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1 ヒーローアンジュの正体

 

1 ヒーローアンジュの正体


「桐野≪きりの≫のおばあちゃん、だめなのですよ!」

 とある駅の片隅で、おばあさんが若い男に風呂敷包みを手渡した瞬間に、澄んだ鈴のような声が響いた。

「その男は、おばあちゃんの孫の知り合いでも何でもないのです!」

「え?」

 オレンジがかった金色の髪に、白いレースのリボンをなびかせた少女がビルの上から指をさす。真っ白い、ふわふわのワンピースに、白いリボンの編み上げブーツと可愛らしい装いだけれど、腰に手を当てる立ち姿は勇ましい。

「オレオレ詐欺の、金の受け取り役。いわゆる受け子です!」

 綺麗な蜜色の目で男を睨みつける少女に、おばあさんが戸惑うと、男が鞄をひったくって駆け出した。

 突き飛ばされたおばあさんがよろめいて転びそうになる。――アスファルトに身体が叩きつけられてしまう!

「大丈夫ですか?」

 真っ白い少女が間一髪でおばあさんを抱きとめる。

「ここで、少し待っていてくださいね」

 まあるい目で柔らかく微笑んで、見通しのいい場所まで駆ける。男は慌てるあまりにすれ違う人や電柱やらにぶつかって、その度に後ろを振り返りながら逃げようとしている。

「――キヤサ・サノマ・クア」

 瞬き一つのうちに現れたのは、美しい装飾の施された、白銀に輝くバズーカ砲。

 少女が片手を強く握ると、ぶわっと黒い煙が吹き出した。握りつぶしたそれをバズーカ砲に詰めて、少女が放つ!

「うわあっ?!」

 煙のようなものが男に命中する。

 悲鳴を上げて咳き込む男はよろめいて、工事中の固まっていないコンクリートに足を突っ込んだ。身動きが取れなくなって悪態をつくも、どうにもならない。

 運の悪いことですね、と真っ白い少女が鞄を男の手から取り返せば、その拍子に尻餅をついて、完全に動けなくなった。怒り狂っているけれど、パトカーのサイレンが近づいているので、逮捕されるのは時間の問題だろう。

 不意につまづいて、少女が転ぶ。

 特に何もない場所で。

 いたた、と膝をさすって立ち上がると、呆然としたままのおばあさんに駆け寄って鞄を渡す。

「でも、電話で、孫の名前も生年月日も、仲のいいお友達の名前まで答えたのよ?」

「最近はしっかり調べをつけてから詐欺を働くことが多いのです。現金を持ってくるように言ったりするのは、宅急便屋さんも警戒するようになったからですね。お金も、おばあちゃんも無事で良かったのです」

「ああ……あの子が会社のお金をどうこうしないと、分かっていたのに」

「動揺するのも仕方ないのですよ。ゆっくり休んで、あまり自分を責めないでください」

 真っ白い少女は、とても優しく微笑んで、おばあさんの肩を抱いていた手を離した。

「じゃあ失礼しますね、桐野のおばあちゃん!」

 にこっとわらって、あっという間に去っていく。

「あの……」

 名前を聞こうと伸ばした手は届かず、座り込んだままのおばあさんに、高校生くらいの少年と少女が手を差し伸べた。

「大丈夫ですか?」

「ああ、平気よ。ごめんなさいね」

 警察がもうすぐ来るからと近くのベンチへと手を引かれる。

「格好良かったね、初めて直接見ちゃった!」

「あなたたちは、あの子を知っているの?」

 おばあさんに、興奮気味の少女と少年が答えた。

「あの子は巷で人気のヒーローですよ!」

「名前はわからないけど、みんなこう呼んでる――ヒーローアンジュ、って」


 ★


「あー、献血したい」


 安久沢あくざわあんずは机に突っ伏して呟いた。

 二つに結わえられた黒い髪は、光が当たると薄ら茶色がかっている。

「十六の誕生日が来たらその日の朝一で献血センターに行きたい。いや、献血車もいいな……その日はどこに何時からいるのかを事前に調べておいて、むしろ私が献血車を出待ちするのも素敵ね」

 献血センターの前で開くのを待つという手もあるのか、どちらも捨てがたい。

 真剣な声は一転、すねたような口調に変わる。

「あーあ、電車の中でおじいちゃんおばあちゃんに席譲ったり、クリスマスとかに覆面かぶって児童養護施設にランドセルとかお菓子とか持ってったり、迷子センターに子供連れて行ったり、学校で皆勤賞とったりしたいなあ。――ほんと、出来るのにやらないなら代わってほしいよ」

 献血だって体調が悪かったり薬飲んでたら出来ないんだよ、と突っ伏したままのくぐもった声がぼやく。

 テレビでニュースを読み上げるアナウンサーは淡々と世界や国内で起きたことを伝えている。

「あーもう馬鹿なの?!」

 ばっと顔を上げたあんずがテレビに向かってまくし立てる。

 膝や手の甲に貼られた絆創膏はまだ真新しい。

「もー! これみんな悪魔なの? ノルマがあるの? 人殺しも強盗も戦争もいじめも、そんなことしたいなら私と代わってほしい。あっという間にノルマ達成出来るもの。スーパールーキー続出よ。……みんな、いいことできるのに、どうしてしないのよー! せっかく出来るのに!!」

「お嬢さま、お嬢さま! 声をお抑えください。誰が聞いているとも限りません」

 慌ててあんずの肩に降りてきたのはあんずとコンビを組んでいる相棒の白文鳥、城咲しろさきだ。真っ白い羽根であんずの口を覆う。体重二十五グラムの小さな身体では足りないけれど、真っ赤なくちばしと、自分を見つめるまあるい目と目が合って、あんずはいくらか落ち着きを取り戻した。

「だって……だってほら、今日もこんなのばかりだもの」

 痛ましそうに目を細めて、城咲があんずの髪を優しくつつく。

 くるくると変わる、あたたかい感情を宿す城咲の目は、あんずの心をいつも癒してくれる。

「先日も詐欺を未然に防いだではありませんか」

「……」

「携帯電話の履歴から詐欺グループが逮捕されたのでしょう?」

「でも、氷山の一角でしかないもの」

「それでも、お嬢さまが助けたことに変わりはありませんよ」

 怪我が軽かったからいいものの、と城咲が頬に貼られた絆創膏の端っこをそっとなでる。いつもあんずが怪我をすると、城咲が手当てをしてくれるのだ。

 黙り込むあんずも、詐欺グループの事の顛末は新聞の小さな記事を読んで知っていた。

 中学二年とは言え、毎日新聞に目を通すのは現代っ子の嗜みだと思っている。小学生の頃から意味は分からずとも、日課として毎日目を通している。

 だからこそ、悪いニュースが新聞に載りきらないほどあることも知っていた。

 そんなあんずをなだめるように、城咲が髪をそっとなでる。

「その前にも、いじめられっこを助けたではありませんか」

「あれは、……違うもの」

「違いませんよ。実際あの子供はいじめから救われたではありませんか。いじめっこをいじめられっこに、もしくはいじめっこグループの家族を、左遷等で転勤にして、物理的に関わることが不可能な状態にしたのは最善策と思われますが」

「だって、結局誰かが不幸になっているでしょう?」

「皆がわらって大団円、ハッピーエンドというほうが夢物語だと思いますよ」

「ああもう、だって後味悪いもの!」

「しいー! 声が大きゅうございます! 献血にいじめっ子の成敗に、迷子の保護に募金にボランティア。一番罫線の細い大学ノートに五冊、五冊ですよ? 場所をとらないように、見つからないようにと一番多く書けるノートを選びましたのに……やりたい良いことを書き溜めて、ノート五冊分。あのこともバレていないからいいものの、大きな声はお控えください」

 ――いいですか?

 城咲の鈴を転がすような柔らかな声でも、あんずの立場は変わらない。

「お嬢さまは、悪魔の跡取り娘なのですから」


 お金がぎっしり入った財布を拾ったときに、頭の片方で誰かが囁く。

『貰っちゃえば? 大丈夫、わかんないよ』

 すると、もう反対側で別の誰かが囁く。

『だめだめ、ちゃんと交番に届けないと!』 

 そのあとどうするかはさておき、囁いているのは漫画やアニメの中では天使と悪魔の姿で描かれていることが多い。黒いコスチュームで角の生えた悪魔と、白い服で頭に輪っかのついた天使とで。

 大昔、このやり取りは本当に行われていたのだ。

 大金を拾った人間の前に天使と悪魔が現れて、それぞれ自分の方へと来させようとした。

 あらゆる局面で、悪魔は惑わせ、天使は正しさを訴えた。

 だけれど時が進むにつれて、人間が増え、科学が発展して、物事はシンプルなのに複雑に見せることが多くなった。

 単純な善悪が、とても複雑になってしまった。

 困ったのは天使と悪魔だ。

 天使は人間を正しい道へ、悪魔は本能のままの道へ。導いた人間の良い心や欲が、彼らの仕える神さまや魔王さまのエネルギー源になり、存在やその能力を左右するので、死活問題だった。

 困った末に、天使と悪魔はそれぞれの役割を、人間に与えることにした。

 蛇の道は蛇。

 人間のことは人間に任せようと、憎みあう両者は同じ対策を取った。

 天使として人間をより良いものへ導くように選ばれた、天ケあまがし家。

 悪魔として人間を悪意と欲望で満たすよう命じられた、安久沢家。

 当主は代々、神と魔王の名を継いで、この現代にも二つの家は絶えることなく在り続けている。

 役割を与えられたのは相当に昔のことだが、二つの家は人間を善と悪、それぞれの道へ引き込もうと日夜ノルマをこなしている。彼らは外側も中身も人間だが、ほんの少しだけ、天使と悪魔のノルマをこなすために不思議な体質を持って生まれてくる。

 あんずはそんな悪魔の家系、安久沢家の跡取り娘であり、スーパールーキーなのだ。


 安久沢家の本家には、家訓が飾られている。

『悪行三昧。』

『堕落と怠惰に徹すべし。』

『反抗上等』

『黒色至上主義』

 つまりは寝坊や遅刻、ジャンクフードばかりの生活に、服装は派手であれということだ。

 しかし黒以外は着てはいけない、白色なんてもってのほかだ。

 何故かといえば、天使である天ケ市家の家訓がこちら。

『品行方正』

『正しく淑やかで在れ』

『早寝早起』

『白こそ最上』

 つまりは好き嫌いなく何でも食べて、大人しい良い子でありなさいということだ。

 着るものは何があっても黒だけは着てはいけない。服装は白を基調としたものを着るようにと、他の色を着てはいけないなんて誰も言わないのに、天ケ市家はみんな白づくめ。

 色素が薄いのも天ケ市家の特徴だ。

 日本人でも肌が白く、髪の色が生まれつき茶色がかっていることが多い。

 対して安久沢家は真っ黒い髪に真っ黒い目、肌が小麦色のものも多い。天ケ市家では髪を染めることは言うまでもなく禁じられているが、安久沢家ではまったく何も問題はない。が、金髪にしてしまうと天使のようだと嫌って、ほとんどは染めるよりも縦ロールのような巻き髪にしたり、ワックスでつんつんに髪を立てることが多い。

「毒々しいよ……」

 結わえた髪をほどけば、肩の辺りで光が当たるとこげ茶色の髪がさらりと揺れる。

 少し色素の薄い髪は、あんずは嫌いではないのだけれど。

「もう黒ばっかりは嫌。ほら、今だって黒のTシャツに黒いパーカー、黒のショートパンツに黒い靴下。髪も黒で、目も黒色。黒黒黒、真っ黒だもの。ぎりぎり紺色ならいいからって制服だってセーラー服一択だし、夏でも黒タイツなのよ? 部屋だって黒いものばかり。もっとピンクとか、水色とか、淡いオレンジとか……白とか。淡い色の服とか着たいのに」

「お嬢さま、黒は女性を美しく見せるといいますし……」

「そういう問題じゃないのー!」

 どうしたものかと苦笑いする城咲は白文鳥。

 真っ白い身体に、真っ赤なくちばしの美しい鳥だ。

 黒と対になるその色は天使を連想させるため、絶対に着てはいけない色とされている。悪魔は白色を嫌うものが多いので、言うまでもないことだが。そんな城咲を使い魔としてあんずが迎えられたのは、現当主であるあんずの祖母が使い魔の儀で連れてきたからだ。


 安久沢家の人間が十歳になると使い魔を決め、契約を結ぶ使い魔の儀が行われる。

 契約を結べば、意思の疎通が可能になり、会話が出来る。使い魔となった動物は、本来の寿命が消え、主である人間と命を共有する。つまりは主が死ぬまで死なないのだ。文鳥である城咲の寿命は平均八年前後。契約を結んだときは二歳だった。残りの寿命は約六年だったが、あんずはまだ十四歳なので、その十倍近くは生きることになるだろう。

 しかしきちんと食事や住む環境の世話をしないといけないので、いまでは契約を結ばないでいる者も多く、あんずの両親も面倒だと使い魔を持たない。けれど、あんずは使い魔と契約を結ぶことを選んだ。

 ほとんどは黒猫か、カラス、真っ黒いミニブタや、黒いうさぎ、変わったところで、あんずのいとこがこげ茶色のハムスターと契約を結んだ。

 黒猫でも、瞳がお月さまか、空色の子がいいなとあんずは思っていた。

 黒猫がいいなと思ったのは、ヨーロッパでは黒猫は幸運の使いだと言われて大切にされていることを本で読んだからだ。船乗りの奥さんは旦那さんの航海の無事を願って、黒猫を選んで飼い、大切にすると書かれていた。

 ――不吉なんかじゃないのに、不吉だって言われるのはかなしいよね。

 使い魔を何にするかは、あんずの祖母である現当主のゆづが決める。

『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』

 ゆづは使い魔の儀で、それだけ言って、あんずの手の中に城咲を下ろした。

 真っ白い雪のような身体に、血のように鮮やかな赤いくちばしと、まあるい目を囲む同じく真っ赤なアイリング。

 とても美しい生き物だと、見とれたのをおぼえている。

 小さな頃はよく遊んでもらったけれど、いまではあんずの両親が面倒だといってろくに会うこともできなくなった祖母はそれ以上何も言わなかった。 

 だから、祖母が何を思ったのかはわからないけれど、嬉しかった。

 その頃には「ヒーローアンジュ」としてあんずはもう活動を始めていた。隠し通そうと思っていたが、しょっちゅうすり傷や切り傷をこさえて帰ってくるあんずに、城咲が何をしているのか話してくれと詰め寄ったのだ。大した怪我ではないけれど、ほとんど毎日怪我をしてくるから――心配だと。

 ごまかしきれなくなったあんずが、契約を破棄されるどころか、大事になるからと言っても、城咲は引き下がらず、とうとうあんずが秘密を話すと、あっさり頷いた。

『怒ら、ないの?』

『いいことをしているひとが、主が、何故怒られる必要があるのですか?』

 それなら使い魔としてきちんとサポートさせていただきますと、応急処置を独学で学び始めたのだ。戦う術を持たない自分には、実戦のサポートは何もできないからと、応急処置に栄養学とあんずのサポートに全力を注ぐようになった。

 城咲はあんずの一番の理解者で、家族になった。

 黒い生き物と手を組むことが暗黙の了解とされているなかで、あんずの異例ともいえる使い魔に反発がないわけではなかった。だが、当主自らが手渡したのと、あんずの圧倒的なノルマ達成率に、誰も口出しはできなかった。

 あんずは安久沢家きってのスーパールーキーなのだ。


 悪行をたっぷりこなすため、安久沢家の人間には毎月不幸ボムが用意される。

 投げつけた相手に、忘れ物や落し物、転んだり、乗っていた電車や自転車が止まったり、ときどき振られたりという不運を見舞うものだ。効果は死にはしないもの、死に繋がらない程度の不運。

 不幸と言いながら、実際は不運でしかない。

 その不幸ボムを一ヶ月に二十個、人間に見舞うこと。

 それがノルマとして課されている。使えば使うだけ良いとされている。

 悪意は、悪魔の体質として、心の声として察知できる。

 安久沢家の人間は悪魔代行として、先祖代々伝わる体質を駆使して悪いことをし、人間を悪へ導く。

 悪意の察知と変化へんげの能力だ。絶世の美女や美青年に変身して、声も香りも思いのままに変えることができる。人間にはまずばれることはないが、同じ悪魔や天使には気づかれてしまうこともある。

 使った不幸ボムの数と、行った悪いことは「悪魔カウンター・ドクロちゃん」が記録している。

 メタリックブラックのドクロの形をしていて、目の中に数字が浮かぶようになっている。向かって左目が不幸ボム、右目が悪事の数だ。手のひらサイズの「ドクロちゃん」は、コンパクトになっていて、開けば察知した悪意の場所を示してくれる。悪魔の仕事をするのものなら肌身離さず持っているアイテムだ。「キヤサ・サノ・マクア」と唱えるだけだ。変化も不幸ボムも同じ呪文で手の中に現れる。


 あんずのノルマ達成率は二位以下を大きく引き離してトップを独走している。在庫が追いつかないくらい、使い切ってしまいたいのかというように、あんずは不幸ボムをあっという間に消費した。

 そんなあんずに面と向かって文句を言えるものはいなかった。

 使い魔がどうといったところで、当主に贔屓されていると、または疎ましがられているからそんな色を押し付けられたと言ったところで、誰ひとりあんずの半分もノルマを達成できないのだから。


 ふう、とぎりぎり許されている星空模様の藍色の布団に身体を倒す。

「お疲れですか? 何かお持ちしましょうか?」

「大丈夫よ、少し疲れただけ」

「ああ、今日はカツアゲから少女を助けられたのでしたね。お疲れ様でした」

「……ん」

「しかしお嬢さま、あまり世間に姿を知られすぎるのは、その、危険かと……」

「ん?」

「もしかしてご存知ないのですか?」

 ぱたぱたと城咲が引きずってきたのは一冊の雑誌だった。

『巷で人気のヒーローを知っているかい?』

 雑誌を突きつけた城咲は雑誌の隙間に潜り込んでページをめくる。

 その姿を微笑ましく思いながら、あんずは寝転んだまま雑誌を覗き込む。

『強盗をその身一つで蹴散らして、万引き犯を逃すことなく捕まえる。かと思えば、横断歩道の真ん中で立ち往生してしまったお年寄りを救い出したり、木から降りられなくなった猫を下ろしてやったり、迷子を家に連れて行ったり、いじめっ子グループを蹴散らしたり。心優しい彼女は、いつも困っている誰かのために全力を尽くしている』

『そう、彼女はヒーローガール』

『オレンジがかった金色の髪をふわりとなびかせて、真っ白いレースのワンピースのよく似合う女の子だ。人懐っこい蜜色の瞳で、にっこりと微笑む、とっても素敵な、ね』

 ふう、と城咲は写真を見て眦を下げる。

「ボクだって、お嬢さまを誇りに思います。ボクは安久沢家直系の使い魔の家系ではありません……むしろ、捨てられ」

「いいえ、城咲。あなたは捨てられてなんかない」

 あんずはそっと指に城咲を乗せると、首筋をカリカリとかいてやる。

「……まあ、そうだったのかもしれないけれど。だから出会えたのだとしたら。私はあなたの傷ごと好きになるって、決めたもの。だから、自分を卑下しないで。私は城咲のことが大好きなのよ」

 語りかけるように、詩のように綴られていた言葉は優しいものだった。

『世界中のひとを助けられるわけじゃないけれど、目の前で困っていれば誰であろうと助ける。』

『そんな彼女は正体どころか名前さえ分からない。一切が謎に包まれているんだよ。』

『誰が呼び始めたか、いつしか彼女に呼び名がついた。』

 真っ白いワンピース、オレンジがかった金の髪に、優しい微笑み。

 城咲しか知らない、あんずの秘密。

「私がヒーローをやっていても、いつも城咲は何も言わないでいて、誇りに思っているなんて言ってくれる。いつも支えてくれる。そんなあなたがいてくれることが、どれだけ救いになっていると思う? ひとりじゃないって、本当に、それだけで救われることなのよ」

「お嬢さま……」

 城咲は雑誌にちらりと目を落とす。

 オレンジがかった金色のふわふわの髪に白いレースのリボンを結わえて、優しい蜜色の瞳は月のようでも花のようでもある。ふんわりとした白いワンピースに、編上げの白いブーツ。白銀のバズーカ砲を抱えて町を駆ける、巷で人気の愛らしい微笑みのヒーロー。

 あんずの秘密。

 皮肉にも――ついた呼び名は、「ヒーローアンジュ」。 

 アンジュ――天使。

 悪魔のスーパールーキー、その圧倒的なノルマのからくりは簡単なことだった。

 察知した悪意は声として聞こえる。そうすればだいたい何をしようとしているか、何をしているのか見当がつく。あんずはその場所へ駆けつけて、その悪意をぶつけられているひとを救っていたのだ。不幸ボムは悪意を抱いたもの、悪事を働いたものへと使われていた。

 カツアゲをしている者は「たまたま」通りかかった警官に首根っこを掴まれ、いじめっこは「運の悪い」ことにいじめられっこに反転するか「偶然」第三者に見つかって大事に発展、万引き犯は「ついていない」ことに出口で転ぶ。――あんずの投げた不幸ボムによって。

「わがままだなあって、思うのよ。一人じゃきっと、抱えきれないと思う」

 誰かに不運を見舞うことを、あんずは未だに悩んでいる。

 どんな理由があれば、他人に不運を与えていいのか。

「あまり気を病まれすぎないでください。お嬢さまは確かに悲しむ者を救っております」

 ボクは知っております、と城咲の優しい声があんずの心を包み込む。

「相手に不運を見舞うのを最終手段にして、なるべく使わずに済ませようとされていること、それでも使う度にお嬢さまが心を痛めておられることも存じております。ボクの願うのは、ただ、お嬢さまのその優しさが、厳しさとなってご自分の心を切り裂かないように、傷つくことのないようにということです。」

 城咲がまあるい目であんずを見上げて覗き込む。

「傷を知って、痛みを知るお嬢さまだからこそ、救える人々がいるのです。見落としそうな悲しみも、お嬢さまだから見つけて掬い上げられること、ボクはずっとおそばで見ておりました。痛みも傷も、必ずお嬢さまの強みになります。……お嬢さまの口癖ではございませんか。『知らないよりは知っていたほうがいい』と」

 それでも、これ以上傷ついて欲しくないとボクは思うのです。

「ですから、正体が知られないように気をつけてほしいのです」

 城咲はそっと身体をすり寄せた。

「……ありがとう、城咲」

 被害者にしてみれば幸運でも、犯人にとっては不運。

 いじめられっ子にしてみれば幸運でも、左遷を受けた家族は不運。

 巡り巡る、幸運と不幸の連鎖。

 そもそも加害者と被害者だって簡単に入れ替わるよ、とはあんずの言葉だ。

「でも、大丈夫よ。ばれやしないわ」

「それは、ウィッグやカラーコンタクトなどのコスプレとは違い、お嬢さまは変化を使っておられますから、人間が見破ることは不可能です。本来は人間を惑わせる力の一つなのですから」

 けれど、悪魔同士なら変化を使っていれば察知します。

「……それでも、悪魔だもの。仲間を裏切るのが、悪魔。騙し騙されることなんて、ね、いまさらでしょう?」

 あんずがちいさく微笑むので、城咲は何も言えなかった。

 色は変わっても、優しい瞳は変わらないと思いながら、優しすぎる主に小さな身体をくっつけた。


「あんず!」

「はい」

「お前まだ学校行ってんの?」

「……はい」

「ううわ、マジ信じらんね。学校とか、さぼるものだろ。適当に目についたやつ無視したりすんならまだ分かるけど、それもやらねーし。五股くらいかけてみたらどうなの? お前地味だけどメイクでどうにだってなるんだから、そこら辺の男引っ掛けるくらいならできるだろ」

 黒い髪をくるくると巻き髪にしたあんずの母親が、にたりと嫌味に笑ってつやつやの唇にくっついたピザのソースを舐めとる。今日も黒いファーのついた、露出の多い派手な服を着ている。

 両親とあんずの三人の食卓に並ぶのはインスタントや宅配の食事ばかりだ。そういうものや冷凍食品が悪いとは言わないが、毎日宅配ピザやジャンクフードというのは、なかなか辛いものがあった。

 父親もやれやれと煙草の煙を吐き出して眉を寄せる。

「無遅刻無欠席らしいじゃねえか。え? おまけにてめえ頭もいいんだってな、運動神経も悪くないなんて、優等生気取りか? あ? 家に泥を塗るような真似はするんじゃねえぞ、分かってんのか。あ?」

 なるべく野菜のあるもの、消化の良さそうなものを選んで少しだけ口に運ぶ。

 悪魔的な、とても正しい両親なのだろうと思う。

 悪魔としては、とても正しい。

 砂を噛むような食事の時間は、あんずの大嫌いな時間だった。

「はい、すみません」

「え、勉強もやってるとかマジ意味わかんねー。バカ?」

 だよねー、と甘い声で母親が父親に視線を送る。

「そうだぞ。パパとママなんか無免許でそこらを走ったり、警察を出し抜いて家を抜け出したりな。よくやったもんだよ。え? まったくお前はつまらねえ奴だ」

 舌打ちされて、あんずは「ごちそうさま」と手を合わせた。

「そんなことすんなって言ってんだろ!」

「……はい、ごめんなさい」

「っとにわからねえやつだな、酒でも煙草でも男でもいいから、何か家のためにしてみようって気はねえのかよ。あ?」

「はい、すみません」

 くっだらねえやつ、と嘲笑う二人の声を背に食卓を離れた。

 これがあんずの日常だった。

 つまらない奴。

 くだらない奴。

 見ていていらつく奴。

 ずっと言い聞かされて育って、そうなのだろうとあんずは思った。

 城咲は否定してくれるけれど、違うのだとわかれば、分かってしまったらきっとこの家には居られなくなるのだろうと分かった。だから口をつぐんで謝るしかできなかった。

 城咲に会いたいな、とそれだけを思いながらお風呂をすませる。

 こっそり自分で食事を作ることもあったが、見つかると恐ろしいくらい怒られるので、いまでは部屋に買い置きしているカロリーメイトを城咲と食べるのが、あんずにとっての食事だった。

「お嬢さま! おかえりなさいませ」

 城咲は部屋から出ることはない。あんずの両親が何をするかわからないからだ。それを分かっていて、城咲はいつもあんずを「おかえりなさい」と言って迎えてくれる。

 少しだけ、あんずは視界が滲んだような気がしたけれど気にしないふりでわらってみせた。

 さあさあ、暖かくしてくださいと城咲がお気に入りのブランケットを運ぶ代わりにちょこんと座ってあんずを待っている。

「うん、ただいま。城咲」


 ★


 正しく怠惰である悪魔と、正しさのために悪を憎む天使。

 おんなじだ、とあんずは思う。

 正しくあってはいけないと、悪魔は潔癖症の怠け者。

 これが正しいのだと、あっさり誰かを殺す天使は泥沼の中。

 どちらも変わらない、どちらもおかしいと思ってしまうのはあんずが子供だからだろうか。

 両方持っている人間のほうが、よっぽど――

「ああ、でも、戦争なんかするから一緒だ」

 正義も悪も、変わらない。なんて、それこそ子供だろうか。

 頬杖をついたまま、窓から外を見る。

 爽やかな青空を刷毛でさあっと描いたように、白い雲が浮かんでいた。

 ため息をついて、ノートに再び黒板と教師の言葉を書き込んでいく。

「安久沢ー、次読んでくれ」

「はい」

 指されて、あんずは立ち上がって教科書を読む。

 考え事をしていようが、これくらい現代っ子としては当然だ。

 国語、数学、理科、社会、英語。

 強いて言えば理数系が好きなあんずだが、特に苦手というほどの教科はない。

 勉強は答えがひとつ、きちんと出るから嫌いではない。


「っ……あ、安久沢さん!」

「はい」

 体育も苦手というものはないし、体力テストは常にトップクラスだ。

 強いて言えば球技が苦手だが、現にバレーボールの授業もどうにかこなしている。

 上がったボールでスパイクを決めて、――けれどあんずに駆け寄るものはいない。

「よっちゃん!」

「ちょっと大丈夫?!」

 あんずのスパイクを拾おうとしたクラスメイトが転んで、体育館の扉の鉄の枠に肩をぶつけたらしい。

「あ……すみません」

 ひそひそと囁く声が聞こえる。

 ――ほら、やっぱり安久沢さんと同じチームはいやって言ったじゃん。

 ――仕方ないでしょ? どこかには入れなきゃなんないもん。

 ――絆創膏貼りすぎでしょ。怪我しすぎじゃん。

 ――でもさあ、ほんとに疫病神だよねえ。

 疫病神。

 あんずがいるとろくなことがないと、学校であんずに構うものはいなかった。

 成績の良さと大人しさで教師が手伝いを頼むことがあるくらいだが、それでだっておかしなことにあんずの行く先々では機械が突然故障したり、鍵が行方不明になったりと何かしら、何かが起こるので相当珍しい。

 手を貸そうとしたって、怯えたような目で見られることは分かっている。

 あんずだって、あんずを十四年やってきたのだ。

 それなりに、子供なりに、酸いも甘いもあったのだ。

 ――ほら、何も言わないよ。

 ――冷たいよねえ。

 ――てかなんで年中黒タイツ?

 ――いつも真っ黒でさ、魔女みたい!

 転んだクラスメイトは軽い打ち身程度で済んだらしい。

 謝ったんだけどなあ、とあんずは心の中で思う。 

 口はつぐんだまま、思った。


 ★


 ――ほらアイツだって、五人がかりならいけるだろ!

 帰り道に聞こえた悪意の囁きに、あんずはヒーローアンジュに変化して駆けつけた。

 一対複数で、あんずが到着した時には赤い髪の少年が座り込んでいるだけだった。少年が全部で六人、悪意の声の主たちは全員地面に倒れている。

 あれ、と思いながらも少年に声をかける。

「お怪我はありませんか?」

「……あ」

 きょとんとした顔をした少年が、あんずを指差す。

 座り込んでいたのがクラスメイトの井居忍いい しのぶだと気づいたあんずは、彼の言葉に耳を疑った。


「あんた、安久沢あんずだろ?」


 あんずは自分の服が真っ白いこと、服にかかる髪が金色なことをさっと確認して、真っ白になりそうな頭で否定する。

「何をおっしゃるのでしょう。どなたでしょうか」

「あんたの名前だけど」

「いや、ヒトチガイデスヨ?」

「違わないって。あれあんたの文鳥だろ?」

「え? 嘘、城咲?!」

「嘘」

「嘘?! え、あ!」

 しまった!

 固まったあんずを見上げて、忍はにっとわらった。

 クラスではあまり見せたことのない、笑顔。

「取引しよっか」

 首を傾げるあんずに、立ち上がった忍が言う。

「俺はあんたがヒーローだって黙ってる。だから、俺もヒーローやっていい?」

「え」

「あんたの手伝い。コンビ?」

「は?」

「駄目かなー、それなら俺黙ってる保証できないかもしれないなー、どうしよっか」

「わわわ分かったから!」

「交渉成立!」

 忍の笑顔は、いたずらっ子みたいに、少し可愛い笑顔だとあんずは思った。

 そんな場合ではないことは分かっていたけれど。 


 ☆


「正体がバレた?! コンビ?!」

 城咲は素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。

「しぃー、声が大きいよ」

「す、すみません……」

 あんずのベッドの隣の、窓際の小さなテーブルに城崎のかごが置かれている。

 夜寝るときだけは城咲はかごの中に入る。いつも寝るまで、ぽつぽつと言葉を交わすのが、少し長いあんずと城咲の「おやすみなさい」だった。

「見破れるはずがないのですが……」

「悪魔の分家だって言ってたから、大丈夫だと思うけれど」

 分家? と城咲は怪訝そうに呟いて、考え込む。

 見破られたのが自分の失敗のような気がして、あんずは申し訳なくなって、ごめんなさいと呟いた。よく考えたら心配になってくる。自分と全く違う人間になったつもりだけれど、口調だって変えているけれど、中身が同じなら、わかるものなのだろうかと。

「お嬢さまの謝ることなどひとつもありませんよ」

 城咲が取り乱して申し訳ありません、と落ち込みあんずの気持ちを掬い上げてくれる。こうした城咲の小さな優しさや気遣いが、あんずはとても好きだった。

「でも、気をつけるわ……」

「そうですね、くれぐれも油断なさらないでください」

 怪我のないように、と言う城咲の声が遠ざかっていく。

 うん、とぼんやり答えたように思った。

「……いくら分家でも、変化能力を見破れるものでしょうか」

 夜空を見上げて、腑に落ちないというように呟いた城咲の声は、二十四時間にしては色々ありすぎて疲れきって、ぱたりと眠ってしまったあんずには聞こえなかったけれど。




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