41. 鬼気森然(前編)
「はははっ――そぉだ! こういうのがらしさってもんだろ!」
小崎は倒壊していく工場棟から飛び出しながら吼えた。
腹腔に響くような音を立てながら建造物が崩落する様が、小崎にプロメテウスの再犯の時を思い起こさせる。
装骨格ならばこの程度の破壊など造作もない。
それを改めて体感し、全能感を覚える。
同時に、この後どうすべきか思案を巡らせる。戦闘開始直前の警察のアナウンスからして、これはこの廃工場の所有者が警察に不法侵入を通報し、違法装骨格対策を名目として公認三社の護衛を動員したスキームだろう。であれば周囲の道路は警察によって交通規制されているはずだ。
しかも今回は、先日のように逃走用の車輛も近くになく、間もなく夜が明けるので闇に乗じて逃走するのも難しい。となれば、このまま不知火で住宅地に向かうべきだろう。この時間帯であればほとんどの住民は自宅におり、公認三社や自衛隊が一般人を巻き込むことを恐れ、対応が遅れるはずだ。近くに走行中の車がなければ、ドライブレコーダーや監視カメラに映る回数も少なくて済む。
元々する依頼されていた仕事だが、公認三社にこのような形で襲撃されたとなれば、中止ということでいいだろう。当初の予定では、6機の不知火とそのパイロットが集合してから標的を殲滅しに向かうはずだった。しかし集結前に妨害を受けたとなれば、契約履行以前の問題だ。小崎が逃げても責任は問われまい。
悪いのは、通報されるリスクのない拠点を選ばなかった仲介業者や、リスクを分散しなかった依頼主だ。
自分の逃走をそう正当化しつつ、小崎は地図の記憶を思い出し、放棄された農地の方から逃げようとして――足を止めた。
廃工場の敷地の縁に、鬼の姿があった。
左手に刀をぶらりと握り、鬼火を思わせる竜胆色の導波動を全身から立ち昇らせた、頭部に二本角のある装骨格――組織の拠点だった物流倉庫街でも戦った、機体だ。
ディスプレイが暗視表示だったので、この廃工場で最初に戦い始めた時は確信を持てなかったが、今こうして改めて見て、ようやく断定できた。
機影、導波動の色、武装、どれを取ってもあの時の機体と一致する。
そうなると、小崎を追ってきたのか偶然か、追ってきたのであればそれが小崎の過去を知った上でか否かが気になる。
だが、今ここでそれを考えても詮無きことだ。
小崎が今使っている機体は、前回の不知火壱型とは違う。しかも鬼は左手に刀を持っているだけで、盾がない。
以前自分を苛立たせ、今もこうして自分の行く手を阻もうとする相手だ。すぐに殺してこの場を立ち去ろうと小崎が心に決めたちょうどその時、東の空に日が昇り始め、陽光が鬼のような装骨格を照らす。
充分な光源が確保されたことで暗視表示が解除され、目の前に立ち塞がる鬼の姿が明らかになった瞬間、小崎は引鉄を引いた。
両背面の重火器が同時に火を噴くが、鬼のような装骨格は左足を前に出すだけで、小崎の方に近づきながらその砲撃を躱した。
走るでもなく、ブースターで滑空するでもなく、腕を大きく振ることも上体を傾けることもない。
ただ足を出し闊歩するだけで、回避と共に接近してきたのだ。
小崎は後退しながら射撃を繰り返すが、鬼のような装骨格の回避には予備動作がなく、直後の機動を読めないため、どう撃てば当てられるのかわからない。
ブースターも使って前進してくる敵の方が速く、間合いがどんどん詰まってくる。
前に戦った時とは何かが違う。
小崎はすぐ悟った。
しかし具体的に何が変わったのかわからない。
理屈も原理も理解できないまま小崎は引鉄を引き続けるが、導波動弾はろくに当たらず、空中に芥子色の軌跡を虚しく描くばかりだ。
鬼のような装骨格は悠々と歩き、気がつけば刀の間合いにまで持ち込まれていた。
小崎は左腕のブレードを構えながら、タイヤとブースターで急遽前進して突撃を仕掛ける。
だが鬼のような装骨格は特に慌てることなく、自身の躯の正面に刀を上げつつ、小さな一歩と共に僅かに身を翻した。その際に刀とブレードがヂッと触れ合ったかと思いきや、小崎の不知火だけが、まるで衣服が木の枝に引っかかったかのようにバランスを崩す。
機体の右足が浮き、慌てて体勢を立て直そうとするが、その隙に鬼のような機体は小崎との距離を詰めてきた。そして重い金属同士がぶつかる音がしたかと思えば、左背面の機関砲を破壊されたことを報せる警告音が鳴り響く。
何だ?
何をされた?
刀で斬られたのか?
困惑しながら小崎は急発進して敵を振り切ろうとするが、鬼のような装骨格は纏わりつくように追従してくる。
小崎は右肩の導式加速砲を乱射しながらカウンターの回転斬りを放つが、ブレードが鬼のような装骨格に触れる瞬間、衝撃波と共にまたも不知火の機体制御が崩れた。
鬼のような装骨格は、刀を振りかぶる素ぶりも防御らしき姿勢も見せていなかったはずだ。それなのに、いつの間にか刀で斬り終えて次の動きに移り始めた姿勢を取っている。
時間が飛んだかのような感覚すら覚える。
この10年で確立された装骨格戦の常識とは異質で、異様な身のこなしだ。
前回からどんな変化があったのか、小崎にはわからない。
殺意も害意も感じられない。
以前よりもさらに覇気がない。
手応えがない。
意図が読めない。
自分が相手にしているのは、亡霊か、幽鬼か。
機体を旋回させようとするがバランスが崩れ、小崎は慌ててそれを制御しながら、自分の股がじっとりと濡れていることに気づいた。
自分たちは装骨格で戦っているはずだ。
刃を振るえば人間が消し飛び、新幹線すら両断でき、銃を撃てばビルを貫ける。
そんな兵器を使っていて、どうしてこいつは、ここまで脅威に思われないような動きをできる?
こいつは強いのか? 弱いのか?
装骨格を使っても弱い奴はいくらでもいる。これまで小崎は、そんな輩どもを何人も殺してきた。
だがこの鬼と戦っていると、そもそも装骨格というもの自体は大して強力なものではないという気さえしてしまう。
そんなはずがない。
時折、鬼と肩や腕が触れると、鬼が小さく身じろぎするだけで、ぐん、と小崎の不知火が傾く。
勢いよく体当たりされた訳でもないのに、大した衝突音もしないまま、気流に煽られたか、水流に押し流されたかのように姿勢が崩れる。
そうして翻弄される内に、鬼の姿が視界から消えたかと思いきや、衝撃波の轟音と共にコクピットに警告音が鳴り響いた。右背面の導式機関砲が斬り飛ばされたらしい。
武器を破壊するだけで、生かすも殺すも自由という現実だけを突きつけられたようだった。
この鬼は小崎の過去を知っているのか? 身元を突き止めているのか?
だとすれば、プロメテウスの再犯の実行犯である小崎を殺さず捕まえようとしているのも頷ける。
しかしもしそうなら、どうして、憎悪も、正義感も、功名心も、戦意もなく、粛々と刃を振るえるのだ?
自分は装骨格に乗っている。神の力と言っても差し支えない力を振るっている。
世界を変えた。たくさん殺した。
そんな自分が、こんな地味で矮小な動きしかできない餓鬼のような相手に翻弄されている。
大した武器も持っていない癖に、殺そうともしない癖に、小崎の自由が奪われている。
こんな奴に負けたくない。
このままこの鬼に負けて取り押さえられれば、まるで自分が、武道経験のある一般人に取り押さえられたひったくり犯の域まで貶められそうな予感がある。
この鬼を倒すためには、自分は人間であることをやめねばならないと思うが、小崎の中にそのようなものは見当たらない。
いっそ発狂し、余計な理性の枷など外して暴れてしまえば、こんな小鬼など容易く吹き飛ばせそうに思える。
小崎は、奇声を上げ、狂おうとした。
余計な不安など忘れて、ただ今持てる力を振るい、目の前の敵を無心に蹂躙したかった。
だが、狂えなかった。
小崎隆典という小物の狂気の泉には、元よりその身を沈められるほどの深さなどなかった。




