喫茶店[ジル視点]
あろうことか学園の他の生徒達の前でサンドラにスカートめくりをされた私は、もう二度と外には出ないと誓い、ここ数日は自分の室内で過ごしていた。
王太子であるアレクから手紙は貰っていたけれど、こんな気持ちで外へお出かけとかありえない
「もうだめだ……ブルーノとベリルとのルートも潰れたし、シリウスルートは破滅的って噂だからやってないし。そもそもシリウスはもうサンドラの毒牙にかかっているみたいだし……」
アレクにルートが存在していればよかったんだけど、まさか王太子ルートが存在しない理由がBLだったなんて……。
でもゲーム内では全くそんな気配が無かったから、やっぱりサンドラのバグのせいである可能性が高い。
「本当にアレクにルートが存在していればよかったのに……」
ゲームと違いアレクは髪を伸ばしていて、その中性的な美貌と共にとても良く似合っている。
明るい金の髪が光を弾き、神秘的な青緑の瞳は最近好んでつけている指輪と同じ色だ。
サンドラも同じ指輪をつけているようで、以前聞いてみたらシリウスから贈られた物だという。
「不思議なことにシリウスが結構友好的なのよね……」
ゲーム内のエンディングでは隣国との戦争を示唆されていたが、その勝敗までは描かれていなかった。
まあ乙女ゲームだから、そんな戦記物な内容にはならなかったのだろう。
そんなことを考えていたら、誰か来たようで階下の玄関ホールの方からざわざわとした声が聞こえてきた。
お義父様の呼ぶ声も聞こえる。
慌てたようなその声を不思議に思いドアを開けてみると、そこには眩しいくらいの笑顔のアレクがいた。
え!?
なんでアレクが男爵家に、こんなイベント無かったわよ!?
と戸惑っている内に私を連れて出て、洋裁店で着替えさせられたかと思ったらブルーノのルートで出てくる喫茶店に今はいる……。
アレクの行動力がものすごい、これが王族ってものなのか。
用意された席は半円形のテーブルで三人掛けになっていて、座った人間は全員道側に体を向ける仕様になっており、景色が良く見える。
でもこちらから外が見えると言うことは、道行く人達からもこちらが見えるということで!
お忍びでもない王太子が女性を伴って喫茶店に居るという話が王都内で回っているらしく続々と人が集まってきていて、今の私たちは動物園のパンダ状態だ。
あ、ついに
「立ち止まらないでくださーい」
の列整理員が出てきた。
それに痛い!
周囲の女性たちの視線が痛い!!
どんな拷問だ……。
それなのにアレクは見られていることを全く気にしていないように、楽しそうにメニューを確認している。
……すごい。王族の心臓を舐めてたわ……。
そこへ、帽子を目深にかぶったシリウスが通りかかったようで、アレクが目ざとく見つけて声をかけていた。
「やあシリウス、奇遇だね」
「アレク!? ……それにジル?」
注目の的であるアレクが声をかけたことにより、周囲の視線は皆シリウスに注がれることになった。
「お忍びでどこかへお出かけかい?」
「ああ……というか、たった今『お忍び』ではなくなったがな」
「?」
シリウスがため息をついて苦笑しながら言うと、アレクが「ふぅん?」と言った後、続けて気軽に声をかける。
「じゃあ用事は終わったのかな、よかったらお茶でも一緒にどうだい? 席もちょうど空いているし」
ええっ!? この周りから見える席に、この国の王太子であるアレクと隣国の第二王子であるシリウスが座って一緒にお茶する!?
ざわりと騒ぐ周囲を余所に、アレクは店員に申し付けてシリウスも座れるようにしてしまった……。
シリウスが席について目深にかぶっていてた帽子を取ると、テラス席の為、日の光に反射して銀色の滑らかな髪がさらりとこぼれ、風になびく。
金と銀のタイプの違う王子様を眺めて、外野にいた女の子達から堪らないといった溜息が漏れる。
私も眼福だと思うが、一緒の席に座らなければもっと楽しめるのに!
いやたとえ一緒でも、せめてもっと奥まった席なら心置きなく堪能できるのに! と思えてならない。
ああ……さらに外の人数が増えてしまった……。
「シリウス、お忍びでどこへ行ってたんだい?」
「それを言ったらお忍びの意味がなくなってしまうじゃないか。それよりも、その指輪つけてくれているんだな」
そう言ってシリウスが指し示したのは、アレクの右手中指につけられた青緑色の金の指輪だ。
「ああ、サンドラもだけど、とても気に入っているよ。シリウスありがとう」
「どういたしまして。サイズもぴったりのようで安心したよ」
そう言うシリウスは、何かを計るように自分が贈ったという指輪をじっと見つめている。
お腹が減っていたらしいアレクの希望で、テーブルの上はこの店のオススメがずらりと並んでいる。
シリウスのお供は店の端の方に席を用意され、そこで私達を待つらしい。
ここには見当たらないがアレクの護衛も来ているらしく、このテーブルに乗っているものは全て毒味済みらしい。
前世の日本のカフェ並みの、宝石のようなケーキの数々についごくりと喉が鳴るが、この衆人環視はつらい。
パンダとか、よくあれだけ眺められても竹とか食べれるな、と今になって感心する。
そう思っていたら、アレクが焼きたてのスコーンにクロテッドクリームとブルーベリーのフレッシュソースをかけて美味しそうに食べだした。
ここにパンダがいた!
一口上品に頬張った後、周囲がまた一段明るくなるような笑顔を振り撒いている。
その無邪気さに、ついこちらも笑みが漏れそうになる。
私を挟んで両脇にアレクとシリウスがいるのだが、半円形のテーブルの為、ちょうどアレクの真正面にシリウスがいる。
位置的に正面からアレクの笑顔を見たシリウスは、少し目を見張るようにした直後、硬質なイメージのあるシリウスらしからぬ、とろけるような笑顔を見せた。
うおお……!
まさかシリウスのデレがこの至近距離で見れるとは!
シリウスルートでもレアだったはず。
……あれ?
でも今のシリウスのデレって、私に対してじゃなく、アレクに対してだったんじゃ…。
困惑していると、目の前に置かれたケーキに手をつけていない私に気づいたのか、アレクが少し体をこちらに寄せてきて、
「大丈夫、もしかして本当に具合悪かった? 食欲なかったかな……」
と心配そうに聞いてきた。
こちらを伺うようにする様子が可愛いな、もう!
「いいえ、大丈夫ですわ。少し緊張してしまっただけですから」
そう言うと、アレクは少し考えて自分のブルーベリーのケーキをフォークで一すくいして、私の方に差し出してきた。
「はい、あーん」
「ア、アレク様!?」
「緊張が少しでもほぐれるように」
そう言って、笑顔で口元まで持って来ようとする。
アレクのそんな様子を見て、店の外どころか店内中から殺気のこもった視線が私の体に突き刺さる。
これ、もし食べたら私殺されるんじゃ……!
断ろうと口を開けて言う。
「ア―――」
『アレク様、自分で食べられますのでお構い無く』と言おうとしたら、最初の『ア』で開いた口の中にフォークに乗せたケーキを突っ込まれた。
「もがっ!」
なんでアレクの最初の文字は『ア』なんだ!!
ギャーーっ! という悲鳴があちこちから響き渡る。
「美味しい?」
「は、はひ……っ」
背中に流れる冷や汗のせいで、味が全く分かりません!
「よかった」
そう言って、ほっとしたようなアレクの笑顔はまるで天使のようで、周囲ごと時を止めた。
なんだこの可愛い生き物は!?
目の前にいるシリウスでさえ、まるで女の子達が仲良くお茶しているのを眺めているような様子でこちらを楽しそうに見ている。
私も周囲の状況を忘れ、つられて笑みが漏れそうになったところで、アレクが何かに気づいたようにこちらを見る。
「アレク様?」
「ごめん、ちょっとついてしまったみたいだね」
え、何が? と聞く前に、私の口元に伸ばされたアレクの人差し指が、ついていたらしい真っ白なクリームをすくいとり、そのままパクッとアレク自身の口にいれた。
そして絶望の悲鳴が辺りに響き渡った。
死亡確定だ……。
遠い目をする私に、アレクか心配そうに声をかける。
「ジル、どうしたんだ?」
「……いえ、ナンデモナイデス……」
見かねたらしいシリウスが、私を気の毒そうにちらりと見ながらアレクに声をかけてきた。
「アレク、皆の前でそういったことをすると、ジルが恋人だと皆に勘違いされてしまうから、ジルが少し困ったことになるんじゃないかな」
「皆って?」
アレクがそう言って辺りに視線を走らせると、皆示し合わせたようにこちらから視線を外して、まるで何事もなかったように通りすぎていく。
おいーっ!
なんでこの国の国民はアレクに甘いんだ。
確かに最近あちこちに建っている無償の学校や、廉価に手に入れられるようになった本はアレクの功績らしいけど。
……でも、アレクってゲームの中ではそんな目立つ功績は上げていなかったはずなんだけど、これも裏設定であったのかしら。
そんなことを考えていたら、アレクが申し訳無さそうに私に謝ってきた。
「なんだかごめんね、サンドラのせいでジルが学園にこれなくなって、せめて私がジルを励まそうと思ったんだけど……」
いえ、いいんです。
気持ちだけで十分です。
逆に気持ちだけの方がありがたいです。
そんなアレクを、なぜかシリウスがいとおしそうに眺めて、こんな提案をしてきた。
「じゃあ、皆にはもっと印象的なものを見せてあげるとしようか」
確かに、インパクトのあるものを見せて記憶を上書きするって方法があるけど。
「シリウス様、今以上って一体どんな―――」
不思議そうに言う私に軽く目配せして、シリウスは自分のフレッシュフルーツのタルト横に添えられた苺を手に取り、先っぽに軽く生クリームを付けた。
そしておもむろに立ち上がり、アレクの側まで回り込んできた。
「シリウス? どうした」
「だから、皆の記憶を上書くのさ。はい、アレク口開けて」
「え!?」
えええ!?
こちらをもっとよく見ようと、店中の女の子達がこちらを注視している。
位置的に見えない者は、ガタガタと立ち上がって位置移動までしている。
私は後ろの人からでもよく見えるように椅子からも降り、テーブルに指で捕まるようにしてその場にしゃがみこんだ。
この光景の中に入ってたまるか!
そんな私に、ナイスとばかりにシリウスが軽くウインクした後、アレクに向き直る。
「ほら、ジルの為だよ」
「で、でもここまですること―――、もがっ」
アレクが口を開ける前に、シリウスがアレクの口元に苺の先端についた生クリームの部分を軽く押し付けた。
「ほら、アレクが早くしないからクリームがついてしまったじゃないか」
シリウスはそう言って、口元を自分で拭こうとしたアレクの手を軽く押し止め、苺を持っていない左手の人差し指でアレクの顎を固定して、そのまま親指を伸ばして、クリームを逆に擦り付けるようにしてアレクの唇をゆっくりとなぞる。
ひぃっ!
今昼間だよね?
しかも寝室のベッド脇での軽い夜食とかじゃなくて、町中のオープンテラス席だよね!?
「はい、あーんして」
楽しくてしょうがなさそうなシリウスとは対比的に、照れたように憮然としているアレク。
アレク! 貴方さんざん私相手にやっておきながら、自分がやられるのは恥ずかしいとか、どんだけ可愛いんだ!
「何、アレクもしかして怖いのかい? 大丈夫だよ毒なんて入ってないから」
挑発的にそう言うシリウスに乗るように、アレクが覚悟を決めたように目をつむって口を開く。
軽く出したアレクの舌の上に、クリームのついた真っ赤な苺をそっと乗せるようにして、口の中に入れる。
「ん……っ」
と、少し喉を鳴らしながら咀嚼して飲み込んだ後、赤い顔でシリウスに小さく抗議しながら、唇についたままだった白いクリームの残りを拭き取るアレク。
「シリウス、この苺少し大きい」
「ごめんごめん、でもよく頑張ったじゃないか」
シリウスはそう言って、アレクの頬に一筋かかっている金髪に、指を絡めてみせる。
――――――はっ! 危うく気絶するところだった。
この光景こそ悲鳴が聞こえてきてもよさそうなのに、なぜか静まり返った周囲をそっと見渡すと、女性たちは悶絶して気を失っているか、涙を流しながらこちらを拝んでおり、男性たちもなぜか顔を赤らめながら気まずそうに少し前屈みになって、そそくさとこの場から立ち去っていく。
結局その後は私とシリウスが席を交代し、シリウスがアレクを構い倒してくれたので、私も誰にも邪魔されずお茶を楽しむことができた。
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翌日、久しぶりに登校した私は女生徒たちに囲まれ、昨日のシリウスとアレクの様子を目をキラキラさせながら根掘り葉掘り聞かれることになった。
……うん、皆私のパンツのことはすっかり忘れているようでよかったけれど、なにかげっそり疲れたわ。
あのドレスはプレゼントしてくれるとのことで嬉しかったけれど、昼のお出掛け着なので、夜会などに着ていくことはできなそうだ。
……デビュタント前に攻略対象者から夜会用のドレスが贈られるっていうイベントがあったけれど、これはカウントされないだろう。
あれ、私もしかしてデビュタントのパートナーいなくない……?
三週間切ってるのに、誰ともフラグ立てれなかった!?
半分悄然としながら、聞かれるまま昨日の喫茶店の話をベリルとブルーノに話したら、ブルーノは
「うわ、見たかった~!」
と大ウケし、ベリルは笑いながらもどこか面白く無さそうにしていた。
あれ? 私言わない方がよかった?
偽ガールズラブのつもりで書き始めたら、なぜか途中から偽ボーイズラブに……。