出発準備
父上が王太子だった頃、幾度か隣国から招待されて夜会にも参加したことがあるらしいが、私が王太子になってから夜会の招待状なんて初めてのことだ。
それと今の時期にサンドラの婚約について、隣国から話が来るとは思わなかった。
少なくとも国内のごたごたが収まってからかと思っていたのに、それに『王太子』はまだ決まっていないはずなのにどういうことだ。
「隣国ではどちらの王子を王太子にするか、決めたという事でしょうか?」
「まだ決まってはいないが、開戦派の勢力が思いの他力をつけていて、その勢力に担ぎ上げられている第一王子が傀儡化し始めているらしい。それもあり王自身は第二王子であるシリウスを推しているらしい」
「傀儡化……」
「ああ、隣国は王族内のいざこざに我が国を巻き込むことにしたらしい」
第一王子が王太子になればこちらの国と戦になる。
それを避ける為に協力しろということか。
隣国は、王太子選定を国王の一存では決められない程内部が混乱しているということだ。
シリウスの言っていた『嵐』とはこのことか。
「父上、夜会へは出席の返事をお願いします。ただ、アレクは病弱の為欠席として、代理にサンドラが参加すると」
「わかった。人選はどうする? 手紙には『こちらに来る時はシリウスと一緒に』とあるが」
「人選はこちらで手配します。……それと、私が不在の間はベリルをアレクとして王宮に呼び寄せたいと思います」
「……当人には了承済か?」
「それは、私から話します」
国王から依頼されたら、たとえベリルが文句を言いたいとしても言えないだろう。
私のわがままで通した方がベリルにとって負担は少ないはずだ。
「……お前には、迷惑ばかりかけている。しかもここ数年のお前の働きは尋常ではない、無理は…していないか?」
「お気遣いありがとうございます。好きでやっていることですので、お気になさらず」
そう言うと、国王ではなく父の顔をしながら少し寂しそうに言われる。
「なんだか、お前を遠く感じる時がある……。これが独り立ちということなのかもな」
「……申し訳ございません」
「なんの、何を謝る必要があるものか。頼もしい限りだ」
私が前世の記憶を取り戻さなければ、もうしばらくはあなたの『息子』として横で笑っていられただろう。
でもそれではこの局面は乗り切れない。
隣国がこのタイミングで私を呼ぶということは、そのまま人質として捕えて開戦の狼煙を上げるつもりなのかもしれない。
人質でないなら、最初の合戦場で私の死体を見世物のように晒す可能性だってある。
そうでなくとも『アレク』が女であることがこのタイミングでばれてしまったら、この国の王族に対する信頼を失墜させ士気を弱めてしまう。
その為『アレク』が隣国に行ってはいけないのだ、死体が晒されるにしても『サンドラ』でないと駄目だ。
私の杞憂かもしれないし、父もそこまでは想定していないだろう。
側にいるとほっとできる、平和に慣れた優しい父母やのどかな人間の多い国民性。
彼らのことを大事に思っている。
この安寧を保つ為なら、私はなんでもしてみせよう。
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翌日学園の空き部屋へベリルを呼び出し、隣国へ行くことを伝える。
いつもは学園内には配備していない近衛を呼び出し、部屋の周囲に配置して他の人間が近寄れないようにして、もし声が外に漏れても大丈夫なようにする。
「こんな状況でサンドラが隣国へ行くだって!? いくら隣国の国王が穏和派とはいえ、貴族の中では開戦派が優先なんだろう。危ないじゃないか、僕も行くよ」
空き部屋とはいいつつも、こういった話し合いにも使えるよう最低限の椅子やテーブル等は置いてある。
私達は敢えて椅子には座らず、お互い少し離れた場所に立って話しているが、案の定ベリルが激高したように言って一歩こちらに詰め寄る。
それを押しとどめるように淡々と言う。
「連れて行くのはブルーノだ。彼は最近騎士の試験にも受かって見習いではない正式な騎士となった。シリウスやサンドラの友人として同行するにしても、警備上も何の問題もない」
「じゃあ僕がアレクとしてサンドラと一緒に行くよ! 招待されたのは『アレク』だろう」
アレクとサンドラが両方いるとしたら、隣国として命を狙う可能性が高いのは王太子であるアレクの方だ。
「だめだ。私が国外へ出るのなら、アレクには国内に残ってもらう必要がある」
「どうして! 他国では王族が複数同時に旅行に行ったりしているじゃないか」
確かにそういう国もあるが、それはスペアがさらに他にいる場合だ。
「今は状況が危うい。しかも行くのは隣国だ。私とベリル、両方同時に命を落としたらこの国の次代が潰えることになる。次代の王位継承権を持つ者が複数同時に国外へ出ることは許されない」
「僕に王位継承権は無い!」
「私に何かあったら、次代の中ではベリルが一番濃い血を引いている」
地位としても血統としても、ベリルに継承権をつけることに文句を言う者はいないだろう。
「……血だけでいうなら、他に遠縁の者を探せばいくらでもいるじゃないか」
「血だけならな。でもこれを機に隣国から宣戦布告されたら、私とベリルが同時に隣国で命を落とすことになる可能性が高い。王太子教育もされていなかった者が戦時中の国内の対応と、前線にいきなり放り出されることになるだろう。それにそんなぽっと出の者に、騎士たちは命を預けてはくれないよ」
「……」
黙り込むベリルに立て続けに言う。
「それよりも頼みがある」
「何? アレクのお願いは無視しろ、だろ」
せめてもの意趣返しのように、ベリルが口の端に笑みを乗せながら言う。
きっとろくでもないことだと予想しているのだろう。
もっとも、ベリルの予想通りだけどね。
「お願いじゃない、政務に関わることだ。サンドラがいない間、ベリルはアレクとして王宮内で過ごして欲しい」
「それはただ過ごすだけではなくて、アレクが普段やっているような政務も代理で行うということか?」
「そうだ」
ベリルが溜息をつきながら言う。
「……僕にアレクの代理は無理だ」
「無理にでもやってもらう。それと、セバスの王太子教育も平行してまた受けてもらう。デビュタントの時にはダンスと私に似せることだけ覚えてもらったが、今度は王太子としての政務が出来るように、内政から外交まで覚えてもらう」
「横暴だ!」
私を睨みながらベリルが叫ぶが、構わず続ける。
本当に大事なのはここからだ。
常に最悪の事態を想定して手を打っておく。
「……そしてもし私が隣国で命を落としたら、ベリルはアレクの影を止めて、ベリルとしてアレクとサンドラの国葬を取り仕切れ。その後、ベリルは王太子として立つことになる」
「な……」
それが次期王太子となった場合の『ベリル』の初仕事だ。
「サンドラの訃報を聞いた『アレク』は病気がちだったところに心労が重なり命を落とすという筋書きだ。主要な諸外国への案内状は既に用意してある。私がいなくなったら、ベリルが王太子になることは父上も了承済だ」
「待てよ! なんだよ、それ!」
私がそれ以上何も言わないように、ベリルが私の両肩を掴んで強く揺する。
それを止める為に、ベリルの頭を両手で挟むように掴み目を合わせる。
「隣国と開戦するかどうかの判断は父上に任せる。その場合、ベリルは前線にだけは立つな。命だけは落とさないようにしろ」
言い聞かせるような私の言葉に、ベリルは抵抗するように俯いて私と視線を合わせないようにしている。
「……僕がアレクの言うことを聞くと思う?」
「思っている」
ベリルにもこれが最善であることは頭では理解しているのだろう。
「……っ」
何か叫びだしそうに幾度か口を開けるが、一度私の両肩に置いた手に強く力を込めた後、私の手ごと振り払って、すぐ傍にあるソファに背を丸めるように力なく座る。
肘を膝に乗せながら俯き、両手で顔を覆いながら苛立ちを吐き出すように大きな深呼吸をした後、顔だけのろりとこちらに向け、口元に諦めたような小さな笑みを浮かべながら答える。
「……本当に、暴君だ」




