出発
今回、ブルーノやシリウス達とも一緒だが、私はサンドラとして行くので馬車は別に用意している。
しかし、警護の関係上基本的にはシリウスやブルーノと同じ馬車に乗って移動することになっている。
その方が警備を分散させずに済むからだ。
馬車については、こちら側で用意したものと、隣国側で用意してくれたものに荷物を分けて乗せて行く。
隣国側は道中私たちの面倒を見るために、わざわざ使用人や護衛まで送り込んでくれている。
サンドラをどちらかの王子の妃候補にするというのは、隣国の国王は本気で考えているらしい。
行きは馬車で点在している宿場町に泊まりながらの道程だが、帰りは隣国とこの国を貫いている大きな川を行き来する船に乗って帰国する予定だ。
行きも川を使えばもっと楽なのだが、ここ数日降り続いた雨のせいで水嵩が増しており、下ることは可能だが上りは難しいとのこと。
手紙で知らされていた夜会まではそんなに日が無いので、陸路で行った方が確実だということになったのだ。
出発する朝、ベリルはアレクとして馬車の所まで見送りに来てくれた。
ここしばらくのセバスの特訓もあって、ベリルは完璧にアレクとしての役割を担っており、ナニー以外の私付の侍女でも時々見誤るくらいの出来になっている。
ただ、念の為ブルーノとシリウスには離れておいてもらった方がいいだろう
「アレクお兄様! 具合はよろしいの? お見送りに来てくださってうれしいわ」
「……サンドラ、気を付けて」
「ありがとうございます」
隣国から来ていた使用人たちは、妹であるサンドラの出発の時に、病に臥せっているという王太子がわざわざ見送りに来たのを、少しびっくりしたように見ていた。
隣国では、王族の兄弟は仲違いするものだ、という認識らしい。
ベリルの顔を見ると、少しやつれたように見える。
「どうなさったの? アレクお兄様」
「……昨日、教育の一環で人を殺した」
ベリルが他の者には聞こえないように小さな声で言う。
「そうでしたか……」
王太子教育の中には、毒への耐性と、対人殺傷も含まれている。
襲撃された時に躊躇せず剣を振り下ろせるように、死罪を言い渡されている罪人に王太子自らが手を下して、血に慣れておくのだ。
戦時中ならともかく、今この国で人を殺傷したことのある者は少ないだろう。
シリウス達に少し待っていてもらえるように伝えて、震えているベリルの手を引き少し離れた木立の陰まで移動する。
ここなら皆からも見えないだろう。
よろよろと私に連れてこられたベリルは、手を握っている私に今気づいたように、はっとして振り払う
「アレクお兄様?」
「……汚いから触らない方がいいよ」
「そんなことない」
そう言って、硬く握りこまれたベリルの手をとり、指を一本一本伸ばして開く。
少しかがんで、震えているその手の平に、キスを落とす。
「……アレ…サンドラっ!? 汚いよ」
「汚くなんかないわ」
ベリルが吐露するように苦しげに言う。
「……洗っても洗っても、血が落ちていない気がするんだ。人を刺す時の感触が手から離れない」
引こうとする手を強く握る。
「汚くなんかない。それを言うなら、私の手の方がずっと汚れている。私に触れられるのは嫌?」
「そんなこと……!」
「ごめんなさい」
私が全て被れれば、ベリルにこんな思いをさせなくてもよかったのに。
「!」
あの模擬決闘の後から、私からの初めての謝罪にベリルが弾かれたように反応する。
「……いいよ、だって『王太子』なら当然のことだろう?」
「ええ……」
実際私も何人もこの手にかけてきた。
握りしめている私の手を、今度はベリルが手に取り優しく広げながら言う。
「じゃあいいよ」
そして口元に持って行き軽くキスを落としてくるので、びっくりして振り払う。
「だめよ。私のことは『嫌い』なんでしょう?」
私が少し責めるようにそういうと、ベリルが楽し気に笑いながら言う。
「そうだよ。だからこれは嫌がらせ」
そう言って、ぎゅっと抱き締めてくる。
「ちょっと……!」
「何? 仲の良い兄妹ならこれくらい当然だよね。しかもかわいい妹が敵陣に乗り込んで行くんだから。……無事に帰って来るんだよ?」
「……」
確実に帰ってこれるという確証はない。
黙り込む私に焦れるように、肩を掴んですぐ傍の大きな木に私を押し付けながら責めるように言う
「帰ってくるんだよ?」
「約束はできない」
「なんだよそれ、ここは嘘でも『必ず帰ってくる』って言うところだろ」
「……もう、お兄様には嘘をつきたくない」
そう言う私をびっくりしたように見つめて、くしゃりと顔を歪めるベリル。
「そういうの、反則だよ。本当にひどい人間だな、君は」
木陰から出てきた私たちを皆が待っており、その後はすぐに出発になった。
馬車の中でブルーノが言う。
「ほんとアレクは過保護だな、俺たちがついてるんだから心配なんて何もないってのに」
「そうよね」
笑って返すと、シリウスがじっとこちらを見ているのに気づく。
「どうしたの?」
「いや……何でもない」
まただ。
何か言いたそうにしているのに、決してこちらには手を触れようとしないシリウス。
警戒しているネコを手懐けるように自分からは手を出さないようにしている。
けれどネコが気まぐれに近づいた時には、その手はいつでも差し伸べるられることを私は知っている。
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行きの道中は何事もなく過ぎた。
王都以外の国内へは、父の視察について幾度か来たことはあっても、国外へ出るのは初めてだ。
興味深そうに馬車の窓の外を眺める私を見て、ブルーノが不思議そうに聞いてくる。
「サンドラは国から出たことはないのか?」
「ええ、王都からもほとんど出たことがなくて、国外へ出れるなんて貴重な体験です」
たとえ王族でなくとも、成人でもない平民の女の子が国の外に何度も出ることはないので回答としてはおかしくないはずだ。
しかも、父は川でいけるところは極力川づたいに船で回っていたので、こんなに長く馬車に乗るのも初めてだ。
体が鈍りそうで、実のところ外で馬に乗って移動したいくらいだ。
現にブルーノやシリウスは一行が休憩を挟む度に馬に乗って馬車と並走していたくらいだ。
私の栗毛色の愛馬は国に置いてきた。
一応アレクの馬ということになっており、私が馬に乗って移動する予定もないので、つれていく方が不思議に思われてしまう。
それに、サンドラはやっと横乗りでギャロップができるようになった程度、ということになっているからだ。
ベリルとの模擬決闘もありデビュタント以降は淑女教育でも乗馬には力を入れていなかった為、実際愛馬以外の馬で慣れない横乗りをしようとすると、早駆けやジャンプはまだできない。
ちゃんと跨がれば、早駆けしながら両手を離して矢を射るくらいならできるのに。
前世の記憶が戻る前だったけれど、なんか格好良いと思ってはまって散々練習したんだよね。
思えば、記憶が戻らないまでも魂のどこかに刷り込まれた記憶で、流鏑馬を意識していたのかも。
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隣国に入ってからも点在する村々で休憩を取っていたが、その際の歓待が予想以上だった。
不思議に思って調べさせると、どうやら王宮で発行している小説が国内だけでなく隣国にまで流行し始めているようだった。
鎖国しているわけではないので、人の行き来や物の売買と一緒に本も物流に乗っているようで、しかも相当の人気商品らしい。
少し読めばその主人公は私をモチーフにしてあることを誰でも気が付くだろうしな。
ただ隣国の国民たちは、私の姿を直接見る機会も無い為、その物語の主人公のイメージがそのまま私になっているらしい。
特に若い村娘達等は
「サンドラ姫って本当はアレク王太子殿下なのかしら」
「まさか! あれってお話のことだけでしょう?」
「でも本当だったら素敵じゃない!」
「じゃあお相手は第二王子のシリウスさまかしら、それとも一緒にいる騎士さま?」
とこちらに聞こえないように気を付けながらも大騒ぎしていたらしい。
そんな、歓待ムードの村々を通り過ぎながら幾度目かの休憩の時、隣国より派遣されてきた使用人を取りまとめている壮年の男性と少し話をする機会があった。
隣国の使用人はよくやってくれている。
近くに村がある場合は、その村の村長らに話をつけ問題の無い宿泊を準備してくれているし、馬のスピードを調整して野営は決してしないようにしている。
周りに建物等が何もない場所で一時休息をする時は、私の為に敷布を用意し、直接日が当たらないように木と木の間に薄い布を張って日陰を作り、できるだけ快適な旅路ができるよう気を使ってくれている
おそらく隣国の国王が手配した者達だろう、こちらに敵意は無いようだが完全に味方と考えるのは危うい。
この者達の中に第一王子の息のかかった者が紛れ込んでいてもおかしくないからだ。
その取りまとめている壮年の男性は腰を低く丁寧な口調ながら、こちらを探るように言葉を紡いだ。
他愛のない会話だったが、最後についでのように聞かれる。
「そういえば、アレク王太子殿下とサンドラ王女殿下はとても仲がよろしくていらっしゃるのですな」
これが聞きたかったのか。
ならば、相手の望む答えを与えてやらないとな。
「ええ、アレクお兄様はとてもお優しくて大好きよ。……私に色んなことを教えて下さるの」
そう言ってぽっと頬を染める。
ちなみに頬を染めるコツは、息を止めることだ。
「アレク王太子殿下は素晴らしい方だと聞き及んでおります。サンドラ王女殿下にとりましても唯一無二の方なのですね」
息を止めろ~~。
「はい……」
息を止めながらなので、消え入るような声になった。
おそらく顔は真っ赤だろう。
「姫様……それ以上は」
と、国からついてきた侍女が私を気遣うようにしながらも壮年の男性の間に割って入ってくる。
「これは不躾な質問をしてしまったようですな、申し訳ございませんでした。この胸に秘めておきますのでご安心を」
そう言って壮年の男性は離れて行った。
離れ際その口元が醜悪に歪むように笑っていたのを目の端に捕える。
おそらく第一王子の手の者で、アレクとサンドラが兄妹以上の関係であるかどうか確認したかったのだろう。
使用人の影に隠れるようにしながらすーはー深呼吸を繰り返す私を、侍女の皮を被った女性近衛騎士が極力表情を変えないようにして介抱してくれるが、その視線に残念そうな色が滲んでいるのには気づいているからな!
しょうがないじゃないか、これが一番手っ取り早い頬染術なんだよ!
隣国からの使用人と護衛の数は多いが、逆にこちらの使用人は最低限に抑えてある。
私の侍女であるナニーは
「私も連れて行ってください!」
と言っていたが、ナニーにはベリルの王太子教育の手伝いとフォローをお願いしたいのと、有事の時に自分の身を守れないので置いてきた。
今この場には国から連れてきている侍女も数名いるが、実は全員近衛騎士か特殊な訓練を受けた者ばかりだ。
ブルーノは私の侍女という名目で付いてきている女性の中に近衛騎士が混じっていることを知っているようだが、さすがに暗部の者の顔までは判らないらしい。
隣国の第二王子であるシリウス、その学友およびサンドラの護衛騎士という名目でついてきているブルーノ、そして庶子の出の王女とそのお付きの侍女と護衛。
私もカウントに入れるなら、実は今この場には戦闘員しかいないことになる。
ブルーノを連れて行くのは「サンドラは別にこの国に嫁がなくとも国内にいくらでも結婚相手はいる」という隣国への牽制と、次期騎士団長になる可能性の高いブルーノの経験値を上げるためだ。
自国とは違う警備の体系や訓練方法等、見ておいて損は無い。
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隣国の王都へ入ると、我が国の紋章の入った馬車を見た人々が皆こちらを振り返る。
サンドラが来ることを町の皆は知っているようだ。
町の噂を拾ってこさせると、今度開催される王宮の夜会でどちらの王子がサンドラの心を射止めるか、そして射止めた方が次期王太子となるだろう、ということになっている。
それってどちらも射止められなかったらどうなるのか、ということが気になったがそこは突っ込まないで置いておこう。
公爵より入手した隣国の開戦派からの情報は、貴族の中には開戦派が多いと言う話はあったが一般民衆はどう思っているのかという話は無かったが、こうして街を行き交う様子を直接見るとどうやら一般民衆の中に開戦派は殆どいないらしい。
私たちの馬車が通ると、皆歓声を上げながら笑顔で手を振ってくれる。
純粋な歓迎ムードについ笑みが漏れ、馬車を止めないまでも窓から町の皆へ手を振ってみると、更に歓声が上がった。
我が国から王族がこの隣国へ来るなんて何十年ぶりらしいから珍しいということもあるのだろう。
珍獣を見るような気持ちもあるのかもしれない。
私はパンダ~、と思いながら手を振っていたら、向かいに座るシリウスとブルーノがびっくりしたように私を見ているのに気付いた。
「どうかなさいましたか?」
「いや……」
口ごもるシリウスとは対照的に、ブルーノが感嘆のため息を漏らす。
「サンドラ本当に淑女教育頑張ってるんだな、今の笑顔なんてまさにアレクそっくりで、生まれながらの王族みたいに綺麗な笑顔だったぜ」
そりゃあまあ、民衆への手を振りながらの笑顔なんて産まれた時からやってるからね。
シリウスはなぜか顔を赤くしている。
どうした、何か息を止める理由でもあったか?
と思いながらくんくん空気を吸ってみるが特に問題は無いようだ。
そんなことを思っていたら王宮へついたようだ。
まずは豪奢な客室へ通され、簡単に身だしなみを整える。
城に入った時に、シリウスとは別れた。
その際に
「……後でまた会うと思うが、もし兄上が不愉快な態度をとっても、まだ爆発だけはしないようお願いする」
とだけ言われた。
『まだ』ね。
了解した。
しばらくするとこの国の王宮付の侍女が迎えにきた。
「国王陛下と第一王子、第二王子がお待ちですので、お部屋までご案内いたします」
さあ、隣国の国王と第一王子とやらを拝みに行くか。