2 ちぐはぐコンビ
2 ちぐはぐコンビ
井居忍とは。
自毛だという赤い髪が目立つクラスメイト。
サボリ魔。
無口で、話せば口が悪い。
一匹狼。
悪魔の分家――らしい。
「大丈夫なのですよ大丈夫なのです……それはともかく遅いのですよ」
ヒーローアンジュの格好をしたあんずは、自転車置き場の上で待ち合わせている忍を待っていた。
正直怖いのだ。ヤンキーのような忍のことが。
「悪魔だって不良は怖いのですよ……」
「なーに独り言言ってんの?」
「ひょうわ?!」
振り向いて、固まった。
赤い髪は、真っ黒い長髪でポニーテールにされていた。服装は黒い羽織と袴。完璧な和服で、細長いハンマーのようなものを背負い、脇には木刀を持っている。
「どーんな声だよ。どう、似合う?」
「井伊くん……和服、好きなのですか?」
「超好き」
あと苗字じゃなくて名前でいいからと言われて「忍くん」と呼んでみる。
「後ろのハンマー? みたいなものは何ですか?」
「二刀流の代わり。これなら俺だってわかんないでしょ」
羽織を広げた忍は、心なしか目を輝かせているように見える。
意外な一面を見た気がして、はっと我に返る。
「あ、ほら行かなきゃ!」
「あー? ああ、どこ?」
「そこですよ! 自転車泥棒なのですよ!!」
いままさに、鍵のついたままの自転車を、辺りを気にしながら乗っていく男が見えた。
結果から言えば、逃げられた。
ヒーローアンジュとして初めての失敗だった。
自転車泥棒に放ったあんずのバズーカーは、走りかけでまだスピードの出ていなかった自転車泥棒の背後に迫っていた忍に当たった。
木に登って降りられなくなった猫は、忍が枝ごと切り落として降ろそうとしたのに驚いて、手を伸ばしたあんずの頭を踏んで逃げていった。
「いたっ」
ピコピコハンマーだったらしい、背中の細長いハンマーであんずを叩くこと数回。
身も心も疲れて二人ともぼろぼろで、とにかく一旦落ち着こうと変化を解いた。
「なんてーか、あんたと気が合わないことは分かった」
「ですね……」
同じ悪魔といえど、あんずは学校では優等生、忍はサボリ魔。
気が合うとは思えない。
「……」
「……」
「あ。」
これは私が謝るべきなのだろうかと、あんずは悩んでいた。
そんな気まずい沈黙を破ったのは忍だった。
「あれ、迷子」
忍の指さす先には、茜色に染まりつつある公園のブランコにぼんやりと座っている、小さな女の子がいた。
「やだ、かえらない」
小学校一年生だった、みはるという名前の女の子は家に帰りたくないと言った。
あんずがどう聞いても、帰らない理由も、苗字も教えてくれない。
「おうちはどこですか?」
「みはるに、おうちなんかないもん」
「えーっと、じゃあ、よく遊ぶのはどこですか?」
「みはる、教えないよ」
現代っ子おそるべし。しかし未来は明るいですね!
家はどこか、アタリを付けようとする質問には、みはるは決して答えない。
どうしたものか、とあんずは困ってしまった。何かして怒られたのかな、帰りづらいのかなと思ってから自分の家を思い出して、帰りたくない家もあるよね、とも思った。
大きく見える赤いランドセルを抱きかかえて、ついには何も話さなくなってしまったみはる。
あんずがあれこれなだめてみるが、俯いた顔をあげようとしない。
見つけておいて、ずっと見ているだけだった忍が、みはると目線を合わせるように膝をついた。
「ちびっこ。飴、喰う?」
「……なんの味?」
「ミルク味」
「……たべる」
みはるの小さな手に、袋から出したミルク飴を乗せてやる。恐る恐るころんと口に頬張ると、みはるの顔がほころんだ。
「うまいか?」
「……おいしい」
「だろ? 俺も好きなんだ」
お前も食う?
好物が白いって、悪魔なのにすごい反抗心だなあと見ていたあんずにも、忍はミルク飴を差し出した。
同じようにほころぶ忍の顔を見て、ああ本当に好きなんだとあんずは思った。
受け取って食べたミルク飴は、優しい甘さであんずの頬もほころんだ。
心をほどくみたいだと、そんなことを思った。
「たぶんここら辺だろーと思うけど」
泣き疲れて眠ってしまったみはるを抱っこした忍と、ランドセルを抱えたあんずはだいぶん暗くなってしまった道を歩いていた。
――おとうさんとおかあさんが、りこんするんだって。
――みはるに、どっちがいい? ってきくから、いや。
――どっちも、えらべないのに。
――だってみはるがえらんだら、どっちかがかなしいでしょ?
ミルク飴を食べ終えたみはるは、そういってぽろぽろ泣いた。
離婚が決まった両親に、どちらについて行きたいか聞かれたらしい。
みはるは両方すきだから選べないのに、両親は選べないといったみはるを叱ったのだといった。好きな方を選びなさいと言われて、両方好きだから決められない、両親のことが大好きなだけのみはるを怒ったのだという。
「わかんないでもないけどねー。でもま、ちっさくても何が起きてるかくらい分かるって」
コドモだからわかんないってのは、馬鹿な大人の勘違いだよ。
「赤ん坊だって、悪意向けられたら分かるっての」
「動物も自分を嫌ってるひとには近づかないんだよね」
「そー、赤ん坊だって一緒。近づいたら殺されるかもしんないじゃん」
よいしょ、と小さな身体を抱え直す忍は、みはるの話をじっと聞いていた。
あんずはすぐ話を切り上げると思っていたから意外だった。
あっちこっちに逸れるみはるの言葉に耳を傾けて、最後まで聞いて、一言だけ。
『おちびは、何にも悪くない』
それだけ言って、抱き上げた。
送ってってやるから、しんどくなったらいつでも呼びなと言って。
つかえが取れたように、わんわんと泣いたみはるは泣き疲れて眠ってしまったが、ランドセルの迷子札から住所を見て、家を探している真っ最中なのだ。
「小さい子、好きなの?」
もう変化を解いているあんずが聞いてみる。
赤い髪が街灯に照らされて、忍と目が合う。
わらうのとは違う、少しだけ目を柔らかくして忍は言った。
「んー、まあ嫌いじゃないけどさ。俺んとこも離婚してるから」
「え?」
いまどき珍しくもないだろ、と何でもないことのように話し始めた。
「井居、ってのは母親の旧姓。離婚したのは俺が三歳くらいで、兄貴が十歳だったかな。悠って兄貴がいるんだよ。なんかさー、ちょっとした宗教みたいなさ。そういうのに父親がどっぷりはまってたらしくてね。しかも家ぐるみ。これは異常だって気付いた母さんが、俺らを連れて離婚したんだって。相当もめたらしいけど、母さんと子供ふたりの親子三人暮らしってのも、悪くなかったよ。いまは兄さんも仕事について、去年二十歳で結婚してさ。母さんも少し楽になったんじゃないかなーって思うし」
「聞いても、いい?」
「いーよ。そんなに気ぃ遣わなくても、俺らにしたらこれが家族なんだからさ」
あっさりと言い切って、忍はわらった。
「お父さんのこと、おぼえてる?」
「相当おぼろげにしかおぼえてないねー。それで不便だったこともないし? 親がいなくても子供は育つし、俺らの母さんは珍しくいい大人だと思うしさ。片親がどうこうって、偉い人とか専門家とかが知ったかぶりで分かったよーな顔して言うの見てるとさ、すげー腹立つ。まー、だからって俺が優等生だとは言わないけどね」
大人が言う「イイコ」って、結局大人に都合のいい子供かってことだしさあ。
「あ、兄貴は優秀だったよ。いまも会社でばりばりの営業マン。人懐っこいんだよ」
自分のことを話してくれた忍が、どういうつもりだったのかは分からない。
そもそも誰かのことを全部分かることなんて出来やしない。
想像するだけ、分かろうとすること、自分だったらと考えてみるしか出来ない。
あんずがもし、自分のことを話すなら。きっと、とても勇気が必要だ。
いつでも、世界を小馬鹿にしたような忍のことを、少しだけ知られたような気がして、あんずは嬉しかった。話す相手に自分を選んでくれたことも、嬉しかった。
そっか、とランドセルを抱え直すあんずに、忍が聞いた。
「ところで、なんであんたヒーローなんかやってんの?」
何のためさ?
あんずはすぐには答えられなくて、そっと苦笑いをした。
「……罪滅ぼし、かも」
「は?」
美晴! と叫ぶ声に、二人はヒーローの姿になって、駆け寄る人影に声をかけた。
「みはるちゃんのお母さんですか?」
「ええ、あなたはヒーローアンジュ! この子一体どこに……?」
「犬に追いかけられて、知らない道に入り込んでしまったんですよ」
忍がさらさらと嘘を並べる。
眠ったままの美晴を母親に渡して、あんずと忍が立ち去ろうとすると、目を覚ましたらしい美晴が「お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼んだ。
「ありがとう」
どういたしまして! とあんずが答えて、忍は手を振って夜道へと消えていく。
あ、不幸ボム使わなかった。
でも、美晴の両親にバズーカ砲を撃ったところで何も変わらない。離婚がどうこうなるわけでも、ましてなくなるわけでもない。あんずは、倒すべき敵のいない、加害者のいない、悲しむひとがいるだけの事態に、ヒーローとしてどうするべきなのか、考えてしまうのだった。
「気が合わなくても、やり方でどうにでもなるはずだろ」
忍が作戦会議を開いたのはその翌日だった。
反省を踏まえて前回までの事件を振り返るが、だってその方が手っ取り早いだろと忍が言えば、スピード重視の事件と、慎重さが必要な事件と両方あるでしょうとあんずも言い返す。ああだこうだ、ああでもないこうでもないと言い合って、肩で息をしていると、忍が腕を組んで呟いた。
「……俺は木刀でさっさと犯人ぶっとばしたいんだけど。それに向いてんのはあんただと思う」
「……バズーカの前、うろちょろされると、その、ごめんちょっと邪魔かもです」
「邪魔かー、ちぇ。じゃー俺はあんたのサポートかな。被害者がいるときはそいつらの保護で木刀振るうことにするかな」
「じゃあ、悪意を察知して――」
「あ、そーだ。俺が察知すんの困った人の声だから」
困らせられるやつの悲しむ心は、相手を憎んだり憎んだり、復讐を企む悪意に変わるだろ?
忍が、自分が察知するのはそういう類の悪意だと聞いて、あんずは分家だと察知する声の種類も違うのかと驚いた。
あんずが察知するのは悪巧みや、加害者が悪事を企む心の声だと聞いた忍はつまらなさそうに頷いた。
どっちも変わらない気がするけどね、と。
そして実戦はあんず、忍は主に頭脳担当で実戦のサポートと話がついた。
「ヒーローアンジュ! 方向は?」
「直進です!」
「んじゃそこ左に行って先回り、俺も追いつくから」
「おっけいです」
二人組のひったくり犯の悪巧みを察知したあんずと忍は、アンジュとサムライの姿に変化して駆けつけた。ヒーローサムライはあんず命名だ。呼び名がないのは勝手が悪いという理由だった。
「キヤサ・サノ・マクア」
あんずは先回りした路上で、バズーカ砲を構えて犯人の乗る原付バイクを待ち伏せる。
フルフェイスのヘルメットをかぶった、二人乗りの原付バイクが現れると同時に撃つ!
放たれた煙のようなものが原付バイクごとひったくり犯を包み、運悪く飛んできたチラシがヘルメットに張り付いて、視界を奪われ倒れこむ。怪我もない。
鞄を取り返したあんずが仕事帰りのお姉さんに返しに行こうとすると、背後でひったくり犯が立ち上がっていた。
振り向いた時にはポケットから取り出したナイフがあんずに向けられていた。
「ったく。ひったくりとか、ちゃちなことしてんなっての」
すぱんと小気味よい音と呆れた声がして、ひったくり犯が倒れる。
「ありがとうなのです、ヒーローサムライ?」
「それどうなの? ヒーローアンジュ」
ぺこっと気の抜けるような音で、忍があんずをピコピコハンマーでこづいた。
目が合って、にっとわらう。
お疲れさま、とどちらからともなく拳をコツンと合わせた。
二人で初めての事件解決だった。
☆
「今日はね、不幸ボムのバズーカを使わないこともあったのよ」
いつも通り、眠る前の城咲との会話の中であんずは言った。
「犯人がいない、悪い相手がいない――悪意のないことで、誰かが悲しむこともあるのね」
「幸せも、不幸せも、それぞれ違うものですからね」
かごの中で城咲が羽繕いをしている。
「ねえ城咲、それならヒーローって誰のためなのかな」
正義の味方は、悪の一味を倒す。だから助けない。
悪の一味は正義の味方を攻撃して、助けようなんて思わない。
犯人を捕まえるなら、犯人は誰にも助けてもらえないのだろうか。
悪意のないことで誰かが悲しんだら、わざとじゃなくても、犯人になる?
「ヒーローって、何のためなのかな」
私は誰のために、何をすればいいのかな。
どうすれば、助けたことになるのかな。
「お嬢さま、それはきっと、お嬢さまの心次第ではないでしょうか」
「こころ?」
「助ける相手を選べば、助けない相手も自然と現れます。選べば、選ばないものが生まれます。お嬢さまはその、助けなかったほう、選ばなかったほうの気持ちを考えてしまう、優しいお方。考えないほうが、きっと楽なのに、思いを馳せてしまう。……そんなお嬢さまだから、たどり着く答えがあると、ボクは思います。お嬢さまは正義のヒーローでも、悪の一味やダークヒーローでもない、ヒーローアンジュですから」
心優しい、ヒーローアンジュです、と城咲が言うが、あんずは何も答えない。
「お嬢さま、何か迷いや悩みのあるときは、目の前のことに全力で取り組まれるとよろしいかと思います。学校の勉強や、まずは目の前で困っている誰かに手を差し伸べること。考え事は尽きないと思いますが、尽きないのなら脇に置いて、ひとつひとつを、思い切りやってみてはいかがでしょう?」
「……城咲」
「はい、お嬢さま?」
「ありがとう。おやすみなさい」
あんずの小さな声に、城咲はいつも通り、優しい、柔らかい声で「おやすみなさい」と返事をした。
悩みが片付いたわけではないけれど、城咲の声が優しくて、まずは眠ろうと思ったあんずだった。
明日もきっと、忙しい一日が待っているから。




