一方通行と勘違い
耳に熱く吹き込まれるベリルの息に体がすくみそうになるが、なんで今わざわざそんなことを言ってくるのか分からない。
ベリルが私のことを好きでいてくれるのはありがたいと思う。
だって大事な従弟で幼馴染だから。
今後お願いしようと思っていることも、私に好意を持っていてくれた方が賛同を得やすいだろう。
ベリルは何かに混乱しているのかも。
なぜかつらそうなベリルをなだめようと背中に手を回そうとするが、はっ! と自分が今ノーブラなことを思いだす。
「……っ、ベリル離せ…っ!」
ぐいっ、とベリルの体を片手で力いっぱい押して離させる。
抱きしめられた時、腕が胸元にあったため、直接胸は当たっていなかったようでベリルには気づかれなかったようでほっとする。
「……やっぱり…気持ち悪いよね」
ベリルは何か勘違いしているのか、ひどく落ち込んでいる。
「そんなことない! ただちょっとびっくりしただけで……」
だって予定の時間よりだいぶ早いし、もう少しで裸見られるところだったし。
……というか、いっそこの体見せてしまった方が話が早いんじゃないか?
見せるか? どうする!?
そう思って逡巡していたら、ナニーが慌てたように部屋に入ってきた。
「アレク様、ベリル様がこちらにもう向かったと―――、……っ、ベリル様!? もういらっしゃっていたんですか!?」
「―――騒がせてすまなかったな」
ベリルはカーテンが引かれたままのベッドと足元に落ちているサンドラのドレスを見て、悄然とした足取りで出て行こうとする。
その際ナニーに何か耳打ちして、それを聞いたナニーが真っ青になっていた。
「ベリル…、あの……」
「いい、アレク、さっきの話は聞かなかったことにしてくれないか。僕も、何も見なかったことにするから」
ベリルは私の方を見ないようにしながらそれだけ口にして、入ってきた時とは逆に静かに部屋から出て行った。
ベリルがこの部屋から十分離れたのを見計らって、ナニーの雷が落ちた。
「アレクさまーーーーーっ!!」
比喩じゃなくて耳が痛い。
「全く何を考えていらっしゃるんですか!? それになんでドレスがこんなところに転がったままなんですか!」
……ごめんなさい。
「いや、それよりもベリル様の誤解を解いた方がいいのか……。でもこの状況を一体なんと説明すればいいか…」
ナニーが真っ赤になって怒っていたかと思ったら、今度は真っ青になっている。
余りの顔色の変わり具合に少し心配になって言う。
「ナニー、そんなに血圧を上げたり下げたりしていたら体に悪いぞ」
「誰のせいだと思っていらっしゃってるんですか!!」
ナニーの体を気遣ったつもりだったのに、藪蛇だったらしい……。
ベリルの誤解ってやっぱり、アレクに女装癖があるってことかな。
正確には男装なんだけど。
「でも見なかったことにしてくれるって言うし、放っておいても大丈夫じゃないか? ベリルは私のこと好きみたいだし、私の不利になるようなことはしないと思うんだ」
「『好き』……アレク様のおっしゃる意味と違うのではないかと私には思えるのですが、でもベリル様はアレク様が女性であることは気付いていらっしゃらないんですよね?」
ナニーは私が男か女かどちらの恰好をしているかで呼び方を変えている。
間違って余所で口走らないようにするためらしいが、良く混乱しないな。
ちなみに裸の時はサンドラだ。
そういえば脱ぎ掛けの時はどちらで呼ばれるのだろう。
今度試してみるか。
「そのはずだけど……」
ぼんやり考えながら返すと、ナニーがさっきとは違う意味で何か慄いている。
「……これって、もしアレク様が本当に男性だったら、王家と公爵家のお世継ぎが産まれないという危機だったのでは!?」
何のことだかよく判らない。
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一ヶ月後に貴族の女性で16歳になる者を集めたデビュタントが開かれるのだが、今年はサンドラがそれに参加する。
デビュタントでは、既に婚約者が決まっている者は婚約者がエスコートするが、サンドラの婚約者はまだ選ばれていない。
そもそもこの特殊な状況に理解を示してくれる人物でなくてはならない。
そしてデビュタントは正式なお披露目の場でもあるので、もしアレク以外がサンドラをエスコートすると、社交界ではそれがそのまま婚約内定者という扱いになってしまうので具合が悪い。
なので、サンドラをエスコートするのはアレクでなければならないのだ。
そこでベリルに、アレクの代役をお願いしたいと思っている。
ただそれにはいくつか問題がある。
ベリルは『アレク』には好意を持ってくれているとのことだったが、『サンドラ』に対してはどうだろう?
確かめなくてはならない。
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その日からはできるだけサンドラで学園へ行き、ベリルと接触しようと試みる。
それなのにベリルは訳の分からないことで私につっかかってくる。
「……あんなことがあったというのに、よくのこのこと僕の前に顔を出せたな、アレクのことを放っておいていいのか?」
とか、
せめて友好の証として笑顔を見せれば、
「ブルーノやシリウス、それにアレクの次は僕か? その手には乗らないからな」
と言ってこちらを睨みつけてくる。
頑なだな。
反抗期か?
ちっちゃい頃のベリルは、いつでも私の後についてきて可愛かったのに。
それにここ数日ベリルの様子を伺っていたら、なんだかブルーノとシリウスの様子もおかしくなった。
「……思わぬ伏兵が…!」
とか言っているけれど、何かと戦っているのか?
それにジルの様子もおかしい。
彼女は元々少しおかしいが、輪をかけてというか。
ベリルにサンドラとして近づこうとすると逃げられてしまう率が高いので、ジルが(物理的に)捕まえている時を狙ってベリルに話しかけているのだが、ベリルは私を見ると、腕にぶら下がるようにしてベリルを捕まえているジルの手を振り払ってでも、逃げるように去ってしまうのだ。
仕方ないので、残されていたジルにどんな会話をしていたのか聞いてみようとすると
「ああーっ! ダンスの練習イベントが……!」
とか
「『ベリル様はどんなドレスが好きですか?』『君が着るなら何でも似合うよ』の素敵甘々シーンが……!」
とか叫んで、がっくり膝をついている。
どうしたんだろう、前にブルーノが言っていたようにまだ足の具合が悪いのかな。
あの足でデビュタントは大変そうだから、ジルは今回デビュタントの夜会には出ないほうがいいんじゃないか?
気を効かしてそう言ってあげたところ、
「……まさかのデビュタント欠席の圧迫…! 悪役令嬢恐るべし……。アレク様がこのところ学園に来ていないしブルーノのルートもだめだったから、今のうちにベリルを落とそうと思っていたのに、安全だと思っていたベリルのルートにまで悪役令嬢が存在するなんて……」
とか訳の分からないことを言ってぶるぶる震えていた。
顔色も悪いし、体調も悪そうだ。
やはり欠席を勧めた方がいいのかも。
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サンドラの姿だとあまりにもベリルが捕まらないので、アレクの姿でベリルに直談判することにした。
『かわいい異母兄妹と仲良くやってほしい』
と伝えれば、とりあえずサンドラの姿でも話くらいは聞いてくれるようになるだろう。
学園の同年代の男子生徒たちはめきめきと身長が伸びてきていて、アレクも伸びていないと悪目立ちしそうなので、今日は少し踵のある靴を履いてきた。
いわゆるシークレットブーツだな。
校内をぐるりと見まわってみたがベリルがいなかったので、もしかしてと思いベリルのお気に入りの裏庭のベンチに行ってみると、やはりそこにいた。
でも今日はジルも一緒にいる。
ここはベリルが一人でゆっくりしたい時に来るところだから、ジルが一緒で平気なのかな? と思っていたら、案の定すげなくジルが追い返されそうになっている所だった。
まあ、私もよくここでベリルの邪魔をしてしまうのだけれど、今まで嫌そうなそぶりを見せられたことはないので、きっと大丈夫だろう。
それに私がここに来る時は休みたい時なので、ベリルとしても私のことを凭れ掛かってくるクッションか何かだと思って、特に気にしていないのだろう。
でないと、私がここに来ることをベリルが許してくれる理由が見当たらない。
「ベリル、少しいいか?」
「アレク……」
「アレク様!」
今日は私は休みに来たわけではないので、ベリルの邪魔をしないように少しだけ話して戻ることにしよう。
「すまない、邪魔だったか?」
そう言って、ベリルの腕を抱えるように捕まえていたジルに一瞬視線をやると、ベリルが憤慨するように少し強く言う。
「邪魔じゃない。それにこれはジルが勝手に……」
「え!? ベリル様…!」
そう最後の方は弁明するように口の中で言って、ジルの腕を振り払うようにして離させている。
……ベリル、もうちょっと女性には優しくしろよ。
私もジルを時々避けるが、ここまであからさまに邪険にはしないぞ。
ショックを受けているらしいジルの手を取り、ベンチから軽く立たせるようにする。
「……アレクさま?」
腰を落として少し屈みながら、怪訝そうにしているジルの手の甲にキスを落としてやる。
これぐらいなら挨拶の範囲内だろう。
「せっかくの楽しい時間を邪魔してしまってすまないね。少しベリルを貸してくれるかい? 君が一緒だとベリルも照れてしまうようだ」
そう言って、キスを落としたジルの手の甲に唇を近づけ息を少し当てながら聞いてみる。
「アレクさま……っ!」
予想通りジルは耳まで真っ赤になって瞳を潤ませている。
「アレク……」
こんな私の姿を見たことがないのか、ベリルが呆然としたように私を見ている。
なんだ、女性を丁寧に扱うなんて男なら当然だぞ。
特に王族は、他国の女性高位貴族や女性の王族とも挨拶する機会もあるんだし、相手を不快にさせない社交辞令なら条件反射でできるぞ。
それこそ脊椎反射レベルで。
まあ、疲れるから普段は余りやらないけどね。
必要ならいくらでもできるさ。
すっかり機嫌が良くなったらしいジルが、私の方をちらちらと見ながら一礼して少し離れる。
さてと。
くるりと振り返ると、なぜかそこにはものすごく落ち込んでいるらしいベリルがいた。
ん? 女性を邪険に扱ってしまったことを今更ながら後悔しているのか?
「やっぱり……女性の方がいいよね。サンドラだって……」
「サンドラがどうしたって? 妹だしサンドラと仲良くしないまでもせめて話くらいは聞いてやって欲しいがそれだけだ。それにジルのことは別に女性だからって訳じゃないぞ、ベリルと話したいから彼女には離れてもらっただけだし。私にとってはベリルの方が大事だからな」
そう言うと、ベリルが私の言葉に弾かれたようにして顔を上げる。
「……僕の方が大事…?」
「もちろん」
「―――でも、僕はアレクにひどいことを……こんなのとても許されない」
そう言ってもう一度居たたまれない様子を俯いてしまうベリル。
「私はベリルにひどいことをされたと思っていないし、誰が許さなくたって私が許すよ。それに私だって怒られるのは同じだ」
ナニーは確かに
「アレク様の許可が出る前に部屋に入るなんて! それに約束の時間よりもこんなに早くいらっしゃるなんて!」
とベリルに対して怒っていたけれど、私も裸で部屋の中をうろつきまわっていたことを吐かされて、盛大に怒られたのだ。
「……僕と同じだって?」
「ああ、そうだよ」
まだ不安そうなベリルを安心させる為に、ベンチに腰かけて同じ目線の高さになって、ベリルの震える手を片方取りながら聞く。
「ジルもデビュタントに参加すると思うけれど、ベリルは彼女をエスコートするの?」
「いや……声を掛けられたが、さっき断ったところだ」
家格の低い女性から公爵子息であるベリルへ、エスコートの依頼をするのもマナー的にどうかと思うが、女性からの決死の覚悟の誘いを断るベリルもよっぽどだぞ。
まあその方が私にとっては好都合だけど。
「そう、じゃあベリルは今の所ベリルは誰もエスコートをする予定はないんだね?」
「そうだけど、……なんでそんなこと聞くんだ?」
「ベリルを独り占めできるな、と思ってね」
そう言ってにっこり笑ってみせると、ベリルが信じられないものを見るように私を見て、感極まったように瞳を少し潤ませている。
「……アレク…」
ベリルが少し掠れたような声で私の名を呼び、自由になっている方の腕を伸ばしてくる。
「……にゃ、にゃ~~~!!」
なんだかしゃがれたような猫の鳴き声が響き、ベンチの横の植込みががさがさと鳴る。
その音に我に返ったようにはっとして、ベリルが私の方に伸ばしかけていた手を引っ込めた。
それと同時に、ここがどこだか思い出したように顔を赤らめながら手を外そうとしてくる。
「ア……、アレク、ちょっと手を離してくれるか? 自制が効かなくなりそうだ。ちょっと頭を冷やしてくる」
「? ああ」
なんの自制だろう、トイレか?
足早にこの場を離れようとするベリルを引き留めて、軽く抱きしめながら耳元で言う。
ベリルはこのところ様子が少し変だし、何か悩み事があるのかもしれない。
私もお願い事があるから、その時に一緒に聞いてみるか。
「今度落ち着いて話がしたいから、王宮に来てくれるか? 日時は改めて連絡するから」
「わかった―――」
ベリルは一瞬硬直したように体を固くして、よろよろと裏庭から去って行った。
最後少し引き留めてしまったけれど大丈夫かな、トイレ間に合うといいけど。
そんなことを考えていたら、ちょうどさっき猫の鳴き声がした植込みにジルが蹲っているのが見えた。
「……な、なんで、どういうこと! これって超深刻なバグかなんかじゃない!? 何がバグの原因??」
ちらっと見えた顔色は真っ青だ。
やっぱり具合が悪かったらしい。
話しかけようとして踏みとどまる。
男爵とはいえ令嬢と呼ばれる者が人目に付かないように植込みの中にしゃがみこんでいる、といえばしていることは一つだ。
ここはマナーとして、気付かなかったふりをして立ち去るべきだな。