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五 ロマンスの神様

五 ロマンスの神様


 昨日、文吾は部活でいろいろ言われたことを気にして髪形を変え、前髪を上の方に持っていき額を出してオールバックにした。今までの無造作ヘアというより何もセットしていないのは、前髪が邪魔だったから視界がスッキリして非常に良いと思えた。

 そして、不良な感じを出すためにあご髭も伸ばし始めた。不良な感じという言葉は文吾自身が不良ということを意識しているみたいで不本意だが、こちらの方がオールバックと相性が良く、カッコイイから仕方がないと感じた。

 文吾は無造作ヘア同様手軽にセットできるオールバックのおかげで早く登校できた。そのまますぐに伊佐がいる一年一組へ向かった。

伊佐は自分の席でクラスメイトに寝癖頭を直されながら、楽しそうに話している。

文吾は伊佐が登校時寝癖なのに、その後おしゃれな髪型をしていると今まで謎であったが、この光景を見て解けた。しかし同時に女子高生で寝癖のまま登校はどうなのであろうかと疑問を出て来た。そんな疑問より昨日の映像の方が重要であった。

「おい」 文吾は後ろから伊佐に声をかける。

 声をかけられ伊佐らは振り返る。

「ブンゴン、おはよう! あっ! また髪型、変えた~」

伊佐と対照に周りのクラスメイトは突然の不良にビビっている。

 文吾は髪型を変えてまた気付かれないか不安であったが、取り越し苦労になった。そして印象における髪型が重要な位置にあることを理解した。

「おう、いいだろ」

「うん、カッチョイイよ。でもさきっちょとかヒカルちゃんが見たら、キャラが安定してないとか言いそうだけど」

 伊佐は椅子から立ち上がり、べたべたと文吾の頭を触る。

「確かに言いそうだな」

「なんか付いた」 伊佐は手に付いた整髪料を文吾のワイシャツで拭う。

「俺のシャツで拭うな」

「皆に紹介するね。友達兼許嫁のブンゴン」

『え!』 周りの全員が文吾と伊佐の関係に驚く。

「突然、こいつはなんてこと言いやがる」

 文吾は伊佐のケツに膝蹴りをくらわす。

「痛っ~い」

「ちょっとツラ貸せ」 文吾は伊佐の首根っこを掴み、引っ張って行く。

「またあとでね~」 伊佐はお気楽にクラスメイトに手を振る。

 文吾達が出て行ったクラスでは、「マユが不良に拉致られた」「許嫁って言ったよね」等々で騒いでいた。

文吾は訂正するのが面倒くさいと無視して進み、特別棟四階にあるボラ部部室の前まで伊佐を連れてきた。中に入ろうと文吾はドアに手をかけるが鍵が締まっており開かなかった。朝イチな為、当然と言えば当然である。一般生徒はここまで来ないから、廊下でも良いか――と文吾は深呼吸をして心を落ち着かせる。

問題を一つ一つ解決していこう。

「部室になんか用があるの? あ! 忘れ物したんでしょ」

 忘れ物と言えば、忘れ物である。そう、十年前にしまい込んで忘れっぱなしになっていた思い出。

「……伊佐……さっき、許嫁って言ったよな」

「うん」 伊佐は大きく頷く。

「軽いなー。軽石くらい軽いなー。それは子供の頃の話だよな」

「違うよ~。現在進行形だよ」

「お前はそれで良いのか?」

「うん、いいよ」 伊佐はケロッと言う。

「薄っぺらいなー。フグ刺しくらい薄っぺらいなー。将来、俺と結婚したいのか?」

「うん、したい」 伊佐は笑顔で見つめる。

伊佐とは対極的に、文吾は口が開くごとに自分の声のトーンが落ちていくのがわかった。

 こいつは頭がおかしい。伊佐は真性のバカだ。イサ イズ クレイジーガール。五歳児同士がする将来の約束なんて母親が子供に言う『今度』と同じレベルだ。果たされることはない。それをどういうわけか伊佐は守ろうとしている。そういう俺はどうなのか? そうだな、一言で言うなら……。

「俺は結婚したくない」

「さきっちょとしたいってこと?」

「うわ、出た!」

 文吾はついついどこかで聞いたことがあるギャグを言ってしまった。

 昨夜に考えた一つの問題であった。文吾は考え事が尽きず寝不足の上、朝から精神攻撃を受けすぎてグロッキー状態になっていた。

さっきからお前の口から問題しか出てきてねぇぞ、この野郎。出題者かっつーの。

「さきっちょともしたくない」 文吾の声が少し掠れる。

「じゃあ、誰としたいの?」

「伊佐はどうしても、俺を結婚させたいみたいだけど、今は誰とも考えてねぇ」

「ふ~ん……」

 簡単に諦めてくれたのか? と疑問が残るが、少し問題が解決して文吾はほっとした。

「伊佐は十年前のことを憶えてるってことだよな」

「当然V!」 伊佐は大きなVサインをつくりながら笑う。

「何でバカのくせに記憶力は良いんだ。こいつの知能は五歳で止まってるせいか?」

 伊佐はゆっくりと瞼を閉じる。


 ホワホワホワホワワワワーン……そう、あれは十年前のこと……私がブンゴンと出会ったのは……


 文吾は即座に伊佐を蹴る。

「何、勝手に回想シーンに突入しようとしてんの?」

「フグっ……ブンゴン、横から茶々と蹴り入れないでよね。ここいらで回想シーンは必要でしょ。ぜったい必要だよ」

「そういうのは要らないから。あと回想シーンの前で鳴ったホワホワホワワワワーンって音、何?」

「スマホのアプリで鳴らしました。よくあるじゃん、昔話する前の効果音」

 文吾にスマホのアプリ画面を見せつける。

「確かにアニメとかドラマでよくそんな音が入って昔話するけど、そう簡単には行かせねぇよ。もう知ってる情報はどうでもいいんだよ。朝で時間がねぇんだよ。手短に言え」

「知ってる情報ってことは、ブンゴンは思い出したってことだよね! ヒカルちゃんが言うにはブンゴンが私のことを忘れてるのは、きっとケンカし過ぎでパンチドランカーの一種らしいの。だから、私の方からヒカルちゃんにショック療法で直してほしいって頼んだのが良かったんだね」

「おい、ツッコミどころ満載過ぎて、少し混乱しちゃうだろ」

 文吾は頭に手を押さえる。

 俺はパンチドランカーじゃねぇし、そうだとしてもショック療法は間違ってるし、それをヒカル先生に頼んじゃいけない。

 文吾が心の中でツッコミを箇条書きに挙げている。伊佐はその様子を見て提案する。

「時間が欲しいんだったら、半日待とうか?」

「そんなもいらんわ! 何でお前のボケの為に半日も潰さないといけないんだ!」

「じゃあ、アメちゃんは?」

「いらん! どうせ苦いんだろ!」

「中東アジアのイスラム――」

「それはイラン。……んなくだらねぇことより昔のことだよ」

 文吾ではなくてはツッコめていなかっただろう。文吾は自分のツッコミ魂を呪った。

「思い出したんじゃないの?」

「いや、これが全然の全く。昨日、証拠が出てきたんだ。十年前のDVDが」

「あ~、ヒカルちゃんがそんなのも撮ってたね。久し振りに見た~い」

 伊佐は文吾に届いたDVDすら覚えていた。そしてあっさりと撮影者の名前が出てきた。

「出た、主犯格の名前。大した誘導尋問もせずに出てきやがった。絶対見せねぇ。卜部はこのことを知ってるのか?」

「ううん、知らないと思う。さきっちょと話しても昔のことが出て来ないから」

「絶対に話すな。きっと卜部に話すと壊れる。特に精神が……。はい、話はこれで終わり。じゃあな」

 文吾は聞きたいことは聞けて、言いたいことも言えた。この場から去ろうと歩き始める。

「ねぇ、文吾。メルアドを教えて」

「いいけど」

 文吾は足を止め振り向く。いつもと呼び方が違うことに心がざわついた。

「は~……緊張した」 伊佐は胸に手を当てほっと安心した。

「なんだよ、急に」

「日本の夏、キンチョーの夏だよ」

「言葉のニュアンスだけで喋るな。なんとなく言いたいことはわからんでもないが」

文吾はそういえば教えていなかったというより聞かれていなかったことにふと気づいた。わが辞書に遠慮という難しい文字は記載できないという感じにズカズカと他人のプライバシーを踏みにじっている伊佐が聞いてこなかったことに不思議に感じた。

ズボンのポケットからスマホを出し、伊佐が文吾のアドレスを目にも止まらぬ速度で自分の携帯電話に打ち込む。文吾は伊佐の性格からしてひっきりなしにメールしてきそうだからと一応釘を刺す。

「メールとかは大事な用がある時だけな。俺、彼女いるし」

「ブッラジャー」

「お前、ホントにわかってんのか?」

「うん、うん」

 伊佐は文吾のアドレスばっか気になって、返事が上の空である。

きっと自分の言葉は伊佐の頭に何も引っ掛かりもせずにまた耳からすり抜けているのだろうなと文吾は感じた。

「それと、日曜日デートしよ」

「ダメです」 早速変なことを言い出した伊佐に文吾は即答する。

「しょうがない。さきっちょと三人でデートしよ」

「そういう問題じゃねぇ。お前、卜部を付ければ大丈夫みたいな考えがあるよな。明後日は用事があるんだ。卜部と遊びに行けよ」

「いつなら、いいの?」

「いつでもダメ」

「え~、なんで?」

「俺、彼女がいるから」

「それは別でしょ、私と結婚するんだから」

「なんでそうなった? メシ食った後にスイーツは別腹でしょみたいな軽いノリだな」

「今、考えてないだけで、これから私と結婚することを考えさせてれば良いんでしょ?」

「豊臣秀吉みたいな考え方を持ち出しやがって。俺の彼女はどうするんだよ」

鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ほととぎす。豊臣秀吉を表した有名な句である。実際に本人が詠んだかは不明である。

「彼女を辞めて頂きます」 伊佐は真面目にキリッと言う。

「何で今までで一番凛々しい顔で言うんだよ。たぶん、無理だと思うぞ」

「じゃあ、彼女から奪います」

「織田信長かよ。穏やかじゃねぇな。どうにか徳川家康のように心穏やかに待って……もらっても困る。言い方が悪かった。未成年だし、誰ともする気はねぇ。諦めろ」

「……諦めないよ。私はブンゴンが好きなんだもん。なんで自分の好きなものを諦めなきゃいけないの?」

 うわー、純粋な眼差しが眩しい。それでいて頑固。これ、いったいどうすればいいんだ? 俺、間違ったこと言ってないよな。お互いが正しいこと言ってる。がっぷり四つ、あとは寄り切った方の勝ちだ。

「あのな、きっと彼女がいるいない関係なく、俺はお前に気持ちが向いていな……い……」

 伊佐は涙目になる。

「だから……」

「だから?」 伊佐が上目遣いで文吾の目を見る。

「だから……好きにしろ」 文吾は視線を逸らす。

 伊佐に軍配が上がった。決まり手は寄り切り。

「わーい」 伊佐は万歳をしながら喜んだ。

「さっきの涙はどこへ行った! ……ただし、迷惑かけんのは俺だけにしろ。さっきの約束忘れんな」

「約束?」

「ほら、忘れた。アドレス教えてやったけど、あんまメール寄こすなっつっただろ」

「あ~あ~はいはい。忘れてました」

「おい! その頭にぶち込んどけ」

「合点承知の助」伊佐は敬礼をする。

「ホントにダイジョブか?」

「また、休み時間ねー」

 伊佐が手を振り去っていく背中を見ていると、文吾のスマホが鳴る。ディスプレイを見ると明後日に遊ぶ約束をした友人の聡からの電話であった。

「……おう、どうした」

『お前、朝っぱらから死んでるみたいな声出して。まさか姉貴と一戦交えたか?』

「するわけなぇだろ。お前じゃあるまいし。早く要件を言え」

 文吾は非常に苛立ちを感じた。心を落ち着かせようと胸ポケットから煙草を一本取り出しくわえる。キョロキョロと周りに誰もいないことを窺う。

『明後日の集合場所、言ってなかったよな。桜ヶ丘公園前のコンビニに十時な』

「日曜日、スタジアムに十時ね。了解」

『明後日、誰か女の子呼んだ?』

「呼んでねぇよ。女なら、お前が呼べよ」

『全滅』

「ハハッ、来るとしたらお前の姉貴くらいだろ」

『たぶんそうなる。お前の彼女がね』

「明後日晴れるといいな。じゃあ、切るぞ。……いやー明後日が楽しみだ。」

 文吾は煙草に火を点けた。


~ ~ ~


 昼休み、文吾は伊佐のストーキングを振り切り、ヒカル先生と会いに職員室へ行った。しかしヒカル先生の姿は見当たらず、近くにいた名前も知らない先生に聞く。

「失礼しゃーす。真島先生はどこっすかー?」

 え? この不良、俺に聞いてんの? とあからさまに嫌そうな顔をしながら言葉数少なく窓を指差す。

「あそこ」

 窓の外には手作り感満載の小屋があった。

文吾が外に出て小屋をよく見ると、壁は雨風を凌ぐしかできない薄いトタンだけで遮られていた。その中で喫煙者の現状を体現しているようにヤンキー座りのヒカル先生が一人で小さくなって吸っていた。

喫煙者の減少、分煙化の煽り、教育者の喫煙はどうか等の理由で元々室内にあった喫煙所は外に追いやられていた。

「教師も肩身狭いっすねー。教師も禁煙化ですか?」

「今、煙草を吸う先生があまりいないのだよ。それに生徒からの目があるかな」

「隠れて煙草ってやってることは生徒と変わらないっすね。冬でもここなんすか?」

「ああ、そうだ」

「部室、貸しましょうか?」

「いや、いい。見つかったら、職員会議ものだ」

「そっすねー。煙草で退学はアリでも、退職はナシっすよねー」

「そういうことだ」

「俺も吸って良いっすか?」

「この場で退学しても良い覚悟があるのなら、吸っても良いぞ。退学はアリなのだろ」

 ヒカル先生はニヤリと口角を上げながら文吾の顔を見る。

「んな覚悟ねぇよ」

「文吾……髪型を変えたな。似合っているが、キャラが安定しないな。そんな調子で髪形をコロコロと変えていたら、書き手が困るぞ」

「カキテってなんだ! んなことより……」

 文吾は鞄から昨日のDVDを取り出す。

「これはてめぇの仕業だろ」

「おお、やっと届いたか」 ヒカル先生は久しぶりの再会で目を見開く。

「やっとってレベルじゃねぇぞ。十年だぞ」

「どうして、私だってわかった?」

「普通にボラ部を俺とか伊佐とか誘ったのはあんたでしょ。伊佐もあっさり自白したし」

「それにしても早すぎだ。名探偵でももう少し引き延ばすぞ」

「事件は起こってからじゃ遅いんだよ。先生は何がしたかったんすか?」

「正直な話、目の前でドラマチックな恋愛を見たかった」

「十年前から恋バナに飢えてんな。……これだから十年結婚ができないんだよ」

「ああん!」 ヒカル先生は文吾にメンチを切る

「何にもないです」

 ヒカル先生は煙草を一吸いしてゆっくりと瞼を閉じる。


 ホワホワホワホワワワワーン……そう、あれは十年前のこと……


「勝手に回想に入らないで下さい。それ、伊佐が朝に全く同じことをやりました。スマホのアプリでしょ。伊佐と精神年齢が一緒っすね」

「何ィ、私と伊佐は年齢が一緒だとォ!」 ヒカル先生は興奮する。

「落ち着け、精神だけがという話だ」

「確か聞いたことがあるぞ。健全な精神は健全な肉体に宿る。肉体と魂は精神でつながっている」

「それはハガレン。漫画の話だ」

「ならば、逆も云えるということか。若い精神が宿る肉体も若い! 私がJKと一緒だと……十六歳JKと……むしろ私が女子高生」

 ヒカル先生はグッと拳を作る。

「どういう開き直りだ。現実を見ろ。年齢はダブルスコアで勝ってるってことを――」

 マッハパンチが文吾の鳩尾に入る。文吾は崩れ落ちる中で切に願った。ヒカル先生が変な宗教に嵌らないことを――ヒカル先生が変な男に騙されないことを――ただただ願った。

「とにかく仕込むのが大変だったぞ。このDVDから始まり、君らをこの学校に入学させ、この部活に入部させることが」

「入学まで操作したのかよ。この人、何やってんだ。こんなのしてるから十年結婚できないんだよ」

「おい、君はどうしても根性焼きを入れて欲しいのかな」

 ヒカル先生は目が笑っていない笑顔で文吾の顔面を左手で掴み、右手で眉間に煙草の火を近付ける。

「結構でふ」 文吾は顔を潰されながら全力でヒカル先生の腕を止める。

 文吾が根性焼きを覚悟すると、ヒカル先生は文吾の顔を通り過ぎ喫煙所の壁で煙草の火をもみ消す。

「君や咲の学力で入学させることは問題ではなかったが、問題は真弓の学力だ。まず担任教師、親の説得をし、入学試験を受けさせ、こっそりとテストの点数を改竄する」

「それこそ、職員会議ものだ」

「高校に入ったら許嫁が……と思い描いていたが、お前らが全然出会わない。出会ったら、出会ったで想像と違う。真弓はハッキリと憶えているし、咲はドSだし、文吾は不良で彼女がいるし。私の十年を返せ!」

「超切実」 見ている文吾も悲しくなってきた。

 ヒカル先生は震えるほど手を強く握る。あまりに強く握りすぎて血管が浮いている。その勢いのまま今にもトタンの壁を思いっきりマッハパンチで穴を開けると思いきやスッと力が抜ける。

「……と思ったが、もういい。このまま文吾を行けるところまで行かせて、リアルをパンッパンに膨らませて破裂させることが今の楽しみだ」

 卜部とは種類が違うが、卜部と似たようにヒカル先生が不敵に笑う。

「すっげぇネタバレだな」

「だから、お前はそのまま進め。私はその先に地雷を埋めておく」

「もう嫌だ、こんな三十三歳」 文吾は涙目で口に手を押さえる。

「私をキラークイーンと呼べ」 ヒカル先生はジョジョ立つ。

この人、ジョジョが相当好きなんだなーと文吾は感心する。

「又はロマンスの神様と崇めろ」

 全く以てセンスのないロマンスの神様である。ロマンスの神様よ、早くこの人の前に程度の良い独身男を出してくれと文吾は切に願う。


~ ~ ~


 放課後、文吾が部室に行くと卜部しか居なかった。入り口から見て長机の左側手前が卜部の定席である。その席に座って卜部は小説を読んでいる。部室には卜部が淹れた紅茶の良い香りが充満している。

文吾はその香りが鼻に入るも何の香りかはわからなかった。ちなみに紅茶セットは卜部の自前である。

「よーっす」

「こんにちは。あら、あなた髪形を変えたのね。昨日、散々いじられたからかしら。何にしてもキャラが安定しないわね」

「ハイハイ、わかってますよ」

 文吾は本日三回目のダメ出しを受け流しながら、部室を見渡すと何かが違うことに気付く。いつもいるものが今日はいない。

「ハイは一回。卑しい目で見てもあなたに紅茶は淹れてあげないわよ」

「いらねぇよ。この匂い、紅茶だったか」

「嗅いでもわからなかったの? 紅茶飲んだことあるの?」

「失敬な、それくらいあるわ。意味は分からなかったけど」

「意味が分からないという意味がわからないわ。あなたは味オンチね」

「よく言われる。……今日は伊佐はいねぇのか?」

 文吾はいつもうるさいくらいに騒がしい伊佐がいないことに気付いた。

「ええ、さっさと帰ったわ。何でも明後日お出かけするらしいわ。その為に洋服やら買いに行ったわ」

「へー、遊ぶ相手が見つかったのか。少し嫌な予感がするが……」

文吾にとって、邪魔者が居ない今が最初で最後のチャンスかもしれない。

「今日はあなたと二人きりよ」

「意識すると恥ずかしくなるだろ」

 文吾は言ったものの、互いにそんなことを微塵も思っていない。鞄をテーブルに置き、卜部の席から対角の席に座る。窓を開け、煙草とブラック缶コーヒーを取り出す。とりあえず、一服した。

 部室には小説をめくる音と煙を吹く音しかない。気まずいと感じながらも文吾は何か話すきっかけを探した。

「……この部活は活動しないのか?」

「月曜日にしたじゃない」

「それだけだろ。というかそれも活動か怪しいけどな。基本この部活は活動しないのか?」

「そうなるわね、楽で良いじゃない」

「活動計画とか、部費とかないのかよ」

「存在していないような部活にそんなものあるわけないじゃない」

「存在していないような部活?」

 あまりの驚きで煙草がぽろっと落としてしまった。文吾は急いで煙草を拾う。

「やべー、やべー。部室が火事とか、あひるの空じゃん」

「元々ボランティア部は部室と活動スペースはあるけど、部員がいない部活だったらしいわ」

「園芸部みたいなもんか?」

「ええ、そうね。そんな幽霊部活に私たちが入部して、ボランティア部と名乗り、奉仕活動に行う。そしてただただ、内申点が良くなる」

「ならんだろ、あってないよう部活なんだろ。そんな部活、教師も存在に気付いていないんじゃねぇの?」

「……」

 卜部はあっけらかんと口を開けアホ面で文吾を見る。そして小説を閉じる。

「いえ、積極的にボランティアを行う姿を見て、教師は『おっ、頑張ってるな。内申点上げてあげよう』となるわよ」

「いやいや、『お、頑張ってるな』って思う前に、『勝手に何やってんだ、あいつら?』って思うのが普通だけどな」

 卜部はハッと気づかされた顔をする。

「意外と抜けてんな。ヒカル先生の口車に乗せられたな」

 ヒカル先生がわざわざ卜部を文吾と伊佐に出会わせるための嘘だと文吾は一瞬で理解した。

卜部は俯きながらブツブツと何かを唱えている。聞こえてくるワードが「デカ乳」「地獄」「結婚」と暗黒面に覆われて支配されつつある。

「う……卜部さん?」

「大丈夫よ。絶対に学校に認めさせるわ」

 卜部の瞳の奥は暗く、暗黒面に覆われ大丈夫ではなさそうであった。

「そういえば、この教室は部室として使っていいのか?」

「真島先生が鍵をくれたから」

「くれたってなんだよ。良いのかよ?」

「私たちに責任はないわ」

「勝手に使っている責任はあるけどな」

「「……」」

 卜部は黙って睨む。文吾は無言で煙草を吸う。

「なんだよ、俺も使わせてもらってるから文句はねぇよ」

「そう、あなたに選択肢なんてないのよ」

「ハイハイ……」

「ハイは一回」

 文吾は意を決し、話したかった話題を出す。

「……卜部は子供の頃はどうだった?」

「急に気持ち悪い。話しかけないで」

 はい、ここで終了。せっかく空気を温めて、聞きたいことを聞いた瞬間冷めるとかナシだろ。だが、俺の中の安西先生が諦めたらいけないと言ってる。

「いやさ、卜部は昔からそんなんなら、親御さんが可哀想だなって思って」

「……」 卜部は返事をせず、また小説を読み始める。

「無視ですか? シカトですか?」

 文吾はイラ☆とした。

「ちょっと、そこで待ってて」

 煙草を缶の縁に押し付けて火を消して部室を出る。廊下に誰もいないことを確認して思いっきりコンクリの壁を殴る。少し、ヒビが入ってしまった。まぁ、いっか……こいつが俺の怒りを受け止めてくれたから、しょうがない。

文吾は部室に戻り、平静を装って笑顔をつくりながら煙草に火をつける。怒りで煙草が潰れる。

 卜部は文吾を全く見ない。そして何も言って来ない。

「無視は止めようか。無視は!」

「そうね、大人じゃなかったわ。何の話だっけ?」

「あァン! てめぇが昔からクソヤロウだったかって話だよ!」

 文吾は卜部にメンチを切る。

「可愛かったに決まっているじゃない。あまりに可愛くて旅に出してしまったらしいわ」

「一生帰って来なきゃ良かったのに」

「あまりに可愛くて目に入れても痛くないから、そのまましばらく住んだものよ」

「それは目玉のオヤジだよ。茶碗の風呂を沸かしたろか!」

「そんな冗談は置いといて」

 卜部は埃を払うように片手をサッサッと横に動かす。

「それは置いたとは言わねぇ! 捨てるの間違いでは?」

「先生が言うようにツッコミが上手ね。芸人にでもなったら」

「お前、バカにしてるだろ」

「あら、気付いちゃった」

 文吾は思いっきり煙を吸い込む。卜部は本を閉じ何かを悩んでいる。

「どうしたんだよ」

「私たちは何の話をしていたのかしら」

 文吾は卜部に注意され話が脱線していることに気付く。

「はっ! 俺が聞きたかったのは、子供の頃のことを憶えてるかってこと」

「あなたが一ページ前のことを憶えていないじゃない。あなたは馬鹿なの? それとも私を馬鹿にしているの?」

「両方じゃね?」

「まぁ、一番古い記憶はあっくんと結婚の約束だわ」

 蓋を開けるといきなり当たりかよ。あっくん……天宮の『あ』か? 他人事でありますようにと文吾は考えを巡らせる。

卜部はゆっくりと瞼を閉じる。


 ホワホワホワホワワワワーン……


「何それ、流行ってんの? 皆そのアプリとってんの?」

「あなたベースで物語が進んでいるからっていい気になっているとその髭を引き千切るわよ」

 自分の思うように行かないことに腹を立てているのであろう卜部は文吾を睨む。

「はい、そーですか。途中で止めた俺が悪かった。続き進めて」

「そう、あれは十年前のこと。あっくんが大人になったら、白馬に乗って向かいに来てくれるの」

「うわ、頭湧いてんじゃねぇの? もしくは脳内がお花畑なのか? お前にもお姫様願望があるの?」

「あるわけがないじゃない。ただ、白の跳ね馬でも乗ってきたら考えようかしら」

「フェラーリかよ。あっくんが可哀想だ」

 卜部には結婚する気は毛頭ないらしい。卜部の仲人は諭吉さんようだ。

「ところで、あっくんって誰?」

「忘れたけど、少なくともあなたではないわ。だって、あっくんは女の子と間違うほど可愛かったわ」

「悪いけど、俺だって子供の頃はそれなりに可愛かったぞ」

「ない、ない。ありえないわ」 卜部は文吾の顔を見て、手を横に振る。

 卜部は十年前のことはうろ覚えであった。それにプロポーズの件は所詮子供が言ったことだと信用していない。

あっくんでもあっくんじゃなくても、やはりあのDVDは絶対言わない。そして、金があってもフェラーリは買わないと文吾は決意した。

「あなたと話していると疲れるわ。今日はこれで帰るわ。あなたはどうするの?」

「今日もどうせ何もないんだろ。俺も帰らせてもらうわ」

 文吾は早々と帰り支度をして先に部室を出ようと、ドアを開けた瞬間一人のショートヘアで真ん中分けの女子生徒が廊下に立っていた。

女子生徒は文吾と目が会うと、学校で有名な不良が出てきたとオロオロし始めた。後から来た卜部が女子生徒の顔を見て察した。

「小森さんじゃない! 大丈夫? 痴漢されたの?」

 卜部は文吾を退かし、小森さんの両肩を持つ。

「出会い頭に痴漢するか」

「じゃあ、視姦されたの?」

「うん」 小森さんの頭は錯綜し、目を回していた。

「訳も分からず肯定するな」

「とりあえず落ち着いて。この男はただの……」 卜部はじっと文吾を見る。

「悩むな」 文吾はここでもキャラの話になるのかとがっくりと肩を落とす。

「ただの……モブ?」

「悩んだ結果、それ? 一応主人公」

「いや、天宮モブンゴでしょ。小森さん、そういえば部活は?」

「え? あ? また相談があったんだけど、やっぱりいい」

 小森さんは文吾と卜部を交互に見てこのタイミングではないと諦めた。

「モ文吾のことなら気にしなくていいわよ。背景のようなものだから」

「んーん、今度でいいや」 小森さんは小走りで去っていく。

「それでは、また月曜日ね」 卜部は小森さんに小さく手を振る。

「一つ言わせてくれるなら、ツッコむ間くらいくれよ」

卜部は鍵を取り出して締める。

文吾達はひとまず生徒玄関を目指して歩く。卜部の少し後ろを付いて行く文吾が目の前にある小さな背中に話しかける。

「なぁ卜部、お前にも友達いたんだな」

「当たり前でしょ。誰かさんとは違うわよ」

「ハイハイ」

「ハイは一回」

「ところで俺にも鍵く――」

「嫌よ」 卜部は即答する。

「最後まで聞け。合鍵の一つや二つ変わらねぇだろ」

「いえ、変わるわ。あなたがここで一人になって何かすると思うと虫唾が走るわ」

「何するって一服するだけだよ!」

「そんなことを言って、どうだか。何にしても駄目よ」

「わーったよ。こいつはまともに会話ができねぇのかよ」

「会話しなきゃいいのよ」

「そういえば、伊佐は明後日どこに行くって言ってたんだ」

「そこまで聞かなかったわ。聞いていたとしてもあなたに言わないわ。ストーカーは止めた方がいいわよ」

「それは伊佐に言ってくれ」

 ヤな予感がするから、明後日の集合場所だけでも変えておこうと文吾はポケットからスマホを出して、聡にメールをする。

 TO聡:明後日の集合場所変えてもいいか?

 RE:いいよ

 TO聡:じゃあ、スタジアムの近くにデイリー。他の奴らには俺がメールしとく

「これでとりあえず良いだろう」

 九月三日 日曜日 午前十時 スタジアムの近くにデイリー。

 文吾の予感通りに集合場所に伊佐と卜部がいた。


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