密会
国王が夜会の会場から退室してからは、基本的にシリウス、ブルーノと一緒にいた。
一人だけでいたら、さっき国王と何を話していたのか、貴族達から質問攻めにあいそうだったからな。
最も、シリウスとブルーノの二人も聞きたそうにしていたが、ここではまだ話せない。
ブルーノには国王との話の後ででも、計画の概要だけでも伝えておこうと思う。
ブルーノが近衛になれていればよかったのだが、やはり近衛の選抜基準は厳しいらしく、騎士の試験には受かったが、近衛の試験にはまだ受かっていないのだ。
ブルーノは暗部にも草にも向いてなさそうだし、本人の希望通り、まずは近衛試験に受かってからだ。
私の事情を打ち明けるには、せめて近衛になってからでないと。
第一王子達は夜会の会場の隅で取り巻き達と何か言い争っていたようだが、見かねた周囲の者達がさりげなく退室させていた。
開戦派の貴族達も、自分達の掲げようとしている王子の見苦しさに暗澹とした顔になっている。
開戦派の貴族の中には、どうしても戦をしたいという訳ではない者も多数おり、これを機会に穏健派に取り込もうと、シリウスが私たちと談笑しながら目星をつけているのが分かる。
他にも第一側妃派の者達の中にはさっきの私と国王のダンスを見て、私がこの国の正妃に収まるのではないか、と想像した者もいるらしく、皆一様にお互いの腹の内を探りあっている。
一枚岩でないのなら崩すのは容易い。
崩すと同時に、また集まらないように『核』を潰せばいいのだ。
第一側妃派がいくら権勢を誇ろうとも、もし私が現国王の正妃に収まったら戦争は起きるはずもなく、しかも隣国がバックについている私を止められるものはこの国にはいないだろう。
私の敵に対する苛烈さは昨日皆に見せつけたので、後ろ暗い者達は、私がもし正妃になったら粛清されるかもしれない、と考えてもおかしくない。
大した理由もなく『気に食わない』の一言で手打ちにされるかもしれないからな。
最もそんなことはしないが、そう思わせることが大事だ。
特に開戦派は皆その可能性を考えているはずだ。
追う側が、追い立てられる側に回った場合、どう出るのか。
おとなしく追従するか、たてつくか。
これは数のゲームだ。
どちらが有利か周囲に知らしめてやればいい。
たとえ現国王に忠誠を誓っていなくとも、敵対しないという立場をとるならそれでいい。
数を取り込むなら、こちらの陣がどれだけの力を持っているか示す必要がある。
判りやすい旗印が必要だ。
さあゲームを始めよう、どちらにつくのか皆決めろ。
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着衣の上に、この国の騎士が使っている薄手のフード付のマントをさらりと羽織り、首元をきっちりと留めてフードも被る。
目立たぬよう国王の部屋へ行きたいと、国王の使者に伝えたところ
「王女殿下にこのようなマントを被っていただくのは申し訳ないのですが、これが一番人目を引かないかと……」
と言ってこのマントを渡してもらったが、なかなかの優れものだ。
これなら男なのか女なのかも判らない程、完璧に私の姿を隠してくれる。
国王が夜会から退出してしばらくしてから、国王の使いの者がこっそりと伝言をくれた。
「国王陛下が執務室でお会いするこのことです。王女殿下が夜会が退出なさいましたらご案内いたします」
国王がこの後会ってくれるというなら、これ以上夜会に私が出る必要は無い。
シリウスやブルーノは、夜会に参加している他の貴族達と談笑という名の情報攪乱をするらしい。
すぐに夜会から退出して、部屋へ戻り支度を整える。
夜会用のドレスを脱ぎ、化粧も高く結い上げた髪型もすべて取り払ってしまう。
夜会用の化粧は、遠目でも目鼻立ちを良く見せる為にすこし大げさな化粧を施すのだが、二人きりで至近距離で話し合いをするなら、すっきりとした姿の方がいいだろう。
そもそも色仕掛けをするわけでもないからな。
執事に案内されて国王が待つという執務室へ入る。
中々の広さがあり、入ってすぐの所はこの国の政治の中枢を扱う執務エリアになっているようで、壁際には天井まで届くほどの本棚にはびっしりと資料が納められ、沢山の机や椅子が置いてある。
日中は多くの貴族や官僚達が忙しく立ち回っているのだろうが、今日は夜会が開催されている上、国王が人払いをしたらしくしんと静まり返っている。
その執務エリアの一番奥に、全体を見渡せるよう一段高くなった場所に国王の席がある。
その後ろには一休みするための部屋があるらしく、国王はそちらで待っているらしい。
執事がそのドアの向こうに声をかけると、中から入室を許可する国王の声がする。
重厚な執務エリアと違い、こちらは休憩用の部屋のせいか、座り心地の良さそうな大きなソファとローテーブルが置かれており、調度品も落ち着いた物が揃えられている。
国王は、案内してくれた執事へ、執務エリアの外で待つように言いつける。
これでこの部屋の中で話した内容は、国王以外誰にも判らないことになる。
目立たないように薄手のマントを羽織ったままの私を見て、国王がマント掛けの場所を教えてくれるが、
「いえ、このままで結構です」
と答えて、目深にかぶったフードだけ外す。
執事が退出の際、私に暖かなお茶を用意してくれていったので、それをいただくことにする。
国王は既にお酒を少し嗜んでいるようで、透明なグラスの中で氷がカラリと鳴る。
さて、どこから話し始めたらいいかと思っていたら、先に国王が口を開いた。
「姫はこちらの事情をどこまでご存じかな?」
こちらを見極めようとする、国王のその濃紺の目に鋭い光が灯る。
「そうですね、第一王子は王族の血を引いていない、ということくらいでしょうか」
確定ではない。
いくらこの国では珍しい黒髪とはいえ、隔世遺伝の可能性もある。
しかし、国王が第一側妃を大事にしていないのも、第一王子を放置しているのも、全てがそれを示している。
「……っ!」
いきなりそれを指摘されるとは思わなかったのか、絶句する国王に言い訳のように続ける。
「もちろん確証はありませんので、私の見当違いかもしれませんが」
「……いや、当たりだよ」
ピンと張りつめた沈黙の後、国王が静かに言う。
「根拠はおありになるのでしょうか。何度かは第一側妃さまの元へお通いになったと聞いておりますが」
「……なかなか優秀な者を雇っているようだな」
「お褒めに預かり恐縮です」
そう言って、淑女らしく微笑んで軽く目を伏せながら会釈してみせる。
「私は今まで一度も第一側妃を抱いてはいないからな」
「それは……」
自嘲気味に国王が言う。
「当時の私は第一側妃が誰に抱かれていようと構わないと思っていた。私には彼女を愛することはできなかったが、父親の命で無理やり私に嫁がされた可哀そうな女だと思っていたからな。それが……それが―――!!」
途中から激するような声音に変わっていった。
そこには今迄誰にも告げることができず、膿んだ傷を十何年も抱えたままもがく、一人の男の姿があった。
国王陛下は正妃をそこまで愛していたのならば、側妃を娶るべきではなかった。
そして、第一側妃の懐妊が判った時にすぐさま断罪していればよかったのだ。
国王の第一側妃への罪悪感が、側妃自身を狂気に走らせ、正妃と第二側妃をも殺すことになった。
本当に、恋とはやっかいなものだ。
私だけでも溺れないように気を付けないと。
国王が自らを落ち着かせるためか一つ深呼吸して言う。
「……姫のその白金の髪と緋色の瞳は、少しだけ正妃と似ていて彼女のことを思い出す。でもそれだからこそ違いが際立つんだ。彼女はもっと優しいピンクに近い色だったし、心底優しい娘だった」
「それでしたら国王陛下は正妃様を守るために、より冷酷になる必要があったと思いますわ。そのご正妃様の分まで」
「そうか……そうだったのかもしれないな」
そう言って国王は後悔するように力なく笑う。
国王は、自らの大事なものを奪った全てに対して恨みを持っているようだ。
「……国王陛下はこの国を恨んでおいでのように見えますわ」
「そうかもしれない。私はこの国の王なのに、国王という地位は私の大事な物を全て奪っていくばかりだ。せめて本当の息子であるシリウスだけは助けてやりたいと思ってそちらの国に送り込んだのだが、シリウスでは君の心は射とめられなかったかね?」
シリウスは、父親であるこの国王の心を全て知っているのだろうか。
「シリウスがこの国の唯一の王子でしたら、彼を王太子に指名するだけでいいのではないでしょうか?」
「指名した直後にシリウスが今度こそ『不慮の事故』で亡くなるかもしれないのに? 私にはとてもできない」
国王がどこか泣きそうな顔をしながら自嘲気味に笑う。
「シリウスを王太子にするには力を持った姫を娶る必要がある。シリウスが君以外と結婚してこの国の王太子に収まったら、きっとシリウスも第一側妃と宰相に殺されてしまうだろう。そしてサンドラ姫の父君からは『サンドラは他国へは嫁に出さない』と返事があった。いっそそちらの国へ行き、サンドラ姫の婿として生き長らえた方が幸せだろうと思ったのだが」
「しかし、そうするとこの国には正当な継承者がいなくなってしまうのでは?」
「ああ、シリウスがいなくなれば開戦派を止める者もおらず、その内私も殺されてしまうだろう。そして姫の国と戦争になるだろうね。だから、シリウスがそちらの国に行くのと同時に、穏和派の主要な者もシリウスに預け一度国外へ出そうと思っていたのだ」
国王は、自らの命の危険を感じたことがあるのか。
「シリウスがそちらの国へ行き、私が死んで王族の血が途絶えたこの国は、制御を失って己の欲のためだけに動く貴族達が暴走し始めるだろう。そして開戦だ。この国を、姫と一緒になったシリウスが滅ぼしてくれると思ったのだが」
「確かにそうなったこの国を攻め滅ぼすのに躊躇はありませんが、私は戦争をしたくありません。戦争は民衆が苦しむだけですわ」
「そうか……そうだな。私はもうそんなことすら考えられなくなっていたか」
大事なものを全て無くしても、国の為にその身を擦り減らしてきた国王。
腐れ、爛れ始めているこの国を支えているのは、この人とそんな国王に真に忠誠を捧げている者達だけだ。
「国王陛下がこの国を滅ぼすおつもりなのは判りましたわ。どうせ無くなるものでしたら私にいただけませんか?」
「しかしどちらの王子の妃に収まっても、中央の貴族たちは殆どが宰相派だ。それにサンドラ姫を手放したくないという姫の父君の希望もある。そんな姫がこの穴だらけの国をどうにかできるとは思えない。それに膿んだ者全員を粛清すると、政治が機能しなくなる可能性がある」
「大丈夫ですわ。優秀な人材ならこちらからいくらでも派遣できます」
「しかし、一国を支えるだけの大量の優秀な人材をこちらに回せば、姫の国が回らなくなるぞ」
「それでしたら、我が国とこの国を一つの国にしてしまえばいいのです」
何をバカなことを、と言いかけた国王は、私の目を見て本気だと悟ったらしい。
「夢物語のようなことを……。しかし確かにそうなれば、山脈の外側の国々を凌ぐ国力を持った国が誕生するが、一つの国にするというのであれば国王は一人しかなれない。姫の国にはアレク王子という素晴らしい世継ぎがいるではないか。私の希望はシリウスを生かして王位につけることだ。アレク王子が国の統合など許すわけがない」
「『彼』も同意済ですわ。もちろん私の父王も」
「なにを……もしかして、アレク王子の病気というのはそんなにひどいのか? 命の危険がある程……。アレク王子が病気の為国を継ぐことができないというのならまだ判るが―――」
「いいえ、アレクは病気などにはなっておりません」
「どういうことだ?」
片手で自分の目を覆い精神を落ち着かせて、瞳の色を青緑に戻してから目をぱちりと開き国王と目を合わせる。
「え!? そ、その瞳は……」
私の瞳の色を見て、驚いたような声を上げる国王。
今までソファに向かい合って座っていたが、すっと立ち上がりソファの横に立つ。
何事かとこちらを見上げる国王の前で金の鬘を掴んでばさりと取れば、髪の色自体は変わらないが長さが肩位までしかない地毛がぱさりと舞い、毛先が頬をくすぐる。
目を見開いた国王の前で、羽織ったままのマントの金具を外すと、薄手の為体の線を添うようにするりと脱げる。
国王の目が驚愕の為、これ以上ないくらい開かれる。
マントの下に着ているのは、国から持ってきたアレクの服装だ。
両足の踵同士をカツンと鳴らしてぴしりと直立する。
そして幼いころから慣れ親しんだ男性の立礼をして、声を低くし男の声で言う。
「国王陛下にはお初にお目にかかります。アレクと申します」