対立
ふいにかけられたベリルの声に、私よりもジルの方がビクリとしてぱっと私から離れ、すました顔で椅子に座りなおした。
「アレク、いいか?」
ベリルが一言断ってからカーテンを静かに開ける。
私一人ではなくジルがいるのに気付いて少し驚いたようだが、すぐにこちらを心配そうに覗き込んでくる。
「……大丈夫だよ、ジルに付いていてもらうから」
心配させないように、胸元でシーツを握りしめたまま半身を起こす。
ただベリルの目が見れないので、ベッドのシーツの皺に視線を落としながら言う。
「ご令嬢を側に侍らせておいて部屋の中に二人きりなんて、噂になるよ」
「二人きりじゃないさ、今は席を外しているけれど先生だっている」
カーテンで仕切られた狭い空間に三人もいるせいか、それとも私とベリルの間に流れる緊張感のせいか一気に熱量が上がる。
耐え切れなくなったのか、ジルが椅子から立ち上がりながら言う。
「あのっ! お邪魔のようですので私はこれで失礼させていただきたいと……」
青い顔で挙動不審になりながらじりじりと後ずさっていくジルを止める。
「ジル、ここにいてくれ」
今ベリルと二人きりにしないで。
「で、でも……」
「いいから」
そう言ってジルが逃げられないように手を掴む。
ジルの方は王太子に手を握られてびっくりしたのか、慌てたような赤い顔であわあわしながら
「そ……っ、そんな、アレクとここまでのイベントは無かったのに!」
と言っている。
「アレク……婚約者でもないご令嬢に、そんな風に触れるのはどうかと思うよ?」
ジルを頼るように縋りつく私が気に食わないように、ベリルが離させようと私の方に手を伸ばしてくる。
「……っ、触るな!」
ジルの手を握ったまま、開いた反対側の手で思わずベリルの手を払う。
手が当たる際に思ったよりも鋭い音が響いて、自分の方がびっくりしてしまう。
「……あ」
そんなつもりじゃなかった、と謝ろうと顔を上げればベリルの視線と合う。
少し傷ついたようなその表情。
でも私を射るように見るその目には怒りと、今まで気づかなかった劣情が覗いている。
「……どうして?」
ベリルはそう言いながら、ジルがいる方とは反対側から片膝をベッドに乗せてくる。
ぎしりと鳴るベッドのスプリングの音に体が竦んで後ろにずり下がるようにすると、ベッドの冷たい背もたれに背中が当たる。
「ベリ……」
何か言わないと、でも一体何を言えばいい。
混乱して握ったままだったジルの手が振り払われたかと思ったら、ジルがベッドの上に飛び乗ってさらに私とベリルの間に割って入り仁王立ちになった。
「……ジル、なんだよ。君は関係ないじゃないか」
「か、関係あるわ! 私がヒロインなんだから! それなのに周りのキャラ設定が濃すぎるのがいけないのよ。でもこれだけルートから外れまくってるんだもの、存在しないはずのアレクルートを私が作ってみせるわ!」
「全く……相変わらず訳が分からないな。大体王太子が体を休めているベッドの上に乗るなんて令嬢のすることじゃないぞ」
呆れたように言うベリルがジルを押し退けようとするが、ジルはベッド上から退こうとはしない。
「BL設定にはびっくりしたしショックだったけれど、嫌がってる相手をどうこうするのを眺めるのは私の好みじゃないのよ!」
「君の好みは聞いてない」
「そもそもこういうのは同意あってこそでしょう! アレク嫌がってるじゃない!」
ジルの声を聞いてはっとしたように私を見るベリル。
「アレク……本当?」
違う、違う違うんだ。
「……ジル、違うんだ。私がベリルにひどいことをしてしまったんだ。私が悪いんだ……」
そう言いながらベリルとジル二人の顔を見れずに、立てた膝に顔を埋めるようにする。
そんな私を見て、口ごもるように黙るベリル。
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私達の間に気まずい沈黙が降りた時、ドアが開く音がして今度はブルーノが現れた。
「おいアレク大丈夫か……って、何やってんだお前ら」
私が半身を起こしたベッドの上には、ジルが中央で仁王立ちをしており、ベリルがそんなベルに対峙するように片膝を乗り上げている。
すまない、私にも説明が難しい。
「とにかく! アレクは私が貰う予定なんだからね、ほぼルート確定よ。今まで誰のルートにも入れなかったのはきっとこの世界が特別エディションだからなのよ! ベリルはそこで黙って指でもくわえて見ているといいわ。私にはヒロインという圧倒的なインターバルがあるんだから」
ジルがそう言って私の頭を抱き込むように自分の胸に押し付ける。
あー、女の子の胸って柔らかくて気持ちいいよね。
何の抵抗もなくジルの腕に抱かれている私を見て、ジルはご満悦そうに
「ふっ……、ヒロイン補正の力を見たか!」
とベリルにガンを飛ばしている。
ベリルはそんなジルの腕を不愉快そうに掴んで、私から引きはがそうとしている。
「……アレクに気安く触るな」
「やですー。アレク様だって私の方がいいわよね? ベリルこそ何嫉妬してるの」
「……っ、してない! 私はただ不敬だと言っているんだ」
ベッド上で私を挟んで言い合いする二人を、ブルーノが目を白黒させて眺めている。
「え……? え? 何これ一体、どうなってるわけ?」
「……すまない。私にもなぜこうなったのか判らない。それよりもブルーノ、そろそろナニーが来ると思うからちょっと見てきてくれるか?」
ベリルとジルは二人ともヒートアップしているようで、何かの拍子に私が手で押さえているシーツがずれても問題だ。
「二人とも、一度着替えるのでカーテンから出てもらえるか?」
そう言うと、さすがに王太子の着替えを見るのはどうかと思ったらしいジルが赤い顔をしながらぱっと腕を離して、そそくさとカーテンの向こう側に隠れた。
それを見てほっとして掴んでいたシーツを離そうとしたが、まだカーテンの内側にベリルがいることに気付いた。
「ベリル……」
「どういうつもりさ、今まで興味も無かったあんな女を盾にするなんて」
外側にいるジルには聞こえないように、低く押し殺したような声で言う。
「……そんなに僕に触れられるのは嫌? もうどっちでもいいから逃げるのは止めてよ」
逃げ……。
そうだ、逃げちゃだめだ。
苦手なものがあるなら克服するまでだ!
自分に勢いをつける為、手に持ったままだったシーツをベッドに叩きつけながら言う。
「わかったベリル、少々私に付き合って貰うことになるがいいか?」
「付き合うって何に?」
「荒療治を行なう。私と最後までせずに抱き合うか、模擬決闘するか、どちらか選べ」
「はあ!? 何その二択」
こういうのは結局『慣れ』だ、それに男なら拳と拳で語り合って分かり合うものだろう。
ただ肉弾戦だと私の負けは見えているので、少しでも勝機のある剣になるが。
「なんだ、不服か?」
そう聞くと、ベリルが頭を抱えながら呻くように聞いてくる。
「……ちなみに最後までしたらどうなるんだ?」
「絶交だな」
それくらいの自制も効かせられないなら、今後私の側にいることは許されない。
冷たく響いた私の声にはっとしたように顔を上げたベリルは、今やっと気付いたと言う風に私の顔よりも少し下に視線をずらして、真っ赤な顔で絶句して慌てて目を逸らしていた。
ああ、少し汗をかいたせいで胸がシャツから透けて見えているが、ベリルなら問題ないだろう。
もう裸も見た仲だしな。
「どうする?」
「……わかった…決闘でお願いする」
「そっちでいいのか?」
私が意外そうに聞くと、ベリルが苦々しげに答える。
「ああ……、そもそもその気も無いのに体を任せられても、こっちが困るからな」
ちょうどその時、侍女であるナニーを連れた先生が現れた。
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あの後ナニーに、コルセットを脱いでシャツ一枚でいた私の姿を見られて盛大に怒られたが仕方がない
王宮に戻り胸のサイズを採寸し直すと確かに大きくなっていたようで、コルセットを作り直すことになった。
今度はもっと薄手で、胸をそんなにつぶさなくてもいいものを作って貰えるように依頼しておいた。
胸をつぶさないようにするなら、着物を着る時のように胴回りを少し太く見えるようにすればいいのだ。
胴回りを太く見せるようにすれば、胸が大きくなったと同時に丸くなったヒップラインもごまかすことができるだろう。
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そして今日はベリルとの模擬決闘当日だ。
「……なんでこうなったんだ」
呆然と呟くベリルが立っているのは、学園内に設置されている屋外闘技場だ。
模擬決闘は学園の昼休みに行うことにしたので、周囲には見物の為に全校生徒が集まっていると言っても過言ではない。
「私とベリルで正式な決闘を行なうことは、他家へも影響を及ぼしてしまう可能性が高いからな。今回はあくまでも学園内のレクリエーションの一環で、見本試合を行うという名目になっている」
新しいコルセットができるまではアレクの姿で学園に来れなかったので、数日間サンドラの姿で来ていたのだが、ベリルやブルーノどころかクラスメイトの男子誰ともまともに近づくことができず、我ながら忸怩たる日々を送っていたのだ。
その鬱憤を晴らす為に、王宮では淑女教育は全てキャンセルして、剣闘の訓練に没頭していた。
私が今日闘うのはベリルだが、実際の対戦相手は私自身だ!
ベリル相手に体が竦むようでは、今後アレクとしてもサンドラとしてもまともに外交もできなくなる。
少し離れた位置でジルが熱心に声援を送ってくれているので、軽く手を振り応援の返礼をする。
もちろん周りにいる女子生徒達にも同様に笑顔を振りまくと、キャーっ! という黄色い声が闘技場にこだまする。
女の子相手なら、変わらず大丈夫なんだけどな。
「……本当、アレクって罪作りだよな」
と、ベリルが半分諦めたように呟いている。
今回、学生同士のレクリエーションの一環という扱いにしてもらっているので審判は先生に頼んでいない。
主審にはこういったことが一番得意なブルーノと、副審としてシリウスが参加している。
シリウスはデビュタントの翌日に使用人の一人が死亡した関係か、昨日まで隣国へ戻っていたらしい。
最近、シリウスがこの国に滞在している間に借り上げている屋敷の周りでは人の出入りが激しくなっている、という報告が近衛から上がってきている。
どうやら第一王子に対抗するために勢力を集めているらしい。
シリウスの自国では第一王子の目が光っているらしいので、この国の中で動き回るのが好都合らしい。
そんな中久しぶりに学園に来たらいきなり私とベリルが決闘することになっていて、さらにその副審をすることになったシリウスは、まだ状況が理解できていないようでブルーノに聞いている。
「なんでこんなことになっているんだ?」
「……実の所、俺にも良くわからん」
このところ私とジルが一緒にいることが多く、そこにベリルが邪魔に入ってジルと喧嘩する、というのが日常の風景になりつつあった。
その為、他の学生たちの間では『アレクとベリルがジル取り合っており、今回はその決着をつける為の模擬決闘』という扱いになっているらしい。
ジルのことを『王太子と公爵子息から取り合いされている男爵令嬢』と勘違いして、それを快く思わない令嬢もいるらしく、ジルはちょくちょく嫌がらせを受けているらしいが
「こんなもん! サンドラの脅しや嫌がらせに比べたらかわいいもんよ!」
と言って、令嬢方を撃退しているらしい。
私と一緒にいることによってジルに負担を強いてしまうのは申し訳ないので、できるだけ私もフォローしようとしているが
「アレク様が口を出すと、余計なことになるから止めてください!」
と逆に懇願されてしまった。
しつこい令嬢相手には、サンドラとして伝授したスカートめくりを実践しているらしいので問題ないだろう。
我ながら、最小の労力で最大の効果を上げられる攻撃方法だと自負している。
ちゃんと風の吹く日に窓際で行なっているらしいので、その辺りの応用力も素晴らしい。
……スカートをめくられた令嬢は、数日は学園に来れないでいるが……。
ここ数日の特訓ですっかり手になじんだレイピアの重さを確認しながらベリルに対峙すると、ベリルがまだ腑に落ちないように言ってくる。
「そういえばアレク、聞いていなかったけれど決闘っていうなら何か賭けるのか? この試合、僕にとってなんのメリットも無いような気がするんだけど……」
確かに、主な目的は私が男性相手に問題なく対応できるようになるための訓練だからな。
「そうだな……、じゃあベリルが勝ったらサンドラの婚約者候補として、私から父上に奏上するというのはどうだ?」
「ええっっ!?」
「ちょっ、アレク!」
「なんでそんなことに!?」
ベリル以外に、私の声が聞こえたらしいブルーノとシリウスが焦ったように声を上げる。
「あくまでも『候補』であって、私がするのも奏上だけさ」
「ちなみにアレクが勝ったら僕は何をすればいいんだ?」
少し考える。
「……特には無いが、今までと変わらず王家への忠誠とかではどうだ?」
「そんなのとっくに捧げてるけれど、それって臣下としてだよね。アレクのことは諦めろってことか」
横でブルーノが
「え、なんでアレク? サンドラでもジルでもなくて?」
と訳が分からないといった様子だ。
シリウスは急に真剣な面持ちになって、この試合の審判をする気になったようだ。
「さあ、始めようか」
そう言って、レイピアの剣先をぴたりとベリルの方へ向けて構える。
アレクは色々ギルティです。
判ってやっていることもあれば、判らずやっていることもあります。