4. 鬼ごっこ
深和と共に涼羽精工の試作装骨格のテストを引き受けてから2ヶ月、悠之歩は涼羽SAの拠点で人型兵器・導式装骨格の操縦の基礎訓練を受けた。奈笠警備特区の警備を請け負っているのが涼羽SAであり、親会社である涼羽精工が試作装骨格のテストを涼羽SAに依頼しているため、悠之歩たちは警備特区を出ることなくテストできる次第だ。
基礎訓練の内容としては、装骨格のシステム操作や通信ルールの学習、歩行訓練や走行訓練といったものだ。
7月は大学の春学期の期末試験があり、その試験勉強に追われながらも装骨格操縦の基礎をどうにか覚えた悠之歩は、8月に夏休みに入った。
「――おはようございます、翔先輩」
涼羽SAの拠点に向かう道中、悠之歩は2メートルを超える長身の青年と出くわし、挨拶した。
癖のある髪は無造作に伸びており、鼻も高い。その体躯の物理的な存在感による荒々しい印象に、どこかしなやかにも見える身のこなしや気怠げな眼差しが混ざり合い、靄のかかった奥深い森のような異様な雰囲気が漂っている。
「あぁ。チャキか」
悠之歩に声を掛けられた春日翔は、悠之歩を見てぶっきらぼうに返した。
翔は無精な性格のようで、悠之歩の「千秋」という苗字をさらに端折って「チャキ」と呼んでいる。
翔は、悠之歩と深和より先に矩場から勧誘されていた奈笠大学工学部の2年生だ。
彼もまた高校の頃から奈笠警備特区に住んでおり、翔は悠之歩や深和とは別の奈笠第三高校に通っていたが、その人並外れた体格や身体能力、そして目立つ鼻もあって、「天狗」の呼び名で翔の噂は悠之歩たちの第二高校まで届いていた。
口数が少ない翔とは特に世間話などせず、しかし特に気まずさを覚えることもないまま、悠之歩は翔と涼羽SAの拠点に到着し、更衣室で装骨格用の黒いパイロットスーツに着替える。
フード付きのスキーウェアのようなパイロットスーツは、特殊な繊維で作られており熱や摩擦、そして防弾性能が高い。腿と脛の内側、上腕、肩甲骨部分には薄いプレートが仕込まれており、フードと襟の中には通信用のヘッドホンとマイクがある。
悠之歩と翔がミーティングルームに向かうと深和も既に到着しており、ややあって矩場と、グレーの都市迷彩柄のパイロットスーツに身を包んだ30代の男も入ってきた。身長180センチほどでがっしりとした体つきのその男は、豊永という涼羽SAの職員で、悠之歩たちのテストを監督している。
「操縦に慣れてきたみたいだし、千秋くんも次のステップ移るか!」
矩場が開口一番に言った。
「流火を使って鬼ごっこしてくれ」
「鬼ごっこ?」
悠之歩は聞き返した。
流火は、涼羽精工が開発した件の試作装骨格だ。
「そ。流火で模擬戦用の模擬刀を持って、氾火で逃げる二冬さんを引っ叩いたら千秋くんの勝ち。制限時間いっぱい逃げ切るか、流火に一定以上のペイント弾を当てたら二冬さんの勝ちな」
氾火は涼羽SAが警備業務や訓練などに使っている標準的な量産機だ。深和や翔は合同インターンで氾火を使ったことがあるらしい。
「千秋くんは模擬刀を思い切り振ること。掠るだけじゃノーカウントにするから。模擬刀でいくら殴っても装骨格は壊れないから、遠慮しなくていい。その代わり体当たりは禁止な」
「わかりました」
悠之歩は頷きつつ、内心で考える。
――二冬がペイント弾を撃ってくるって、それもう模擬戦だよな……いや、「逃げられたら負け」って言われたら僕は必死に追いかけるし、二冬も逃げるのを優先するか。じゃあやっぱり鬼ごっこって言い方は的確だな。
それから豊永が今日一日のテスト内容のスケジュールを説明してから、悠之歩たちは格納庫に向かった。
格納庫で悠之歩は、自分が使う流火に近づき、見上げる。
跪いている流火は、立ち上がれば体高が四メートルほどになる。しかし装甲がやや薄く肩回りの関節の可動域が広くなっているためか、正面から見るシルエットはより人間的だ。とはいえやはり流火は「人型兵器」らしく、胴や脚の前後幅は一メートル以上あり、人体とは体躯のバランスが異なっている。流火を横から見ると肩は背中よりも胸側に寄った位置にあり、カメラが搭載されているであろう頭部も全高に比して小さく頭身が高めだ。また、背中と両腿側面にはブースターがあり、足にタイヤが装備されている。
兵器として開発されたにしては予想以上に人間的で、人体に似せて設計されたというにはどこか猟奇的で、異形とはいえその構造には合理性が見られ機能的だ。
刃のような二本角と、二つの切れ長のカメラアイもあって、その姿は機械化された鬼のようにも見える。
詳細は矩場から聞かされていないが、流火は細部の構造が異なる形で四機製造されている。悠之歩たちは一番機から四番機を交互に使っており、今日悠之歩が使うのは二番機だ。
悠之歩は流火の背後に回り込み、流火の腰から垂らされた短い梯子を登って
開かれた背中の装甲の隙間からコクピットに乗り込んだ。
中には跨って座るタイプのシートがあり、車の運転席ほどの、人一人であれば余裕で乗り込める空間がある。正面と左右のメインディスプレイと、正面ディスプレイ下の小さいサブディスプレイ、両手で握るための操縦桿、サブディスプレイ用のコンソールが備え付けられ、左右の操縦桿にはそれぞれ、四つのボタン、一本のスティック、二つのトリガーが付いている。
悠之歩はコンソールを操作し、機体の背面装甲を閉じてメインシステムを起動させた。これによって緋導鋼を芯材にした導波動コイルが稼働し、そこから発生した磁場と共振することで悠之歩の導波動が数千万倍にまで増幅する。この導波動によって機体内の発電機を動かすことで、生きた骨格者を内蔵する限り装骨格は半永久的に稼働できる。
流火を使い始めて2ヶ月経つが、機体が駆動し始めるこの音と振動には未だに慣れない。自分をより大きく強い存在だと錯覚させるこの人型兵器に乗ると高揚感と全能感を覚え、次いで、そんな感覚を抱く自分に漠然とした不安が襲いかかるのを悠之歩は感じた。
すべてのディスプレイが点灯したのを確認し、悠之歩は流火の回路を開放して、流火の全身に張り巡らせた緋導鋼の回路に自分の導波動を流した。
これによって流火が完全に起動し、機体の全身からは竜胆色の蜃気楼のようなものが立ち昇る。
緋導鋼が帯びた一定以上の量の導波動は光の屈折率にも影響を及ぼし、基本的な性質は共通するものの、骨格者によってその色が異なる。
鬼火を思わせる竜胆色の導波動を纏い、その双眸に光を宿した流火は深呼吸するかのようにブースターの吸気と排気を始めた。




