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42. 鬼気森然(後編)

 悠之歩は動きの流れのままに、軸足を右足から左足に移し、薙雲の右肘を構えた状態で右足を踏み込んで、芥子色の導波動の不知火を剛法の肘鉄で突き飛ばした。


 不知火は踏ん張って耐えようとし、悠之歩はその間に、歩法で相手の死角に入って薙雲の全身を使って転換する。それに合わせて呼吸をするだけで、臍下丹田が刺激され、導式加速筋の稼働率が上がり、放たれた音斬が不知火の右腕を斬り飛ばした。


 ――なるほど――触れるだけでいいのか。


 悠之歩は気づく。


 振らず、斬らず、触れにいく。


 腕の付け根の導式加速筋さえ動けば音斬になるのだから、腕全体を大きく振りかぶる予備動作は必要ない。相手に触れる始める一点から、斬り終えた瞬間の一点までの短い範囲でだけ音速になればいい。


 ――反った刃の一点で相手に触れる――刀を振ると接点が刃先に向けてずれていく――その摩擦で斬る。


 悠之歩は呼吸のリズムを調節し、また不知火の死角に入りながら、今度は左背面の機関砲を音斬で破壊する。


 ――振り抜こうとするな――終点で喰い留めるように絞り込む――小さく短くていい――


 悠之歩はただ歩けばいい。相手に触れにいく一歩、あるいは触れたまま踏み出した一歩に刀がついてくる。触れながら一歩動けば投げに、掌底や拳を出して一歩進めば当身となる。


 自分の躯のどこかが相手に触れ、音斬と同じ速さを相手に伝導させればいい。


 相手に刀が触れる寸前、腕力ではなく丹田を起点に全身を激震させて刀を加速させる――これが悠之歩の音斬なのだ。


 導式加速筋の稼働メカニズムの都合上、音斬を連発することはできないが、悠之歩はそのインターバルを最小限に抑え、高頻度で音斬を撃つことができる。


 最小の動きで音斬を繰り出せるからこそ、最多の発動回数になる。


 不知火は左前腕のブレードで斬りかかってくるが、悠之歩は右足を軸に左半身を下げる動きで立ち位置をずらし、相手の左肘に音斬を当てながらいなした。左腕を破壊された不知火は、自分が斬りかかった勢いと音斬の衝撃でバランスを崩す。


 生身で相手を崩すには、相手の踏み込みだけでなく、筋肉の状態や呼吸の際に肺が上下することによる重心変化までも利用せねばならない。音斬の衝撃で強引に崩せる分、悠之歩にとっては装骨格戦闘の方が簡単だ。


 不知火の左足が微かに浮くのを見て、悠之歩は「投げられる」と直感した。


 肺と共に肩が上がらないよう呼吸し、かつて師範に言われた言葉を思い出しながら、薙雲の腰を深く落とし、左半身を出して不知火の前方を通り過ぎて右側まで回り込む。


 生身の時のように正座して膝行はできないが、足のタイヤと背中のブースターでそれに似た動きはできる。


 ふと気がつくと、左手に握った刀が不知火の右膝の裏に添えられていた。


 勢いよく振りかぶって斬ろうとする動きではないので、相手も悠之歩の動きを脅威と認識できていないようだ。


 その瞬間、不意に悠之歩の中である感覚が蘇った。


 これまで音斬を撃ってきた時の臍下丹田の圧迫とは違う。


 一人で稽古している時の感覚でもない。


 悠之歩の全身がぐしゃぐしゃに捻り潰され、自分の丹田の在り処を知った時の感覚――悠之歩が師匠に一度殺され、生まれ変わった時の感覚だ。


 このまま呼吸を絞り尽くし、悠之歩の血も、肉も、骨も、魂すらも極小の点にまで圧縮すれば――そしてそれに相手を巻き込めば、どうなるだろうか。


 そんな好奇心に衝き動かされ、悠之歩は全身の皮膚から体内の空気を瞬間的に放散するかのような呼吸と共に、膝行に似た一歩で右半身を出した。


 呼吸。


 一歩。


 ただそれだけの意識で、開かれていた薙雲の両腕が音速で閉じられ、左手の刀で不知火の膝を音速で裂き砕きながら、右半身と共に前に出された右手が音速で不知火の右胸を押す。


 二重の衝撃波に巻き込まれ、圧し潰され、摩り下ろされるかのように、躯の2点に音斬を撃ち込まれた不知火は空中で270度回転し、顔から地面に叩きつけられた。


 刀の有無以前に、このような技は鳴気流にない。一人稽古で練習したこともない。


 ただこれまで重ねてきた呼吸と膝行の感覚を蘇らせ、そこに左右の音斬がついてきたことで生まれただけの、新しい投げ技だ。


 ――投げられた記憶だけでも、まだまだ学べることがあるな……やっぱり師匠には頭が上がらない。


 不知火を倒した達成感などなく、ただ師範への敬意と感謝だけが改めて胸中に湧くのを感じていると、そこに翔の荒風と燎の剥光がやって来た。


〈何だ、薙雲が捕まえたんだ?〉


 燎が不満を隠さない声で言った。


〈散々迷惑かけられたから、オレがぶちのめしたかったのに〉


「摘雪の読みが冴えててね。言われた通り待ってたら、本当に来たから」


〈あいつ今1人か〉


 翔が言った。


「はい」


〈じゃあ、ペア的にオレが行かないきゃいけないじゃん。今度は逃さないでよ?〉


「任せて」


 悠之歩はそう言ってから、通信妨害が切れているのを確認し、翔と共に戦闘終了の報告をした。そして、共に廃工場に来ていたが、装骨格同士の戦闘に巻き込まれないよう離脱していた警察の導式軽装甲車を呼び戻し、不知火のパイロットが逃走しないよう手分けして見張る。


 やがて警察のパトカーや護送車が続々と到着し、不知火の回収や現場保全、パイロットたちの連行で、警察官たちが大わらわになる。警察としても、違法装骨格のパイロットがこれほど生き残った現場は今までになかったのだろう。


 翔と燎が戦っていて崩落した工場棟の瓦礫の中に埋もれた不知火も、悠之歩たちが瓦礫を撤去し、パイロットは生きて救出され。大量の瓦礫では押し潰されない装骨格の防御力に命を救われたようだ。


 芥子色の導波動を帯びていた不知火のパイロットは、連行される時、人語とは認識できないような叫び声で恫喝らしき何事か喚き、抵抗していた。しかし警察官数人に押さえつけられ、護送車まで引きずられていく姿は、実際の背丈以上に小男に見えた。


 その男性パイロットは暴れることで警察官に反撃を受け、それによって死にたがっているのではないか。


 悠之歩は、ふとそう思った。


 もし彼がプロメテウスの再犯の実行犯なら、この後に待ち受けている未来はどうあっても絶望的なものだろう。そこから逃避しようとしたのかもしれない。


 しかし、悠之歩はすぐ、あのパイロットはそこまで自覚的に死を望んでいる訳でもないだろうと思い直した。


 本当に死にたければ、コクピットの中で舌を噛み切るなりしていただろう。もし今回も証拠隠滅用の火炎瓶を持っていれば、それで焼死する選択肢もあったはずだ。そうしなかったということは、生物らしい生存本能が優位であり、死に奔るのに必要な瞬間的な狂気をかき集めることもできなかったのだろう。


 悠之歩は損傷した流火の右手を見て、先ほどの戦闘を思い返した。


 いつ死んでもおかしくない戦いだった。深和が死ぬ可能性もあった。自分は実戦の途中で自分の技を見失った。心が弱かったからだ。心を鍛えるために稽古していたのに、死にかけるまで自分を取り戻せなかった。


 ――早く稽古したいな。


 辛うじてとはいえ実戦を乗り越えた自分だからこそ、稽古の質を上げられる。


 先ほどの戦いでも、悠之歩は鳴気流の型にない技を、鳴気流で身に着けた呼吸を礎として編み出すことができた。あの動きを取り込み、考慮材料とし、稽古を重ねれば、今の悠之歩にも予測できないような新しい成長があるかもしれない。


 まだまだ生まれ変われる。


 実戦のために稽古があり、稽古のために実戦がある。


 悠之歩はぶるりと身震いし、深く呼吸をして興奮を鎮めた。

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