温泉
シリウスと護衛騎士達が船に乗り、王宮へと戻る為に川を遡上していくのを見送る。
私たちは国王とシリウスが考えた今回のストーリーの筋を教えてもらう為に、隣国と我が国の間の村に一時滞在することにする。
私はこの襲撃の現場に「いなかった」ということになる予定だ。
帰路でならず者たちの襲撃を受けたが、これを撃退、首謀者をこの国の近衛騎士に引き渡した後、そのままゆっくり帰路についている道中で第一王子の訃報を聞く、という筋書きだ。
実際には、この戦闘で傷ついた者もおり、その者たちの治療と休息を兼ねて、近辺に保養地として重宝されている村で数日滞在することにした。
大筋を元にしてストーリー化する必要があるので、我が国の王宮に早馬を出して印刷部門から一名こちらに寄越してもらうようにする。
シリウス側から大筋が届き次第、原稿化して私がその場でチェックし、すぐに印刷に回せるようにしよう。
情報はスピードが大事だからな。
その点でいうと、我が国と隣国との中間地点に存在するその保養村で原稿を作るのがベストだろう。
第一王子の訃報を告知するのは、その号外新聞の発行日と併せてもらうことにする。
きっとそれまでは隣国の城内では粛清を行っているはずなので、多少第一王子の訃報告知が遅れても問題ないはずだ。
返り血で真っ赤に染まった白いドレスも着替えなければならないので、一旦馬車へ戻ることにする。
当初私たちを襲う予定だった暴漢達を縛り上げた傍に馬車は置いてあり、私たちの帰りを待って、暴漢達と馬車を見守っていた近衛騎士は、暴漢を届けに隣国の王宮へ向かうという。
この暴漢の証言によれば、雇ったのは宰相とのことだ。
目的は私の体を傷物にして、この隣国の王族へ嫁げないようにすること。
そんなに私が正妃の座に納まるのを恐れたか。
ドレスを着替える為に馬車の中に入ると、なぜかブルーノも一緒に入ってこようとする。
「ブルーノ、どうした? 私は今から着替えるのだが」
「ん? ああ、それがどうしたか?」
あれ……? あれだけの乗馬技術や弓や剣技を目の前で見せてしまったし、さっき船の上でもブルーノは『昔から』と言っていたから、アレクが女だとばれてしまったのだと思ったけれど、どういうことだろう……。
近衛騎士達も、ブルーノの様子を訝しげに見ているが、そんな私たちに気づかないようにブルーノが言う。
「いやー、それにしても驚いたぜ。一体いつサンドラと入れ替わったんだ? アレク」
「……え?」
「病床っていうのも、最初から入れ替わって隣国に来る予定だったからだろ。どうりでサンドラとか心配していないと思ったんだよ。もしかして最初の出発の時から入れ替わってたのか? それとこの胸! 本当によく出来てるよな」
そう言ってブルーノがおもむろに私の胸を両手でがしっと掴んで揉んでくる。
「うっわ、柔らけー! 一体何入れてるんだ?」
「……っ!」
その光景を見た近衛騎士と暗部の者が皆、ブルーノの背後で一斉に剣を抜いたのを目で制してから、ブルーノの手をそっと止める。
「ブルーノ、形が崩れるから止めてくれないか?」
「ああ、悪い悪い」
ブルーノは周囲の剣呑な視線に気づいていないようで、屈託なく笑っている。
馬車に乗り、ドアを閉めながら言う。
「……ブルーノ、近衛騎士への道のりはまだまだ遠いみたいだな」
「え!? やっぱりさっきの命令違反か? でもそうしなきゃ危なかった―――って、先輩!? 何す―――!?」
馬車の扉の外側から、ブルーノが周囲の近衛騎士から殴られている様子が伝わってくる。
……それにしても、これで気づかないとは。
いっそ言った方がいいのか悩むところだ。
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保養の為に村に着き、宿を取る。
暗部の者が先行し、村の中で最も防衛しやすく、外からの人間を確認しやすい宿を貸し切ってくれていた。
おそらくここに2~3日ここに逗留することになるから、余り人が出入りしない方がいいし、逆にシリウスからの連絡や、印刷部門からの人間をすぐに迎え入れるようにしておきたい。
貸し切ったその宿は、母屋とは別に離れが用意されており、そちらでは自分たちの好きなように過ごすことができるようになっていた。
時間を指定しておけば、その時間に食事や掃除に人が入るだけで、それ以外は完全なプライベート空間だ。
とりあえず宿に入ると、離れに温泉が付いているらしい。
お ん せ ん !
もちろん入るとも。
我が国には無かったが、こちらの国にはあるのか! と少々感動する。
もしかしたら山脈に近いせいかもしれないが、ここが保養村というのも納得できる。
この宿の周囲にも警戒の為、騎士が交代で見張りをしてくれているはずなので、この離れの中では自由にできると思い、着替えた服も鬘も脱ぎ捨てる。
服はちゃんと畳んでおいたが、鬘は戦闘時の返り血で血が付いてしまったので、洗わなくてはならない。
血で汚れた鬘を近衛に渡して、先に湯殿を使わせてもらうことにする。
今回一緒に逗留する近衛や暗部の者は半数以上が男だが、皆私の裸を見ても大丈夫なのでその辺りの遠慮は無い。
前世では考えられなかったが、前世の記憶が戻る15歳までは何の疑問もなく王太子として王宮で過ごしており、風呂に入る時も着替えの時も周囲に人がいるのが当然だったので、前世の記憶が戻ったからといってその感覚は大きくは変わらない。
無防備な時こそ周囲に誰かいないと逆に危ない。
それに私の近衛になるには、私の裸を見ても異性として意識しないことが条件の一つになっている。
私が怪我や病気になった時、意識の無い体をそのまま相手に預けることになるからだ。
もちろん恋愛感情なんてもってのほかだ。
湯殿に続くドアを開けると、屋根のついている露天風呂のようになっている。
湯の質は乳白色に濁っており、宿の主人によると打ち身切り傷にも良いらしいので、皆にもちょうどいいだろう。
思ったよりも広くて、他の者と一緒に入ることができそうだが、騎士達はまだ荷物の運び出しや、周囲の警戒に走っている者、怪我の治療をしている者もいる為、しばらくしたらそれぞれ入る予定なのだろう。
裸を見せるのに抵抗はないとはいえ、さすがに体は自分で洗っているので、いつも通り髪と体を洗って湯船に浸かる。
もちろんタオルは髪に巻きつけるようにして湯船の中には入れない。
久しぶり~、というよりも今世では初めての温泉!
最高だ。
肩まで湯に浸かったところで、誰かが入ってきた音がする。
男性騎士に裸は見られてもいいが、さすがに一緒に風呂に入ることはないので、女性騎士が交代で入りに来たのかと視線を向けると、そこには艶やかな褐色の肌を晒した裸のブルーノがいた。
「アレクも入ってたのか、なんか先輩たち忙しそうなんだけど、俺は襲撃時の戦闘でアレクを守ったことを認められて作業は免除になったんだ。軽い打ち身だけどこれくらいなら手当をするより湯に浸かった方が治りが早いだろうからって宿の親父に言われてさ」
「そ……そうか、大丈夫か?」
一応ベリルの時に学んだマナーに乗っ取り、そっと局部からは視線を外しておく。
「おお、さっきの先輩から喰らった拳骨の方が痛いくらいだぜ」
どうしよう……。
きっと近衛騎士たちはそれぞれの作業で忙しくて、ブルーノを見ていなかったのだろう。
入り口にいた近衛には鬘を渡して洗ってもらうようにしていたから、ちょうど湯殿前に誰もいない状態だったらしい。
ブルーノは気にせず体をごしごし洗い、躊躇なく同じ湯船に入ってこようとする。
湯は乳白色で濁っており、私は肩まで浸かっているので私が女の体をしていることには気づいていないようだ。
「そういえばアレクと風呂に入るなんて今まで無かったよな」
「ああ……そうだな…」
「へへへー」
ブルーノが何かうれしそうにしているのでどうしたのか聞いてみると、少し照れくさそうに答える。
「なんかさ、アレクって昔からの友人だけど、俺にとっちゃ判らない部分が多いイメージだったんだ。そりゃ王族なんだし友人だからって何でもかんでも話せる訳じゃないってことは知ってるけど。でも女装までしてサンドラのこと守ったり、無茶して友人を助けたり、こうやって裸の付き合いもできてさ、なんかこの旅でアレクのこと沢山知れたのが嬉しいんだよ」
「ブルーノ……」
楽しそうに語るブルーノに「出て行け」と言い辛くなってしまう。
「待ってろよ、まずは近衛になってアレクの側に並び立ってやるからな!」
「私からは頑張れとしか言えないが、ありがとう……心強いよ」
「ああ! でもたとえアレクからの命令だとしても、アレクの命を危険にするような命令を聞く気は無いからな!」
「そこは私も善処しよう」
そう答えて笑いあう。
私一人では危険が0%ではなかったのは確かだ。
あー、どうしよう。
言うか。
いやしかし―――。
ぐるぐる考えていたら、肩まで熱めの湯に浸かっていたせいで少しのぼせそうになってきた。
「………」
「アレク、どうした?」
……だんだん考えるのが面倒になってきた。
「ブルーノ、今から一つ試験をする」
「なんだ?」
いきなり真剣になった私の口調に、ブルーノが少し身構える。
「私の近衛になる為の条件の一つだ」
そう言いながら、ざばっと湯から上がってみせる。
「……っっ!? sのえいうt-60あうぇ!?」
ブルーノが声にならない奇声を上げながら思わずといった風に立ち上がり、温泉の成分のせいで少しぬめる湯船の底に足を取られたようで、派手に転んでそのまま湯の中に沈む。
「大丈夫か!?」
慌てて聞くと、その一瞬後湯から飛び上がるようにブルーノが現れて、湯船のへりに体を預けながら盛大に咳き込んでいる。
どうやら気管に湯が入ったらしい。
少しでも楽になるように、背中をとんとんと叩いてやる。
ようやく呼吸が落ち着いたブルーノは、はっとしたように私の手から逃げるように立ち上がり、置いてあったタオルを慌てて取って腰回りを隠している。
「気にするな。私は今更気にしない」
「き、きき気にしないって、俺が気にする! っていうかアレク……だよな!?」
「そうだが?」
胸の下辺りで腕を組みながら正面からブルーノと対峙する。
「どうだ、これでも私の近衛になるつもりはあるか」
そう言って、ずいっと一歩近づく。
「……え……、えええっ!?」
混乱の極みにいるらしいブルーノが、私が一歩進んだ分下がる。
湯船のへりにいたのでブルーノの体がぐらりと後ろに倒れ、あっという間もなくブルーノの体が湯船のへりを支点にしてぐるんと後ろに反転して、湯殿の床に頭をゴッと打ち付けていた。
「おい! ブルーノ大丈夫か!?」
今、後頭部を打ったんじゃないか?
ざばざばと湯をかき分けて近づくと、ブルーノが湯船のヘリの外側に添うように、逆立ちのような体勢になっている。
足がバンザイの状態で逆さまになっているので、せっかくブルーノがタオルで隠していたモノが丸見えになっているのは言わないでおいて上げよう。
これは誰か呼んだ方がいい。
「誰か、こちらへ来てくれ!」
私の呼び声に応じて、即座に室内からドアが開いた。
鬘を持って行ってくれた女性の近衛騎士が戻ってきていたらしい。
「ブルーノが頭を打って―――」
「……っ! ブルーーノーーーー!!! たとえ近衛騎士団長の子息とはいえ許さん!」
女性騎士はそう叫んでブルーノの首根っこを掴んで拳を握り込んでいる。
「後頭部を打ったと思うから、頭はよせ!」
そう私がとっさに言うと、ちらりと私を見て「御意」と答えながら、ブルーノの鳩尾にパンチを決めていた。
「ぐっふぅ!」
意識を失っていたブルーノだったが、今のでさらに意識が飛んだんじゃないか……?