乙女の微笑みとは
翌日は王太子のアレクとして学園に行くことにした。
サンドラだと彼らと冷静に話ができそうにないからだ。
「皆、おはよう」
いつも通り教室へ入ると、わっと私の周りに人が集まって、昨日のサンドラの様子を話してくれた。
好意的な意見が多く、とりあえず胸をなでおろした。
サンドラがシリウスを失神させたことは知らないようだ。
よかった。
さすがに向こうも大事にはしなかったようだ。
友人たちは何か話したそうにしていたが、とりあえず放課後までは待つようだった。
今日の授業はマナーということで、ダンスの実技授業があった。
頬を染めながら嬉しそうに踊る女の子たちは目の保養だが、同じクラスの女子生徒達と踊りながら考える。
『よかったーーー! 今日アレクで来ていて』
幼いころらかダンスの練習はしており、大抵のステップなら問題なくこなせるが、全て男性パートの為、女性パートは全く踊れないのだ。
これは個別に家庭教師をお願いしないといけないな、と心の中でメモする。
男性と女性のパートが基本的に同じステップということになっているようなダンスでも、やはり注意してみると手の位置、足の位置が微妙に違うのだ。
そもそも女性をリードするのが男性の役割なので、これからは『リードされる』ということを覚えなければならないのか、とダンスのパートナーをしていた女子生徒を観察していたら、見る見る内に相手の顔が真っ赤になり、足をもつれさせる始末だ。
「おいアレク、何踊る相手全員落としてるんだよ」
と、ブルーノから呆れたように言われてしまった。
そんなつもりは無かったのだけど……。
放課後になって、案の定呼ばれて小部屋へ行くと、昨日とほぼ同じような会話が展開された。
「アレク、彼女は本当に王家の血を引いているか調べたのか!? 誰かに騙されているとか――――」
「いや、サンドラなら確実に父の血を引いているよ。母も私もそれは認めている。私も妹ができたと喜んでいるのだが、皆はそうではないのか?」
私に言われ、だまりこむしかない友人たち。
「私に対するようにサンドラにも接してくれるとありがたいのだが……彼女はまだ友人もいないようで、心細い思いをしていると思うんだ。事情があって私はこれからそうしょっちゅう学園には来れないと思うので、私の代わりにサンドラのことをよろしく頼むよ」
笑顔でお願いすると、まだ納得はいっていないようだが、理解はしてくれたようだ。
翌日からまたサンドラの姿で登校すると、アレクとしてお願いしておいたとおり、サンドラに接してくれるようになった。
まだよそよそしいところはあるが、それはおいおい慣れていってもらえばいいだろう。
王太子としては仲が良かったので、サンドラとも仲良くやっていけるはずだ。
シリウスとはちゃんと和解して、今では気軽に話せる間柄になった。
いっそアレクの姿でいる時よりもよく話すくらいだ。
一発入れられたのが効いたのか、サンドラには屈託なく接してくる。
アレクの時だと、どこか緊張しているような雰囲気があるのに。
ただ、男爵令嬢のジルの動きが気になる。
何かと言うとサンドラにいいがかりをつけてくるばかりか、私に嫌がらせをされたと友人たちに吹き込んでいるらしい。
ついにこの間などは、サンドラに階段の上から突き落とされて足をくじいたと言って、ベリルに泣きついていた。
周りにいる人間に害をなすような者を国王陛下達の傍に置くことはできないと、正義感に燃えたベリルが息巻いているのを見て、重い腰を上げて、ジルを呼び出し話を聞くことにする。
どうも彼女とは話が合わないような気がして憂鬱だ。
場所は、私が転がり落ちて前世の記憶を呼び覚ますきっかけになった大広間の大階段だ。
「ねえ、私が貴女のことをいじめたり、悪い噂を流したり、挙句の果てには階段から突き落としたという話を聞いたのだけど」
「なっ、なによ! いいがかりなんかじゃないんだからね! 皆サンドラの仕業でしょう」
仮にも姫に向かって男爵令嬢が呼び捨てはないだろうと思ったが不問に処すことにする。
こんなこと一々言っていたら話が進まない。
大広間にある階段なので、階段の下には生徒たちが何事かと集まってきている。
「あら、貴女こそ誤解しているわ」
こちらとしては探られて痛くもなんともないので、誰かと勘違いしているなら一緒に真犯人を探し出してもいいと思ってるくらいなんだけど。
「だって…だっておかしいじゃない! ベリルもブルーノもサンドラのことばっかり気にかけて、シリウスだって全然私に靡かない。王太子は攻略対象外だからしょうがないとはいえ、ゲームではもっとニアミスする機会だってあったのに、殆どしゃべる機会もないし。それもこれも、このゲームにはいないはずの悪役令嬢のあんたが出てきてからよ!」
独り言のようにぶつぶつ言っているが、なんとなく事情は分かった。
男爵令嬢が、友人とはいえ公爵子息や隣国の王子を呼び捨てはどうかと思ったが、もしかしたらすっかり『仲良し』なのかもしれないな。
しかしそこに私を巻き込むのはやめてもらいたいものだ。
すっ、とジルとの距離を詰め、耳元で囁くように言う。
「これがゲームですって? そんなに気に入らない流れなら、貴女さえよければ一度リセットするのを手伝ってあげましょうか」
そう言って、ジルの二の腕を掴み、階段の下の方を指し示すようにする。
「一回死んでみる? もう一度初めからプレイできるかもよ」
笑顔で言う私を信じられないものを見るような目つきで見て、ジルがかたかたと震えだした。
「どうするの? 私はどちらでもいいけれど。踏み出す勇気が無いならお手伝いしましょうか?」
さらに優しく言ってやると、ぶんぶんと音がしそうな程頭を振って否と回答された。
「そう、残念だわ。そういえば、私があなたに嫌がらせしたって話、貴女の勘違いでよかったのよね?」
「…は、はい……」
蚊の鳴く様な小さな声で返されたので、大きな声で聞きなおしてみる。
「聞こえませんわー?」
「は、はいっ! サンドラさまは私のことをいじめてなんかいません! 私の誤解でした!」
真っ青になりながら、ホール中に響く声で宣言してくれた。
「そう、よかったわ誤解が解けたようで」
「で、では私はこれで」
「そうね。誤解は無事解けたようだし、これからは『仲良く』しましょうね。私ハッピーエンドが好きなの。貴女も強制バッドエンドはいやでしょう?」
もう言葉もでない彼女を置いて、優雅に階段を降りていく。
これでしばらくは彼女も静かにしているだろう。
こちらに向かってきていたシリウスと階段の途中で行き会うと、周りには聞こえないよう笑いながら小さな声で言われる。
「とんだお姫様だな」
「元は平民同士の醜い言い争いをお見せしてしまい申し訳ございませんでした」
実際前世は庶民だしね。
「あの覇気といい、サンドラは今まで平民で暮らしていたとはとても思えないな。いつか教えてもらえるだろうか?」
「そうですね。気が向いたら、とだけ言っておきましょうか」
差し伸べてきた手を断らずに上に乗せ、階段を降りていく。
シリウスは最初に一発私に殴られてからはすっかり紳士的になってくれたようで本当によかった。
教育的指導も時には必要ということだ。
は! もしくはMっ気に目覚めてしまったのか。
そんなことを考えながら、夜空の星のように光る青い瞳をおもしろそうに細めながら笑うシリウスの端正な横顔を見ていたら、そんな私に気付いたように笑顔で「何か?」と返された。
青味がかった銀髪をさらりかき上げる様子は、まだ所々子供のような繊細な部分も残している氷細工のようだ。
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ジルへは少し脅かしが過ぎたかと思い、アレクでフォローを入れておくことにする。
ついでに『乙女の微笑み』とやらも習っておこう。
「先日はサンドラがすまなかったね。彼女も今まで辛い思いをしてきたみたいで、まだ不安定な時もあるみたいなんだ。許してやってくれるかい?」
辛い思いといえば現在進行形だが、主には
『ばれたら斬首か、それとも縛り首!? ああ、でも国民感情をコントロールすれば ”運命の荒波に翻弄された悲劇の姫” とかいう話題作りで国民の同情を誘い、情状酌量の可能性も。……それなら今から女○自身的な雑誌を創刊するところから始めないと。はっ! でもこの世界には大量印刷というしくみがないから、まずは活版印刷と紙の大量生産から手掛けないと!』
ということだ。
特に紙の大量生産と、活版印刷のところが悩みどころだ。
それよりも今は令嬢として周りから吸収できるところはしておかないと。
この男爵令嬢は自らヒロインと名乗っているだけのことはあり、邪気の無いように見える笑顔としぐさにはなかなか定評がある。
なんだか照れているようだが、こちらの用事をさっさと済ませてしまおう。
「……ねぇ、微笑ってくれる?」
「え、えええぇええ!? なっ、なぜでしょうか……」
「だって、君の笑顔はとても素敵だから、見ていたいんだ」
主に勉強の為に。
「sjdぽつw@04え!?」
なんだか奇声を上げられてしまったので、とりあえず落ち着かせる。
「そんな……恥ずかしいですわ」
そう言って、口元にそっと手を添えるようにして、俯きがちに首をかしげ、眼は少し上向きにこちらを見つめてくる。
ふむふむ。
王宮に戻り鏡を見ながら復習する。
脇を締め、口元に手をやり、俯きがちに、眼は相手を見つめる。
「……」
こ、このポーズは、いつかどこかで見たことがある。
ボクシングのガードの構えだ!
そうか、令嬢とはいえ常に相手からの攻撃に注意せよということで、このポーズなのか。
先日シリウスからキスされそうになったこともあるので、こういうガードも大事ということだな。
アレクの時とサンドラの時の動きの違いを自分の中で混乱させないようにどうすればいいか悩んでいたのだけれど、サンドラの時は常に敵前であるつもりで行動すれば、自然と違いも出てくるだろう。
ドレスを着ている時の歩き方も、そういえば淑女教育の家庭教師に
「もっとすり足で!」
と言われていたな。
あれは武道の足運びだったか。
前世も女性だったとはいえ、ドレスを着ての令嬢の動きなんてやったことがなかったので、勉強することがいっぱいだ。
翌朝ナニーと他の使用人たちからサンドラとしての身支度を整えてもらった後、仕上げは自分ですることにする。
アレクの時と精神を切り替えるのだ。
これから向かうのは戦場だ!
鏡を見ながら言い聞かせる。
ヘイ、ボーイ!! 何をビビってるんだ、たかがやりたい盛りのガキがたむろしているだけの学園じゃないか。
自分の身なら自分で守れ。
私ならきっとやれる、必ずやれる。
とにかくやれ。
右・下・右下・パンチ、昇ー○ー拳ーーっ!!
すっかり令嬢の姿になった私が鏡を見ながらシャドウで拳を繰り出す様子を、ナニーがなぜか死んだような目をして眺めているが、この令嬢の姿を作り上げるのにそんなに疲れてしまったのだろうか。
今日は金色の鬘の両脇の髪を細かく編み込んでハーフアップにして、リボンで作られた緋色のバラの髪留めをつけている。
シャドウに合わせて足も軽くステップを踏んでいるが、そのステップの振動に合わせて金色の波の上に浮かぶ緋色のバラの花びらも踊るように揺れる。
こういうのは気持ちを切り替える儀式みたいなものだ。
いわゆるルーティンだな。
鏡を見ながらふと気づいた。
瞳の色がいつもの青緑ではなく、鮮やかな緋色になっている。
そういえば子供の頃、怒ったり感情が高ぶったりすると瞳の色が緋色に変わる珍しい体質をしている、と言われたな。
王太子という立場上、常に平静でいるように心がけているので最近ではそう指摘されることも無くなっていたが、同一人物であることをばれないようにする為に、サンドラの時は瞳が緋色になるように、少し意識して精神を戦闘状態に置いていた方がいいな。
登校後、とりあえず覚えたばかりの『乙女の微笑み』というやつが実際に有効なのか誰かに試してみたくなった。
せっかく練習したのだから誰かに成果を見てもらいたいと言うのもあるが、鏡を見ながら自分で確認しているとどう見てもゴングが鳴った直後のファイターなのだ。
他の人にはどう映るのか確認しておかないと。
誰に試そうかと放課後に学園内をうろうろしていたら、ブルーノを見かけた。
どうやら女の子の誰かにデートのお誘いを受けていたようだ。
本当に好意を持っている相手でないとOKはしていないようだが、人から向けられる好意はうれしいらしい。
鼻の下が伸びている。
よし、ちょうどいいだろう。
「ブルーノ、どちらかのご令嬢とお出かけになられるの?」
建物の陰から急に出てきた私に一瞬驚いた様子を見せるが、平然とした様子でブルーノが返してくる。
「そのような些末なこと、姫様が気にすることではありませんよ」
口調は丁寧だが、やはりまだ私のことを警戒しているようだ。
しかし実験には協力してもらうことにしよう。
「そんな……関係ないだなんて、ひどいことを言わないで」
「え?」
えーと、確かこの角度だったかな。
「ブルーノのことを(友人として)知りたいと思うのは当然のことでしょう?」
「……っ!」
友人から冷たい言葉を掛けられたことが少々ショックだった為声が小さくなってしまったが、ちゃんと聞こえたかとブルーノの顔を上目使いで覗き込むようにすると、ブルーノが顔を真っ赤にして挙動不審になっていたので、おそらく成功だろう。
その後、王都に新しくできた喫茶店に一緒に行かないかとブルーノから誘われたが、その日は王宮で剣の鍛錬をする予定だったので丁重にお断りしておいた。
それを廊下の陰から聞いていたらしいジルが
「私のフラグがーーーっ!!」
と叫びながらがっくり膝をついていたが、大丈夫だろうか。