連星の見る夢[シリウス視点]
兄からの襲撃後、兄の亡骸と共に王宮へ戻ると、父上にも刺客が送られていたらしく、警戒していた近衛騎士たちに賊が取り押さえられていた。
騎士団長の直下の者達が独断でやったということになっているが、騎士団長の命令があったことは明白だ。
国を守るべき騎士団長が国王殺害を目論んだことは王宮内をゆるがしていたが、父はまるでこれが起きること以前から想定していたような落ち着きぶりで、淡々と事後処理を進めようとしていた。
曰く
「もっと早く動けば、被害もここまで広がらなかっただろう」
とのことだが、『早く』とは一体いつのことだろう。
国王暗殺を防いだのと時を同じくして、各地に散っていた近衛騎士が幾人もの貴族を捕縛したと報告があがってきた。
どうやら今回の騒動に加担していた者達らしい。
相当数の為、捕縛して王宮へ連れてくるのではなく、現地での蟄居という形にするようだ。
サンドラが襲撃されていた、という話も大きかった。
俺と平行して別部隊からの襲撃を受けており、それを退けた上でこちらの加勢に来ていたとは、改めて彼女の行動力と決断力に感服する。
サンドラを襲った襲撃者の首謀者は宰相であることが判明し、すぐに取り押さえられた。
父が、宰相にだけは「余罪を吐かせる」と言って、審問専門の者に引き渡していた。
底なし沼のような目をした父を見て、少し恐ろしく感じた。
私が幼少の時に受けた襲撃や、今は亡き正妃の死因、祖父の病死について、宰相が支持を出したのではないかと父は疑っているようだ。
今までガードが固くて付け入るスキがなかった宰相だったが、サンドラが今回大分掻き回してくれたおかげで、宰相は慌てて動くしかなく隠避工作もおざなりにしか出来なかったらしい。
粛清の最中、今回の事柄について父上と話し合い、王宮からの公式発表として開示していいこと、内密にして欲しいことをまとめたメモを、早馬に託して彼女に渡しておいた。
帰ってきた騎士からに彼女からの言伝てで
『後はこちらに任せておいて欲しい』
とのことだった。
彼女になら任せておいて大丈夫だろう。
余りにも沢山のことがあった一日が終わり、離宮の自分の部屋で休ませてもらうことにした。
本宮の方はまだ煌々と明かりがともされており、今晩は夜を徹しての対応になるのだろう。
私も明日は朝からそちらに向かう予定だ。
ここ数年は余り泊まることも少なかった自分の部屋だが、幼い頃からの記憶が詰まった部屋であり、この国に帰ってきてから始めてほっとして眠りにつく。
張りつめていた糸が切れたように視界が闇に染まる。
体が重くなり、次にふわふわと軽くなるような感覚を覚えて、自分が眠っているのだと自覚したその直後明るい光が見えた。
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「兄上、兄上」
幼い頃の私が兄を呼ぶ声がする。
なつかしいな、と思っていたら、くるりと自分の視界の前に幼い頃の自分が後ろから回り込んできた。
「え……!?」
「兄上、どうなさったんですか? 母上がお茶を一緒にいかがでしょうか、とのことですが」
そうだった。
母上は離宮に据え付けられた簡単なキッチンで、自ら簡単な菓子を焼いて、それをお茶と一緒に出してくれていた。
父上もそれが好きらしく、政務の合間で手の空いた時には、わざわざ離宮まで来てお茶を飲むくらいだ。
確かに兄を何回かお茶に誘ったことがあるけれど、一度も一緒にお茶をしたことがなかった。
「いや、今日は失礼するよ」
兄は昔何回か聞いたことのある通り、俺の誘いを断っていた。
帰ろうとしたところに、幼い頃の俺がこっそりと内緒話をするように耳に口を寄せてきた。
「兄上、もしかしたら僕たちに弟か妹が産まれるかも知れないんです」
「え!?」
「まだ内緒らしいんですけれど、兄上には伝えておこうと思って」
「すごい! 楽しみだな」
「はい!」
驚いた様子の兄の反応に満足したように、幼い俺が屈託なく笑いかけてくる。
俺の意識が入っている兄が小走りで本宮に帰る途中、一旦離宮の方を振り返り、独り言を言っていた。
「私までこちらに来てしまうと、母上が一人になってしまうので、可哀想だからな」
本宮に帰ると、兄の母である第一側妃が兄の帰りを待っていた。
「遅かったのね。またあの女の所に行っていたの?」
「いえ、シリウスと少し遊んでいました」
「……そう」
第一側妃はこんなに沈んだ顔をする女だっただろうか。
兄が、何か元気づけるようなことを言おうとしているのが分かった。
「そういえば、第二側妃殿が―――」
その名前を出したとたん、第一側妃が弾かれたように兄を見る。
「あの女がどうしたって?」
その目は、眠る前に宰相と第一側妃のことを話していた父と同じような、底無し沼のような瞳だった。
急に思い出した。
俺の母である第二側妃が懐妊した後、あの襲撃があったのだ。
『だめだ! 言ってはだめだ!』
無理矢理兄の思考に割り込んで、口を閉ざすようにする。
「いえ……、あ、あの自らキッチンに立ち、菓子など焼いたりしているそうです……」
第二側妃の懐妊の話をしようとしたらしい兄が、急に別の話題に変えた。
すると、第一側妃の底無し沼のような瞳がふっと消えて、その代わり離宮の方向に視線を向けながら、軽蔑したような声で言う。
「側妃になっても伯爵程度の下賎な出では、その程度か」
「あ、あのっ、今度第二側妃の作るお菓子というのを食べてみてもいいでしょうか」
「何を言って―――! ……そうね、どんな味か気になるし一度食べて来てもいいわ。但しその時は毒味役の者も連れていくのですよ」
「はいっ!」
後日、兄が離宮に来て、俺の母上の手作りのおやつを幼い頃の俺と一緒に食べていた。
美味しい美味しいと言いながら兄がお菓子を食べていたら、その日はたまたま父上も少し遅れて離宮に来て、仲良さげな兄と俺を見てびっくりした様子だった。
そういえば第一側妃がいる時、兄は一切俺に話し掛けないし、見ようともしなかった。
離宮に来て俺と遊ぶことはあっても、母上と話すことは殆どなかったはずが、今は兄と母上が楽しげに談笑している。
しかもそれを父上が目を細めながら眺めている。
あり得なかった過去。
本宮に帰った兄は、第一側妃へ
「不味くて食べられた物ではありません。胸焼けがするので今日の晩餐は少な目でお願いします」
と、澄ました顔で言っていた。
沢山食べてお腹がいっぱいで、とても晩餐が入りそうになかったのだ。
しかし兄の言葉を聞いた第一側妃は、満足そうに頷いていた。
第二側妃が第二子を出産するまで、本宮では誰も第二側妃が懐妊していたことを知らなかったようで、大騒ぎになった。
出産から三ヶ月程経ち兄が離宮へ来ると、母の勧めで妹を抱かせてもらった。
小さい小さい命。
現実では産まれることの出来なかった、俺の妹。
兄のものなのか俺のものなのか分からない感情が溢れてきて、そのまま妹の清潔な産着の上に、ぱたぱたと涙が落ちる。
訳もわからず泣き続ける兄を見て、第二側妃と幼い俺が驚いたように宥めてくる。
その後、産まれたばかりの妹と兄の婚約話を、父がいきなり言い出した。
驚いた第一側妃が、普段はろくに話もしない父の執務室に理由を問いただしに乗り込んでいった。
そしてその夜居室に戻ってきた第一側妃は、泣きながら兄に言った。
「貴方は王族の血を引いていません。この国の王太子になるためには、あの女の産んだ姫と結婚する必要があります」
兄はそれを聞いても驚いた様子はなく、逆に、やっと聞けたという風に言う。
「私は別に王太子になりたいとは思いません。母上の辛くない方で構いません」
まだ少年の兄の返事を聞いて、第一側妃が
「貴方は本当に優しい子供ですね、それに陛下も。間に合わなかったこともありますが、今気づけて、そして思い留まってよかった……」
と言って泣き崩れた。
それからすぐに国王であった祖父が死に、父が後を継いで国王になった。
そして騎士団長は遠方の砦へと左遷された。
兄が王族の血を引いていないことは、父と第一側妃と兄だけの秘密ということになっている。
兄と妹の婚約話は確定にはならなかったが、父にも考えておくように言われた。
場面が移り、兄が14歳、俺が13歳の時、どちらかが隣国の学園に留学してみないかという話が父からあった。
それに兄が立候補した。
「父上、俺は外の世界を見に行きたいです」
宰相の祖父を持つ兄には、権力目当てにすり寄ってくる輩が山のようにいて、このままではダメになると父も判断したらしく、隣国行きは兄になった。
隣国に行くと、学年がひとつ違うジルが突撃してきて
「どうして隣国の王子枠がシリウスじゃないの!?」
と叫んで一騒動起こし、その流れでブルーノやベリル、そしてアレクと出会った。
王族の血を引いていないと言われてからの兄は、勉強に精を出し、特に国王になる人間の補佐の仕事に必要な勉強を、家庭教師から教わっていた。
そんな兄の周りに人は集まり、ブルーノやベリルとも仲良くなっていった。
それにアレクとサンドラとも。
サンドラの姿で学園へ来るようになったアレクが言う。
「貴方は国に帰るの?」
「いいや、出来れば国に帰るのではなくこの国にいたい。俺があの国にいては、国が割れてしまうだろうから」
「そうなの……」
兄が思いついたように言う。
「そうだ、君と結婚して俺がこの国の婿養子になるのはどうだろう。もちろん隣国の継承権は放棄して」
サンドラがびっくりしたように目を見開いて、何か考えこむようにしながら言う。
「そういう手もあるか……。そうね、考えておいてもいいわ」
意外な答えに今度は兄がびっくりしていた。
母親である第一側妃に父が通うことは無かったが、時々会話は生まれているらしいと聞く。
祖父である宰相は、第一側妃に言われて職を辞そうとしているらしい。
この国と戦をしようとする派閥は中核を失いつつあったが、兄がサンドラと婚姻を結べば、その声も完全に無くなるだろうことは明白だった。
その後、アレクの病死と、兄とサンドラとの婚約が発表された。
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目が覚めた時、頬が冷たいのに気付いて手のひらで擦ると、泣いているのに気付いた。
どこかでずれてしまった歯車。
現実は兄にとって、最悪の道筋だったのだろう。
現金なことに、今の自分の状況を思い出しホッとする。
そして、夢の中の兄に嫉妬までしそうになる。
隣国に留学したのが俺でよかった。
彼と……彼女と会えたのが俺でよかった。
襲撃の日から3日後には、この国の王都に大量の号外新聞がばらまかれた。
この国ではまだ貴重な紙を大量に無料でばらまくその行為と、センセーショナルなその内容に、城下の人々は夢中になって自らそれを貰いに来て、更に周辺の村々へと広めていった。
号外が配られると同時に、第一王子の訃報を知らせるための鐘の音を鳴らし、喪を告げる黒旗を城に掲げる。
そして襲撃から1週間後の今日、兄の葬儀が国葬として盛大に執り行われる。
王太子ではないので、他国から来賓は呼ばず国内のみで執り行われる。
第一側妃は、第一王子の訃報を聞いて心労の余り臥せっている、ということにしているが、襲撃の日にすぐさま取り押さえられそれからずっと幽閉されている。
今回の一連の襲撃の首謀者は、宰相と騎士団長ということになっており、彼らの処刑はこの葬儀後すぐに決行される予定だ。
子爵令嬢が山脈の向こう側の国と通じていたという情報がサンドラよりもたらされて、その裏付けもできたので、子爵令嬢は国外追放ということになった。
子爵令嬢を監禁していたのも、第一王子がそれに感ずいていた為、ということにしておいて、兄の功績にしておいた。
第一側妃は父である宰相が国家反逆罪となり処刑、息子である第一王子は国を救った英雄として国葬されることになるが、その胸中を考えると、狙われたのは俺の方とはいえ、やりきれない気分になる。
父も何か思うところがあるようで、今後第一側妃と話し合いの席を設けるつもりらしい。
しばらくは喪に服す予定だが、今後のことを話し合うため、隣国の国王がこの国へ会談の為来ることになった。
その会談の場には俺も同席するように言われている。
そしてどうやらサンドラも来るとのことだ。
国王と王女が同時に会談に臨むとは、一体何を話し合う予定なのだろう。
星のシリウスは、肉眼では1つの恒星に見えますが、実際にはシリウスAと呼ばれるA型主系列星と、シリウスBと呼ばれる白色矮星から成る連星だそうです。
第一王子とシリウスは、それぞれが光と影の役割です。
どちらが光になるのかはほんの少しの差でした、というお話。
第二部完です。