決着(アレクとベリル)
学園の闘技場の地面は踏み固められてた土でできており、足さばきもしやすい。
それにレイピアでの戦闘にもここ数日の特訓ですっかり慣れて、金色の蔦で意匠された柄が手に吸い付くようにしっくりくる。
剣先までが自分の手の延長であるように感じることもある。
ベリルも鍛錬は日常的に行っているとは聞いているが、最近は剣を合わせていない。
鍛錬なら体技でもなんでもありだが、今回は昔ながらの剣での決闘方式なので、体技は無しで剣のみを使っての試合になる。
ベリルは昔から使っている細身の長剣を構えている。
私は記憶が戻ってからはレイピアに持ち替えたが、それ以前はあれと同じ物をベリルとお揃いで使っていた。
試合が始まろうとしているのに気付いた皆が息を呑んで見守っているため、これだけの人間がいるのに闘技場は静まり返り、ぴりぴりと張りつめた緊張感に満たされている。
大きな賭けも追加された久しぶりのベリルとの対戦に、胸は高鳴っているのに心は波一つ無い水面のように凪いでおり、それが心地良い。
目を閉じて、清涼な風が吹き渡っていく湖の底から真っ赤なマグマが湧きだしてくるイメージを、頭の中で描きながら息を整える。
勝負はほぼ一瞬で決まる。
「はじめ!」
ブルーノの声が響くと同時に目を開き、一気に踏み込む。
私が目を開けた瞬間、ベリルのみならず横で試合を見守っているブルーノやシリウスも息を呑むのが判った。
シャッターを切るように一時停止した世界の中、自分の持つレイピアの先が日の光に煌めきまっすぐにベリルに向かっていくのがはっきり見える。
反射的に動いたベリルの剣が、私の剣先をかろうじてはじいた。
金属のぶつかり合う澄んだ音が闘技場に響いて、お祭り気分で見に来ていた生徒達の間に緊張が走る。
刃を潰してある剣とはいえ私もベリルも真剣そのもので、ほとんどの他の生徒達にとっては見たことも無いであろう鋭い剣撃が続く。
学園の剣術は今まで剣を持ったことが無い初心者を相手にした授業が多いので、私や上級貴族は個別に家庭教師を雇っているのだ。
故に、どれだけ実力をつけられるかは完全な個人の力の入れ具合による。
戦争の無い世が続いている昨今で、剣術に時間と労力を割いている家はどれ程あるのか。
ベリルが迷っているのは剣筋から読みとれる。
私への想いと、今後のことをこんなことで決めていいのかという葛藤と、ほんの少しの諦めと。
私はひどいことをしている。
けれども、その感情を剣筋に乗せないように気を付ける。
今まで王太子教育の一環としてこの体に叩き込まれてきた型の通りに、無駄の全くない舞いのように。
実際の戦闘には不向きと侮る輩も多いが、何百年と精錬され続けてきた貴族の型にはそれなりの理由がある。
こういった一対一の決闘には最適なのだ。
相手が我流の粗削りなパワータイプなら少し不利だが、相手は同じように貴族の剣を学んでいるベリルだ。
癖も弱点も知り尽くしている。
昔から同じ長剣を使っているベリル。
でも今の私はレイピアを持っており、ベリルはこの剣を持つ私と手合わせしたことがない。
ベリルが知っている私の癖も、剣を持ち替えたことによって参考にならなくなったはずだし、そもそもレイピアでは戦い方自体が違うのだ。
「はっ!」
ベリルの気迫のこもった一撃を軽く後ろに跳んでかわす。
一歩更に踏み込んでこようとするベリルの懐に向かって、低い体勢からスタートダッシュのように急接近しながら剣先を伸ばす。
弧を描く剣ではなく、直線の『突き』の動き。
苦し紛れにレイピアの剣を弾こうとしたベリルの剣先を、金の蔦のように複雑に絡み合う柄に引っ掻けて絡み取る。
そしてその勢いのままテコの要領で上へ跳ねあげ、ベリルから剣を奪う。
ベリルの手から離れた剣は空中高く飛び、私の背後の闘技場の地面に突き刺さるのが判った。
剣を手放した衝撃で開いたベリルの胴体部分へ、間髪入れずにレイピアの剣先を向ける。
「そこまで!」
ブルーノの少し焦ったような声が響いたのと、私がベリルの心臓辺りを狙って繰り出したレイピアを寸止めしたのが同時だった。
「勝者、アレク!」
ブルーノのほっとしたような声が響き、周囲で見ていた学生達からは熱心な拍手と歓声が聞こえてきた。
ベリルに対する健闘を称える声も多数聞こえる。
ベリルの剣技も相当なものなのだ。
ブルーノだけでなく、シリウスも同様にほっとしているようだ。
「僕の負けだね、それで? 君への永遠の忠誠を誓えばいいんだっけ」
ベリルが一つため息をついて、何か吹っ切れたようにすっきりしたような笑顔で聞いてくる。
そろそろ午後の授業が始まる為、闘技場を取り囲んでいた生徒達は先生たちに追い立てられるように校舎の中に戻っていく。
ブルーノは闘技場の使用が完了したことを先生へ伝えに行っており、ブルーノから更衣室の鍵を預かっているシリウスは闘技場の外側で私たちが来るのをじっと待っている。
「忠誠は王家へ。私のことは嫌いになってくれて構わない」
「ひどいこと言うな」
「その方が、ベリルが楽になれるだろう?」
「楽になりたい訳じゃない」
ヒビが入った骨より、綺麗に折れた骨折の方が治りは早いという。
「じゃあ命令だ」
「どんな?」
「私を憎め、ベリル」
『愛』から一番遠いのは『無関心』
でも『憎しみ』なら『愛』と近い位置にいるから感情のすり替えは容易だろう。
「ベリルは真面目だからな、私のことをひどい主君だと憎んでも、この国の為になるなら忠誠を誓ってくれるだろう?」
「……とんだ暴君だな」
「そうだ、私は暴君なんだ。私のやろうとしていることはきっとベリルも皆も苦しめることになる。でも最終的にはこの国の為になることなんだ」
ベリルの向こう側にシリウスがいるのが見えるが、これだけ離れていれば何を話しているか聞こえないだろう。
諦めきれないように、ベリルが下を向きながらぽつりと言う。
「……どうすればアレクを嫌いになれる?」
「簡単だ、私の欠点を一つずつ上げ連ねてそれを毎日書き出せばいい。政務に関係の無いことなら私のお願いを無視すればいい。これだけのことをしてくれているベリルを選ばないなんてひどい奴だと、毎日寝る前に声に出して私のことを罵ればいい。それと、私との思い出の品があったら捨ててくれ」
そうやって言葉と行動を積み重ねることによって、潜在意識の中に「アレクのことが嫌いだ」ということを刷り込ませるんだ。
人間は便利な生き物だから、毎日毎日それを繰り返せば本当にそんな気持ちになってくるんだよ。
まるで暗示にかかったように。
そう言う私を、本当に憎んでいるようにベリルが睨み付ける。
「……アレクの『したいこと』って、誰かと一緒になることも含まれているのか?」
「ああ」
「もし好きな奴がいるなら、そう言ってくれた方が楽なんだけど」
剣を持っていないベリルの両手が強く握りこまれ、今にも暴発しそうに震えている。
もし今ベリルが剣を持っていたら、本当に刺されていたかもしれない。
「好きな人間は作らないようにしている。たとえその誰かと結婚することになっても」
「何それ、誰かと結婚することになってその相手が気になる相手でも、好きにならないように気を付けるってこと?」
怒りが滲んだ表情のまま、どこか嘲笑するように言う。
「そうだ」
「どうしてそんなバカなこと……」
「恋をすると、正常な判断ができなくなる」
表情を変えずに言う私を見て、ベリルが一瞬呆然とした後怒りをどこかに落としてきたような呆れた声で言う。
「全く……アレクは頑なだな。恋もそんなに悪い物じゃないよ?」
「何とでも」
「……僕にできたのはヒビを入れることくらいだったけれど、いつかその『誰か』がアレクの殻をぐちゃぐちゃに壊してくれるのを楽しみに横で待つことにするよ」
「……」
ベリルが少し笑いながら言う。
「僕もひどい奴だろう? だってアレクのことが『大嫌い』だからね」
「そうだな」
ベリルはそう言って、試合が終わった時のまま立ち尽くす私を正面からゆっくりと抱きしめ、私の肩口に顔を押し付けるようにしてくぐもった声で繰り返す。
「『嫌い』だ」
「ああ」
弱々しいその声が、小さい頃よく王宮で一緒に遊んでいた時に何かの拍子で口喧嘩をした時の、まだ幼かったベリルの姿と声に重なる。
私からベリルの背を抱き返すことはしない。
「僕はアレクのことが『嫌い』だ」
「うん」
ひどいことを命令している自覚はあるけれど、そのことについて謝りはしない。
一度謝罪の言葉を口にすれば、ベリルは条件反射のように私を許してしまうだろう。
許さなくていいんだよ。
「『大嫌い』だ」
「……それでいい」
できるだけ冷たく平坦な声を出して返事をする。
ベリルの肩越しに、鍵を手にしたシリウスがこちらをじっと見ているのに気付く。
一瞬目が合ったが、すぐに逸らされる。
そう、誰のことも好きにならないようにする。
感情が引きずられそうになるのを避ける為に、相手の気持ちを推測するのを止める。
不安定なタイトロープの上、バランスを崩さないように足元に気を付けて、恋に落ちないように歩いていく。
愚か者のように。
「それでいいんだ」
第一部 End