毒針
今から17年前、母上が私を身ごもった時に王都で流れた噂
「産まれる子供が女なら、この国は無くなる」
という占い師の言葉を恣意的に広めたのは公爵だと、つい最近になって判明したのだ。
そうでなければ、いくら高名な占い師とはいえ国民の感情を扇動するほどの影響力は無い。
公爵が細作を何十人も国中に放って、情報操作をしていたのだ。
その時にもうベリルは産まれていて、もしかしたら王位が転がり込んでくるかもしれないという野心を抑えきれなかったらしい。
その当時クーデターを企んだのは公爵ではなかったが、援助くらいはしたかもしれない。
最も、私が産まれ「男」と発表されてからは、祝福に沸き立つ国民の声を背に公爵自ら粛清に動き、当時のクーデターを企んでいた実行犯は全員処刑されているので真偽は既に闇の中だが。
両親共に、クーデターの実行犯の方にばかり目がいっており『誰が噂を広めたか』というところまでは考えなかったようで、詰めが甘いと言わざるを得ない。
王族が失脚して一番得をするのは誰か、ということを真っ先に考えないと。
まあ、その当時は父も母もまだ年若く、私が産まれ女だと判った時には心労の余り倒れてしまうくらいだし、仕方がないか。
私も前世の記憶を取り戻すまでは、そんな両親に育てられていたせいもあり王太子教育を受けながらものほほんと暮らしていたのだが、前世ではそれこそ人間の綺麗な所も汚い所も見てきたので、今いる状況がどれだけ危ういのかを自覚して、それこそ戦慄した。
公爵の妻は父である国王の妹で、私にとっては叔母にあたり、叔母は私が産まれる直前にベリルを出産している。
そして、公爵家の中では叔母だけが私が女だと知っている。
実際、悩んでいた父母の相談にも乗っており、私のことを男として公表することにした話し合いにも参加していたらしい。
そうやって何度か王宮に戻っていた叔母は、本当のことを公爵には伝えず「初めての出産で心を弱らせている義妹を励ますため」と公爵には説明していたそうだ。
私が女だということは王族とその側近達のみの秘密であり、当時もっとも王家と近いところにいた公爵にも事情を離して協力者として仲間に引き入れることも想定していたが、それにストップをかけたのは他ならぬ叔母だった。
ベリルの両親の仲はいまだに良好だと聞いている。
しかし叔母の中では、公爵は完全に信用することはできない人物であるということだ。
きっと一緒に暮らしていく中で、公爵の冷酷な部分に触れることもあったのだろう。
確かに公爵は仕事はできるし頭も切れる。
石橋を叩いて渡るような慎重さも持っている。
ただ、この国とせいぜい隣国にだけ目を向けていて、それ以外の他国を含めた大局観を掴めていない。
17年前のことで公爵の周りを調査していたら、最近は隣国とも繋がりを持ち始めようとしている様子もある。
しかもシリウスが属している穏和派ではなく、第一王子の開戦派の方だ。
まだ足を踏み入れようかどうしようか、と迷っているらしいが、ここはベリルの為にも叔母の為にも道を違わないようしっかり釘を刺しておかなければならない。
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「今日は忙しい所呼び立ててしまいすまないな」
「いいえ、ご無沙汰しております王太子殿下。最近はベリルと仲良くしていただいているようで父親として光栄に存じます」
公爵とは夜会で時々顔を合わせたりするが、挨拶程度で込み入った話は今までしたことがなかった。
また、王太子として公爵を直々に呼び出すことも今まで無かった為、一体何事かと少し警戒しているようだ。
警戒結構、油断させる必要も無い。
この謁見の間には私と公爵、そして私付きの近衛しかいない。
公爵は床に片膝をついており、私はそんな公爵を見下ろすように数段高くなった壇上に置いてある椅子に腰かけている。
近衛は私の命令は絶対であるはずなので、私が何を言い出そうとも口出しはしてこない。
さあ、はじめようか。
まずはお願い事からだ。
「私は最近体調がすぐれなくてね、公務に差し障りが無いようベリルに私の影武者を時々お願いしたいと思っている」
「……は…?」
あっさりと当人の口からでた体調不良の言葉が余りにも唐突過ぎたらしく、さすがの公爵も反応できないようだ。
「それに伴って、ベリルには王太子教育を受けてもらう為しばらく王宮に滞在してほしい」
「いきなりそんなこと言われましても、公爵家としての跡取りを影武者とは……」
「一時期のみだ。ただ王太子教育は過酷だからな、それを受けていれば公爵家の跡取りとしても十分な素地を得られるはずだし、もし私に何かあった場合はベリルをそのまま次期王太子として擁立しても問題ないだろう」
「それは……!」
思いもよらない私の提案に、気色ばむように公爵が反応する。
「もちろんサンドラがいるが、選択肢は多い方がいい」
「そ……そうですな。そのお話、承りました」
アレクは病死予定だが、私が本当に死んでしまったらサンドラもいなくなるということだ。
そしてここは断罪の場でもある。
「今から17年前のことを覚えているか?」
あえて声のトーンを変えずに世間話のように話す。
「17年前ですか……? 王太子殿下やベリルが産まれた頃ですな。はてさて大分昔の為私も大分忘れてしまっておりますが、どのようなことでしょうか?」
公爵の視線が少し彷徨ったが、そんな昔のことをなぜ今聞いて来るのかと不思議そうに聞き返してくる。
「私が産まれる時、国中に占いの結果を広めたのは公爵だな。それとクーデターの首謀者に援助を行ったのも。それと最近は隣国の開戦派と連絡を取り合っていると聞いている」
「そんな……! 何をおっしゃいますか! なんの証拠があって」
公爵はうまくやっており、物証はどこからも出てこなかった。
裁判に持ち込んでもこちらに勝ち目は無いだろう。
なので、ここは力技で行かせてもらう。
私は椅子から立ち上がって側に置いていた剣を抜き去り、公爵の居る位置より数段高くなっている壇上から
剣を公爵にぴたりと向けながら一歩一歩降りていく。
公爵は王太子との謁見の為、もちろん帯剣はしていない。
「証拠など必要ない」
「はい?」
「私が黒と決めればそれは黒なんだ」
「横暴ですぞ! これは厳重に公爵家としても抗議を―――」
動揺と私の余りの言動に、顔を真っ赤にして憤慨している公爵の首筋にぴたりと剣を添わせる。
「抗議はできない。なぜならお前はここで命を落とすからだ」
「……っ! な、何をご冗談を。こんなこと許されると」
「許すも何も、お前が死ねばこの部屋でどのようなことが行われたか判らないだろう?『公爵が乱心して王太子に襲い掛かり、それを王太子が自己防衛の為切り捨てた』で十分だ」
「そ……そんなことをしたら私だけでなく公爵家自体が…! 妻やベリルにまで累が―――」
真っ赤だった顔が、私の気迫に押されたのか今はがくがく震えて鼻白んでいる。
家族の情はあるらしい。
でもあと一押し脅しておくか。
「そうだな、なら奥方やベリルに累は及ばないように『王宮から帰る途中暴漢に襲われて命を落とす』方がいいか? それとも『毒が盛られた物を食べて急死』か」
「お、お許しを……! もう二度とこのようなことは致しません、隣国との話もきっぱりと手を引きます! この国に忠誠を誓います」
「隣国との話はそのままでいい」
殺されるかもしれないという恐怖の中と、私の返答の意図がつかめずびくびくしながら公爵が答える。
「……はい?」
「隣国の開戦派へのパイプがあるなら、そのままでいいといった。その代わりこちらの指定した情報を流してもらうことにする。もちろんその手伝いとして王宮から人手も派遣しよう」
公爵は、二重スパイになれと言われているのにやっと気付いたようだ。
しかも人手という名前の見張り付きで。
元々公爵を殺すつもりは無い。
ただこのまま公爵を野放しにしておくと、きっとベリルは気付くだろう。
そして真面目なベリルは国の為に、公爵をその手に掛けてしまうかもしれない。
ベリルを父親殺しにしたくはない。
自分の父親が敵国と通じている話をもし聞いても、公爵は王宮からの依頼で二重スパイとしてこの国の為に働いているとなれば、ベリルも納得できるだろう。
毒針は折るのではなく、その針の向き先をこちらから指示してやればいい。
今後この国がどうなるのかにもよるが、公爵家にとっても悪い話ではないはずだ。
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それからしばらく経った後、父上から内々に呼び出しがあった。
内々ということもあり、国王の執務室だ。
ただ、徹底した人払いをされており周囲に人影はない。
「お呼びですか?」
「ああ、隣国からアレク宛てに夜会の招待状が来た。それとまだ打診という扱いだが隣国の『王太子』とサンドラの婚約について話があった」