浴場
デビュタントまで時間が無いので、ベリルにははっきり伝えることにする。
言葉で言ってもきっと信じて貰えない可能性が高いので、覚悟を決めることにする。
その旨をナニーに伝えたところ当初は大反対されたが、今回の最重要課題はベリルが驚愕の余り叫びだしたとしても周囲に聞かれないことだ。
浴場はその性質上王宮の一番奥まった場所にあり、固い岩壁で覆われている為防音もしやすく、出入り口も一か所しかない為警護もしやすいのだ。
ベリルへは王宮へ一人で来てもらうよう手紙を出す。
大事な話があり、学園では人目がある為王宮に来てほしい旨をしたためたものだが、その内容を見分したナニーから
「これ……本当に出すのですか、勘違いされますよ? いっそベリルさまがお気の毒になってきました……」
と、訳の分からないことを言われたが、日数が無いということでしぶるナニーを抑え計画は実行されることになった。
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夕刻近くなり、公爵家の馬車が着いたと言うことで、伝えて置いた通り馬車とお付きの者は公爵家に帰し、ベリル一人だけでこちらへ来てもらうようにする。
ベリルが来て、いきなり浴場に連れて行くとさすがに他の使用人たちも不審に思ってしまう可能性が高いので、とりあえずは晩餐を一緒にすることにする。
父母と一緒だとベリルが気を使ってしまうかもしれないので、今日は私とベリル二人だけで別室での晩餐をとることにする。
配膳担当には父母分と私達の分で、二度手間をかけさせてしまうことになるが、もてなしの一環として納得してもらおう。
部屋へ案内されてきたベリルは、呼ばれた時間が時間の為若干怪訝そうにしながらも、嬉しそうに挨拶してくれた。
「アレク、呼んでくれてありがとう。今日はどんな要件だい?」
「……用事が無いと、ベリルを呼んではいけないのかな……?」
ここには給仕をする為に、今日ベリルを呼んだ主旨を知らない使用人もいるので、少し困ったようにそう口にすると逆にベリルが焦ったように否定してくる。
「そ…っ、そんなことないよ、僕はアレクと会えるなら用事があっても無くてもどっちでもいいんだ。いつでも声をかけてくれていいから!」
「ありがとう、優しいんだなベリルは」
心からほっとしながらそう言うと、なぜかベリルは顔を赤くして恥ずかしそうに俯いてしまった。
そんな私たちを、私が女だと知っている使用人は半眼で、私の秘密を知らない使用人ははらはらとした様子で見ている。
この違いはなんだろう。
とりあえず晩餐を楽しみながら、手紙に追記しておいたことを確認する。
「そういえばベリル、手紙に書いておいたけれど着替えは持ってきてくれたかな」
「ああ、しかしどうしてそんなものが必要なんだ?」
「今日は王宮に泊まっていって欲しいんだ、何しろもう遅い時間だしね。明日は学園が休みだからいいだろう?」
カシャーン! とベリルが手にしていたナイフとフォークが落ちた。
めずらしいな、ベリルがこんな失敗をするなんて。と思っていたら使用人がすっと新しい物をベリルの手元に置いてくれた。
「……あ、ありがとう。ずいぶん急な話で少しびっくりしてしまってね」
給仕に軽く礼を言いながら、私に返事をするベリル。
よかった、王宮に一泊することについては異存は無いようだ。
ベリルの回答を聞いて、公爵家側への伝達の為に使用人が一人出て行った。
ナニーとの事前の打ち合わせ通り、私との話が盛り上がったので王宮に一泊することになった、という話にしておく。
最初から一泊の予定でベリルをいきなり呼びつけると、耳ざとい他家が不審に思うかもしれないからだ。
「そうだ、来客用に新しい浴場が出来たのだけれど、それにも浸かっていってくれるか?」
「最近王宮に取り入れられたっていう、沢山のお湯を用意してその中に入るってやつだろう。興味があったのでうれしいよ」
この国にはそもそもお風呂という概念がなかったのだ。
体を洗うとしたら、せいぜいシャワーくらいだ。
記憶が戻ってからは上下水道を王宮中に張り巡らせて、前世レベルの水回りを目指しているところなのだ。
「ベリルは浴場を使ったことが無いだろう? 私が一緒に入って説明するから安心してくれ」
ガチャーーン!! という音を立てて、給仕をしていた使用人が下げようとしていたお皿を取り落した。
しきりに恐縮していたが、同席しているのが海外からの来賓という訳でもないので不問にする。
しかし今日はどうしたのだろう、皆落ち着きがないな。
なぜか真っ赤な顔をしている者もいれば、真っ青な顔をしている者もいる。
それにサーブしてくれている給仕の者も、さっきは平気だったのに手が震えている。
もしかして王宮に流行病が蔓延しつつあるのだろうか、それならばパンデミック対策として外に出る者を制限する必要があるが……。
あとでナニーに、皆に熱などがないか確認させるようにしよう。
良く見ると、ベリルも顔が赤いな。
「ベリル、大丈夫か? もし具合が悪いようだったら今日は取りやめにしておくが……ベリルに無理をさせたくない」
「いや! 僕は大丈夫だ。僕こそアレクの体に負担になるようなことはしたくないと思って」
「負担? そんなことはないぞ、気持ちいいことをするのに負担なんかあるわけないじゃないか」
お風呂の気持ち良さをベリルも知ったら、公爵家にもお風呂ができるかもしれないな。
その場合は腕のいい水道屋を紹介することにしよう。
ベリルは具合は悪くないと言っていたのに、なぜかさっきよりも赤くなって
「……もう何を食べても味が判らなくなった…」
と言っている。
やはりベリルは無理をしているのかもしれない、さっさと済ませてしまうことにしよう。
晩餐はもう殆ど最後だったので、もう下げさせて移動することにする。
「じゃあ、ベリルは先に入っていてくれ。私もすぐに行くから」
「―――あ、ああ……」
ベリルがぎこちなく浴室に案内されていく。
さて、覚悟を決めるか。
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ナニーが半分あきらめたように溜息をつきながら言う。
「本当にするんですか? ちなみにもしアレク様が襲われそうになったら、たとえ公爵子息であろうとも殴り飛ばしてでも止めますからね」
「そんなことにはならないよ。だって小さい頃から一緒に遊んでいるベリルだよ?」
「そうだといいのですが……」
ナニーを脱衣場に置いて、素肌にバスローブを着てベリルの待つ浴場へ入る。
ここは周囲を石壁に囲まれているが、天井部分に厚いガラスをはめ込んでいて、昼は気持ちのいい陽射しが、夜には満点の星空を楽しむことができるようになっている。
今はちょうど夕日が沈み、昇った半月が天窓の端から覗いている。
満月なら灯りもいらないくらいだが、半月の場合は光源にするには光が弱いので浴場のそこかしこに蝋燭の周りにドーム状のガラスで囲ったランプを無数に灯している。
湯気がガラスに付き擦りガラスのようになって、ぽんやりと幻想的な光が部屋中に満ちている。
部屋の中央には広い湯船があり、床から続く階段を数段降りながら入るつくりになっている。
浴場に先に案内されていたベリルはまだ湯船には入っておらず、部屋の雰囲気に飲まれるように立ち尽くしながら辺りを確認していた。
「ベリル?」
そっとその背に声をかけると、びくりと弾かれるように肩が揺れて、それからゆっくりとこちらに振り向く。
もう髪も体も洗ったようで、腰にタオルを一枚巻いた姿だ。
鍛えても筋肉がつかない、と以前ベリル自身が嘆いていたのを聞いたことがあるが、年頃の男子としては十分しっかりした体つきだ。
私の中にいる、子供の頃から育てられた男としての気持ちがそれをうらやましがっているが、それはどんなに頑張ったとしても自分には手に入れられないものだということはもう知っている。
私よりも一段濃い金の髪はしっとりと濡れていて、明るい陽射しの元で見ると黄味の強い緑の瞳は、今はぼんやりとした夜闇のせいで私と同じ青緑の色にも見える。
私は脱衣場から一段階段を降り、ベリルの前に立つ。
「ベリルは私のことを好きでいてくれるか?」
「も…っ、もちろんだよ!」
半分熱に浮かされたように私を呼ぶベリルだったが、私の強張ったような雰囲気といつもの視線の高さとの違和感に気付いたようだった。
「……私は、ベリルに嫌われてしまうかもしれない」
最近は周囲の男子生徒達の身長の伸びに合わせて、少しずつ靴の踵を外側からは判らないようにしながら高くしていったのだ。
今はバスローブ一枚しか羽織っておらず、もちろん靴も履いていない。
その靴を履いて並べばベリルと目線は同じだが、今靴を脱いでベリルの目の前に立つと10cmくらい目線の高さに差ができている。
ベリルの視線がバスローブの裾から覗いた膝とその下の脚と、肘の中ほどまでしかない袖から伸びる腕に注がれる。
男にしては余りにも細すぎるそれ。
「アレク……っ、何か病気を持っているのか? それともやっぱりサンドラが毒か何かを―――」
「サンドラは関係ないよ。……いや、関係あるか」
苦笑しながら言う。
サンドラはベリルに相当嫌われているらしい。
これは駄目かもしれない、と思いながらもお願いするしかない。
「関係ないわけないだろう!」
ベリルがそう強く叫んで数歩距離を詰めて私の両腕の二の腕あたりを掴むが、バスローブ越しにも判るその余りの腕の細さに怯んだように離す。
「関係あるんだよ」
噛み含めるようにそう言って、ウェスト部分で軽く結ばれたバスローブの紐を解く。
ええい! 女は度胸だ!!
勢いのままパスローブをばさりと脱ぎ捨てる。
「ベリル、これが本当の私だ!」
硬直したようなベリルが、信じられないというように何かいいたげに口を開けたり閉じたりしながら、頭に手を当て一歩二歩下がる。
すぐ後ろに湯船へ続く階段が見えた。
危ない! と言おうとした時には、ベリルは足を滑らせて湯を満たした湯船の中に盛大な水音と共に後ろ向きに倒れていった。
「ベリル!?」
ゴッ! というどこかに頭をぶつけるような音もして、ベリルが上がってこない。
これはまずいとすぐにナニーを呼びながらざばざばと湯船の中に入ってベリルの頭だけでも水上へ引き上げる。
意識はかろうじてあったようで、咳き込みながら目を開けたが、自分の頭が私の裸の胸元に抱かれるように支えられているのに気付いて、
「なんだ、夢か……」
と呟いて、もう一度気絶してしまった。
おいーーーっ!
この状況で現実逃避するな!!