パンドラの箱[ベリル視点]
「シリウスすまなかったね、ありがとう」
そうシリウスに礼を言って、アレクを抱え直して休める所に移動しようとしたところ、シリウスが焦ったように声をかけてきた。
「アレクはどうかしたのか!? もしかして具合でも……」
「いや、少し眠っているだけだから大丈夫だよ」
もしかしたら病気か怪我かどちらかしているかもしれないが、今は普通に寝ているだけだろう。
とりあえずベッドのある保健室に行くことにする。
もし本当に病気等の場合は医者が側にいたほうがいいだろう。
「ベリル大変だろう、俺が代わるよ」
シリウスがそう言ってアレクを僕の代わりに抱えようと手を伸ばしてくる。
きっと最初の僕と同様、同年代の男子を抱えあげるのは大変だという気遣いだろうけれど、この重さなら全く問題ない。
「いいよ、大丈夫だから」
「そんな訳あるか、途中で腕が痺れて落としたりしたら大変だろう」
シリウスはそう言って、半ば強引に僕からアレクを奪っていってしまった。
「……え!?」
アレクを腕に抱いて、シリウスもアレクの軽さに気づいたらしい。
どういうことかと問うような視線を感じるが、僕だって判らない。
でもアレクのことなら何でも知っているつもりの僕が『知らない』と答えるのは癪だ。
「どうした、何か問題でも?」
何でもないことのように言ってやるとそれ以上は聞けないようで、不思議そうにしながらも追及されることはなかった。
保健室に着くと、常駐の先生に断ってとりあえずベッドにアレクを寝かせてもらうことにする。
保健室には先生以外に人はいなかった。
カーテンで仕切られたベッドに、まるで壊れ物を扱うようにそっと、シリウスがアレクを寝かせる。
「……~ん……う…ん」
アレクはまだ寝たままだけれど、ベンチよりもベッドの方が寝心地が良いようで、まだ寝ながらもそもそとちょうど良い場所を探している。
まるで猫のようだ。
きっちりと止めた袖口が邪魔そうで、外してあげることににする。
もしも本当に具合が悪いなら、少しでもゆったり休める方がいいだろう。
僕がアレクの片腕のカフスを外すのを見て、シリウスが黙ったままもう片方のカフスを外してくれる。
一見真っ白に見えるカフスだが、光の反射で虹色に光る胡蝶貝で出来ている繊細な物だ。
カフスを受け取り、無くさないようにベッド脇に纏めて置いていると、シリウスがアレクの緩くなった袖口を少しまくり上げ、手首を握って何か確かめている。
脈でも計っているのかな。
そうしている間に、アレクが髪を後ろで一つに結んでいた細いリボンが解けてしまった。
枕に当たるから邪魔だろうと思い、解けたリボンもベッドの脇に置いておくことにする。
シリウスはさっきまでアレクの腕を握っていた自分の手をじっと見つめている。
アレクは大分髪が伸びたようだ。
今は肩につくくらいか。
その少し明るいアレクの金色に輝く髪が窓から入り込んだ風に乗って、幸せそうに眠っているその頬にかかっているのが目に入る。
くすぐったそうだな、と思いその柔らかそうな頬に指を伸ばして払おうとした時、横から出てきた腕に阻まれる。
「……シリウス?」
横を見ると、シリウスが一瞬はっとしてどこか戸惑うように、強く掴んできた僕の手を離す。
「いや……なんでもない」
変な奴だな。
頬にかかった金の髪を、アレクの柔らかな頬に指を滑らせながら払うようにしてやると、さっきと同様にアレクが気持ちよさそうに少しほっとしたような表情になる。
ぴっちりと首元まで止めた襟元も少し緩めておいた方がいいだろう。
アレクのトレードマークである青い細いタイに手をかけると、隣でシリウスがなぜか凍りついたようにこちらを凝視しているのに気付く。
タイに指をかけたまま少し考える。
さっきアレクを抱き上げた時、シャツの下に何か着こんでいる感じがした。
もしかしたらギブスか何かかもしれない。
シリウスは仲が良いとはいえ、隣国の人間だ。
もしアレクが本当に怪我か何かを負っていて、その治療中だということが隣国にばれると良くないかもしれない。
『非の打ちどころの無い王太子』であるアレクにもし弱味があるとしたら、それを知っている人間は少ない方がいい。
「シリウス、今日はありがとう助かったよ。もう戻っていいよ」
「……しかし…」
やはりシリウスも気になっているようだ。
でも。
「もう、戻ってくれないか?」
シリウスからアレクを隠すように目の前に立ち、少し目と声に力を込めて言う。
これで判るだろう?
「……わかった」
しぶしぶ、というようにカーテンを開けて、保健室のドアの向こう側に行くのが判る。
遠ざかる足音が聞こえないので念のため神経を研ぎ澄ますと、保健室のドアのすぐ傍にまだいるのが判る。
少し不思議に思う。
シリウスはどちらかというとアレクと深く関わるのを避けている節があったのに、なぜそんなに気にするのだろう。
そんなことを考えながら、改めてアレクのネクタイを外す。
人のボタンって外しにくいな、と思いながら一つ二つ外していくと、突然視界に飛び込んできた華奢な鎖骨にはっとする。
すっかり油断していた。
そんな場合じゃないはずなのに、さっきの熱がぶり返して来て頭がのぼせ上がったようになる。
華奢で真っ白な首筋。
シャツの襟元を掴んだ手に震えが走る。
そういえば、アレクの首元って今まで見たことがない。
それこそ片手で掴めそうだ。
ボタンを一つ二つ外しただけなのに、そこから溢れてくる匂い立つような何かに吸い寄せられそうになる。
頭の中で葛藤が始まる。
何をやっているんだ僕は!
何って、別におかしいことじゃないだろう男同士なんだから。
単なるコミュニケーションだよ。
もしアレクが起きたらどうするんだ。
どうもしないさ、そもそも保健室でずっと寝てるわけにいかないんだから起こしてやればいい。
でも……!
アレクのことが心配ならちゃんと確認しないと。
そう…そうだよね……、別に変なことじゃない―――。
少し楽になったのかアレクが軽く首を捻って枕に頬を擦りつける。
そのせいで更にあらわになった首筋に指を這わせる。
喉がからからになって、アレクに触れた指先から燃え上がりそうだ。
少しだけ、少しだけと自分に言い聞かせていると、僕の熱くなった指先が気持ちいいのか、寝ぼけたアレクに首の下に敷き込むようにされてしまう。
苦笑しつつも、そのまま首を下から支えるようにして少し持ち上げる。
開いた片手でもう一つボタンを外すと真っ白な首と胸元までが少しあらわになり、胸から下は予想していた通り、体を覆うギブスのようなものが覗いた。
見慣れない形状に戸惑う。
女性のつけるコルセットにも少し似ているが、あれは腰を絞り胸を持ち上げるものだ。
それなのにこれは逆に胸を押し潰しているようにも見える。
見るからに窮屈そうなそれも外してしまったほうがいいのかと悩んでいると、アレクが覚醒し始めるのが分かった。
慌てて首下から手を抜き取り、開いていたボタンも止めたところでアレクが目を開いた。
「……あれ? ここは…、ああ、ベリルが連れてきてくれたのか、ありがとう」
少し周りを見渡して、屈託なく笑って言われる様子に、なんだか居たたまれなくなる。
悪いことをしているわけじゃない、と自分に言い聞かせながらも、あの垣間見えた物について聞くことが出来ない。
こちらからそれに触れるのはタブーな気がしてならない。
「どういたしまして、……アレク、何か僕に相談事はない?」
「……え? ああ…、実は―――」
そこまで口にして、部屋に先生が居ることに気づいたのか口をつぐむアレク。
「ベリル、その話はまた今度」
保健室のドアを開けると、まだシリウスがそこに立って僕たちを待っていた。
アレクのきちんと着こなされたままの服を見て、どこかほっとしたようにしている。
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抱き上げたアレクの体の軽さを思い返すと、胸騒ぎしかしない。
……間違っても恋煩いとかじゃないはずだ。
うん。
そうだ、僕はアレクの体調を心配しているだけなんだ。
アレクに学園で聞いてみても周囲を気にしてか「体調は悪くない」としか答えてくれないので、これは周りに人がいない時に直接確認しに行くしかない。
最近王宮には行っていないけれども、もしサンドラの暗躍のせいでアレクの立場が不利になっていたりするならば、即刻国王へ進言してサンドラを王宮から放逐してもらわないと。
よく考えると、サンドラが来てからアレクを見かける確率が減ったんだ。
サンドラめ、あの毒虫が。
アレクを守る為にも、絶対に尻尾を捕まえてやる。
とても学園が休みの日まで待っていられず、授業が終わり次第すぐに王宮に向かうことにする。
少し遅い時間帯になってしまうかもしれないが、先触れは出しておいたので大丈夫だろう。
晩餐後のお茶を一緒に、ということにしておこう。
アレクが体調を崩しているかもしれないというのは、僕が真っ先に気づかなければならないことだったんだ。
アレクを避けていてもしょうがない。
僕が守ってあげないと。
案内は断って、勝手知ったる王宮内のアレクの部屋まで一人で行く。
伝えておいた時間よりは少し早いが構わないだろう。
いつもはアレク付きの侍女が無理やりついてくるのだが、今日は別の用事があるのか見当たらないのでちょうどいい。
もしかしたら侍女の中にもサンドラに取り込まれてしまっている者もいるかもしれないからな。
廊下の角を曲がると、サンドラの後ろ姿が見えたのでとっさに隠れて様子を伺うことにする。
なぜかアレク付きの侍女を伴い、サンドラがアレクの部屋へ入っていく。
どういうことだ?
侍女は部屋からすぐに出てきて僕がいるのとは反対側へ去って行ったので、見つかることはなかった。
そのままサンドラが出てくるまでしばらく待つことにする。
10分ほど待っただろうか。
就寝の挨拶にしても遅すぎる。
大分夜半になってきた。
いくら異母兄妹とはいえ、女性が男性の部屋を訪れるには遅すぎる時刻だ。
嫌な予感がする。
もしかして……。
耐えきれず、アレクの部屋のドアをノックする。
「……どうした? ナニーか?」
「僕だよ、ベリルだ。アレク、部屋の中に入ってもいいか?」
そう告げると、ドアの向こうからバタバタと焦ったような音が聞こえてくる。
「……入るよ」
「ま…っ!」
失礼は百も承知だが、確かめないと。
ドアを開けると、ちょうどドアを押さえようとしたのか目の前にアレクがいた。
「ベリル……早かったね」
時間的に晩餐の後で、僕が尋ねることは知っていたはずだから晩餐服のままのはずなのに、この間のお茶会の後とは比べ物にならないくらい、着崩した洋服。
まるで脱いでいた服を慌てて着たみたいだ。
かろうじてシャツを着ているが、胸元を隠すように腕で押さえている。
「ごめん、もうちょっと待って―――」
「失礼する」
言い募ろうとするアレクを制して、部屋の中に勝手に入る。
サンドラはどこだ。
来客用の居間にはいないようなので、寝室か。
「ベリル!」
背後から僕を制止しようとするアレクの声が響くが、大股で部屋を横切り、そのまま奥の寝室のドアを開け放つ。
「…!」
目に入ったのは、床に落とされたさっきまでサンドラが着ていたドレスと、カーテンが引かれたベッド。
そんな…まさか……!
半分想像していたとはいえ目に映る物が信じられない。
あの売女が。
アレクにまで取り入って一体何を狙っているんだ。
サンドラが今どんな格好だろうと構うものか。
怒鳴りつけてやろうと、カーテンに手をかける。