猫の昼寝場所
あれから何事もなく日は過ぎた。
変わったことといえば、学園でベリルに凭れ掛かって休むことはしなくなったくらいだ。
一度ぼうっとして無意識にふらふらと裏庭に行った時、ベンチにいつも通り座ったベリルと向かい側に立っているシリウスが何か話しているのを見つけた時があった。
私を見て二人とも急に口を噤んでいたが、特に気にせず二人に軽く挨拶しながらベリルの横に座り、こてんとベリルに寄りかかりそのまま勝手に休もうとしたら、ベリルから盛大なお怒りを頂戴したのだ。
あの時は何かが切れる音が真面目に聞こえたと思ったら、ベリルの持っていた本の栞の紐が切れた音だった。
おそらく怒りのあまりベリルが引きちぎったのだろう。
「今なら本気で憎める……」
と地を這うような声で言うベリルは迫力があったな。
二人きりではないし、『お願い』した訳じゃないからこれくらい別にいいと思ったのだが、シリウスも呆れたような目で私を見ていたし、どうやら駄目だったらしい。
その時はベリルに
「そもそも学園に来てまで眠いとはどういうことだ。政務が忙しいならその分の仕事を周りに割り振るようにしろ」
と、懇々と説教された。
確かにこの所は検閲の為というよりは自分が好きで、小説部門が書いた出来立ての小説を夜中まで読みふけっていたからな。
検閲部門に任せて、ほどほどにすることにしよう。
他のまだ誰も手にしていない本を読みながら寝落ちとか最高なんだけどな。
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学園にいる間は眠りはしないまでも少し休みたい時はある。
そんな時はブルーノかシリウスの側に行くようになった。
ただ、ブルーノに一度アレクの姿で寄りかかった時
「……? なんかいい匂いがしないか? もしかしてサンドラの残り香か何かか?」
そう言って、不思議そうに私の首筋の辺りの匂いを嗅いできた。
まずい。
サンドラもアレクも香水はつけていない。
それなのに何かいい匂いがするということは、それはフェロモンか何かの可能性がある。
こればかりは隠しようが無いので、アレクでいる時はばれない様にブルーノから少しだけ距離を置くようにする。
シリウスは気にならないようだ。
どうやらブルーノだけが特に鼻が利くらしい。
今まで疲れた時にはベリルかブルーノにしか近寄らなかったが、最近は思いのほか友好的に私に接してくれるようになったシリウスの様子をちらちら探ってみる。
避難場所は多いに越したことはない。
談話室の奥まった場所で休んでいるシリウスを見かけたので近寄ってみる。
奥まっているということと、私とシリウスが話している時にはベリルやブルーノ以外、基本周りに人は近寄ってこないので休むにしても内緒話にしてももってこいだ。
「シリウス、隣いいか?」
「ああ」
談話室に置いてある、表面を真紅のビロードで張った長椅子は相当金をかけて作った物のようで、王宮に置いてある椅子と比べても遜色ない。
談話室の一番奥にあたる場所にある大きな窓から柔らかい光が差し込んできて、シリウスの端正な横顔と銀髪を照らしている。
静謐な、何を考えているのか他者に悟られないようにしている様子と相まって、印象派の絵画のようだなと思いながら遠慮なく隣に座る。
ちょうどいい反発具合のクッションを腰と腿に感じながらシリウスに確認してみる。
「シリウス、最近の調子はどうだ? 特にこの国の居心地的には」
「とてもいいよ、アレクも色々気遣いしてくれたんだろう? 礼を言うよ。おかげでネズミ退治も完了したしね。今いるのは私の子飼いの蝙蝠ばかりだよ」
『ネズミ』とはもしかして先日暴漢に襲われて死んだというシリウスの使用人のことだろうか。
それなら『蝙蝠』はシリウスの味方で、嘘の情報を第一王子に流しているのだろう。
「そうか、それならよかった」
その一言で、『蝙蝠』の正確な意図を私が理解したのに少しびっくりしたようだ。
シリウス、一体私がどれだけ気付かない人間だと思っているんだ。
意図くらいはちゃんと読み取るようにしているさ。
特に国政絡みならな。
「……本当に性質が悪いな」
シリウスが諦めたように言う。
「失礼な」
「悪い、つい本音が出た。それよりこの国の王宮の庭を荒らすようなネズミを野放しにしておいて悪かったな。私も目障りだと思っていたのでちょうどいい機会だった」
「いい、こちらには何の被害もなかったからな。ちなみに蝙蝠にはどんなエサを与えているんだ?」
遠回しに、何の情報を隣国の第一王子に渡しているのか聞いてみると、シリウスが少しおかしそうに言う。
「そうだな、この国の王太子が妹姫と従兄弟である公爵子息にご執心らしい、という情報は流しているよ」
「なんだそれは、疑似餌じゃないか」
呆れたような私に、どこかおもしろそうにシリウスが言う。
「そうか? ある程度信憑性はあると思うがな。それに嘘っぽいくらいの方が逆に魚が食いつきやすいんだぞ。例えば王太子が実は女だとかな」
ぴくりと肩を揺らしてシリウスを見る。
「まあ、そこまで突飛な嘘だとさすがに疑われるから言わないさ。ほどほどに相手の想像力の範囲内での話を流すのがポイントだからな」
「そうだな、王太子が実は女でずっと男のフリをしているなんて、笑い話にしかならないな」
すっと視線を逸らしながら考える。
サンドラがアレクの寝室に入っていくのは本当のことだし、周りに気を配っていても廊下から部屋に入る時に見られていてもおかしくない。
それにベリルの話も王宮の中ではまだ信じている者も多いらしい。
「何か私に協力できることはあるか?」
シリウスが少し考えながら言う。
「もしかしたら父上からアレクの父君である国王陛下宛てに手紙が届くかもしれない。とある提案があってね」
「どんな?」
「それは国王陛下から聞いてのお楽しみにしておいてくれ。ただ、嵐を起こそうと思ってね。その誘いの手紙だと思っておいてくれ」
「楽しそうだな、嵐の中で釣りゲームか」
「大物が引っかかるのを期待してるんだけどね。そういえばアレクはこの国で『釣り』はしないのか? 毒針を持っていそうな者もいるみたいだが」
シリウスも知っていたか。
「そうだな、たとえ毒針を持っていようと沼の中に潜んでいるものを追い立ててまで捕まえようとは思っていないよ。綺麗過ぎる水だと無害な魚まで住まなくなってしまうからね」
「アレクは優しいな」
「それほどでも。それより嵐の前に昼寝くらいする余裕はあるか?」
シリウスに、私の背中を預けても問題ないか確認する。
「ああ、どうぞ」
シリウスはそう言って手すりの無い長椅子の端に足を回すようにして座る位置を変え、広い背中をこちらに差し出してきた。
長椅子の上に足を投げ出して座って、シリウスと背中合わせで休めということか。
長椅子に両足を乗せると、ちょうどシリウスとは反対側の座面の端に足が少しとび出るくらいになった。
元日本人としては靴も脱いでしまいたいが、こんな場所でそこまではできない。
これならシリウスの顔も見えなくて楽でいいと思っていたのに、合わせた背中から感じる熱が気になって落ち着かない。
しばらくもぞもぞしていたが、どうにも耐え切れず離れようとすると
「どうかしたか?」
と楽しげに聞いてくるシリウスに少しむっとしてとりあえずは午後の授業が始まる時間まではその体勢でいたが、気になって全く休んだ気にならなかった。
なぜ落ち着かなくなるのかは考えないようにしながら、シリウスの側で休むのは次点とする。
そんな感じで、眠らないまでも気兼ねなく休める場所を探していたところ、思いもよらないところにナイスな昼寝場所があった。
「アレク様、眩しくありませんか?」
「大丈夫だよ、ありがとう」
私は今ぽかぽかと暖かい日差しが降り注ぐ学園のテラスのベンチで、ジルに膝枕をしてもらいながら横になっている。
ジルに誘われたと言うのもあるけれど、試しに横にならせて貰ったらこれがとても気持ちいい。
さすがに女の子は、私の髪は撫でても体に触れてくるような者はいないし、私が女の子の誰かに近寄れば女の子同士で監視し合ってているので、完全に眠り込まなければ逆に男友達よりも安全だ。
ジルにばかりお願いするのも悪いので、声をかけてきてくれた女の子達にも同じようにする。
膝枕は女の子に限るよね。
柔らかくって気持ちいい。
もちろん婚約者のいる女の子にはたとえ声をかけられても丁重に断っている。
そんな調子でアレクで学園に来る時はほぼ日替わりで女の子達の膝の上で過ごしていたら、婚約者がこの学園にいる男友達から泣きながら『止めてくれ』とお願いされてしまった。
なんでも、その男友達は婚約者から「婚約していると王太子殿下に膝枕ができないから婚約を破棄してくれ」という申し入れがあったそうだ。
そんなことになっているとは……。
そういえばこの所ベリルから「残酷なことをするな」と冷たい視線を向けられることが多かったし、ブルーノからは「フリーの女の子を全員アレクに取られた……」と怨嗟にも似た恨み言を言われたし、シリウスからは「子猫がじゃれあってるようで微笑ましいが、少し妬ける」と呆れたように言われた。
シリウスも女の子達に人気があるから、お願いすれば膝枕くらいしてくれそうだが、そういう訳でもないらしい。
ベリルとの模擬決闘の後から、男性に対する恐怖心は少なくなったのでしばらくはサンドラの姿で登校することにする。
そして徐々にアレクの病弱設定を広げていく。
先日アレクが学園で倒れそうになったという話を知っている者は多いから、不審に思われることはないだろう。
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17歳になったある日、父上より呼び出しがかかった。
何かと思ったら、今度隣国で開かれる夜会にアレクを招きたいと招待状が来たそうだ。
隣国でもしアレクが女性だとばれたら大変だし、病弱設定にシフトしているので代理としてサンドラが参加する旨返信してもらうことにした。
隣国では何が起こるか判らない。
この国にいる間、始末できることは全て始末しておこう。
まずは、ベリルの父親である公爵についてだ。
シリウスの言っていた、毒針を持つ魚とは彼のことなのだ。