デビュタント[ベリル視点]
この国のデビュタントは、その年に16歳になった令嬢が社交界デビューの為に行われる。
男性のデビューではここまで大規模なものは無く、せいぜい各家で開かれる夜会で次期当主としてお披露目が行われる程度だ。
日が暮れてから行われるが、僕はアレクとしての準備があった為会場が準備されている頃から既に王宮に入っていた。
通常王宮で開かれる夜会には、アレク自身も設営や企画段階から意見を出したり、当日も全体を見ながら細かな指示を出したりしているとのことだが、今日はサンドラのパートナーとしての仕事があるため免除されたとのことだ。
よかった。王宮での夜会の指示出しなんてさすがに無理だ。
しかし、アレクは数年前からこなしているらしい。
それも王太子教育の一貫かとセバスに聞いてみたら、ホスト側として当日客の様子に気を配ることくらいは誰でも行うだろうが、この若さで企画段階から口を挟もうとする王太子は他にはいないとのこと。
もし口をはさんだとしても世間知らずのわがままと取られてしまうところ、アレクの出す案は斬新でいて効率的なものが多いらしい。
ここ数年で流通し始めたチョコレートを溶かしたものを噴水のように流して、そこに細長いフォークを刺したマシュマロや新鮮なフルーツをつけて食べるようなものは、初めて見た時は私もびっくりした。
あれもアレクの案らしい。
今まで王宮の裏のことは知らなかったが、アレクは相当規格外らしい。
それでさらにサンドラとしての淑女教育もこなすとは。
改めて尊敬する。
ホール中央床には、いつもは天井に吊り下げられているシャンデリアがロウソクに火を灯す為に降ろされている。
長くて太い専用の蝋燭すべてに使用人たちが火を点け、合図を送る。
「シャンデリアを上げよ!」
「了解、シャンデリアを上げよ!」
シャンデリアについた太い鎖を巻き上げて天井近くまで吊り下げる為、使用人達が呼応してホールのあちこちに据え付けられている滑車を回してゆっくりとシャンデリアが上がっていく。
王宮内でも最大と言われている、複雑なカッティングを施されたガラスが無数についたシャンデリアが揺らめきながら登っていく様子はまさに圧巻だった。
ちらりと隣りを見ると、アレク……ではなくサンドラがうきうきした様子でそれを見ていた。
「サンドラ……は、舞踏会が好きなのか?」
「舞踏会本番よりも、その準備期間の方が好きですわね。舞踏会が始まってしまうと、後は終わりを待つだけなのでなんだか寂しい感じがするんです」
文化祭当日よりも前夜祭の方が楽しいというか……。と、聞いたことのない祭りの名前を言っているが、とにかく楽しみであることは間違いないらしい。
「その割にはドレスにもそんなに興味が無いようだったが」
と、少しからかうように言ってみると、痛い所を突かれたのか困ったように眉を下げて苦笑しながらサンドラが答える。
「だって、ドレスなんて踊りやすいかどうかだけでいいのに。なんでこんなに沢山必要なのか判らないわ」
令嬢にとって最新式のドレスは社交界を有利に渡っていく為の武器の一つだと言われているが、サンドラはわざわざ外付けの武器を装備する必要はないのだろう。
誰かと権力争いをする必要も無く、逆にどの令嬢もサンドラを引き立てる為に存在していると言っても過言ではない。
髪を結い上げて化粧をして、今は緋色に輝く瞳を持つサンドラ。
子供の頃喧嘩をした時等、時々瞳の色が緋色になるのは気付いていたが、今は意識して色を変えることができるらしい。
どうやって変えるのか実践してもらおうとしたのだが、側についていた侍女のナニーから強硬に止められていた。
もしかして王家に伝わる秘儀なのかもしれないな。
今まで『アレクを取られるかもしれない』という焦燥と腹立たしさのフィルターがかかっていたせいでまともにサンドラを見たことはなかったが、その美しさはどんなドレスを着ようとも変わることはない。
さっきサンドラにドレスの希望を聞かれたが、本当にどんなドレスを着たとしても似合うだろう。
今は肩も腕も、背中も半分以上剥き出しになっている白いドレスを着ている。
僕もドレスのことについてはそんなに詳しくないけれど、スカート部分は光沢のあるシルクで出来ているようで柔らかな曲線を描いてふわりと広がっている。
胴体部分は全面レースで覆われており、豊かになりつつある胸を繊細なレース模様が飾っている。
細い首に腕、華奢な肩。
よくもまあ今まで男として過ごすことができたと思うくらい、その体は女でしかない。
感心すると同時に痛ましくなる。
おそらく相当の努力と気配りと無理をしていたのだろう。
誰にも本心を明かさず、極力触れ合わず。
元々そういう資質なら問題無いだろうが、元来アレクは人好きのする性質だ。
ブルーノとシリウスがサンドラの無防備さに呆れていたが、あれは解放感の表れだろう。
実際今のサンドラには、アレクの時に時々感じていた、こちらの感情を一切受け付けないような薄い膜のような壁は感じない。
相手に深く踏み込まない代わりに、踏み込ませようとしなかったアレク。
そのたがが緩んだ今の姿は、確かに無防備に見える。
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会場の準備風景を眺めた後は、控え室へ移動して名前が呼ばれるのを待つ。
サンドラは一番位が高い為、入場は一番最後に呼ばれる。
サンドラが会場に入った瞬間、会場中の視線がサンドラに釘付けになる。
その美しさにもだが、それよりも内側から放たれるオーラに惹き付けられるというのが大きい。
セバスも言っていたが、何をするわけでもなくそこへ立っているだけなのに、人目を惹き付けるなにかというのは確かに存在するのだ。
壇上に立つ国王陛下へサンドラと礼を取り、祝福を受ける。
会場にはデビュタントに参加するご令嬢達とそのパートナー、それから来賓も沢山来ている。
サンドラに視線を奪われている会場に視線を走らせるてみると、ブルーノは今日は来ていないのがわかった。
パートナーの申し込みが複数来ていたようだったが、全て断ったらしい。
シリウスは隣国の王族代表として一人で来賓側に居る。
ジルは結局、義父である男爵がパートナーをつとめているようだ。
さすがにシリウスとジルには僕がアレクのふりをしているとばれてしまうかもしれないので、極力接触しないよう気を付けよう。
それ以外はきっと大丈夫だろう。
セバスになんとか及第点を貰えたというのもあるが、会場中の視線と興味は全てサンドラに注がれているからだ。
デビュタントには、選ばれた一組だけが最初に踊るというファーストダンスは存在せず、デビュタントに参加している全員で一斉に踊る。
デビュタント専用の曲を一曲踊りきった後は、基本的に普通の夜会と同じだ。
社交界デビューになるので、令嬢は来賓に来ている者と挨拶をして顔を広げる必要がある。
僕は一人でいる時に誰かに話しかけられてしまうと、実際のアレクとしての受け答えができるかどうか不安な点があるので、できるだけサンドラの側にいるようにする。
国内の来賓に対しては対応できるが、幾人か他国からの来賓も来ており彼らについては王太子として迂闊な発言はできないからだ。
ジルとシリウスが近づいて来た時だけは離れようと身構えていたが、ジルは男爵に連れられてめぼしい貴族たちの間を歩き回って挨拶を繰り返し、次々とダンスを踊っている。
シリウスは、婚約者や恋人がおらず親兄弟にパートナーを頼んだ令嬢達に囲まれていた。
サンドラと踊りたいと次々ダンスの申し込みをしに男たちが来たが、全て僕が紹介するだけして、あとは
「他の家の方へも紹介する必要がありますので」
と一睨みしてダンスをすることは許可しなかった。
サンドラからは小声で
「目が怖い。アレクの品位を落とさないようにね」
と指摘されてしまったが、僕が隣にいるのにサンドラと踊ろうなんて許可できるわけがない。
挨拶にいった国内の伯爵には
「お二人は本当に仲がよろしいのですな」
と言われてしまった。
一通り挨拶をした後、一休みがてらバルコニーに出ることにする。
「お疲れ様、アレクお兄様。立派な王太子ぶりだったわよ。私をダンスに誘おうとする面々には少しきびしかったけれど」
無事終わりそうでほっとしたのか、少し気を抜いたようにクスクスと笑いながらそう言って、会場からは死角になる広いバルコニーでも少し暗闇のある方へと移動していくサンドラ。
アレクの時に身につけた無意識の癖なのだろうが、男が休む為に人目のつかない所へいくのはいいが、令嬢の姿でするには無防備すぎる。
今の僕にとっては好都合だけど。
淑女教育で習っているのかもしれないけれど、なぜそれが必要なのか根本で理解できていないのだろう。
女性なら子供の頃から折に触れ習って実践もするであろう恥じらいと異性に対する警戒心。
いつも学園でバカな話をして笑い合っている男友達が皆、女性の前ではどんな獣になるか、君は知らないだろう?
「サンドラ、デビュタントはどうだった?」
「まあまあかしら、参加していた令嬢達も初めての夜会を楽しんでくれていたようだし。カップルも何組かできそうな雰囲気だったわね」
人のことはちゃんと見ているのに、自分に向けられる好意はとことん無視か。
アレクの時には一々反応するのも大変なんだろうけれど、サンドラの時までそれだと後々大変だよ。
サンドラは今夜から社交界にデビューするんだから。
男共からの好意という名前の欲望に、容赦なく晒されることになるんだから。
「サンドラは誰かとカップルにならないの?」
「そんなの無理に決まってるじゃない」
「そんなことないよ。……たとえば『ベリル』とかどう? 従兄弟でも結婚はできるよ」
「私を気遣ってくれるの?」
おもしろい冗談を聞いたというような軽い調子だ。
「気遣いだけじゃなくて、僕は君のことが好きだからね」
「ありがとう」
そう、自分に向けられる好意に慣れきった笑顔で返される。
「『好き』ってどういうことか本当に知ってる?」
「何言ってるのよ。もちろん知っているわ」
「いいや、サンドラは知らないはずだ。知ってるならこんな所には来ないはずだから」
「何のこと?」
僕に対する強固な信頼。
それは友情であり、安心感であり、従兄弟という家族愛も含まれているかもしれない。
でもそこに『恋』は存在しない。
自嘲するように少し笑いながら、こちらを向いているサンドラに一歩近づきながらバルコニーの手すりに両手を置いて、サンドラの体を手すりに押し付けるようにして囲い込む。
「ベ……アレク?」
ホールからは死角になっているとはいえ、誰かに聞かれるかもしれないから僕の名前は呼ばない。
だから僕も、サンドラだけに聞こえるようにサンドラの肩に頭を乗せるようにしながら耳元に小さく吹き込む。
「ずっと好きだったよ。友達じゃなくて、従兄弟でもなくて、男と女として」
「な……っ、女だと判ったからって何を現金なことを言って……。そうか、アレクの特訓が大変だったから意趣返しね? その手には乗らな―――」
「本当に気付かないの? そんなことないよね、頭のいい君が。それとも意識して気付きたくないのかな。恋愛の無い世界は居心地がいいからね」
「……っ」
サンドラの体が強張るのがびたりと触れ合った体から伝わる。
固い殻に包まれたクルミを手に入れても、それだけではしょうがない。
一度殻を壊さないと、中の実を食べることはできないのだから。
中に美味しい実が詰まっているのを知りながら、殻だけ撫でて愛でるなんて僕にはとてもできない。
撫でているうちにクルミごと誰かに取られてしまうかもしれない。
「好き……って、ベリ…アレクは混乱しているだけよ。友人の時の私への好意をサンドラへの好意とごっちゃになっているだけ」
「じゃあ言うけど、今の王宮の使用人たちの間でアレクとベリルがそういう意味で噂になってるのを知っている? 世継ぎが産まれなくなるんじゃないかって、危惧している者もいるらしいよ」
「何を馬鹿なことを」
「そう、馬鹿なことさ。でも僕はその馬鹿なことが真実でもいいと思うくらい、君のことを男だと思っていた時からずっと好きだったよ」
「……っ!」
壊さないまでも、せめてヒビくらい入れておかないとね。
アレク、ごめんね。
「もし噂が真実になっても、もう世継ぎの心配はしなくても平気だよね」
そう言って、ドレスに包まれたサンドラの細く締まったお腹に熱くなった手をそっと当てる。
女にだけ存在する、ちょうど子を育む場所あたりに。
ここまで言われてようやく理解したのか、硬直していたサンドラの体が小刻みに震え出した。
やりすぎたかもしれないという後悔が襲ってくるが、今更引けない。
他の人間に聞こえないように耳元で小さく言っているだけなので、サンドラの表情を見れていない。
怖くて見れないということもある。
嫌悪に歪んでいるかもしれないから。
人が来るかもしれないしずっとこのままでいるわけにもいかないので、意を決してちらりとサンドラの顔を見ると嫌悪の色は無く、その代わり恐慌と少しの恐怖が混じった顔をしていた。
正直、理性が飛びそうになった。
昔から、まるで達観したように落ち着いていて理性的な君。
完璧な王太子と言われている君が、僕の腕の中で震えながら表情を取り繕うこともできなくなっているという事実に、純粋に僕の雄の部分が刺激される。
混乱しているのか、されるがままなのを良いことに顎の下に指を添えて少し上向かせる。
サンドラはヒールのついた靴を履いているとはいえ、アレクの時に履いているような不自然な高さの物ではないので、身長差はちゃんとある。
もうこのまま貰ってしまおうかと思いながら唇を近づけた時、誰かに肩を強く掴まれた。
止められてほっとした安堵と、苛立たしさが入り混じった気分で振り返れば、こちらを射るように睨みつけているシリウスの姿があった。
ベリルの反撃ターンでした。
軽いギャグ話のつもりだったのですが、恋愛モードにハンドルを切ろうとするとギャグが入れにくいことに気付きました。
(この間失敗した偽ガールズラブもやりたいです……)