悪役令嬢
アレクの姿で釘も刺したし、今日はベリルとまともな会話ができるはず。
と思っていたのに、なぜか私の前にはジルが仁王立ちになって立ち塞がっていた。
「あの……そこをどいていただけるかしら?」
そう聞いてみたら、両手まで広げて私を通せんぼしてくる。
「何が目的でこのゲームにハッキングしてるの。もしかしてこのゲームの破壊が目的!? それともやっぱりバグなの? それなら今すぐ消えてちょうだい! 私には判るわ、このゲームに悪役令嬢は存在しないはずなのに、あんたが現れてから碌なことがない。皆あんたのせいで狂ってきてるじゃない!」
「えーっと……『悪役令嬢』って何かしら?」
「とぼけないで! 私が『ヒロイン』なんだから、ヒロインを邪魔するのは『悪役令嬢』に決まってるわ」
ここは学園内の廊下の端だ。
最初は人気がなかったが、突然の騒ぎにシリウス達も他の生徒達も遠巻きに私たちを眺めている。
良く判らないが、その『ヒロイン』とやらにジルがなるなら、私は『悪役令嬢』になる必要があるということか。
「ジル、あなたヒロインになりたいの?」
「なりたいじゃなくて、私がヒロインなの!!」
「そうすると、私があなたに悪いことをすればいいのね?」
「そうよ! ……っていうか、あれ?」
悪いことか……。悪役って何すればいいんだっけ。
「え? あれ!? サンドラ? なんか思ってたのと違……っ」
学園には剣も持ってきていないし、女性の顔を殴りつけるのも気が引ける。
顎の下に指を当てて少し考えると、廊下についている開いた窓から爽やかな風が吹き込んできてジルのスカートを揺らした。
あったあった、定番の『悪いこと』
前屈の要領で体を大きく前に倒す。
「サンドラ!?」
ジルの後ろにいるシリウスが狼狽したように声をかけてくる。
あ、もしかして私がジルに謝罪しているように見えているのかも。
「サンドラ……悪いと思ってくれてるならもういいわ、それにユーザーに知らされていないだけでそういう裏設定が組み込まれていたのかもしれな―――」
ジルが最後までセリフを言う前に、ジルの制服のスカート部分の裾を両手で掴んで、そのまま体を起こしながら思いきりばさっとまくり上げる。
あ、おへそ見えた。
「……っ!? ぎいぃゃやああぁぁあ!!!」
急に視界が閉ざされたジルは一瞬何が起こったか理解できなかったようだったが、自分の視界を塞いだのが風にひるがえりながら私にまくられたスカートだということに気付き、絹どころか雑巾を裂くような絶叫を上げた。
私達を見ていなかった生徒達まで今のジルの悲鳴に驚いてこちらに視線を向け、ジルのパンツを目の当たりにした女生徒達は卒倒しかけ、男子生徒は顔を真っ赤にして驚愕の叫びをあげている。
風が止んでスカートは元の位置に戻ったが、その代わりに現れたのは、顔を真っ赤にした憤怒の形相のジルだった。
奇妙な沈黙に静まり返った周囲に、ジルの怒声が響く。
「………!! なにすんのよ!」
怒りに我を忘れているらしいジルが私を殴ろうと手を振り上げたが、それをシリウスが止めた。
「ジル、落ち着け。風にスカートが翻ったからといって自国の王女にやつあたりとは何事だ」
「なっ! シリウスまで騙されてるの!? 今のはこいつが!」
「いいのよ、シリウス。わざわざ庇ってくれなくても」
戦闘慣れしていない令嬢の攻撃くらい、ちゃんとかわせるから。
「それに私がジルの気に障ることをしてしまったんだから……」
少し俯きながらそう言うと、何か事情があるのかと思ったらしいシリウスが口ごもって黙るが、私に飛びかかってこないようにジルの手は押さえたままだ。
しかしなぜジルは怒っているのだろう。
『悪いこと』が甘すぎたのかな。
これくらいジルにとっては悪い内に入らなかったのかもしれない。
全く、悪いことをしてもらいたいなんて、シリウスといいジルといいアレクの周りには変わった趣向の人間が多いな。
そんなことを考えていたら、ジルがシリウスの手を振り払って、
「ヴぅぉおおおお!!!」
と鳴き声、もとい、泣き声を上げながら走り去ってしまった。
残された生徒達は角度的に私がジルのスカートをまくったのは見えなかったようだ。
ジルがサンドラに何か言いがかりをつけて、それをサンドラが余裕の対応であしらった、と思っているらしい。
……スカートめくりは本当なんだけどな。
平民出(ということになっている)とはいえ、王女がスカートめくりをするとは皆さすがに想像できなかったらしい。
良く考えると足を見せるのはマナー違反とのことだが、パンツを見せるのはマナー的にどうなんだろう。
それから数日間、ジルが学園に来ることは無かった。
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請われたからやったとはいえ、やはりパンツまで見えるくらいスカートをまくり上げたのはやりすぎたかもしれない。
もしくは、ジルとしてはあまりに突然すぎて履いてきたパンツの種類を後悔しているのか。
黒のレースパンツだったが、こういう時の定番としてくまさんバンツか水色縞パンツの日にやってあげた方がよかったかも。
今度ジルに詫びを入れないといけないな。
ジルはアレクを気に入っているらしいので、アレクの姿で城下町の喫茶店に誘ってみることにする。
以前サンドラの時にブルーノに誘われたが行けなかったので気になっていたのだ。
王太子として城下の様子に気を配っていた方がいいしね。
なにより前世の女子の血が騒ぐ。
女友達と喫茶店めぐりなんて楽しそうじゃないか。
ついでにジルの『乙女のお茶の嗜み方』も勉強させてもらうことにしよう。
学園に来ないジルへ、喫茶店へのお誘いの手紙を出してみたが、男爵から
「大変申し訳ないのですが、娘は『私の人生終わった……』と部屋に閉じこもり、とても外出できる状況ではないのです」
との返事をもらった。
そんなにパンツを多数の生徒達に見られたのが嫌だったのか。
サンドラのせいで一人の女性の人生を狂わせてしまうのは申し訳ない。
ここは国民一人一人を大事にするべき王太子として、ジルを立ち直らせる必要があるだろう。
大体男爵とジルの間には血のつながりがなく、ジルは能力を買われて平民から男爵の養女として取り立てられたのだから、これでジルが学園に来なくなり中退になってしまったら、男爵に呆れられ放逐されてしまうかもしれない。
一人の女性が不幸に向かっていくのを男(として育てられてきた身)として見過ごすことはできない。
というわけで、目立つ王家の馬車で男爵邸の前まで乗り付けてみた。
ひきこもりを外に出すには、周囲を含めて、当人がとても逃げられない状況を作ればいい。
「で、でででんか!?」
「やあ、急にすまないね。ジルに学園で会えないのが寂しくてつい来てしまったよ。ジルには会えるかな?」
玄関から転がるように男爵が出てきたので、爽やかな笑顔で強襲をしかける。
ジルがアレクの取り巻き達の中に入っているのは、男爵も知っているようだが、まさかアレクが直接男爵家に来ることは想定していなかったようだ。
でも友人(ということになっている)の家に遊びに来るのは別におかしいことじゃないよね。
それに喫茶店に誘うって話は、男爵にも伝わってると思うし。
「と、とにかくどうぞこちらへ。―――おい、ジルを呼ベーーーっ!!」
男爵は私を玄関ホールへ招き入れ、ジルを呼びに使用人に指示を出している。
ちょうどそこへ、なんの騒ぎかとジルが室内着のまま玄関ホールの階段の上に顔を出した。
「ジル、何をそんな格好で―――」
「やあジル、早速行こうか」
慌てた男爵を無視して、階段を駆け上がりジルの手を取る。
ひきこもりがドアから一度出て来たら、二度と室内へは戻すな!
「え!? アレク様? え、ええぇーーー!?」
驚いているジルの手を掴み、そのまま馬車の中へ引きずるように連れて行く。
「男爵、ジルは夕刻には帰すのでご安心を」
きちんと男爵へも笑顔で応対しておく。
手を引かれるまま馬車の中に入り、事態を理解できないでいるジルはそのまま、御者へ目的の場所を伝えると同時に出発する。
「はっ! ア、アレクさま喫茶店のお誘いはありがたいのですが、私こんな格好ですし―――」
確かに、ジルは先ほどまで部屋でごろごろしていたらしく、服のあちこちに皺が寄っている室内着のままだ。
人気の喫茶店に入ろうとしたら、いくら私が一緒でも門前払いになるかもしれない。
それにこんな格好で街中を歩くことになるのは、いくらジルでもつらいだろう。
「それなら安心していいよ。喫茶店の前に少し寄るところがあるから」
「は? はぁ……」
そう言って王都でも有数の洋裁店へ行く。
ここは王宮のお針子の筆頭だった者が王宮勤めを終えた後に構えた店だ。
その品質は折り紙つきだが、今日ここに来たのは、ほとんどの洋裁店はオーダーメイドであるがこの店ではレディ・メイドのドレスも扱っているからだ。
ジルはこれくらいの年頃の女子の標準体型のようなので、レディ・メイドでも問題ないだろう。
「これはこれと王太子殿下、ご無沙汰しております。今日はどういったご用件でしょうか」
店主はアレクがサンドラであることを知っている。
私が幼少の頃、女性と男性の体型の違いを考慮した上で、きちんと『男性に見える服』の縫製デザインの基礎を作ってくれたのだ。
「このご令嬢に合うドレスを見繕ってくれるかな、これから王都で人気の喫茶店に行くんだ」
「かしこまりました」
店主はそれ以上細かいことは聞いてこず、笑顔でジルを奥の間へ連れて行ってくれた。
奥の間から時々ジルの奇声が聞こえてきたが、出されたお茶を楽しんでいる間に最新式のデザインのドレスに身を包んだジルが現れた。
独特なふわふわのピンクの髪に合わせてか、濃いピンクの布地の上に、透けるように薄い白の布を重ねてある。
所々に銀の刺繍も入っており、アラザンを散りばめた苺のショートケーキようなイメージのドレスだ。
「とてもよく似合っているよ、まるで砂糖菓子のようだ。今すぐ食べてしまいたいくらいだよ」
ちょうど昼食前に男爵邸を襲撃したので、そろそろお腹も減ってきたしね。
ピンクの布地の上に白い布が重ねてあるのを見て、前世の好物の一つだった羽二重餅を思い出したのは内緒だ。
女の子相手には褒め言葉にも気を遣わなくてはならない。
礼儀の一環だからな。
「……なっ!?」
ジルが顔を真っ赤にして絶句しているが、そろそろ予約の時間なので店に向かうとしよう。
店の前でジルをエスコートしながら馬車から降りると、周囲の人々が一人残らずこちらを見ていることに気付いたので、軽く手を振って見せながら笑顔を振りまくと、女の子たちの黄色い悲鳴が轟いた。
周囲の様子を見て凍っているジルを促し店に入ると、予約していた席に案内される。
この店は道路に面した場所に一段高いテラス席を設けており、街ゆく人々を眺めながらお茶を楽しむことができるようになっている。
「こ……この席は一体…」
ジルは絶句していたが、これはジルを外に出すこととパンツ事件よりももっと強いインパクトを与える為なのだ。
人気店だけあって、人通りも人の目も多い。
ここでジルが王太子とお茶をしていたという噂は、明日には学園中に広まっているだろう。
きっとジルのパンツのことは皆すぐに忘れてしまうに違いない。
何しろアレクは今まで女の子と出かけるなんてことは無かったからね。
「わた……私、ころ…殺される……!」
「……ジル、もしかして誰かに命を狙われているのか?」
「いえ、そういうことではないのですが……」
渡されたメニューを見ながらどれを頼もうか考えていると、道端に知っている顔を見つけた。
「やあシリウス、奇遇だね」
「アレク!? ……それにジル?」
軽く手を振って声をかけると、お供の者を連れてお忍びで外出中と思しきシリウスがびっくりしたように声をあげた。
いわゆる『悪役令嬢の嫌がらせ』って生ぬるいものが多いような気がするんですよね。
で、こういう世界(足を見せるのがタブー)のもっとも抉るような嫌がらせって何かなと思ったら、やっぱりスカートめくりかな、と。