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39. 天狗の檻(後編)

 荒風に乗った翔は、新たに増援としてやってきた不知火4機の内の2機を1人で抑え込んでいた。


 それぞれ浅葱あさぎ色と苺色の導波動を帯びており、翔に導波動弾を当てようと試みているが、緩急を織り交ぜ三次元に動き回る荒風にはなかなか命中しない。


 踏み込んでは離れ、斬ると見せかけてまた迂回し、頭上を飛び越えて着地した瞬間には次の回避に入る。そして不知火とすれ違いざまに刀を振れば、敵の四肢を破壊するとまではいかないまでも、銃火器を破損させるか、姿勢を崩すくらいのことはできる。


 何より、高速で縦横無尽に動き回っているだけで、相手にとっては本能的な脅威として認識するに足るものだ。自分の攻撃は当たらず、荒風の刀は浅いながらも不知火に損傷を蓄積させていく。一撃で勝負がつかないとはいえ、ダメージを報せる警報や装甲の裂ける音、斬られた際の衝撃にはそれなりの心理的な威圧効果がある。


 また、緋導鋼は、外部から加えられた運動エネルギーや熱エネルギーを導波動に載せて伝導・分散・放出できるが、装甲が傷つけば装甲表面から放出される導波動の量が減ってしまう。そうなれば機体の運動性能も防御性能も低下し、転倒や撃破のリスクも累積するのだ。


 翔は地を蹴って相手の頭上を飛び越え、背後に着地してからさらに動いた。

 全速力で飛び回る荒風は、無機質な鋼の躯から、蘇芳色の導波動と共に歓喜の熱を発散しているようだ。


 超人的な動体視力と反射神経、空間認識能力、運動神経、映像記憶力、精神力。


 流火での高速機動を飼い慣らせるだけのものが、ずっと翔の中にはあった。だが、それを発揮できる環境はなかった。翔自身の肉体すら、翔が抱える化物を閉じ込める檻でしかなかったのだ。


 そうして大空を飛び回る戦闘機に夢を馳せ、その夢が潰えた先で流火に出会った。


 流火なら、翔の中の化物を満足させられる動きができる。


 ――否。


 翔は、すべて使い切りたいのだ。


 自分の肉体に満ち満ちた、暴威とも言える才能を出し切りたい。


 すべて吐き出し、空腹感を、飢餓感を感じたい。


 身軽になって、次の何かを自由に求められるようになりたい。


 翔が流火の性能を引き出すのではなく、流火が翔の才能を引き出すのだ。


 浅葱色の不知火はブレード以外のすべての武装を破壊され、もはや接近する荒風に向けて左腕のブレードを振ることしかできていない。一方、苺色の導波動の不知火はブレードに加えてまだ右背面の導式機関砲が残っている。


 翔は荒風を横倒しにして地面に手を衝きつつ急転換し、その減速の間にディスプレイに表示された周囲の景色を脳に刻み込む。


 不知火はどちらも荒風を見失っている。完全に荒風を狙ったカウンターはない。


 その判断を瞬時に下し、翔は急加速して、浅葱色の導波動の不知火の方向から少し逸れた軌道へと急加速した。


 狙った速度まで流火を加速させるのに必要な距離は確保している。


 急激な加速によるGが翔の肉を、骨を、血管を、臓腑を圧し潰すような感覚すら翔にとっては機体速度を測るための指標に過ぎない。


 翔は視覚ではなく体内時計と反射神経を頼りに、荒風の四肢を振ってその進行方向を急変させた。


 抵抗放射だ。


 急旋回によるGが、透明な手のように翔の肚の奥にある芯らしきものを鷲掴みにし、ぐいと引っ張るような心地を覚える。


 既に何度も体感したことのある、深層筋への刺激だ。


 確実にくるとわかっていたこの感覚に合わせて翔が右手の刀を振ると同時に、剣尖は音速に達し、不知火の左膝を破断した。


 そしてそのままの勢いで地面を強く蹴り、空中に躍り上がって、苺色の導波動の不知火が荒風を捉える隙を与えないまま次の機動へと移る。


 翔には相手を倒した達成感などない。


 そもそも攻撃しようという意識そのものが薄いのだ。


 翔には、ただ、広く、速く動きたいという欲求しかない。


 次はどんな飛び方をしようか。


 どんな飛び方を思いつけるだろうか。


 幼子のようにわくわくしていると、視界に2つの影が映った。剥光と、芥子色の導波動を帯びた不知火だ。


 翔と苺色の導波動の不知火の方に走ってくる。


「…………」


 翔は苦い表情かおをした。


 翔と燎の2人でのペアになってしまうと、翔としては動きにくくなってしまう。


 翔自身でもこうして燎たちと4人で流火を使うまでは思ってもいなかったのだが、存外、翔は他人に遠慮をする気質らしい。自分がしたい動きを強引に押し通せばいいのかもしれないが、そのイメージに対する執着もさほど強くないためか、反射的に身を引いてしまう。逆に、燎は組んだ相手のことなど無視して敵を倒すための攻撃に終始するようだ。


 そういった相性もあって、翔が悠之歩と組んだ時と、燎と組んだ時では、前者のペアの方が模擬戦相手となった涼羽SA正規パイロットの撃破スピードが早かった。


 不知火のパイロットはそこまで察していないであろうことを考えると、単に自分が一緒にいた僚機を撃破され、燎との1対1を避けるために味方を探してきたのだろう。翔が先ほど1機撃破していなければ、2対3になっていたところだ。


〈うわ〉


 短距離レーザー通信で燎の声が翔に届く。


〈マジかよ面倒メンドい〉


「文句はそいつに言え」


〈そのつもり。ますますオレの怒りを買ったよ、こいつ〉


 そんなやり取りを短く交わし、翔は不知火2機がこの場から逃げないよう牽制するため、円状に動こうとした。


 しかしそれより先に、2機の不知火は同じ方向に全速力で走り始める。


〈くっそ――!〉


 めいっぱいの苛立ちを声に滲ませて燎が言う。


〈つくづく鬱陶しいなこいつ!〉


 不知火が向かう先にあるのは工場棟だった。


「入んのか」


〈当然! 逃がすかよ!〉


 翔と燎もすぐさま追い、不知火が壁を突き破った穴を抜けて工場に突入する。


 天井の高いホール状の建屋に、鉄骨の柱と梁が規則正しく並び、大型の配管やタンク状の装置、制御盤らしき機械群が連なっている。作業用クレーンか大型フレーム構造の影も見え、照明などなく、流火のカメラの暗視機能だけが頼りだ。


 夜明け前とはいえ、屋外であれば多少の自然光があるため、流火のカメラの可視光増幅処理によってディスプレイの映像も補正されるが、光源のない屋内では映像もざらつく。


 遮蔽物が多い環境で、視界が悪く、しかもペアとの相性が悪い。


 翔の脅威度を的確に低下させる選択だ。


 戦いとは、やはり操縦技術や機体性能だけで左右されるものではない。


 それでも翔は腐ることなく、可能な限り速力を維持し、不知火の背後に回り込んで退路を塞ぐことで燎が格闘戦に持ち込みやすくなるよう援護する。


 芥子色の導波動の装骨格はまだ両背面の重火器が残っているようで、装骨格には効果のない通常弾の機関砲も撃ってきた。導波動弾が当たって流火の装甲防御力が下がった状態で重ねがけされれば、通常弾での攻撃の威力もいくらか上乗せされるので、そういった狙いがあるのかもしれない。


 しかし翔は冷静に障害物の隙間を縫って動き続け、減速すれども足は止めず、その間にすぐさま加速できる空間を見定めて急加速し、射撃を躱した。


 それと同時に、翔は燎の剥光がまるで障害物など意に介さず槍を振るい、豆腐でも切るかのようにタンクを払って、苺色の導波動の不知火に肉薄した。


 そもそも流火の方が、涼羽精工製の高性能ブースターや軽めの機体重量、装備の軽さなどから不知火より速力で優れていた。しかも苺色の導波動の不知火は、自分からこの工場棟に入っておきながら、視界の悪さか障害物に臆して足取りが鈍ったように見える。仲間に唆されるがままに連れ込まれたのだろうか。


 翔は自分以外の3機全機を視界に収めつつ、燎が苺色の導波動を帯びた不知火の懐に飛び込むのを見た。


 まるで納刀した刀の柄を握るかのように槍を構えているが、不知火の方に背を向けている。十文字槍の穂先は不知火の右膝に添えられているだけで、この時点ではまだ打ったり突いたりしていないようだ。


 しかし翔は、これから燎が音斬を放つと察知し、直後、剥光が身を翻しながら撃った音斬は近くの配管を叩き斬りながらも減速することなく大きく巡り、不知火の両脚を破壊した。


 燎は音斬の初動で穂先を不知火の右膝に音速で掠らせつつ、全身をぐるりと時計回りに回転させ、不知火の右膝の傷を寸分すんぶんたがえることなく捉えて斬り砕いたのだ。最初に穂先で触れて音速で掠らせたことで、不知火の装甲の導波動波形は乱れ、そこに音斬を直撃したため、右脚を斬ってからも左脚も破壊できるだけの威力が残っていたのだろう。


 剥光が振り抜いた十文字槍の鎌刃には、もぎ取られた不知火の左膝から下が突き刺さっている。


 一振りの音斬を二度当てる――槍と腕の長さ、穂先の位置と角度、足捌きによる間合いの変化を完全に把握していなければ到底不可能な、周音斬あまねきりとも呼ぶべき絶技だ。


 それを理解すると同時に翔は、自分が悠之歩相手に模擬戦をする時、燎を相手にした時より切り込みにくいと漠然と感じていた理由に気づいた。


 流火は音斬を撃てる状態になる直前、まるで弓に矢を番えて弦を引き絞るかのように、肩が通常より僅かながら大きく前後する。おそらく深層筋を一定以上脱力させた際の波形変化を感知すると、導式加速筋が音斬を撃つのに必要な待機状態に入るのだろう。


 今まで翔はそれを明確に意識できていなかったが、その異変を優れた視力で見抜いていたため、無意識に音斬を予感できていたのだ。


 燎は音斬を撃つタイミングをほぼ完璧に把握できており、導式加速筋が待機状態になる時は必ずといっていいほど音斬を狙っていた。裏を返すと、待機状態に入れば音斬が放たれ、その直後は抵抗放射により燎が微かに硬直するとわかっていたから、翔はそこを狙って燎に模擬戦で勝てていたのだ。


 逆に、悠之歩が流火を使うと、導式加速筋は頻繁に待機状態に入っていた。悠之歩本人がなぜそこから音斬を撃たないのかは翔にはわからない。相手が音斬の間合いにいない時はまだしも、燎の槍を捌く時なども撃たないので、その脱力は無意識であり、自分が音斬を撃てるコンディションにあると自覚できていないのだろうか。


 いずれにせよ、悠之歩は音斬を撃った後の硬直が少なく、いつどのタイミングで音斬を撃たれるかわからないので、翔はカウンターの気配を感じて必要以上に警戒していたのだ。


 ここしばらくの違和感に対してようやく出た解が腑に落ち、雑念が霧散していよいよ意識がクリアになる。


 あとは芥子色の導波動の不知火を倒せばいい。


 狙いを1機に絞れる状況になり、翔と燎が残った標的に意識を集中した瞬間だった。


 導式機関砲と通常の機関砲を斜め上に打ち続ける不知火の姿に、2人は同時にその真意に気づく。


〈こいつ、初めからこれが狙いかよ!〉


 燎はもはや憎悪とも言えるほどの熱を声に込めながら、槍を構えて全速力で不知火に向かって突撃しようとする。しかしそれより先に、導波動弾が帯びた芥子色の導波動がまるでビームのように空中に軌跡を残しながら、通常弾と共にクレーンやタンク、天井に大穴を穿った。


 緋導鋼製の徹甲弾は、帯びた導波動によってその運動エネルギーをより効率的に対象物に伝導させるため、その威力は同じサイズや速度の徹甲弾を遥かに上回る。鉄筋コンクリート程度、貫通させ、破砕し、崩壊させるのも容易い。


 剥光の攻撃は間に合わず工場棟は天井や壁面、タンクなどが一気に崩落を始めた。


「まず出るぞ」


 翔は端的に言いながら、外に出るのに最も近い壁面に直進しつつ闇雲に刀を振る。蘇芳色の導波動を帯びた刀は、降り注ぐ瓦礫を埃のように払い、翔は工場棟を飛び出した。その横で、同じように十文字槍を振りながら燎の剥光も追従してくる。


 地響きのような音を立て、瓦礫や石片、大量の砂埃を撒き散らしながら、その建造物はあっさりとそれがかつて何かしらの生産性を持っていたとは思えない残骸へと成り果てていった。

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