元気の出る薬[ベリル視点]
隣国で開催される夜会にアレク達が出発して三日程経った頃、アレクの愛馬の世話を任されている使用人から、馬が暴れて抑えが効かないと陳情が上がってきた。
アレク以外を乗せようとしない馬だが、僕はアレクと一緒にいることが多いため他の者のように蹴られることはないだろうと思い、少し様子を見に行くことにした。
厩に着くとその栗毛色の馬は、アレクの格好をした僕を見て一瞬警戒するような素振りを見せたが、僕のことはちゃんと覚えてくれていたようでなんとか落ち着いてくれた。
ただ、僕がこの馬の前に現れるのは、大抵アレクも一緒なので、
「アレクはどこにいるんだ?」
とでも言いたげに、鼻息を鳴らしながらあちこちを探すように見回している。
そんな馬の側にそっと近づき、周りの者に聞こえないように小さく言う。
「アレクは今ここにはいないよ。会いに行きたい?」
言葉が分かるか不明だけれど、この状態の馬を厩へ入れ続けておくと他の馬へも伝播してしまうし、この馬自体もストレスで体調を崩してしまうかもしれない。
それに乗り手と愛馬の間には目に見えない絆があるというし、この馬がこれだけ落ち着かないということは、アレクに何か危機が迫っているのを野生の勘とやらで感じ取っているのかもしれない。
「この馬を出してやれ」
「はい、遠乗りですか? しかしアレク殿下は今お体の調子が悪いと聞いておりますが……」
「いいや、私専属の侍従を呼べ。その者にサンドラへこの馬を届けるように伝えよ」
「はっ!」
どこか怪訝そうにしている使用人を安心させるように言う。
「私は今遠乗りができる体調ではないし、この馬はサンドラにも懐いているからな。この馬にとっていい気分転換になるだろう」
「判りました、すぐに手配します。鞍は横乗り用の蔵をつけておけばよろしいでしょうか?」
危機が迫っているのなら、横乗りなんて悠長なことはできないだろう。
「いいや、とりあえずは私がいつも使っている普通の鞍でいい」
「よろしいのですか?」
「ああ、サンドラは実はお転婆なんだ。隣国で羽目を外すくらい別にいいだろう」
「判りました!」
そう言って急いで鞍の準備と、サンドラの所へ馬を連れて行く者へ連絡している。
アレク付きの侍従なら、アレクとサンドラの事情を知っているはずだからきっとうまくやるだろう。
出発の準備を待っている栗毛色の馬の首を優しく叩きながら言う。
「僕は付いていけないから、代わりにアレクのことを頼んだぞ」
お前に言われなくとも、とでも言いたげに、アレクの愛馬は嬉しそうにいなないてみせた。
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王宮へ戻ると、この後見舞いの為にジルが来るという話を聞いた。
誰かが見舞いに来ている間は、王太子教育は中断になるので、息抜きになってちょうどいい。
とりあえず病弱に見えるように、少しおしろいでもはたいてもらうか。
アレクは療養中ということなっているが、僕がいるのはアレクの寝室ではなく、別の部屋を用意してもらい、そちらで過ごすことにしている。
アレクは自分の部屋をそのまま使用していいと言っていて、初日はアレクの部屋へ案内された。
アレクの部屋くらい子供の頃から何度も入ったことはあるけれど、意識し始めてからは、サンドラがアレクの元に通っていると勘違いしたあの時以来だ。
アレクが女だと判ってから、あらためて部屋の中を見回すと、シンプルな中にあちこち女の子らしいディテールの物があることに気付く。
以前から視界には入っていたはずなのに、どうしてアレクが女性だと気付けなかったのか不思議なくらいだ。
自分自身、『ありえないこと』だと思っていたからだろう。
可憐な花が活けられた華奢な一輪挿しや、愛用のペンの持ち手の端に嵌め込まれた小さな宝石は花をかたどっていたり、壁に掛けられた絵画も女の子が好みそうな優しい筆遣いの物ばかりだ。
……それに何かいい匂いがする―――。
香水じゃなくて、何か少し甘くて清涼感があって。
気分が高揚してくるのに、なぜか頭の芯がぼんやり痺れてくる。
このままここにいたらマズイことになると思い、侍女のナニーにお願いして即刻部屋を変えて貰った。
ナニーも、アレクの言いつけとはいえ僕にアレクの部屋を使わせるのには反対だったようで、嬉々として別の部屋の準備をしてくれた。
よかった、ベッドに入る前で。
そもそも好きな子のベッドでなんて眠れるわけがないじゃないか!
それにもしも、もしもベッドを汚したら侍女連中からどんな冷たい目で見られるか……。
アレクにはデリカシーってもんがないのか!?
……無さそうだ。
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午後になって約束の時間にジルが来た。
白い香りの少ない花と、何か大切そうにバスケットを抱えている。
「ここがアレクの部屋……スチルでも無かったわ……! 感動~」
とか、部屋を見回しながら何か呟いているが、ごめん、ここアレクの部屋じゃないんだ……。
でもちょうどよかったかもしれない。
ジルならもしかしたらアレクの部屋を見たら、アレクが女性だと気付いたかもしれないから。
本当に、あれだけそばにいてどうして気づかなかったんだろうと今では思う。
それだけ幼い頃からの先入観があったのかも。
あとは、それが真実だとすると『アレク』がいなくなってしまうのが怖くて、敢えて考えないようにしていたか。
でも最近はなぜか市井の若い女の子を中心に、
「アレク王太子殿下って、本当は女性なのよね~(はあと)」
という噂が広まっているらしいから、なんか僕がこうやってアレクのふりをしなくてもいいんじゃないかな……と思う時もしばしばある。
あのアレクが採用を決めた印刷部門の若い娘なんて、私をじっと見て男だと判ると
「はっ! ベリルさまですね。代役お疲れ様です!」
とか言ってお辞儀してくるし……。
一応人目の無い所でのみ僕の名前を言うようにしているらしいけれど、なんか虚しくなるからやめて欲しい……。
とりあえずいつも否定するのだが
「判っております、何もおっしゃらなくとも判っております! その複雑なご心境、察して余りあります。そのお気持ちを想像して、創造の糧にさせていただきますとも!」
と力強く頷きながら、いつも抱えている紙の束に次々とペンを走らせていく。
僕がその内容を読めるのは本になってからなのだが、一体どんな内容になっているのかとても気になる……。
ジルから受け取った花を傍に控えていた侍女に預け、花瓶に生けてきてもらうようにする。
「アレクは病気といっても明確な病名がついているわけではなく、体調が優れないとのことなので、対症療法が必要だと思うの」
ジルはそう言って、バスケットの中身を一つ一つ出しながら侍女と私に説明してくれた。
手のひらのような形をした、見たこともない芋を指して言う。
「これは山芋よ、すりおろして卵と一緒に食べるといいわ。それと卵は男爵家で育てている生で食べられる卵も持ってきたから。醤油があればもっといいんだけど、塩かなにかも少し振りかけるといいかも。あ、料理人には手かゆくなる可能性があるから薄手の手袋を嵌めてすりおろした方がいいかも、と伝えておいてね」
芋を生で? しかも卵まで生で!?
大丈夫なのか……。
しかし今私はアレクだ。
アレクならきっと笑顔で受け取るはずだ。
確かアレクはジルから貰ったクッキーとかも食べていたはずだし。
「ありがとう、早速今晩いただくよ」
そう言ってにこりと笑って見せると、ジルが何か不思議そうな顔で私を見る。
え、何、もしかしてバレてないよな?
ナニーにもセバスにもアレクの所作を叩き込まれていて、ちゃんと合格点を貰ってるんだけど。
女の勘か!?
「どうしたの? ジル」
「……いええ、なんでもありませんわ。いつもと違う感じがしたので。それに体調が優れないとのことですが何かこう……いつもよりも逆にがっちりして儚さが減ったような気が―――」
まずい!
「ゴホッゴホッ!」
「大丈夫ですか!?」
とりあえず無理に咳き込んでみて、ナニーを呼んでもらう。
ナニーが僕を痛ましげに見ながらジルへ言う。
「申し訳ございません、ジル様。無理はいけないとお医者様からも言われておりますので、今日はお引き取りいただけますか? 頂きました山芋と卵はこちらで責任もってアレク様に食していただきますので。お心遣いありがとうございます」
「いえ、こちらこそ急にごめんなさい」
まだ無理に咳き込んで布団に顔を埋めている僕に向かってジルが言う。
「あの……また明日も来てよろしいでしょうか?」
無理に咳き込むと、逆に喉が痛くなってくることを初めて知った……。
ここで断るのは簡単だが、こんなにアレクを心配してくれているジルを遠ざけるのは可哀想な気もする。
「……ああ、ジルさえよければ」
「ありがとうございます」
僕の方を心配そうに何度も振り返りながら退出していくジルに、良心が痛む……。
翌日からは同じ部屋だけれど、少し離れた位置に椅子を置いてもらい、言葉少なに会話する程度にしておいた。
ジルもアレクを気遣ってか長居はしないので、ばれた様子は無い。
その代わり、毎回お見舞いと言っては珍しい薬草等を差し入れてくれる。
山芋と生卵はおいしかったけれど、逆に元気いっぱいになってきて、王太子教育の疲れもとれて体調も絶好調だ。
昨日は味も見た目も毒かと思うような『青汁』なる飲み物を持ってきたり、蛇かと思うような『うなぎ』なる生き物を持って来たり甲斐甲斐しく接してくれる。
全て毒見役と医薬院の意見も聞いて、毒ではないことを確認してから口にしているが、本当にこれ毒じゃないのか!? と思うようなものが多い。
特に先日持ってきてくれた、毒蛇が丸々一匹漬けられた酒とか……。
手に入れるのが難しい物も多いらしく、医薬院の者も感心していたし、アレクの為を思ってのことだし翌日にはまたジルがちゃんと飲んだか確認してくるので、毎日いろいろな物を口にしている。
確かに毒ではないのは判るし、体調もいいので問題はない。
ただ一つ問題があるとすれば、元気が出すぎて夜は淫夢を見ることが多くなってしまった……。
これでは別の意味で体調が悪くなってしまう!
ということで昼間は王太子教育に加えて、人払いしてもらった王宮の裏庭の一角で剣や体術の鍛錬もするようにして発散している。
そうやって健康的な生活を送っているせいで、肌も艶々な上に顔色までよくなってしまったので、病弱に見せる為の白粉は日々厚くなり、目の下に青いアイシャドウで隈を作ったりするようになった。
そしてジルはそんな僕を見ては
「どうして……どうしてこれだけ現地医療チートをしていても体調が戻らないの……どうすれば…」
と苦しげな顔をしながら毎日お見舞いに来てくれていた。
良心が……。
そして今日のジルは、バスケットの中でがさがさいう物を自ら用意した台車に乗せてやってきた。
「ついにこれを見つけたんですよ! これでどんな病弱だろうともばっちり治るはずです!」
良い笑顔で得意げに微笑むジルの声に呼応するように、固く封された大きなバスケットがぼすっと動く。
一体何が入っているんだ!?
ジルに言われて使用人たちがバスケットを開けたとたん、悲鳴を上げて飛び退った。
「こ……っ、これは一体!?」
「何やってるのよ逃げちゃうじゃない。しょうがないわねぇ、あなた背中の甲羅を持って……そうそう、間違えても噛まれないようにね。指を骨ごと持っていかれるわよ」
男の使用人ががしっと捕まえてバスケットから出したそれは、つるりとした甲羅を持った、見たことも無いカメだった。
「ジ……ジル、それは一体…。まさかそのまま食べたりしないよね?」
「もちろんそのままは寄生虫が危ないからね。でもこれだけは先に飲んでおいた方がいいわ」
そのカメを逆さに吊るさせて、首に切り込みを入れて滴り落ちる血をグラスで受け止める。
さらにそれに赤ワインを加えたものを僕に差し出してきた。
「さあどうぞ、スッポンの生き血よ。これで病弱なんて一発で飛んでいくはずよ」
血!?
しかもそこでぶらーんとぶら下がってまだ首からぽたぽた血を流している、奇妙なカメの血!
いやだいやだいやだ、絶対いやだ飲みたくない飲みたくない。
現に使用人たちも皆引いてるし、ここで飲む方がおかしいよ。
でも……でも、ジルは一所懸命だし、使用人が慌てて呼んできた医薬院の者はそのカメを見てびっくりした様子だったけれども、毒ではないから大丈夫! と合図してくるし。
「やっぱり生き血を飲むって抵抗があるかしら。でもとっても体にいいのよ! 毒も無いから安心して、ほら」
と言って、毒見のつもりなのかジルが一口それを飲んでみせる。
……それに何より、きっとアレクなら毒が無い段階できっと自分の為に差し出された物を断ったりはしないだろう。
「ありがとう……」
覚悟を決めつつ弱々しく言って真っ赤なそれがなみなみと注がれたグラスを受け取り、ぐいーっと飲み干すと、固唾を呑んで見守っていた使用人達やナニーやセバスから「おおーっ」という引くような、でも僕の男気を褒め称えるような声が漏れる。
苦いというか、舌に貼りつくというか、鉄くさいというか……赤ワインで割ってはいても血であることはごまかしようがない!
それなのに、飲んでしばらくすると体が熱くなってきてしょうがなくなった。
だめだ、ここで汗をかいたら白粉が取れてしまう。
焦ってナニーに目くばせすると、心得たとばかりにジルを追い出しにかかる。
「ジル様、貴重な物をありがとうございました。この『すっぽん』なるカメの調理方法についてご相談させていただきたく、料理長ともお会いいただけますか?」
「ええ、もちろんよ! すっぽんには捨てる所が無いくらいおいしく食べれるはずだからね!」
そんなジルとナニーがカメを厨房に持っていくのを見送ると、すぐに布団を跳ねのけ、人払いした裏庭に走っていってアレクの近衛騎士と剣を交えた鍛錬をする。
相手を交代しながら夕刻まで続けていたが一向に体の熱が引かず、どうしようかと思っていたら晩餐にはあのカメの料理が並んだ。
お腹がへっていたのでそれを食べたら、また体が熱くなって眠れなくなった。
ベッドの中で悶々としていて、明け方ようやくうつらうつらしたと思ったら、見た夢がとんでもなかった……。
いつもの夢の中で出てくる相手はアレクなのに、今日はそこにジルも混じって、さ、さ、さささんにんで―――。
「うわーーーーーーっっっ!!!」
絶叫しながら飛び起きた僕は悪くない。
寝るのが怖い……。
それ以降も珍しい『かんぽうやく』とかいう薬を持って来たり、ジルが必死になってアレクの病気を治そうとしてくれているのが判った。
そのけなげな様子についほだされそうになる。
いやいや、ジルが好きなのはアレクだし、アレクの病気を治そうと頑張っているんだから。
……でも僕はそもそも仮病だし、ジルの恋が実ることはないんだろう……。
そう思うとアレクの罪深さと、それに加担している形になってしまっている自分の立場を考えてしまう。
だから明日にはアレクが帰ってくるという話を聞いて、これが最後だから、とジルに礼を言うことにする。
「ジル、ありがとう……。君の気持ちはよくわかったよ。本当に色々ありがとう。もう何も持ってこなくてもいいから」
「それってどういう……」
「私の病気はもうどうしようもないんだ。だから君も私の事は忘れて、新しい誰かを探してくれないか」
「そんな……そんな…っ!」
ジルが泣き崩れるが、ここで期待を持たせてしまう方が彼女にとって申し訳ない。
アレクにどれだけ恋しても実ることはないのなら、できるだけきっぱりと諦めさせてあげた方がいい。
泣いているジルを見て気付く。
これは僕の姿だ。
アレクも僕の為を思って、手ひどく振ってくれたのだろう。
本当に、優しくてひどい人間だよ。