追撃
[騎士団詰所にて]
騎士団詰所には、今日の訓練が開始されるのを待つ間の朝のゆったりとした時間が流れており、各々武器の手入れなどをして過ごしていた。
そんな中、伝令係が現れて皆に声をかける。
「おい、副団長はいるか?」
「いや宰相が何か用があるとか言って連れて行ったきり、帰ってこないぞ」
「困ったな……。第一王子殿下より騎士を数十名貸してほしいと依頼があったんだが、副団長の許可無しで騎士を動かすとなると―――」
困ったような伝達係の肩を、後ろから軽く叩く者があった
「何をためらっている。私の許可があればいいだろう。さっさと頭数を揃えろ」
「団長殿!」
普段は王宮にばかり入り浸っており、団員詰め所にも稽古にも殆ど顔を見せない騎士団長に皆びっくりした様子だ。
「これから第一王子殿下が賊の討伐に向かう。腕に覚えのあるものは早く準備しろ」
「は……はいっ!」
そういってばたばたと支度を始める若い騎士を横目に、熟練と思しき者達は座したまま動こうとしなかった。
「お前達何をしている、さっさと準備をせんか」
「団長殿、『賊』とは一体どのような相手なのでしょうか? それに第一王子殿下が動くなら我等のような騎士を集めるのではなく、近衛騎士はいかがなさったか?」
「賊の正体など貴様らが気にする必要は無い。それに近衛を動かすには国王陛下の許可が必要だ。些末な賊退治ごときで煩わせるものではない」
「そうですか……」
騎士団長がその場を離れると、熟練らしき騎士が静かに言う。
「お前らやめときな、後ろ暗いことに付き合わされたら、末端のお前達なんてそのまま消されることになるぜ」
しかしその言葉は、久しぶりに暴れられると騒ぎ立てている若い騎士や騎士見習いには届かなかった。
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[アレク/サンドラ側]
第一王子達が川の方へ向かったと聞き、その30騎という数の多さに驚いた。
第一王子の権限で動かせる数などたかが知れていると思っていたが、もしかして騎士団長経由で兵を貸してもらったのか。
考えている私を横目に先ほど私のことを『殿下』と呼んだ、馬を連れてきてくれた騎士が、ブルーノがいるのに気付きはっとしたように口を噤む。
それに気付いて一言だけ伝える。
「いい、今は『姫』でなくとも構わない」
「は……はいっ、申し訳ございません」
『サンドラ』ではこの状況は乗り越えられない。
「殿下いかがいたしましょう。我ら近衛騎士、殿下の御心のまま動きます」
「……ここで二手に別れる。計7名で一人は私の身代わりで馬車に乗りそのまま街道を進み、潜んでいるという15騎を打ち倒せ。おそらく私に傷をつけるのが目的だろう。命を取るまではしてこないだろうが、雇い主を確定する為、最低一人は生かして捉えよ。後は切り捨ててかまわん」
「はっ!」
「また、こちらは数が足りないので正々堂々と戦う必要は無い。潜んでいる場所が判っているなら好都合だ、背後から強襲せよ」
「御意!」
その声と同時に、自らチームを作り準備を始める近衛騎士と暗部の者達。
背後からの強襲なら暗部の者の方が向いているだろうから、指示はその者に任せることにする。
私の身代わり用に、別に準備していたらしい鬘を被っている。
「残りの者は全員私について来い、川へ向かう!」
「……恐れながら申し上げます。川へ向かうのではなく、さらに別のルートで国に帰路することお考えいただけないでしょうか」
無駄とは思っているらしい近衛騎士が、一応、という風に進言してくる。
「それはだめだ。今ここでシリウスを失えば国王陛下の協力も得られなくなり、戦争を止める手立てが無くなる。それにこの中で、私より弓が得意な者は何名いる?」
「……御意。どこまでもついて参ります。しかし! 引かなければならない時には、どんなお叱りを受けようと撤退していただきます。私達にとっては殿下こそ失くしてはならないお方ですので」
「判っている」
「サ……サンドラ?」
ブルーノと、国王がつけてくれたこの国の近衛騎士たちが、呆然と私達のやり取りを見ているが、今は一刻を争うので構っていられない。
「私の馬を!」
「はっ!」
目の前に栗毛色の愛馬が準備される。
もちろん横乗り用の鞍ではなく、慣れ親しんだ跨って乗るタイプの鞍だ。
連れてきてくれた者が私にそっと教えてくれた。
「殿下が出立して3日程経ってからこの馬が厩内で暴れだしたのです。それを聞いたベリル様が、この馬を殿下へ届けるよう手配してくださいました。途中休みながら来ておりますので、そのまま乗っていただいて問題ありません」
城を出てくる時にこの馬とは会っているが、その時私の覚悟を感じ取ったらしい。
私に危機が訪れるかもしれないのに、側に居れないということが耐えられなかったらしい。
ここで会えたのは偶然とはいえ、手配してくれたベリルにも感謝しないと。
栗毛色の艶やかな首を愛情を込めながらぽんぽんと叩き、ドレス姿のまま躊躇なく馬に跨る。
私が今来ているのは白い足さばきの良い一重のドレスで、胸元に緋色の薔薇が鮮やかに刺繍されているものだ。
その白いドレスの裾が、馬に跨って乗っているせいで太腿まで捲れ上がり、同じく真っ白なストッキングを留めている金具付近まで露わになる。
その様子に、ブルーノが顔を赤くして慌てたように言う。
「サンドラ、何やってるんだよ! それに危ないから早く降り―――」
「ブルーノ! お前は確か近衛志願だったな」
「え!? あ、ああ……そうだが」
口調の違う私に驚いているブルーノに馬上から告げる。
「真実を見極められる目を持て。それと、女の色香に惑わされる者など近衛には必要ない」
びりびりと張る声で告げれば、唖然としたようにこちらを見て、その一瞬後にはその顔をきりりと引き締めて一礼してきた。
真実を隠しているのは私の方だが、ブルーノも近衛になろうというのなら、常識に取らわれずに物事の本質を見抜く力をつけないと。
ブルーノとは友人同士だが、今は非常時だ。
私は上の者として騎士達に指示を出さねばならない。
周囲の者もそれが判って動いてもらわないと。
そんな私達を見て、国王がつけてくれた近衛騎士が一人、薄手の濃紺のマントを差し出してきた。
先日借りたのとよく似ているが、以前のものは装飾等は一切ついていないシンプルな物だったのに対して、差し出してきたマントには背中部分にこの国の紋章が金で大きく縫い取れらている。
「このマントをお召しください。騎馬の邪魔になりませんし、ドレスのままだと目立ちます」
「ありがとう」
そう言って軽く羽織ると、マントの横に腕を出す為のスリットが入っており、弓を射るのにも刀を振るうのにも問題ないことが判る。
ついでに、捲れ上がっていたドレスの裾部分もマントで隠すことができた。
さっきはああ言ったが、これならブルーノも気にしなくていいだろう。
私がマントを着たのを見て、暗部の者が顔を隠すためのマスクをそっと手渡してくる。
「殿下のお顔は既に皆に知られております。これでお隠し下さい」
柔らかな幅広の黒布で作られたそれは、目の所だけがくり抜かれており、頭の後ろで結ぶタイプのものだ。
視界の邪魔にならず、人相も隠すことができるので、暗部が使用することの多い一つだ。
その他にも、腰に愛用のレイピアを括りつけ、弓も渡される。
その間に王宮から来た第一王子の様子を伝えてくれた者は、荒い息をついている馬を宿屋に預け、馬をどこかからか一頭借りてきていた。
「案内いたします。準備はよろしいですか」
「良い。行くぞ皆! 馬車組は賊を制圧次第、川岸へルートを変えて合流せよ。逃がしても深追いは不要だ。頭を一人だけ捕まえればそれでいい」
「はっ!」
国王より借りている近衛騎士たちを見渡して聞く。
「貴殿達はどうする。『姫』は馬車の方だが」
借り受けたこの国の近衛騎士達は8名。
国境までの護衛には多いくらいだ。
こちらは馬車組と分散したので、宿屋に潜伏していた者も含めるとシリウスのいる川へ向かえるのは7名だけだ。
これで第一王子の30名を迎え撃つのは難しい。
シリウスは船の為、船頭以外の純粋な護衛騎士は5名程度しかいないはずだ。
「我らが国王陛下より受けた命令は、姫を無事に隣国までお見送りすることです。それに近衛としてシリウス様に危機が迫っているのを見過ごすことはできません」
「ならば貴公らの剣、一時私に預けてはくれないか。これよりシリウス救出と逆賊討伐に向かう」
「はっ!」
近衛騎士達はそう言って、皆その場に跪く。
代表者が一人立ち上がり、腰の剣を抜き逆さに持って私の方に柄を差し出してくる。
その柄を掴んで受け取り、馬上から軽くその者の肩に剣の背を軽く当てるようにする。
彼らの元々の命令権は国王にあるが、これで一時的に私が彼らを使ってもいい、という契約になる。
細かい計画は移動しながらということで、皆すぐに騎乗して出発する。
近衛の代表者と馬を並べながら話す。
「しかし計15では相当厳しい戦いになると思うが―――」
そう私が言うと、近衛の者が長い筒状の物を示して言う。
「お任せください。おそらく『逆賊』は理由も告げずに騎士を寄せ集めたのでしょう。そんな騎士にはこれが効きますのでご安心を。実際の『敵』は15名程度のはずです」
それならこちらと戦力もほぼ同じか。
ただ、シリウスが殺されてしまってからではどうしようもない。
一刻も早くシリウスの元に行くことが重要だ。
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この国の近衛騎士にも確認しながら、最短で川岸まで行けるように地元の者が使うような細い道を選んで走り抜ける。
途中何人か村人とすれ違ったが、一目で王宮の騎士と判る私達を皆驚いたように見上げ、道を譲ってくれた。
近道だという木々の間を走り抜けながら進むと、その先の方から川の音が聞こえてきた。
林の間を走り抜けると、一気に視界が開け、目の前に続く土手の先の方に、シリウスが乗っていると思しき船が見えた。
大量の物資も輸送可能な台船のような形の船で、船底は浅いのに甲板は広い造りになっている。
そして、既に何人か反対側の川岸から船に飛び移り、戦闘が開始しているが判る。
船はこちら側の岸に付けるよう、舵を操縦しているようだが、船頭にも剣が迫っており、すぐそばにシリウスが、そして彼らを守る為に護衛騎士が囲んでいる。
川岸は時々狭くなり、その都度反対側の川岸から、騎士が飛び移って来ているようだ。
恐怖に竦んだ船頭が船の操作を間違い、船底を岩にこすったらしく激しく揺れる。
案内してくれていた近衛騎士を追い越してスピードを上げて走り出すと、後ろから我が国の近衛の叫び声が聞こえる。
きっとこの馬の速度について来れないのだろう。
土手の脇に転がっている木や灌木などは避けずにそのままジャンプで飛び越えながら、一直線に船に近づいていく。
少し開けた場所まで来ると、手綱から両手を離して背中に背負った弓矢を取り、馬で疾走しながら弓に矢をつがえる。
第一王子らしき者がシリウスに向かって剣を振り上げるのが見える。
シリウスも応戦しているが、相手を切り捨てるのに躊躇しているようだ。
優しいシリウス。
その分、私が冷酷になろう。
きりきりと限界まで引き絞った弓で、矢を放つ。