱいおぱ、おぱ、おお…お………
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「うわぁぁああああああ!!!」
絶叫しながら飛び起きると、驚いたような先輩達が俺を覗き込む。
「おい、ブルーノ大丈夫か? やっぱり無茶なんだよ隣国との境の村から徹夜で、しかも二人乗りで馬を飛ばし続けて、そのままとんぼ返りで隣国の城下町まで言って号外新聞を撒くとか。城に帰ってきたところでそのまま倒れたんだぞ。ちょうど今医療部門から人を呼ぼうとしていた所だったんだ」
俺は計三日間ほぼ不眠不休で、城に辿り着いた途端に倒れたらしい。
意識が途切れていた時間は10分程度だったらしいが、今はそれよりも確認しなければならないことがある。
「先輩、失礼します!」
俺はそう言って先輩の固い胸をバンバンと叩くように触らせてもらう。
「お!? なんだよ」
「固い……」
「おお! なんたって鍛えてるからな!」
先輩はそう言って力瘤まで出してくる。
隣の先輩の胸も触らせてもらうとまるで岩みたいだ。
「お? なんだブルーノ、筋肉美に目覚めたのか。俺自慢の胸筋に触らせてやるよ」
そう言ってきたのは筋肉自慢の先輩だ。
胸を揉ませてもらうと、なんだか固いのに胸がある……!
「ふふ……毎日鍛えないとこうはならないぞ、よかったら今度お前にも鍛錬つけて―――って、おいブルーノどこ行くんだよ!? まだ安静にしていたほうがいいって」
大変だ!
先輩には固いけれどおっぱいがあった。
今すぐ確認しないと!
慌てた俺がアレクが寝込んでいるという設定になっている寝所へ、控えているナニーに許可を得て転がり込むようにドアを開けて入る。
「ブルーノ! もう大丈夫なのか? 強行軍で倒れたとか今聞いたんだけど。大変だったな」
ベッドで力なく横たわっていたベリルが、俺の訪問を受けて半身を起す。
アレクの代役をしているだけだから本当に病気ではないはずなのに、なんでこんなに憔悴しているんだ?
いや、それよりも!
「ちょっと確認させて貰いたいことがあるがいいか?」
「え!? あ、ああ……」
ベリルの返事を聞く前に両手をベリルの胸に当てて揉んでみる。
「無い!」
「うっわ!? いきなりなんだよ、何が無いって?」
よかった。ベリルにおっぱいが無くて。
はたと夢を思い出し、自分の胸も揉んでみる。
「無い!」
手のひらに伝わってくる感触は固い筋肉だけで、泣きたくなるほど安堵する。
「騎士様、いきなりこちらにいらっしゃるなんてご迷惑ですよ」
俺が城まで送ってきた印刷部門の娘がひょこっとドアから顔を出す。
基本どこにでも入室を許可されているカードを持つ娘だ。
そのせいか王宮の護衛騎士が、俺が何か騒いでいるから様子を見てくるように、と頼んだらしい。
つかつかとその娘に近寄り、わしっと胸を掴む。
「ぴっ!?」
その娘がなぜか硬直しているが構わず揉んで、つるぺたな見た目通りおっぱいが殆ど無いことを確認する。
いや、少しは柔らかいか?
そうか女の子で筋肉がついていないから柔らかいんだな、きっと。
「よし、無い!」
あーよかった。
皆におっぱいがついていなくて。
正夢になったらどうしようかと思ったぜ。
「……き―――」
「ん?」
「きゃああああああ!!!」
その娘の盛大な悲鳴と共に、頬を力いっぱいに張られて目の前に星が散る。
あれ?
俺なんか怒らすようなことし…た―――?
そう思って斜めに傾いでいく視界の中で、ベリルが俺のことを見下げはてたような呆れた視線で眺めてくる。
なんなんだよ、一体俺が何をしたって―――
そこで俺の思考は暗転した。
体も精神も限界状態だったようで、そのまま丸一日眠り続けることになった。
王宮内で倒れたので、そのまま王宮の客室で休ませて貰っていたらしいが、翌日目が覚めた俺のことを、なぜか王宮中の侍女がケダモノを眺めるような目で見てきて、ツンドラの如き対応をしてくる。
その上筋肉自慢の先輩が、これから毎日俺を鍛えてくれると言っている。
「ブルーノは胸筋好きなんだってな。毎日ちゃんと鍛えていれば、片方ずつ動かすこともできるようになるんだぞ!」
先輩はそう言ってシャツを脱いで、盛り上がっている立派な胸筋をぴくぴく片方ずつ笑顔で動かして見せてくる。
勘弁してくれ……。
ブルーノ「おっぱいこわい……」