夜会
国王が私の手を取りホールの中央に進み出るのを見た貴族たちは、驚きの余りざわめきが止まらないようだった。
第一側妃に至っては、私が国王に手を差し伸べた時、一体何が起こっているのか理解できていないようだったが、今はこちらを睨み付けるようにして見つめている。
きっと厚い化粧の下は、怒りと屈辱で真っ赤だろう。
何しろ国王は第二側妃が亡くなってから十年以上、誰とも踊っていないのだ。
ホール中央で国王と私が向かい合ってスタートポジションにつくと、さすがに会場が静まり返る。
そんな中、国王が周りに聞こえないように私の耳元で囁く。
「久しぶりだからそんなに上手に踊れないかもしれないぞ?」
国王はおそらく私が国王を指名した真意を悟ったのだろう。
判った上で乗ってくれているのだ。
この不必要とも思える接近もそう。
「大丈夫ですわ。ダンスは楽しく踊るのが一番ですもの」
いたずらが成功したような顔をして微笑みながら言ったら、国王は一瞬懐かしそうに目を細めて優しく笑った。
その国王の表情を見た人たちは皆びっくりして声をなくしている。
どれだけ長い間、この国王は心を殺してきたのだろう。
音楽が鳴り出して、滑る様にステップを一歩踏み出す。
簡単なワルツだが、堂々とした国王のステップに皆見惚れている。
背中についている薄い大きな羽のようなリボンは、国王のリードによるターンで回る度にふわりと本物の羽の様に広がる。
「懐かしいドレスだ。昨日は花の妖精のようだったが、今日は蝶をイメージしているのかな?」
「いいえ、蜂をイメージしておりますの」
踊りながら少しつま先立ちして顔を寄せて笑顔で答えれば、楽しそうに国王が答える。
「こんなかわいい蜂なら、いくらでも刺されてみたいものだ」
国王は十年ぶりというダンスだったが、全く問題なく踊れている。
それどころか今まで学園の授業やデビュタントの時に一緒に踊った男の子達よりも上手で踊りやすい。
さすがは産まれた時から王太子教育を叩き込まれてきただけのことはある。
きっと体に染み付いているのだろう。
くるりとターンしながら周囲を見渡すと、珍しい国王と可憐な令嬢のダンスに一部を除いて皆見惚れているようだ。
その『一部』の中に、私を壇上より睨み付けてくる瞳がある。
それを見てくすりと微笑む私を見て、国王が何か気づいたように言う。
「お陰でダンスの勘を取り戻してきたよ。少し試してもいいかな?」
そう国王が言い、なんのことかと思ったけれど、悪いことではなさそうなので取り敢えず頷く。
その途端、腰を両手で力強く掴まれてふわりと体が浮き、国王の頭よりも高い位置までリフトされる。
そしてそのまま音楽に合わせて国王がターンすると、国王の手に支えられた私もくるりと回り、金色のドレスと背中に結んだ大きなリボンがふわりと広がって、本当に飛んでいるような気分になる。
私も最初はびっくりしたが、今まで見たこともない視点からの景色が楽しくて思わず笑みがこぼれ、周りで見ている貴族達からも大きな歓声が上がる。
ふわりと私を床に下ろして、国王が満足げに言う。
「どうだい? 楽しいだろう」
「はい、とても」
「正妃はこれが大好きで、子供の頃から頑張って練習したんだ。子供の頃は同い年の女の子をリフトするなんてとても無理でね、何度失敗したか分からないよ」
踊り終わって周囲に一礼すると、割れんばかりの拍手が会場を包んだ。
礼をした視界の端に、第一側妃が耐えられないように席を立ち、退室していくのが見えた。
国王とのダンスが終わった後は、第一王子の所へ近づいていく。
第一王子はもう壇上から降りており、取り巻き達と何か慌てたように話し合っているが、私が近づいてくるのに気づき、彼らの間にぴりぴりと緊張が走るのが判った。
警戒に満ち満ちたこの空気は別に嫌いじゃない。
好きなわけでもないけれど、前世の会社ではこんなことは慣れっこだ。
おろしたての少し荒目のボディスポンジで、肌を撫でられる感覚によく似ている。
白い泡をたっぷりつけて、片手でぐしゃりと潰すと、綺麗な真っ白の滑らかな泡ができるのだ。
そのためにはもう少し泡立てないと。
子爵令嬢のその後の行状を、尾行させていた暗部のものから聞いた。
私からドレスを汚された後、取り巻きの一人と小部屋へ入り、一通りお楽しみ済だそうだ。
暗部が気を利かせて催淫効果のある香を影で焚いたせいもあり、二人ともほどよく我を忘れて楽しんだらしい。
第一王子とその取り巻きも、一枚岩でないということだ。
一人の令嬢を上位貴族の子息たちで取り合っても不毛なことだ。
男と女が逆ならともかく、女の体で逆ハーレムなんて自分の体に負担しかかけない下策だ。
そもそもあの令嬢は、子爵令嬢という立場的にも弱い立場で、断ることもできない上位貴族の子弟全員から輪姦される覚悟でもあるというのか。
例えば、一人に一人ずつの子供を産むとか?
有力な貴族になればなるほど、その血を引いていることが跡継ぎの条件になる。
DNA鑑定もないこの世界では、あの女の産む子供が一体誰の子供なのかも判らない。
1年ずつあの女をシェアするのか。
それとも子供を産むのは諦めさせて、どこかの屋敷に軟禁して自分たち専用の娼婦に仕立て上げるつもりか。
それなら世継ぎ的にも問題はなさそうだが、滑稽もここに極まれりだな。
まずは第一王子だ。
「昨日は本当に申し訳ございませんでした。私ったら第一王子の大事な方をあんな目に合わせてしまって……」
「え!? お……おお…」
急にしおらしく謝罪してきた私を見て、何を言ってくるのかと身構えていた第一王子が虚を突かれたように返事をする。
「私、実は有能と名声高い第一王子様に憧れていて、そんな方の寵愛深い子爵令嬢に対して嫉妬してしまったのです……。王女である自分を忘れ、ただの女になっておりました。お恥ずかしい限りですわ。もうあのようなことはしないと誓いますので、どうぞお許しいただけますか?」
そう言って、眉をハの字するように下げて目線も斜め下へ、でも許しを請うセリフを言う時だけは少し上目遣いに恥ずかしそうに相手を見つめる。
「な、なんだ、そういうことなら許してやらないこともないぞ」
今まで私に対して少し怯えるようにしていた第一王子は、いきなり下手に出た私に気をよくしたようだ。
お茶はもうかけないよ。
他の事は色々するかもしれないけれど。
「ありがとうございます。そういえば貴女も八つ当たりをしてしまって申し訳なかったわ。首に痕はついていない?」
「……え!? はぁ…まあ…」
昨日私の気を間近で受けた子爵令嬢は、どういうことかとまだ呆然としている。
その虚を突いて、子爵令嬢のドレスの襟元にふわりと止められたショールを指で軽くひっぱる。
「よかったら見せてくれる? 痕が残っていたら大変だわ」
「え!? いいから! 触らな―――」
身をよじって逃れようとする子爵令嬢の肩を掴み、首元にきっちりまかれたショールをずらすと、私が叩きつけた扇の痕は無かったが、その代わり鮮やかなキスマークが首筋についていた
「まあ、申し訳なかったわね。でもあの後第一王子に慰めていただいたのね、よかったわ」
そう言って第一王子を見ると、その子爵令嬢の首筋についたキスマークを見て、自分の目が信じられないように呆然としている。
「どうなさったの? まさかこのキスマークは殿下が付けたのものではないのでしょうか?」
驚いてみせる私を横目に、第一王子が子爵令嬢を睨み付ける。
「……どういうことだ…」
子爵令嬢が騎士団見習いらしき取り巻きの一人に助けを求めるように目で追いかけるが、相手がそわそわと落ち着かなく一歩二歩下がっていくのを見て苦しい言い訳を口にする。
「あ…あのこれは虫に刺されて……」
暗部に調べさせたところによると、子爵令嬢はここにいる取り巻き全員と肉体関係を持っているらしい。
知らぬは第一王子だけだ。
どれだけ人望がないんた。
でも子爵令嬢も、仮にも王族の相手をしようというなら身持ちは固くないとだめだ。
「綺麗な花に不埒な虫がたかるのはしょうがないですわね。でも殿下、こちらのご令嬢と結婚なさるようでしたら、監禁しておかないといけないですわ。だってどんな『花粉』がつくか判らないですもの。いっそ今日からそうなさったら?」
「え……」
王族の『血』というものをこの王子は考えたことがあるのか。
「だって、どこの誰とも分からない子供を妃が産んだら大変なことになりますわ。それこそ王家の血が断絶してしまいますわ」
集まって落ち着かなげにしている第一王子とその取り巻き達を怪訝に思ったのか、騎士団長が半分千鳥足で近づいてきた。
「やあやあ、どうかなさったかね? 美しいご令嬢がこんな端で」
「大したことではございませんわ。もし王族の血をひかない子供が生まれて継承権を持ったら大変ですわよね、と話しておりましたの」
私のセリフを聞いて、騎士団長がぴたりと止まり、赤い顔が一瞬で真顔に戻る。
「……めったなことを、口に出すものではございませんぞ。大体この国の事は王女殿下には関係ないことではないですか」
「そんなことございませんわ。『よくあること』ですわよね? それに私とこの国はこれから深い関係になるかもしれませんもの」
「どのような関係で?」
その問いには答えず、にっこり笑って国王の方を見る。
ちょうど国王もこちらを見ていたらしく、国王が傍に控えた使用人に何か言い、その使用人がこちらに近づいてきた。
「サンドラ王女殿下、お疲れのことと思います。国王陛下がお呼びですのでこちらへどうぞ」
騎士団長と第一王子たちに軽く辞去の挨拶をして国王の傍まで行くと、壇上に上がる様に促される。
「よかったらこちらに座らないか?」
そういって国王が示した椅子は、先ほどまで第一側妃が座っていた椅子だ。
「でもこちらは側妃さまの……」
という私の言葉を遮り
「よい、もう退出済だ。それに私がサンドラ姫と話がしたいと思ってな」
と言って再度勧めてくる。
この国王の怨念も根深いな。
これ以上固辞するのも不敬なので、座らせてもらうことにする。
私が椅子に座ったとたん、ざわりと会場から信じられないというような声が上がる。
さっきまで椅子の位置は国王の椅子から少し離れた位置に置かれていたのに、今は国王のすぐ側までさりげなく移動しており、手すりがそれぞれ触れ合うくらいに近い。
少し体を傾ければ、簡単に内緒話ができるくらいだ。
私が座るを待って、国王が口元を覆いながら小さく言ってきた。
「やりすぎたかね?」
私も扇を広げて口元の動きを会場から隠しながら言う。
「いいえ、そんなことありませんわ」
お互い体を傾け、肩が触れ合いそうになりながら内緒話をしている姿は、会場からはさぞかし仲良さげに見えるだろう。
特に、第二側妃と国王は今まで公の場でも必要最低限の言葉しか交わさなかったらしいので、特に若い者たちからは異常とも見えるだろう。
年配の者達の殆どは、皆微笑まし気に私たちを見守っているのが判る。
「こんなに楽しい気分は久しぶりだ。褒美として何か差し上げたいが希望はあるかね?」
「何でもよろしいのですか?」
周りに聞こえないように体を密着させて囁くように聞く。
「ああ、もちろんだ私が上げられるものならな」
「私が欲しい物は、国王陛下だけがお持ちのものですわ」
「それはなんだい?」
「ここは人目があります。詳細は今宵国王陛下のお部屋でお話しさせていただいてもよろしいですか? お願いしたいこともございますの」
そう言って笑みを含んで国王の瞳を見つめると、楽しそうに国王が言う。
「本当に姫はおもしろい、猫の瞳のように次々と新しい顔を見せてくれる」
「まだ他の顔もありますわ、どうぞお楽しみに。国王陛下も眠れる獅子のようですわね。同じネコ科同士よろしくお願いいたします」
第一王子は取り巻き達や子爵令嬢と何かもめており、シリウスとブルーノはこちらを見ながらはらはらしている様子が見て取れる。
そういえば、シリウスにはこちらの意図をそこまで伝えていなかったし、ブルーノにも軽くしか伝えていなかったな。
ざわざわと会場中がざわめていてるのを見て、国王が苦笑しながら言う。
「サンドラ姫を独り占めしていると、会場が騒がしくていけない。他の者達とも踊ってもらえるかね?」
「ええ、仰せのままに」
その後は第一王子、シリウス、ブルーノと踊った。
第一王子と踊ろうと手に触れた時、全身に鳥肌が立って思わず払いのけそうになったが我慢して踊ることにした。
今までのクラスメイト達と何が違うのかと思ったが、嫌悪感を持つ人間と踊るのが初めてなことに気が付いた。
これはきつい。
私がそんなに努力しているというのに、第一王子は自分勝手なリードで振り回してきてついていくのが大変だった上、さりげなく尻を触られそうになったので、スパーンとはたき落としておいた。
触んな!
シリウスと踊ったのはこの間のデビュタント以来だが、そつのないリードでのびのび踊ることができた。
私が以前一時期男性に触れなかったのを気遣ってか、必要最低限しか触れてこようとはしなかった。
少し骨ばった大きな手。
試しに踊りながら少しシリウスの方へ体をぴたりと寄せてみるが、嫌悪感は沸かない。
これなら別に触れられても大丈夫なのに。
ぴたりと体を寄せた私に、逆にシリウスが硬直したようになる。
おっと、ほどほどにしておかないと。
同年代の男友達を私の中の前世の女の部分は『子供』としか認識していない節があるが、油断も過信も禁物だ。
この世界は皆早熟で、17,8歳くらいならもう十分『大人の男』なんだから。
ブルーノはこの国に着いてから今までこの国の騎士団の動きを調べて貰っていたので、この夜会が久しぶりの合流だった。
踊りながら呆れたように聞かれる
「サンドラ、昨日の第一王子と子爵令嬢との話、さっき聞いたけど本当かよ」
「どのような話ですか?」
「サンドラが子爵令嬢にお茶をかけたって」
「ん~、ちょっと違いますわね」
「そうだよな、まさかな」
足で踏みつけたりもしたよ。
夜会の前には、貴族の間では第一王子第二王子のどちらかとサンドラが結婚するのかという話でもちきりだったが、夜会の後は、サンドラが国王陛下と結婚して正妃になるのではないかという噂でもちきりになった。
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池の底に澱のように長年積み重なった泥をかき回して、大物をおびき出すのだ。