謝罪とパートナー選定
わめき散らすでもなく、優美に見えるような笑顔を浮かべた私を、逆に怪訝そうに見る第一王子と取り巻き達。
「待ちなさいと言っているのよ、そこの子爵令嬢……だったかしら?」
なにか察したのか、シリウスが私を止めようとする気配が見えたが、安心させるように微笑んでみせる。
大丈夫だ、罠も張ってないここではトカゲのしっぽ切りになるだけだからな、少し煽るだけだよ。
私のことを、文句も言えない大人しい気弱な女だと思い込んだ第一王子が鷹揚に言う。
「何の用だ。お前ごときの謝罪など受けるに値しな―――」
「黙りなさい。私はその女に話しかけているのよ」
第一王子の目を見ながら静かに言い、同時に気をぶつけると、私の気迫に押されたのか、第一王子がびくっとして口を閉じる。
「え!? な、何よ!」
子爵令嬢が訳が分からないという風に私と第一王子を見比べる。
今度はそんな子爵令嬢に視線を合わせて言う。
私の視線が外れた第一王子は、金縛りが解けたように一二歩後ろに下がったところを他の取り巻きに支えられている。
「あなた、そこに跪いて謝りなさい。私だけじゃなくて、シリウスにもお茶がかかったわ」
「な……っ、そんなのシリウスが勝手に―――」
「聞こえないの。跪きなさい」
目と声に力を込めると同時に、気に圧をかける。
広い中庭に私の気迫が満ちるのが判る。
中庭だけでなく、遠くに見える回廊から覗く人の所まで私の気迫が伝わっているようで、結構な人数がこちらを見ているにも関わらず、誰一人ぴくりとも動かなくなった。
子爵令嬢は私の気にあてられたせいで体が震えてそれ以上動けないようなので、促してやることにする。
腕をピンと伸ばして人差し指で令嬢を指さし、そのままくいっと指だけ下に向ける。
「早く」
私の指の動きに合わせて、子爵令嬢がその場にがくりと膝をついて両手を地面について言う。
「も……も、申し訳ございません……でし―――」
まだ弱いな。
もう少しヘイトを稼いでおかないと餌にならない。
私はすっとピンクの花びらのようなドレスの裾を摘まみ足を上げ、銀の刺繍が施されて光を反射する華奢な白い靴先を子爵令嬢の肩に乗せる。
「まだよ。頭が高いわ」
そう言って足に力を込めて、ガッと地面に平伏させる。
「いいこと、シリウスが火傷して跡が残るなんてことになったら、貴女の全身、同じように火傷の跡をつけてあげるからね。ああでも人間って皮膚の8割火傷すると死ぬらしいわね」
子爵令嬢になみなみと紅茶を注がれたティーカップをテーブルから取る。
「試してみましょうか」
ことさら優しくいって、冷めてしまった紅茶を足元に平伏させた子爵令嬢の頭と背中にざばっと振りかける。
「ぎゃああああ!!」
熱湯を注がれたと勘違いした令嬢が悲鳴を上げて慌てて飛び退ろうとするのを、左手で令嬢の前髪をガッと鷲掴んで止めながら言う。
「うるさい口ね、少しおとなしくできないの。首でも落とせば静かになるかしら」
使用人を呼び空になったティーカップを渡して、空いた右手で懐から閉じた扇を取り出し、令嬢の首筋目がけて、ばぁん!とわざと大きな音を立てるように打ち付ける。
真っ青になってがくがくと震える令嬢に顔を近づいて微笑みながら言う。
「私が今、剣を持っていないことを、幸運だと思いなさい」
前髪をぱっと離せば、令嬢はその場に崩れるように座り込み、恐怖で中空を見つめたままぴくりとも動かなくなった。
くるりと振り向きシリウスに聞く。
「シリウスさっきはありがとう、大丈夫だった?」
「……全く君ときたら……。殆どが服の上だったし、これくらい大丈夫だ」
使用人が素早く準備してくれたらしい氷で念のため紅茶がかかった所を冷やしているが、火傷にまではなっていないようでほっとする。
「せっかくのお茶会だったけれど少し邪魔が入ってしまったわね。また日を改めてご招待いただける?」
「もちろん、こちらこそ不愉快な思いをさせてしまい申し訳ない」
シリウスは笑いをこらえながら殊勝に頭を下げてくる。
「いいのよ、それなりに楽しかったわ」
私の気迫が解除されたせいでやっと動けるようになったらしい第一王子が何か叫び、取り巻きの一人が子爵令嬢に駆け寄り、土と紅茶で汚れてしまったドレスを着替えさせるため、こちらを睨み付けながらどこかの小部屋へと案内しようとしている。
陰でこちらの様子を伺っているはずの暗部の者だけが判るように、さりげなく合図を送って追うように指示を出す。
さあ、鬼が出るか蛇が出るか。
叫んでいる第一王子は無視して、この場から立ち去りながらぐるりと視線をめぐらすと、騒ぎを聞きつけて集まっていた貴族や使用人達がざわざわと話している様子が見える。
シリウスと同じように笑いをこらえているような者、私と一瞬目が合い笑顔で会釈する者、逆にあからさまにこちらに敵意を向けてくる者と様々だが、顔とそれぞれがどのような反応を示したのかを一瞬で記憶する。
使用人はほぼ全員共感で、貴族たちの内それなりに年配の者達は共感8割、嫌悪2割といったところか。
逆に若く見える者達は嫌悪8割といったところだ。
若い者はそんなに戦をしたいのか。
きっと戦の悲惨さを知らないからだろう。
そういう者は、山脈の外側の他国へ援軍と称して派遣してやればいいのに。
そう思っていたら、中庭を見下ろすことができる回廊の一番端に、国王の顔がちらりと見えた。
お茶会の後はシリウスが私を部屋まで送ってくれた。
紅茶がかかったシリウスの手をちらりと見ると、氷で冷やさなくとも痛くないようだし赤くなってもいないので大丈夫だろう。
それにしても、白くて骨っぽいだけの細い手かと思っていたら、いつの間にかがっしりした男の手になっていて少しびっくりした。
この時期の男の子は本当に成長が著しい。
そんなことを思っていたら、先ほどまで楽しそうにしていたシリウスが、周りに人がいないのを確認して急に真剣な顔になり言ってくる。
「サンドラ、明日の夜会のファーストダンスだけど、今は時期が悪いので私を選ばないで欲しいんだ」
シリウスは王宮内で穏健派をまとめ上げている最中であり、今第一王子の目を自分に向けたくないらしい。
「ええ、今回は最初からシリウスのことは選ばない予定でしたわ」
「……『最初から』っていうのがちょっとショックだけど、そうすると無難なところでブルーノかな。もしかして兄上じゃないよね!?」
「それは夜会でのお楽しみ、ということで」
そこまで言ったところで、ちょうど私に割り当てられた客室の前に着いた。
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シリウスは自分を餌にするつもりらしいけれど、それで釣れるのは第一王子だけだろう。
あとはその取り巻きくらいか。
ゆくゆくは我が国の為にもなるのだし、どうせならもっと大物を狙わないと。
大物を狙うには、まず大きな餌を捕まえないとね。
その為のパートナーは―――。
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夜会が始まる。
舞踏会会場の奥の一段高くなった王族用のエリアには、中央に国王がおり、周囲に第一側妃と第一王子、シリウスがいる。
第一側妃は政からは離されれていると聞いていたが、さすがに夜会には出席を許されており、贅を凝らした装いで、国王陛下の隣の椅子に澄まして座っていた。
赤が混じった燃えるような金髪で、瞳は第一王子と同じく緑色だ。
第一側妃の隣には第一王子がおり、顔立ちは確かにその母親である側妃と似ているが髪だけが決定的に違っている。
『黒』なのだ。
黒い髪は山脈に囲まれているこの国と我が国の中ではあまり見かけない珍しい髪色だ。
黒い髪といえば、ブルーノの髪色もそうだが、あれはブルーノの母親が他国から嫁いできた者だからだ。
珍しいといっても、全くいないわけではない。
今日は大規模な夜会らしく、この国の殆どの貴族が招待されており、現にその中にもちらほら見かけることができる。
例えば、この国の騎士団団長だ。
彼の眼も第一側妃や第一王子と同じ鮮やかな緑色をしている。
警備の為にここにいるのかと思えば、もう既に杯を重ねているらしく、楽し気に酔っぱらっているようだ。
実質の警備は副団長が全て取り仕切っているのが見て取れる。
会場のあちこちを見て回る私に気づいた幾人かの年配の貴族達は、皆はっとしたように私のドレスを見て、幸せな過去を懐かしむような表情を浮かべる。
今日の私のドレスは最新式というわけではなくて、ちょうど国王と正妃が結婚した時くらいにこの国で流行った形を、今風にアレンジしたものだ。
そのドレスの特徴とは、背中に半透明で張りのある大きなリボンを結ぶこと。
鮮やかなシャンパンゴールドのドレスで、一歩歩く度に会場の照明を反射してきらきらと光を撒き散らす。
結い上げた金髪には、蜂蜜のような温かな色味の無数のイエロークォーツが複雑なカッティングを施されて、金の細いチェーンで繋がれて髪を飾っている。
金の指輪に瞳の緋色と同じ、今は緋色に輝くアレキサンドライトが一層輝きを放っている。
甘く、匂いたつ蜜のようなドレスだ。
壇上に置かれた重厚な椅子から国王が立ち上がり、夜会を始める挨拶をする。
「皆も既に知っているように、今宵は隣国からの客人を招いている。サンドラ王女殿下、こちらへ参られよ」
国王に呼ばれ、少し開いている壇の前に顔を伏せながら歩み出る。
私のドレスを見た第一側妃が息を呑んで硬直したのに対して、国王が面白そうに、そして愛しい過去を思い出すように
「ほう……」
と甘い溜め息を一つついて私を見つめる。
「皆には昨日通達した通り、本日のファーストダンスはサンドラ姫と、姫が指名した者とする。サンドラ姫、パートナーを誰にするか決めたかな?」
「はい、ファーストダンスをぜひご一緒したい殿方がこの会場にいらっしゃいます」
「それはよかった。さあ選ばれよ」
「恐れながら申し上げます。本当にどなたを指名してもよろしいのでしょうか?」
恥じらうような私の姿を見て、国王も会場にいる人間も、令嬢が自らパートナーを選ぶという珍しい光景に私が戸惑っているのだと、微笑ましい視線を向ける。
「もちろんだとも。この会場には昨日姫と言葉を交わした者も多いと聞く。皆、異存はないな」
国王の言葉に皆が頷く。
昨日はお茶会の後、紅茶の染みのついたドレスを着替えてから、この王宮内を歩き回り、お茶会の時に私を見ていた色々な人と会って話をしたのだ。
「ではお言葉に甘えまして……」
私はそう言ってすっと立ち上がり、二、三歩前へ進み手を差し伸べて言う。
「私と踊っていただけますか?」
そう言って私が手を差し伸べた先の人は、驚いたように濃紺の目を見開いて私を見つめるが、一瞬後にはおもしろそうにその目を瞬かせながら壇上より降り立ち、私の手を取る。
「喜んで、サンドラ姫」
「ではホールへ参りましょうか、国王陛下」