宵待ちの烏
試作品です。
その町は、春が遅い。
まだ昼下がりだというのに、外には寒風が吹き荒れ、道行く人はコートのボタンをしっかりと留めて俯きに早足で歩く。
町外れの邸宅に住むフレデリカは、お気に入りのソファでごろごろ寝そべりながら、傍らで本を読み動かない少年に呼びかけた。
「ユーク~、お腹すいた~。なんかないの?この際贅沢は言わない!ブラムリーリンゴのケーキでいいから!!」
「……意味が分からない」
焦げ茶の髪をした少年は、本からちらとも目をあげず、その提案をバッサリ切って捨てた。
「ていうかたまには自分で作れ。俺といくつ違うと思ってるんだ」
「だぁってあたしが作るよりユークの方がうまいじゃんか、このこの~。やっぱ食べるなら美味しいのが食べたいしさ~。あ、じゃああたしはお湯を沸かすから!!」
それがさも大事であるかのような口ぶりだったが、
「鍋を薪ストーブに置くだけだろうが……」
呆れながらも突っ込んだその時。呼び鈴が二回なった。
「うわ、せっかくのくつろぎタイムに邪魔が……誰だろ、空気読もうよ」
「馬鹿言ってないでさっさと出ろ。どうせジョナサンだろ」
「余計出たくないわ~留守ですよ~っと」また控えめに呼び鈴が二回鳴る。ふぅとため息を吐き、出ようとしない彼女の代わりにユークが玄関へと向かう。
扉を開けると、
「お、ありがとうユーク。久しぶりだな。元気にしてたか?」
穏やかな笑顔でジョナサンが頭を撫でようとしてきたので、さりげなく避けると、若干しょげたような表情になった。
「まったく……」
少年はそう呟きつつも、リビングへ通すと、ソファでくつろいでいたフレデリカがよっ、と身を起こす。
「ユーク、そんなん相手にしなくていいからさ、ブラムリーケーキ作ってよ」「そういえばお昼も大分過ぎてるな。私からは、ミートパイを希望する」
「待てよおい。わざわざランチしにここへよったのか?」
少年の声に怒気が混じる。
ジョナサンはふと真面目な顔になって、言った。
「いや、もちろん違うさ。おまえに、頼みがある」
その言葉を聞いた瞬間、フレデリカが剣呑な表情にさっと変わる。
「このハゲ。そんなのあいつらがやればいいじゃない。なんのための特殊部隊よ」
「彼らは目立ちすぎる。それに……」
ジョナサンは言いにくそうに言葉を切った。
「考えなしの集まりじゃしょうがないよね~。……一辺下水に降りてそこの水でもすすってこいっての」
「おまえな……」
呆れ顔のジョナサンの横で、埒があかないと思ったのか、ユークがん、と手を差し出し、ジョナサンがメモを渡す。
「……どれだけかかるかわからない。期待しないで待っててくれ」
「ああ、助かる」
こっちを射殺しそうな目で睨んでいるフレデリカには構わず、一度厨房へいって棚からミートパイと、ブラムリーケーキならぬ胡桃入りケーキを出してくると、
「じゃ、ちょっと出かけてくる」
そう言って肩掛けカバンを掴みあっさり出ていった。
残された二人の間には沈黙が横たわり、しばらくして苦くフレデリカが口を開く。
「カーゼル。もう、いいでしょ。領主の地位も落ちついてきたし、これ以上は」
「……フレディ。まだ、私たちの立場は危ういものでしかない。今はできるだけ信を得るときだ。それに……彼自身が、この仕事を望んでいる」
フレデリカは原因はおまえだと言わんばかりに中年の、特殊部隊隊長を睨みつけた。
「くそったれ。いっそもげて男やめろ」
「……どこで覚えたんだ、そんな言葉を」
一方ユークは、ちょっとした調べ物のあと、市場で機嫌よくハミングなどしながら野菜を選んでいた。
「どうだい、今朝仕入れたばかりの上物だよ!」
売り手の男がにこにこしながら声をかけてくる。りんごはたしかに新しかったが、並べてある芋は土のつき具合からみて、どう考えても古そうだ。しかし安かったので一緒にいくつか買い、袋に入れた。
そこそこ値切ったので苦笑顔の男に見送られ、その場をあとにする。
別店で折よく使い古しの靴ブラシと靴墨も見つけたので、あわせて購入し、足取りも軽く家へと帰っていった。
一週間後の夕方、ユークは薄汚れた靴磨きに扮して人通りの少ない道の、階段上付近に座っていた。
やや小太りで、身なりのいい男が苛々しながらこちらへ向かってくる。
「えー、靴磨き、靴磨きはいかがっすか~。一回たったの銅貨二枚!!」
ユークが声を張り上げると、たちまち獲物が食いついた。
「お、安いな。ささっとやってくれ。まったく、こう道がひどくてはかなわん」
「まいどありー」
ユークは男の靴を手際よくピカピカに磨きあげ、仕上げに靴底、つま先周辺にたっぷりとグリスを塗ってやった。
男はぞんざいに金を払うと、階段を下りるためその足を踏み出し、そして滑らせた。
濁った悲鳴とともにドスンバタンと転げ落ちる音、ザシュザシュと肉を切り裂く音がする。不幸なことに階段下には汚ならしい割れた酒瓶がいくつもあり、首や太ももに刺さったらしい。
まあ、仕組んだのは自分だが。
上から、当分寝たきり、社会復帰はほぼ不可能な状態だと確認して、道具を早々にしまいその場をあとにする。
領主の政敵、その後援者の一人が、夜会好きで思いがけずことが早く片付いた。
ユークはふと、随分前にフレデリカと交わした約束を思い出した。
----なるべく、殺さない。
あいつはまだ生きてたから大丈夫だろう、と結論づけ、空を仰ぐ。
……見上げれば時は夕刻。
鳥たちは群れをなし、どこかへ去っていく。
---この町から出たい。
胸中に、またその思いが強く満ちあふれてくる。しかし、まだ年のいかない自分がここから出て、どうなるというのだろう。
ユークは思いを胸に秘め、長い日常に戻ることにした。
――――――その時が、くるまでは。
グリス……油。グロス (光沢剤)ではない。